辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2006
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辺境遊戯 第三部 


第二章:竜魔問答−24


 森の中を小走りに進み、ファルケンは周りを伺う。心なしか薄暗くなる森に、妖魔の見えない影が滲んでいるようだ。
 レナルとビュルガー、いや、ビュルガーは役に立っていないので、実質レナルにビュルガーと妖魔を任せ、 ファルケンは先に進んできていた。
「でも、どのあたりにいるんだろう」
 とりあえず、気配のするほうに進んではみたが、ファルケンは遠くから相手の正確な位置がわかるほどには、器用でない。潜在的に魔力は高い方らしいし、あの一件以来、それなりに力の使い方を習得した彼だが、だからといって、別に苦手だった魔法が得意になったとはいえなかった。
 相変わらず、ファルケンは、魔法といっても限られたものしか使えないし、その魔術を成功させるのには、結構念のいった準備がいるのだった。
「前はもうちょっとわかったのになあ」
 ファルケンは思わず苦笑する。
 どうも、精神的に余裕がでてしまったせいか、そういう勘が多少にぶった気がするのだ。あのときは必死だったので、探す相手がどこにいるか、一目瞭然にわかったのだが、今はそれほど感覚が鋭くない。
 かといって、それぐらいの方がいいのかもしれないとは思う。前みたいに、周りを道づれに破滅においやるような状況には戻りたくないのだし。
(――でも、オレ、こういうの徹底的に苦手なんだよな)
 せめて、ビュルガーでも連れてくればよかったかもしれない。あの兄弟子は、自分と違って、こういう能力には秀でている。戦いはサッパリ駄目らしいのだが、それでも、やはりシールコルスチェーンを志したのは、伊達ではない。
(もしかしたら、ビュルガーは司祭の方がむいてるかもしれないけれどなあ)
 ファルケンは不意にそういうことを思う。司祭は、全体的に魔力のバランスが取れているほうが好ましいらしいし、戦闘一辺倒でもないから、ビュルガーにはぴったりな気もする。
 でも、その前に、ファルケンは、さすがにあの兄弟子のことを思い出すと、もう少し優しくしてやらなければ、と改めて思うことがあった。そんなつもりはなかったのだが、あの時、結構自分は彼に辛く当たっていたようだ。余裕がなかったといえばそれまでだが、それにしても世話をかけたのも事実だ。そういう相手に、さすがにちょっとひどいことをしたなあと思うファルケンである。
「……お師匠様と今度まとめて謝っておこう」
 ファルケンはそうつぶやき、森を進んでいった。
 随分進んだとき、ファルケンにも一目でわかるほど、空気が変わっていくのがわかった。一歩進むたびに、徐々に異様な気配が強くなる。ファルケンの足は、徐々にゆっくりになり、足音をあまりたてないように慎重に歩き出すようになった。
 どうやら、今度は当たりのようだ。先ほど波動が飛んできた方向に素直にまっすぐ進んだのがよかったのかもしれない。
 そして、その時、ファルケンは足を止めた。それでも数十メートルは向こうだが、暗い森の中、白金色の髪の毛が、木漏れ日の光を受けている。そこに一人、狼人らしい青年が立っているのが見えた。 枝の間から見えたそれに、ファルケンはすぐには判断を下せない。そこに佇んだまま様子を見る。やがて、青年がこちらに気付いたらしかった。ゆっくりと顔をこちらにむける。
 ちらり、と青年がこちらを見た。その目は虚ろであり、そのおとなしい外見とは裏腹に、どこか危ない色を覗かせている。
「シャザーン!」
 ファルケンは、いって剣を横にひきつける。だが、シャザーンのほうは、はっきりと反応を示さなかった。ただ、ちらりとこちらを見ただけだ。
 ファルケンのほうは、明らかに表情が硬い。かすかに剣をもった指先が震えているのは、シャザーンに対しての恐怖を感じているというよりは、自分の感情をどう抑えるかということに、まだファルケン自身も不安があるからだ。
 シャザーンの周りには、黒い影がまとわりついて立ち上っている。あれが全て妖魔と邪気らしいのだが、果たしてどこから湧いてきたのか。それとも、この大地に誰かが封印でもしていたのだろうか。呼び出されたようなそれらを、まとわりつかせながら、どこか空虚な瞳で彼はこちらを見ていた。その瞳には戦意のようなものはない。
 だが、次の瞬間、シャザーンのいた場所から、小さな光が瞬いたのが見え、ファルケンは思わず身を翻した。ばーっとまばゆい光と共に、若干の熱が周りを駆けていく。
 光の直撃をさけ、どうにか目が眩まずにすんだファルケンは、光がやんですぐそちらを確認したが、そこにはシャザーンの姿は見えなかった。
 ただ、瞬間の光の量は凄かったようで、周りの草木が熱で焦げ付いている。ファルケンはやや離れたところにいたせいで、熱さはさほど感じなかった。だが、その距離が今回は裏目にでたようだ。
「しまった!」
 シャザーンの目には、戦意はなかった。そして、この周辺に気配もない。とういことは、先ほど閃光を放った直後、どこかに瞬間移動をして逃げたのである。目くらましをくらっても、相手を勘で捕まえられるぐらいの位置にいればどうにかだっただろうか。
「もう少し近寄っておくべきだった!」
 ファルケンは、慌てて飛び上がり、その後を追おうとして一瞬立ち止まる。こういうものは、最初が肝心だ。一回、相手が飛んだ方向を見失うと、追跡しづらくなる。かすかに残った魔力の残滓と、勘で相手が去った方向を知るしかない。
「ううう、これは厄介なことに……」
 ファルケンは、ざっと周りを見回すが、シャザーンがどちらに消えたかがわからない。普通消えた方向に、魔力が尾を引くのだが、そもそもシャザーンはこういう魔法が得意らしく、そうだとすると痕跡をあまり残さずに消えることもできるらしい。
 ファルケンは、少々考えた後、ふと何か思いついてコートの隠しポケットに手を入れた。そして小さな何かを取り出すと軽く手を広げた。そこには、なにやらこっそりと忍ばせてあるらしいサイコロが一つ転がっている。
「ここは、多分オレの味方の賭けのカミサマに」
 レックハルドの影響なのか、商売の神様と賭け事の神様に関しては、そこそこ理解するようになったファルケンは、あまり慣れていない様子で、軽くお祈りのような真似をすると、サイコロを投げて手のひらの上に転がしてみる。サイコロは大きく跳ねた後、ちょうどファルケンの前のほうに一度ぱたんと転がった。
「それじゃあ、とりあえずこっち……」
 ファルケンは、手のひらでさいころが転がった方に、足を進めることにした。もはや、手遅れかもしれないのだが、時には幸運にかけてみるのもよいだろうというつもりのようだ。
 ファルケンが、その場から駆け去った後、先ほどの閃光に巻き込まれて、危うく草むらごと焼き払われるところだったタスラムは、逃げた木の上で、ようやくため息をついていた。
「乱暴な真似をするな。もうちょっとで、やけどするところだったじゃないか」
 そして、先ほど飛び出てきてすぐに走り去った者のことを思い出す。こんな事態でなければ、声をかけたところだが、さすがのタスラムも木の枝にひっかかったまま声をかけようとは思わない。それに、ファルケンはファルケンで急いでいたので、タスラムが声をかけるいとまもなかった。
「飛び込んできたのは魔幻灯だな。声をかけられなかったが、ともあれ、おかげで、動けるようになったのはよかったが」
 タスラムは、枝からふわりと飛び降りる。軽く宙に浮かぶ彼の体は、ふんわりと足から地面へと着地する。そして、ファルケンが走っていく方向をみやった。
「なにやら、追いかけて、適当な方向に向かっておるようだが。あの男、もしや、方向音痴なのかの。そちらとは完全に真反対なのだがな」
 厳密に言うと方向というより、魔力感知の能力が鈍いだけなのだが、妙なところで抜けているところがあるのは、相変わらずのようだ。
「何でも走ればいいというものではなかろうが……」
 しかし、今はシャザーンと当たらない方が彼にとってもいいかもしれない。ファルケンは、先ほど見た感じでは随分と落ち着いたようだが、それでも、まだあれから日が浅い。何かのきっかけで逆上した場合、それが原因で再びその身を妖魔に堕とすこともあるかもしれない。もう少し日をあけてやるほうがいいだろう。
 ふいに、タスラムは、顔を上げた。一瞬、空が黒く光ったような気がした。日蝕になったわけでもなく、どちらかというと閃光に近い。黒い稲光が走ったような感じだ。……タスラムは、その原因を知っているらしく、全く驚く様子もなかった。
「おお、やってるやってる」
 何もいない空を見上げつつ、タスラムはにんまりとする。
「何やら不穏な力を感じると思ったが、アレは蛇であったか。まあ、蛇の王と我々は不干渉であるからな」
 彼は独り言のようにつぶやく。
「まあ、森が燃え尽きない程度に好き勝手やってくれるとよいだろうがな」
 それなら自分には火の粉も飛ばないだろうし、と勝手なことをいいながら、タスラムは、ようやく歩き出そうと足を出しかけ、そしてそれを戻した。
 背後に明らかにいような気配が漂っているのがわかった。
「おや、これはこれは……」
 タスラムはにやりと笑って振り返る。シャザーンがここにいた時点で、彼らがここに潜んでいるのは、わかっていたが、さすがにいきなり自分に襲い掛かってくるとは思わなかった。
「ほほほ、コレは、勇気がある妖魔だな。私はこう見えても司祭だぞ。直接あたりにくるとは、なかなか、これは、どうして」
『司祭? いまさら、スーシャーごときが、何の問題になる?』
 徐々に濃くなる気配に、タスラムの愛想笑いは少しずついびつさを帯びた。司祭といっても、彼は別に力に秀でている方でもない。体格的にも、狼人としては小さい方にはいるだろう。囲まれると危険だ。まなざしを向けたそこに影がある。その黒い影が凝りつつあった。
「シャザーンがおるからというわけかね、妙に強気じゃないか。近くには魔幻灯も迷いつつうろついておるようだが、見つかったらおぬしら、まとめて八つ裂きにされそうなもんだとおもうがな」
『魔幻灯がお前を助けるものか!』
 いつのまにか現れていた別の妖魔が笑い声をあげた。
『アレは、司祭を憎んでいる。お前など助けるものか!』
『奴は、ともすれば我々の仲間になってもおかしくない。それを信用する気か?』
「ははは、ソレはそうかもしれないがね」
 タスラムは軽く笑い飛ばして、肩をすくめた。目の前に、ひとつ、ふたつと異形の影が現れる。タスラムはその数を心で指折り数えていた。
「だが、おぬしら、いくらなんでも三番目の司祭をなめてはおらぬかね? スーシャーと仮にも呼ばれるようになるには、ソレ相応に難しい。伊達になのっているわけではないんだがな」
『何を言う!』
 妖魔たちが耳障りな声で嘲笑う。それが、知っている誰かの声のようだった。重なって聞こえるその声は、タスラムが今まで出会った者達の誰の声にも似ているようだ。
『お前は知らないのか。司祭の半分は我々の手の内だ』
『いずれ、お前もそうなる!』
『自らの脆弱さを呪うがいい!』
「まあ、そう急き込むな」
 タスラムは、軽くそういって顎をなでやって、妙に人好きのする顔を覗かせた。
「それはそうかもしれないのだが、 な」
 にこりと笑い、タスラムは、けろりとした様子でつぶやいた。
「かといっても、私も連中の仲間に入るわけにもいかないのでなあ」
 顎に手をやったタスラムの右手の指先が、わずかにちょいと前に出た。暗い森の木々の間をすり抜けた日光が、人差し指の先で弾けたのが見えた。
 途端、びしりと電撃が飛ぶような音がした。一匹、ちょうど真ん中ぐらいにいた不定形の妖魔が、突然どこからかしらないが、ちょうど真っ二つにちぎれ、黒い欠片を撒き散らしながら散らばっていく。
 空気が一瞬にして凍った。
 妖魔にはいわゆるはっきりとした感情はないらしい。そういうことになっている。イェームだったころのファルケンやシャザーンに取り付いている妖魔ぐらい、はっきりと自我をもてるのは、それだけ元々の感情が強いからだとされる。普通、多少知能がある程度の妖魔は、強いて言うほどの感情をもたない。
 しかし、明らかになんらかの冷たい感情が、彼らの中に走ったのをタスラムはみてとった。
「おや、恐怖は、お前達でも伝染するものなのか。これは新しい発見だなあ」
 タスラムはぬけぬけといいながら、悪気のなさそうな笑顔を向けた。
「何を不気味そうに。お前達の方がよほど不可解じゃないか。私の手品には、悪いけれど、ちゃんとタネがあるんだよ」
 タスラムは、そういって、空中でわずかに第一間接を曲げたままの人差し指をもう少しすっと引っ張った。ザッと音が鳴り、別の妖魔がやはり黒い煙を散らしながら消えていく。戦慄の走る空気を、タスラムの軽くて朗らかな笑い声が通っていく。
「ははは、ただの糸だよ。ただし、ちょっと特殊な糸といったほうがいいかな?」
 確かにタスラムが押さえた指先から、光の反射を頼りに探ると、回りに糸のような細いきらめくものが張り巡らされているのがわかる。辺境の住人も糸ぐらいは使う。植物の繊維をよって糸をつくることはあるが、それよりも細い感じで、どちらかというと蜘蛛の縦糸に近い印象だった。どちらにしろ、魔力が流れているのは、考えるまでもない。妖魔消せるほどの魔力を流したまま、いつの間にかそのあたりの木々の間に糸を張り巡らせていたに違いないのだ。それも魔術によるものかもしれないし、糸自体が非常に細くて見えにくいものだから、彼が歩いている間にこっそり張り巡らしたのかもしれない。
 どちらにしろ、妖魔たちは、ここに降り立った時点で、タスラムが張り巡らした罠にわざわざはまりにきたといっても過言ではない。
「先ほどのうちにちょいと流しておいたんだがね。私は、争いごとは苦手なもので、こういう裏方作業がすきでね。結界魔術の真似事には、ソレ相応に通じているつもりなんだよ」
 と、タスラムは笑いながらいった。
「もっとも、こういうのが得意だということがばれたら、正直アブナイから、重要機密にしていたりするんだが」
 そういって、人差し指を唇に近づける。
「だが、お前さんたちが周りに私の趣味を言いふらしたら大変だ」
 タスラムは、そういってどこからどうみても善人そうな笑顔を、彼らに向けた。
「何しろ、私は、表向き日和見主義の三番目の司祭で通っているんだからね。今更、本当は腹黒いなんて噂がたったら大弱りなんだ。わかるかな?」
 ということで、といったタスラムの目つきが少しだけ変わった。
「お前さん方には、やっぱり消えてもらった方がいいようだな」
 遠くで竜の咆哮が聞こえた。その声に触発されたように、タスラムは、うすら笑いを浮かべた。その表情は、少なくとも、三番目の司祭になってから、彼が浮かべたことのない表情でもあった。





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©akihiko wataragi