辺境遊戯 第三部
第二章:竜魔問答−25
飛び掛ってくる妖魔が目の前で粉砕されて、黒い粉のようになっては空中で散る。妖魔を滅ぼす様は、幾度となく見たことがある。まず、イェームを名乗っていた頃のファルケンが、そして、泉におちたとき、向こうの世界のファルケンが簡単に見せてくれた。ファルケンが、妖魔を倒すときは、常に剣を使っていたが、このギレスは素手で妖魔をつかんでいる。
例の黒い剣を右手にさげたままなところをみると、まだその出番ではないというところか。
そのつかんでいる手の指先に、鱗のようなものが見えるのはレックハルドの気のせいだろうか。簡単に相手を叩き潰していく様子をみると、やはりギレスと名乗った、このダルシュの中にいる憑き物は只者ではないらしい。
レックハルドは、時代錯誤の勘違いというギレスへの認識をやや改めた。
「や、やるじゃねえか」
「当たり前だ。妖魔ごとき、私の敵ではない」
きっぱりといいながら、彼は唇を少しゆがめて笑う。その顔自体はダルシュなのだが、こうしてみるとまるで雰囲気が違う。別人のように見えた。
「しかし、素手でそうやってつぶしてくとは思わなかったし」
「こういう真似は狼にはできぬ。我ら竜族の素晴らしき力によってのみなされるものなのだ」
「へ、へえ」
誇らしげにいうギレスは、少し上機嫌になっていった。
「貴様にも私の力がわかったようだな。よかろう。もう少し私を尊敬するがよい」
「そ、尊敬……」
レックハルドは、ぽつりとつぶやいて、不意に相手が何を求めているかを理解した。
今まで、なにやら高飛車に振舞っていたのは、単に竜の王であるから、というだけでもないらしい。この太古の昔より敬われてきた竜の王は、やっぱり現代に出てきても敬われたいらしいのだ。そういえば、先ほど崇拝されていたとかも言っていた。
要するに、昔のように誰かに信奉してもらいたいのかもしれない。
ということは、と、レックハルドの頭に、ふと意地の悪い考えが浮かぶ。
(コイツ、おだてたら一体どこまでいくんだろう)
意地悪なレックハルドのこと、どうしても相手をいじる方向に意識が行く。
「さすがは竜王様!」
いきなりレックハルドは、声を高めた。
「妖魔をこれほどまで完膚なきまでに叩き伏せるとは!」
「む、なんだ。その態度は」
いきなりレックハルドが下手に出たので、さすがのギレスも何のもくろみがあるのかと警戒した。だが、それは予想済みだ。
「先は失礼いたしました。まさか、本物の竜王様が目の前におわすとは思いもよらず」
「む……」
ギレスはうなり、顎をなでやって少し考えたが、やがて思い至ったのか目を伏せて少し笑った。
「ふっ、ようやく私の偉大さがわかったというわけか」
完全に勘違いしたギレスの態度に笑い出しそうになる。だが、そこはレックハルドだ。例の愛想笑いをうかべつつ、頭をさげる。
「はい、不肖わたくしめの目が節穴でございました」
「うむ、わかればよい」
ギレスは満面の笑みになる。
「いや、本当に今思えば、どうしてあの時わからなかったのかと不思議でございます。本当に自分の不明を恥じ入る次第でございます」
「うむ、そうであろう。私は謙虚な態度をとる人間は嫌いではないぞ」
ギレスは、あからさまに上機嫌になった。レックハルドは、あふれる笑いを抑えながら、きわめてへりくだりながらそっとギレスに申し出る。口調だけは限りなくいたいけに聞こえる辺りは、やはり詐欺師の素質でもあるのかもしれない。
「それで、今少々困っておるのですが、わたくしめの願いをかなえていただけませんか?」
「うむ、申してみよ」
「先ほどギレス様がおっしゃったとおり、このところ、わたくしは竜に狙われているらしく、正直、夜も安心して眠れません」
「まあそうであろうな」
「そこで、わたくしの安眠を妨害する原因をとりのぞいていただけると、わたくしとしては万々歳といったところなのでございますが」
ギレスは、天空を飛び回る竜をみやった。
「要するに、アレをどうにかしてほしいということか?」
「はい」
ううむ、とギレスは唸った。
「貴様はどうも生意気なようなので、少しぐらい痛めつけられた方がよいかとおもったが、そのように改心した様子をみると、私としても少々気の毒に思う」
「本当に困っております」
「もともと、奴らを撃退するつもりではあったが、それでは、あの連中が貴様を付けねらわぬような形で徹底的にやることにしてやろう」
ギレスは、満足げに笑いながら言った
「か弱い民草を守るのもまた王のつとめである。よかろう、貴様はその間どこかに隠れているがよい」
「さすがギレスさまでございます。では、わたくしはそっと安全なところでお待ち申し上げております」
「うむ、安心して我が勇姿をそこから見ておるがよい」
「ははーっ。仰せのままに!」
頼られたギレスは、レックハルドの様子をみると満足げに頷いた。こういう風に尊敬されている様子をみると、やはり自分の威厳は損なわれていなかった、とばかりに安心したのだろうか。
「それでは行って参る」
レックハルドが、近くの木の後ろに隠れたのをみながら、ギレスは言った。その頃には、周りにいた妖魔もすっかりなりを潜めている。それを確認したギレスは、手を広げた。
薄い黒の翼が半透明の形で、空間にぼんやりと浮かび上がる。それを少しひろげながら、足で地面を蹴ると、ふわりと体が浮かび上がる。
天空を飛び、こちらの様子をうかがっている同族めがけ、ギレスはそのまま飛び立った。
「あー。行っちまったな」
空の方をみあげながらつぶやいたレックハルドは、ギレスの体が小さくなっているのを見るや、ふと笑いをこらえることが出来なくなった。一度ふきだした笑いは忍び笑い程度ではとまらない。声をたてて笑い始めたレックハルドは、とうとうひゃっひゃっひゃ、と妙な笑い声をあげてしまっていた。
「あーっはっはっは。近年まれに見る傑作じゃねえか! アレ!」
笑い死にしそうだ! といいながら、レックハルドは笑い転げていた。ようやく笑いをおさめたものの、笑いすぎて息を切らしながら、レックハルドはようやく 笑いをおさめると、木に寄りかかりながら飛んでいくギレスをみやった。
「いやー、あそこまでいくと思わなかったぜ。時代錯誤なヤツがここまでおもしろいとはねえ」
あれはなかなかからかい甲斐がある。これからも、ときどきからかって遊んでやろう。
「旦那、あなたも性格がお悪いですね」
ソルが何となくからかうように声をかけてきた。動物の表情はわからないのだが、何となくにんまりと笑っている気がする。レックハルドは、肩をすくめた。
「さすがのオレも、それだけはお前にだけには言われたくないがな」
ソルは、お互い様ですよ、と言いたげにこちらを見やった。
遠い遠い、どこか遠いところから、かすかな音色が響いていた。
いや、厳密に言うと、あれは唄なのだ。
神聖バイロスカート。
そう呼ばれた古代の聖なる王国の中央には、石造りの神殿があった。白い石を削り、考えられる限りの細工を施しながら、それはある種の神聖さを感じさせる荘厳な建築物であった。
メソリアのような勇壮さもなく、ギルファレスのような華美さもなく、また辺境の狼人が作る力強い原始性を感じさせるものでもない。洗練されて美しく、近づきがたいのに心を落ち着かせる美しい王国バイロスカートの中央にそびえるには、それは相応しい建物だった。
竜が翼を広げた街、といわれたバイロスカートの都には、竜騎士といわれる戦士団が常設されていた。彼らは神殿を守るために戦う神殿騎士であり、その身にバイロスカートを開いたとされる竜の血を受け継いでいることが多い。
竜の末裔たる彼らには、大昔の高い知識をもった竜たちが自らの魂を封じ込ませた武器を使うことができた。魂の宿った武器は、武器としても普通の刀剣とは別の素晴らしい性能をもっていた。そして、それら竜の魂は、使用者である竜騎士たちに乗り移ることができ、彼らはお互い協力しながらこの街を守る。
神殿から伝わってくる唄の音色に竜の戦士たちは、耳を傾けながら安息する。竪琴の流れるような幻のような音色は、特に竜の好むところであるらしい。そして、竜と接触して生きる彼らにも、いつのまにか竜たちの特性がうつってしまうことがあるらしい。
そして、彼らがその唄をきいて安らぐ理由はもう一つある。それを歌っているのが、このバイロスカートの女王であり、竜の神に仕える巫女であるからだ。
落ち着いた色調の絨毯がしかれた神殿の一部。唄が絶え間なく流れ、神殿の石壁に響いては、調べを変えていく。
「あんな唄のどこがいいんだ?」
芸術のわからない男が、そういったのを聞きとがめ、彼はその男に近づいた。
くれないのギリアバス、と呼ばれる赤い武装に身を包んだ男は、竜騎士の中でももっとも有名な男だった。
彼にとりついている竜は、最後の竜王ギレスである。ギレスは、彼以外の人間に降りることが出来ないため、その事実があるだけで、ギリアバスという男の評価は随分と上がるだろう。
「貴様、ここにきておいて、何を文句を言っている」
「だから、ああいうおとなしい唄きいて、今から戦いとかよく出来るなってそうおもっただけのことよ」
芸術のわからない男、つまり、先ほどから神殿の柱にもたれかかって、ひたすら煙草を吸っている黒服の男が言った。レックハルド=ハールシャー、と、呼ばれている例の男であることは、ギリアバスも当然に承知だ。
ギリアバスは、この男がそもそも嫌いである。しかし、その感情を差し引きしても、やはりこの黒服の似合う男は神殿には不似合いだ。
「竜は、こういう穏やかな音楽をきいて心を落ち着ける。少なくともアンタとは違うんだよ」
ギリアバスはいくらかの皮肉を込めていったが、ハールシャーは、へえ、といって受け流す。
「それは随分悠長なことしてるんだな」
煙草をすいながらハールシャーは、壁に寄りかかっていた。さすがに公式の場では、まともな態度を取っているレックハルド=ハールシャーだが、近頃、ここにも慣れてきたのか、本性が出てきているようだ。煙草を詰めた煙管をくわえつつ、時々煙を吐いている。その動作が、どうも女衒かなにかの小悪党風で、洗練されているという感じはあまりしない。そうしていると、本当にこの男が国の印鑑を持ちまわって各国を巡っていたのかどうだか怪しくなる。
たちの悪い詐欺話にかかっているようにしか思えない。
「ところで、何の用だ。こんなところで煙を上げやがって」
「煙草のどこがいけねえんだ。悪いが俺の趣味なんだよ」
「ここがどこだかわかってるのか?」
ギリアバスが、顔をしかめたのを心地よさそうにみやりながら、ハールシャーはわざとらしく煙を吐き出した。
「女王の神殿だろォ。それがわからなくなるほどもうろくした覚えはないね」
「わかっていてやっているのか! 一体、貴様どこまで無粋なんだ」
「ふん。堅いこといいやがって。俺が無粋なのはもとからよ。それとも何か? あの女王は、煙草が嫌いなのか?」
ギリアバスが、ひくっと唇をゆがめたのがわかった。ハールシャーは、手を頭の後ろで組みやる。
「結局、テメエは、あの女が大切で仕方がないんだろうが。いいじゃねえの、そういう態度もたまには」
「何!」
「おっと」
ギリアバスが、剣を抜きにかかったので、ハールシャーは、壁に寄りかかっていた背をはずし、素早く後ずさった。元々何をやっていたのか知らないが、ハールシャーは身のこなしが素早い。
ギリアバスの腰にある黒い剣は、特殊な剣だ。金属でできているものではないという噂の、黒い翼のついた剣である。
ギリアバスの目は、先ほどとは違い、金色に輝いていた。興奮すると竜騎士は、自然と相棒となる竜の霊魂を体に降ろしてしまいやすくなるらしい。
「俺を斬り捨てたってどうこうなる問題じゃあねえだろうが。斬るなら自分の迷いだろ」
ハールシャーは冷淡に言って、切れ長の細い目できっとギリアバスを見上げた。
「態度を決めるなら早く決めろよ。俺は他人の色恋なんてどうでもいいんだ。それが最善の手続きだと思ったら、何でも冷酷にやってのけるぜ」
ハールシャーは、きっぱりと言った。
「俺はどうなってもしらんぞ」
肩をすくめ、ハールシャーはマントを揺らしながらその場を後にした。
ギリアバスは、黙っていたが、ハールシャーが何を言いに来たのかは何となくわかっていた。それ以上、彼を追わず、彼は、振り返って神殿の奥へと足を進めた。
竪琴の音色が澄み切った音を立てていた。唄声の流れるような美しさと、それは不思議な調和を生み出していた。神殿の奥に近づくにつれ、その声は近くなる。
そして、やがて、一人の女が目の前に現れた。
暗い色の服を長く伸ばしたうつくしきひと。黒髪が音楽と共に流れながら、ゆるく波打つ。
ギリアバスは、目を細めて唇を真横にひいた。
(あの野郎、俺に何をしろといってるんだよ!)
その瞳に、迷いとどこに持っていけばよいのかわからない憤りがにじむ。
――それは手の届かないものだ。
ギリアバスの認識は、おおよそそのようなものだった。
あの男だってそれぐらいわかっているだろうに。何を無茶なことを言うのだろう。
ギリアバスの怒りは、自然とハールシャーへと向かう。
目の前の女はこの国を支えている。いいや、厳密に言うと、バイロスカートは、ある意味、世界の中心でもある。そして、その神託を下す女王として彼女は君臨している。
自分はそれを守るためだけの騎士でしかない。特別な竜王の力を宿すことのできる彼でも、彼女との関係は主従以外の何者でもない。
神託を下す巫女が、結婚してはならないという決まりはなく、彼女達の中には降嫁して民間人になったものもいたという。だから、彼女が国策のために誰と結婚しても、彼には止めるすべもなく、意見するすべもない。
ただ、彼女の意思がわからない。それが、彼の中に苛立ちとしてかすかに波立っている。
竪琴をひいていた女は、ふとこちらに気付いて眉をひそめた。手を止め、ゆっくりと立ち上がる。深い闇のような瞳に、自分が映るのがわかり、咄嗟にギリアバスは顔を下げた。
「どうしたの? ギル」
二人だけだからだろうか。女王は、親しげな呼び方で彼を呼んだ。
「いえ、なんでもありません。身の安全を、と思いまして見回っていただけでございます」
うつくしい女王は、少しだけ眉をひそめた。その瞳に、かすかな苛立ちがのぞいた。
「そう、では、持ち場にもどって。ギリアバス」
このところ、彼はずっと女王に対し、敬語を使うようになっていた。その敬語がどういうことを示すのか彼女にはよくわかる。
ギリアバスと彼女は、もう随分とふるい知り合いだったし、いつも協力してその場をしのいできた。
特に特別な関係があったわけでもない。でも、今まで、そうあの縁談が持ちあがるまで、彼は、公儀の場以外では自分に対し、それほど丁寧な言葉を使ったことはなかったのだ。
ギリアバスは、だまって一礼すると、その場を去った。女王の表情も、彼の表情も、同じく硬い。
やがて女王は竪琴をひきはじめ、ギリアバスは再び持ち場へと足を運ぶ。ただ、それだけのやり取りだった。
「……素直に好きだって一言言えばいいだけなのによ」
柱の影に隠れていたハールシャーはため息をついた。
「お前らなんぞどうなっても構わないんだが、正直後ろでごちゃごちゃやられると集中できないんだよ、こっちはな」
ハールシャーは、ため息をついた。
「俺はそこまでシンセツじゃないからな。ホント、……どうなっても知らんぞ」
ぶつぶつ言いながら、ハールシャーは、潜んでいた柱から身を離して、誰にも知られぬうちにその場を後にした。