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辺境遊戯 第三部 


竜間問答-29

 空から声が響き渡るのを、彼は聞いていた。いや、それは、本来なら聞こえないはずの声だった。なぜなら、ここと彼のいる場所は、ひどく離れているからである。
 それでも、彼の声が聞こえたのは、彼が風を操り、声を届かせたからにほかならない。
「思い出せ! 貴様らの王は私である!」
 残る一匹の喉を締め上げながらの声は、おそらく、人間のものではない。そのたびに、人間には感じられない、特殊な魔力のようなものが空気中に発散されている。半分が狼人である彼にも、それはほとんど感じられないが、それは竜に属するものたちなら、恐らく体の震えとして感じられるものでもあったはずだ。
「貴様らが、私の命令に反して行動することを禁じる! もし、二度このような真似をしたときには、貴様らの命はないと思え!」
 シャザーンは、言葉を拾うのをやめた。結果はわかったのだ。
「失敗だな」
『馬鹿な。そもそも、連中などあてにしていない』
 妖魔が軽く笑いながら言った。
『だが、確かに竜の属は、これでなかなか協力しなくなった。……かつてほどの知恵がなくなったとはいえ、王の権力は絶大だ。力で思い知らされた今、連中にソレに逆らうことはできないだろう』
 妖魔がぽつりと言う。
『ギレスが復活するとは思わなかったが――。アレも、かつて、危機が訪れると必ず邪魔をするときいているが』
 シャザーンは、呆然と空を見やりながらたずねる。
「会ったことがあるのか?」
『いや、ないな……。だが、一番目の司祭に取り憑いているものならしっているかもしれない』
 妖魔がそう答えた。
「お前達は、情報交換をしないのか?」
『我々は、別に貴様らのように集団に頼っているわけではない。時に別れ、時に共に。……しかし、それも、ばらばらだ』
 薄くシャザーンの唇が歪む。
『だが、他の連中もそろそろ動き出したようだ。今回の扉を開いたのは、われわれ。我々に、連中は悪感情は抱いてはいないだろう。おそらく協力してくれるだろうな』
「協力?」
 虚ろな目を空に上げ、シャザーン、というより、クレーティスがたずねる。
「僕は何をすればいい? ……一体、僕は何をしようとしているのか、時々わからなくなる」
『おやおや、また戸惑っているのか』
 妖魔が軽く嘲笑をおくってきた。
『お前は辺境と外界の境を壊したいのだろう?』
「……しかし、一向に壊れる気配もない」
『時間がかかる』
 妖魔は諭すような口調で言った。
『なにせ、長い時間をかけて築かれたものだ。何をするにしても時間がかかるのだな……。司祭の中に潜り込んでいるものもいるが、もちろん、司祭の中にも邪魔をするものたちもいる。時間がかかって当然だ。だが、亀裂が入っているのは間違いない。後は、聖域まで辿り着いて『扉』さえあけてしまえばいいのだが――』
 クレーティスは、ふと気付いたように訊いた。
「でも、お前達はすぐに聖域にはいかない。それは――」
『まだ早いのだ。……聖域というものは、普通には我々は近づけない。ファルケンという奴も同じことを考えたが、結局、旧い聖地に辿り着いてしまった。アレは偶然だけではない。旧きマザーの手の内に踊らされたのだよ』
 妖魔は、鼻先で笑うように言った。
『かつても、同じようなことがあった。だが、簡単になしえなかったのは、聖地自体になかなか辿り着けないからだ。まずは数を増やして、外郭から攻めていくしかない』
 ふわりとシャザーンは立ち上がる。
『森の外の狼人も、そして人間達も、闇の影響を受けて、徐々に狂い始めている。そうして、マザーの手にも負えなくなってから、聖域へと向かわなくては無理なのだ。聖域の中に、我々の影響を持ち込まなければ、簡単に排除されてしまうだろう』
 クレーティスは返事をしない。ただ、空の上では、黒い稲光が一瞬走って消える。彼も、彼の中の妖魔も、恐らく古いことは知らない。だが、知っているものがみれば、その光景はかつておこった危機を思い出させるものだったのかもしれない。
 そして、その結果も――である。


「それにしても、あの竜、どこいきやがったんだ?」
 レックハルドの不満そうな声が、ぽつりと空にあがる。
「さあ。……ちょっと、どこか変だからなあ」
「だよな。ホント、あのビュルガーの言うとおり、街の中にいってるとしたら、久々の街にはしゃいでんじゃねえの?」
 ファルケンは、うーん、と苦笑気味になる。
「……否定できないのが恐いよな」
「だろ」
 空はすっかり静かになり、森がひと時の平和を取り戻した翌日、レックハルドとファルケンは、仕方なく辺境の外にでてきていた。
 何故、彼らが森の外にでることになったかというと、あれからダルシュの姿が見えなくなったからである。てっきり、元の洞窟にもどってくるのだと思っていたのだが、戻ってきていない。仕方がないので、レナルとビュルガーを一度辺境の森に残し、彼らは外に出てきたのだ。
 かといって、ダルシュがどうなったかを二人ともあまり心配はしていない。というのも、人探しの能力がないファルケンの勘はともかく、ビュルガーがちゃんと、彼、というより、ギレスがどこに飛んだかを見ていたのだった。
 ビュルガーによると、辺境の外に飛んだのを見ただけでなく、ヒュルカの方向に、ギレスの力を感じるらしい。ということで、ヒュルカに何となく近づいていくと、当然、マリスのところに立ち寄りたくなるのが、レックハルドの情というものである。
 ということで、なし崩し的に、マリスの実家に立ち寄る、ということになっていた彼らであったが、マリスの家の近くに来たとき、いきなりファルケンが、林のかげにかくれてしまった。怪訝な表情で、レックハルドは振り返る。
「何してるんだ。お前は」
「し、静かにっ!」
 やけに真剣なファルケンを怪しく思いながら、レックハルドは彼に近づく。
「静かって、一体なんだ?」
「レック、前、前……」
「前って、ダルシュの亡霊でも出たか?」
 そんな冗談にもならない悪態をつきながら、レックハルドが目を向けると、ちょうど目の前には、ひときわ目に付く赤っぽい巻き毛の女性が立っている。思わず歓声をあげそうになりながら、レックハルドはファルケンを忘れて走り出そうとした。
「あ! マリスさん! マリス……」
「あ、ちょっと待って!」
 駆け寄ろうとしたレックハルドは、がはっ、と妙な声を上げて体をのけぞらす。というのも、ファルケンがいきなり首根っこをつかんで引きずり込んだからだ。
「げ、げほっ、な、なにすんだてめえは! てめえ、お前みたいな力のある奴がやったら首の一本や二本……」
 起き上がりざま、文句を言い始めたレックハルドに、静かに、と再び小声で制して、ファルケンは、目にためらいの色をみせる。
「ちょっとまだまずいんだよ」
「何が」 
「心の準備が」
「何の準備だって?」
 レックハルドは、ちらりと向こう側を覗きやる。そして、ああ、と納得した。マリスの横には、ロゥレンがいるのだ。
「ロゥレンか?」
「ロゥレンだよ」
 すでに顔色が青ざめているファルケンは、木の後ろにぎゅっとつかまっている。レックハルドは、その場に片ひざを立てて座りながら、なにやら情けない表情のファルケンを見上げた。
「それは、この前で片つけたじゃねーか。まだ問題あるのかよ」
「いや、それが〜」
「なんだ?」
 苦笑気味のファルケンに、何となく嫌な予感を覚えつつ、レックハルドはそろっと訊いた。
「いや。あれからオレ、逃げちゃったりして、その後のことはマリスさんに任せて、半分以上うやむや……」
「なに! お前、逃げたのかよ! あの後、ロゥレンにお前を許してやるように説得してきたオレの努力はどうすんだ!」
「いや、なんというか、成り行きもあってその……」
 レックハルドは、まずい顔をした。あのロゥレンは、根に持つタイプだ。忘れてくれている筈もないだろう。
「……あのなあ、お前がもうちょっと堂々と振舞えば終わる話だろ」
「堂々ってどうやって?」
「う、そういうことを聞かれても……。というか、普段結構かっこつけなのに、なんでこういうときは駄目なんだよ」
「さ、さあ、そんなこといわれても」
 ファルケンは、深々とため息をついた。
「レック……、オレ、しばらく木々の中にまぎれていてもいいかな?」
「よくねえに決まってんだろ。お前らも、最初からどこかちぐはぐだよなあ」
 レックハルドはあきれ返ってしまう。ファルケンもファルケンなのだが、多分元はといえばロゥレンが、なにやらひどいことをしていたのが、今頃になってこうなってきているのだろうから、ファルケンだけを責めるわけにもいかない。
 ファルケンはため息をついた。
「森に同化してしまいたい……」
「……元から苔っぽい外見なのに、これ以上苔っぽくなったら動けないぞ、お前」
 レックハルドは、たっと立ち上がってコートの裾を払う。
「できるだけ説明はしてやっから、一緒にいこうな」
「そ、そうだなー……」
 ぐったりとしたファルケンの肩をたたきつつ、レックハルドは、やれやれとため息をつく。
(ロゥレンも、かわいいとこあるんだけどなあ)
 とりあえず、マリスが横にいれば、惨劇にはならないだろう。ファルケンを引き連れつつ、レックハルドは額に手をやった。
 

 どうやら、マリスは、シェイザスとロゥレンを連れて、今から遊びに出かけるところだったようだ。すぐさま、マリスの前で、いつもと全く違う様子で話を始めるレックハルドはともかく、ロゥレンの前に突き出される形になったファルケンは、かなりこわばった顔になっていた。
「ダルシュさんは、まだ見ていませんが……」
「そうですか。じゃあ、先に帰って街でもみてるんじゃないですか」
 いや、本当にそうじゃないかという気がしてきた。一体、あの、どこかボケた竜は、どこで何をしているのだか。だが、今は、とりあえず、シェイザスがこの場にいなくてよかった気がするレックハルドである。
 ちらりと目をやると、ファルケンが頑張ってロゥレンに話しかけていた。
「ロ、ロゥレン、お久しぶり」
「この前もあったでしょ!」
「あ、そ、そういえば、そうだっけ」
 これはまずい。ファルケンは、たらりと冷や汗をかく。慌ててファルケンはごまかすように言った。
「……な、なんか元気がないような、気がするけど……。ロゥレン、元気なのか?」
「あのねえっ! こんな連中に付き合ったら元気もなにもなくなるっていうのよ! あんた、このむちゃくちゃな連中につきあったことあんの!」
 きつく言われ、反射的にびくっとしてしまうファルケンであるが、ロゥレンはそれには突っ込まない。
「全く、人間って常識のない奴らばっかり!」
「じゃ、じゃあ、その、辺境の中にいればいいんじゃないのかなあ」
「辺境の中もおかしいんだもん! 落ち着かないから外に出てるのよ!」
「そ、それは、ごっ、ごめん……」
 慌てて謝るファルケンには、ロゥレンがいっている異変の内容が素早く頭には入らなかった。
「ねえ、ロゥレンちゃん」
 いきなり隣から声が飛んできて、今度はロゥレンの方が慌てた。と、同時にファルケンが、安堵の色を顔一杯に広げる。
「ロゥレンちゃん。レックハルドさんが、これをあたし達にくださるって!」
 ばさっと頭から布をかぶせられ、ロゥレンは慌てた。
「な、何するのよ!」
「あ、ごめんなさい。どちらの色の布がいいのかしらと思って〜」
 マリスはマリスで、全く悪気がないらしい。布に絡まってばたばたしているロゥレンと、それをとってあげようとしつつ、かえって邪魔をしているマリスを横目に、ファルケンは、そろっとさりげなくロゥレンの側から離れる。
「レ、レック、助かった〜……」
 小声でそんなことを言うファルケンに、レックハルドは苦笑気味だ。
(まあ、今のところここまでってところかなあ。……コイツの顔色みてたら、これぐらいが限界だろう)
 レックハルドは、そう思いながらやれやれとため息をつく。本当に、どうにかしてほしいものである。
 と、ふと、レックハルドの視線の先に、何となく見たことのある男が立っていた。
「あ。今頃現われやがった」
「え。ああ、やっぱり、こっちだったんだ」
 比較的落ち着いた反応なのは、何となく予想がついていたというか、予感があったというかだからである。どうやら、やはり、街の中を覗きみてみたいという気持ちを抑え切れなかったらしい彼は、街の方向から歩いてきていた。
 今は、黒く染まっていたマントもいつもの赤いものになっていたし、普通に人間の姿はしていたが、よく見ると目の色が違う。相変わらず不自然に金色に輝く目に、どこか青ざめた印象の顔。間違いない。中にいるのは、ダルシュでなく、ギレスの方である。
「うろちょろしやがって。一応心配して探してやったんだぞ」
 レックハルドが、少々冷たく声をかけると、ギレスは腕組みをしたままこちらに歩いてきた。
「心配だと? 私は、用が済んだので一足先に辺境から抜けてきただけだ」
「その後、街いって人間観察して遊んでたんだろ?」
「何故わかる!」
 レックハルドに言われて、ぎょっとしたようにギレスが言った。
「何でもわかんだろ、そのぐらい。なあ」
「すぐにわかるよな」
 ファルケンもうなずくので、ギレスは顎に手をやって、少々考え出す。
「何か街から出てきたという雰囲気でもあったのだろうか」
「いや、そうでなくても大体わかると思うけどな」
 レックハルドに言われたせいなのか、それとも、何か考えているうちに本来の目的を思い出したのか、ギレスははっと顔を上げた。
「そうであった! 狼! 貴様に話がある!」
「え? オレ?」
 いきなり指名されて、ファルケンは小首をかしげた。
「ここで話をしないのか? オレ、今、ある意味取り込み中なんだけど」
「貴様と話があるといっているのだ!」
 なにやらギレスは、必死そうだ。袖をひっぱられて困惑するファルケンに、レックハルドが言う。
「行ってくればいいんじゃねえの。オレはマリスさんとしゃべってロゥレンのお守りしてるから」
「うーん、じゃあ、そういうことなら」
「お守りってどういう意味よ!」
 ファルケンがびくっと肩をすくめる。きいていたらしいロゥレンが口を挟んできたのだ。
「ああ、それは天秤で量るときに乗せるやつのことだ」
「あたしのこと馬鹿にしてるでしょ!」
 レックハルドのしらじらしい答えに、ロゥレンは思わずかっとした。
「まあまあ、ロゥレンちゃん。動いたら崩れちゃうわよ」
 なにやら布で、ロゥレンを飾り立てていたマリスがおっとりとそういう。
「そ、それじゃ、レック行って来るけど」
「おー、いってこい」
 ファルケンがそろそろと歩いていくのを見やりながら、レックハルドは手を振った。ロゥレンがなにやら喚いたようだが、簡単にレックハルドにはぐらかされている。何故かしらないが、レックハルドは、どうもロゥレンには強いらしかった。




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