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辺境遊戯 第三部
強い風がふきつけてくる感覚がし、耳元で風がひゅうひゅうと鋭い音をたてていた。夢をみていたのか、何となくみたことがないはずの風景が、まだ頭の中で残ってかすかに尾を引いている感じがする。 「さて、そろそろ、使い方を教えてやるか」 誰かがそういった気がして、ダルシュはふと目を開く。 最初はぼんやりと見えていた、青と緑の色。それが軽くゆらゆらと左右にゆれているようだ。 まだ夢が続いているのか。一瞬、そう思ったダルシュだが、やがてその青い色が空の色で、緑の色が眼下に広がる辺境の森の、どこかどぎつい鮮やかな色であることに気付いたとき、ダルシュは悲鳴を上げた。 「う、うわーっ! な、なんだなんだコレは!」 目が覚めて最初に見たものが、空高くから見た森の風景だとしたら、誰しも驚くに違いない。空から辺境を覗いたことなどないので、それがどこだかもわからない。だが、風が顔に吹き付けてくる感覚は、あくまでそれが現実のものであるらしいことを伝えてきている。 「なんだなんだなんだ! どうなってんだ!」 ダルシュが、暴れたせいか、一気にバランスがくるったらしく、下に落ちる感じがした。 「うわっ!」 慌てて体勢を立て直す。まだ地上にはかなりあったが、それでも随分下に急降下したらしい。いや、降下どころか、今は普通に落下したのだ。 ダルシュは、荒い息をつきつつ、とりあえずバランスを保ちながら、下を見ていた。 「ううう、や、やばかったー……」 『慌てるな! 今のは危なかったぞ!』 そうつぶやいたのとほぼ同時に、どこからか声が聞こえ、ダルシュは、はっと顔をあげた。声はかなり近くから聞こえてきたようだったが、周りにはなにもない。だが、その声の主が誰であるか、ダルシュはすぐに思い出した。 「ああっ! てめえはさっきの!」 見えない相手に叫びながら、ダルシュはとりあえず上下左右を見渡す。だが、例の竜らしき影はどこにもない。ただ、今まで見たこともない、高い空からの地上の景色が、彼の目の前に現れるばかりである。 『血の気の多い男だ』 不機嫌そうに声はつぶやく。ダルシュは、ふと気付いて何かをつかんでいるらしい右手を見た。そこには、剣が握られていたが、その剣は確か洞窟にあったものだ。それが張り付いたように指にくっついていて、離そうと思っても、離せない。おまけに、その剣と一体化したような指先は黒い鱗で覆われている部分があり、人間の手の形はしているのに、その肌は爬虫類のようである。 「て、てめえっ! どういうことだこれは!」 『どういうことだか、見てわからないのか?』 「わからんからきいてるんだろうが……」 と、ダルシュは言いかけ、ふと背中の方に目がいった。どこがどうなっているのか知らないが、どうも自分の背中の方に黒い翼がついているらしい。ほとんどはばたきはしないが、どうもこの力で空に飛んでいられるようだった。 「なんか羽が生えてるし、手が鱗っぽいし! どうなってんだ!」 『やかましい男だな。翼や鱗は魔力によって付与しているだけだ。貴様の体にどうこうではないから、安心しろ』 「うるせえっ! なんだよ、いきなり、むちゃくちゃしやがってっ!」 えらそうに言いやがって。ダルシュはそう吐き捨てつつ、斜め上の宙をにらみつけた。相手が見えないので仕方がない。本当にこのギレスとかいうやつが取り憑いているのだとしたら、きっと心の中で会話しているということになるのだろうから、そうなると本当にどこに怒りをぶつけていいのかわからない。 『だからいっておるだろうが。力の使い方を教えてやろうといっているのだ』 「どういう力だよ。大体、目が覚めたら空中って、普通、あり得ないだろ! 鳥じゃあるまいし!」 そうダルシュがギレスに言い返したとき、いきなり下から強い風が吹き付けてきた。風の圧力がしたから突き上げてきて、ダルシュはそのままバランスを崩す。 「うわっ! 風が!」 どうにかこうにかバランスをたてなおしつつ、ダルシュは言った。 「なんだ、こりゃっ!」 『上昇気流だ。風を読んで頭を使え!』 「使えっていわれても、風の流れなんて読んだことないし。狼人じゃあるまいし」 ダルシュは、風に翻弄されながら文句を言う。 「大体、てめえっ、いきなり人の体つかっといて偉そうなんだよ!」 『……貴様、ひとのはなしをきかんやつだな……』 もともと、会話のかみ合わないギレスだが、さすがにここまでかみ合わないと少しは自覚がでてきたらしい。あきれつつ、ギレスはため息をついたらしかった。 『まあ落ち着け。……私は貴様の味方である。むしろ、守護神と崇め奉られてもおかしくないのだ』 「守護神? 怪しいな」 『怪しんでいる暇などないぞ。……そもそも、貴様、状況をわかって、それをいっているのか?』 「はあ、状況?」 ダルシュは、相手が何をいっているのかわからない。軽く肩をすくめようとして、その表情は固まった。目の前から炎の塊がいきなり迫ってきたのだ。慌てて背後に逃げようとして、またしても大きくバランスを崩し、風に遊ばれつつ、ダルシュは叫ぶ。 「な、何だ! いきなり空中で火事かよ!」 『全く、何も見てなかったな、貴様』 どうしようもないヤツだ。ギレスが困惑気味につぶやいた。それに、うるさいと一言言い返し、ダルシュはきっと前を見る。 獣の咆哮がきこえ、ダルシュはその聞き覚えのある声に、びくりとした。目の前に姿を見せたのは、堅い鱗を持つ爬虫類だ。しかし、それには、洞窟で戦ったギレスのような美しさは既に残っていない。鱗で守られた巨体をみにくく太陽の下にさらしている、何故か哀れな生き物がいるだけだった。 だが、そう見えても竜は竜。力がどういうものかは、この前の街での様子でよく知っている。 ダルシュは、少しだけ青ざめた。 「……おい、まさか、アレと戦ってる最中にオレを起こしたのか?」 『うむ。こういうのは実践訓練が一番である』 「ば、馬鹿言え。あ、あれって、ほら、あのファルケンが無理とかいって逃げた化け物だろ」 『何をおびえておる。あれは眷属だが、もはやかつてほどの力も持たぬものどもだ。その気になったら右手だけでねじ伏せることも出来る』 「ま、マジか。やれるのか、オレに」 不安そうにきくダルシュに、ギレスは自信たっぷりに言った。 『安心しろ。戦闘については私よりお前の方が向いているはずだ。力の使い方さえ覚えれば、確実に勝てる』 「覚えなければ?」 そんなこと聞いてもしかたがない。さすがにダルシュもそうおもったのだが、口をついて出てしまう。 『食われて死ぬぐらいしか思い浮かばないが』 「てめーっ! なんだそりゃ! 最後まで面倒みやがれ!」 『何を言う。素質のないやつに手を貸すほど私は甘くない』 あくまで気位高くそういうギレスに、ダルシュは奥歯をかみしめる。ともあれ、この場はどうにかしなければ。大体、この気位が高い割りに、どこか返答のおかしい竜王などに、これ以上舐められてたまるものか。 「よっしゃ! とにかくやってやるぜ!」 どうせ洞窟に入っていた時から自棄だったが、さらに自棄になった気分だ。ダルシュは、そう叫ぶと感覚だけで身を前に進ませる。 戦い始めたダルシュの様子をうかがいながら、ギレスはやれやれといった様子であった。 『ふん、以前組んだ男とは大違いだ……。まったく、以前組んだ男はもっと……』 そうつぶやいて、ギレスは詰まった。 『もっと……?』 きっと組んだのは、あの古代の大きな戦いの前後だったように思う。だが、それから先を思い出そうとして、ギレスはどうしても首を傾げてしまうのだった。 『以前一体誰と組んだのであったか?』 随分長い間、洞窟の中にいたせいか。ギレスは、昔のことをところどころ忘れているらしかった。 ピン、と琴の絃のような音が響くと共に妖魔のかげは消え去る。みずからとびかかろうと動いたものは、巧妙に張られた魔力の糸によって断ち切られていく。飛び散る黒い欠片を平然とみやりながら、タスラムは冷徹に張った糸を操る。 穏やかな外見とは裏腹に、その手つきには容赦という言葉はひとかけらもなかった。タスラムのように、表向き穏やかなものがする行動にしてはそれは不気味すぎるものだった。 「まあ、そう怯えずとも」 動けない彼らを冷酷なまでに清々しい目でみやり、彼は親しげに言った。 「私は融通は効くほうなんだがね。どうかな、私にあれこれ教えてくれるなら、少しぐらいの取引にはのってもよいのだが」 そうのんびりとした口調でいうが、妖魔は答えない。黙り込んだ妖魔たちは、それでもタスラムに襲い掛かるべく、なにか方法を考えているようだった。 タスラムは細めていた目を開き、それをすぐに伏せた。 「残念だなあ。それじゃあ、この話はなかったことに」 タスラムがそういったとき、残っていた妖魔たちが一斉に彼に飛び掛っていった。いくらかは、その体を糸に引き裂かれながら、しかしそのいくつかは執念で彼の元へと向かう。 「やれやれ。……だからなかったことに、といっただろう?」 タスラムは、そうつぶやくと、糸を握っている右手を引き、糸を全て引っ張った。パッと青い光が、張り巡らされた糸の経路を一瞬示した。電撃のような音と共に、妖魔の生き物ならぬ悲鳴があがり消えていく。空気が焼けるような匂いとともに、糸は燃え落ちてその草の上に黒い灰となって降りかかる。 タスラムは、燃え尽きた糸を投げやり、周りを見た。すでに妖魔は消滅し、再びの静寂と森の深い緑だけが広がっていた。 「やれやれ」 タスラムは、ため息をつき、肩をすくめた。一度、鋭くなっていたタスラムの表情は、すぐにいつもの穏やかで気のいいおじさん、といった印象のものに変わっていた。 ざっと空を黒い光が駆ける。だが、それは先ほどのように邪悪な気配のするものとは少々違った。 「黒い稲光、とは、やはり先ほどから暴れているのは、例の蛇のようだな」 そんな不自然なことが出来るのは、あの竜王の魔力ぐらいのものだ。どうせ、竜は竜に任せたほうがよい。タスラムはそういうつもりなので、それにはあまり目を留めずに、ふらりと歩き出すことにした。 「やれやれ、魔幻灯のヤツは若いから、足が速い。方向違いに一体どこまでいったのか」 タスラムは、口先だけ困ったといいながら、ゆったりと歩き出す。だが、こういうときは、あの若い狼人のどこかそそっかしくて、いい加減なところは直してもらいたいとも思う。 「本当に。やはり、こういうことは、若い司祭にやってもらえるとよいのだが。かといって、今の状態ではそうもいっておられんし」 そんなことをつぶやきながら進むタスラムは、ふと足元に違和感を覚えて立ち止まる。 「……しつこいヤツだな。あまり、しつこいと嫌われるぞよ」 タスラムが目をやった左足に、べっとりとした黒い塊がくっついていた。それはだが一部でしかない。本体は、と振り返る。後ろの方から迫ってくる何かをタスラムは見つけてため息をついて、肩をすくめて笑った。 「はは、身の程を知らぬとどこの世界でも不幸になるぞ」 タスラムはそういって軽い口調で笑っている。妖魔は、それを彼の強がりと判断して嘲笑った。この三番目の司祭を倒せれば、辺境を落とすのはあと少しで済む。 勝利の感情に高ぶった妖魔の思考は、哀れなほど単純なものになるという。 妖魔の瞳にうつる勝利の色に、笑みをおさめたタスラムははっきりとした哀れみを浮かべた。 「……せめて、一瞬で消えられるのを幸せに思うがよい」 そうタスラムがつぶやいた直後、妖魔は目の前が突如として激しい光に包まれるのを感じた。同時にわきおこった突風に、妖魔は、自分の置かれている状況を知る。 状況が理解できない彼には、それを避けるすべはなく、ただ目の前から浴びせられるとてつもない熱風が、自分に迫るのを待つのみだった。 なぜだ、と妖魔は慌てた。相手は三番目の司祭だ。時空と空間を操る力をもつシールコルスチェーンでもなければ、辺境の狼人全てをまとめる力をもつ一番目や二番目の司祭と違う。そもそも、今の三番目の司祭、タスラムは、その力においては大した能力をもっていない、筈、だった。 妖魔は、目の前を見やる。そこに現れたタスラムの姿に、彼は違和感を覚えた。妖魔といっても彼ほどの知能があれば、宿敵である狼人や妖精の特徴は覚えているものである。そこからすると、目の前の司祭の姿は明らかにおかしかったのだ。妖魔は思わず叫んだ。 『貴様! 狼人では……! まさか……』 その後、妖魔の口らしき場所が、何度かパクパクと開いたが、それは言葉にならなかった。光に押しつぶされる姿と共に、悲鳴といってもさしつかえない音声が、森の中に響き渡る。 はら、と葉がおちてきた。 ようやく、光も木々のざわめきもおさまり、タスラムが表情を和らげる頃には、妖魔の欠片もそこには存在しなかった。 「少々調子に乗りすぎたかな。やれやれ、久々に暴れてしまったの」 主に、私が、と付け足して、タスラムは顔を押さえていた手をどけ、それを払った。 「蛇が暴れているものだから、ついうっかり便乗してしもうたなあ」 からから笑う声には、悪びれている様子は一切ないのだが、どこか先ほどとは違う響きを含んでいた。 遠くから鳥の声が聞こえた。あれが聞こえるということは、おそらく一応の平穏を取り戻したことでもある。それに、あれぐらいやっておけば、もはや妖魔はついてこない。 「さて、余計な寄り道はこれまでとして」 タスラムは、そういって身を起こした。そのときには、彼はすでに元の彼になっていたのだが、先ほど罠をしかけて妖魔を始末した直後の様子とは明らかに一つだけ違うものがあった。 タスラムは、自分では元に戻したつもりのようだったが、その右目の色だけが、明らかに普段の色と違っていた。碧の色を含む狼人の目の色とは違い、それは何故か複雑に何か別の色が混じりこんで、不思議な色合いを見せていた。光の加減か、それが時間がたつと共に、少しずつ色が変わる。 「魔幻灯でもさがすかな」 のんきにそういうタスラムは、すでにただの愛想がよい、穏やかな男のようにみえた。彼が、十歩も歩く頃には、その目に残る不思議な色合いも、やがて幻のように消え去って、いつもの三番目の司祭が森を歩いているだけだった。 一覧 戻る 次へ このページにしおりを挟む 背景:NOION様からお借りしました。 |