辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2006
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辺境遊戯 第三部 


第二章:竜魔問答−23

 先ほどの叫び声のような音の直後、ふと、空気が変わった。それは、レックハルドにもわかるぐらいに、はっきりとしたものであった。温度がいくらか下がった感じがし、何かの「気配」がはっきりと感じられるほどだった。
「……誰だ?」
 自然と洞窟を凝視してしまう。そして、レックハルドは思わず体を硬直させる。先ほどは、誰もいなかったはずの洞窟の闇に、人影のようなものが動いているのがわかった。
 先ほど確認したときは、大した奥行きもなかった。なのに、今は底知れぬ深さがあるようにすらみえる、暗くて奥まった洞窟だ。
「ダ、ダルシュか?」
 レックハルドは、ぽつりとつぶやいたが、内心、それを否定しているところもあった。相手が人間らしい感じはするし、影を見る限り、ダルシュの背格好に似ている。だが、雰囲気が全く違う。全身から漂う「感じ」がまったく違う。
 レックハルドが、驚きを隠せずに立ち尽くしている間に、すでに相手は陽光の差し込む場所まで歩いてきていた。人物のマントが揺らめくのがわかる。赤い色が閃き、陰に隠れては真っ黒になる。
 いや、とレックハルドは瞬きした。
(赤い色じゃない。赤が……)
 瞬きしてもう一度よく見ると、今度ははっきりとわかった。影に隠れて黒く見えるのではなく、赤い色が黒に変わっているのだ。先ほどははっきりと見えた裾の赤い色は、今は真っ黒に変わってしまっている。あんなはっきりした色を見間違えるとは思えない。
「なるほど」
 不意に低い声が響いたが、それはダルシュの声ではない。レックハルドが警戒する中、その声はゆったりと続けた。
「外の世界は、思ったほどは変わらぬのだな」
 その口調は、まるでレックハルドがいることなど気付いていないかのようである。
 思わず、レックハルドが後ずさりながら、短剣に手をかけたとき、光の下に黒い服装の男が闇から姿を現した。赤い衣装はそのころには、すっかり墨に染められたように漆黒に変わっている。
「……ダ、ダルシュ?」
 レックハルドは、一応そうつぶやく。確かに、その顔立ちは紛れもなくダルシュであることには違いないはずだった。だが、何かが決定的に違う。黒い服装の彼の瞳は、ダルシュのような黒でなく、何となく透き通ったような金色に近い色をしているようだった。太陽の光に、思わず目を細めている男の目は、あまり人間的な感じがしない。すぐに顔に感情が出るダルシュとは違い、どこか静かで厳粛な重さが感じられた。青ざめたような顔色に、どこか冷たい空気。理知性が先立つ雰囲気は、若いダルシュには本来ないはずである。
 その右手には、抜き身の剣が握られている。ちらりとそれに目を走らせながら、レックハルドは、それがダルシュがいつもつかっているものでないことに、すぐに気付いた。それは、真っ黒な剣で、柄に蝙蝠の翼のような細工がされている。刀身にまで黒い色がうつりこんでいるようでもある。そのどこか澄んだような黒い色は、普通の金属では出ないだろう。
 ダルシュの姿をした「もの」は、目を細めて空を見上げる。
「なるほど。思ったほどには変わっておらんのだな」
 嘆息をつくようにして彼は言う。その物言いは、何となく年齢を感じさせるものではあったが、どことなく無邪気な感じでもあった。彼は、周りを見回しながら、顎にゆっくり手をあて、深くうなずく。
「だが、人間のつくった街はいくらか変わっているかも知れぬ。今までもそうだったが、一番人というのは変化がある動物ではあるからな。意外におもしろいかもしれぬ」
 行ってみようか、とつぶやく男は、どうもこれでわくわくしているようだ。少しだけうっとりした様子に、レックハルドは何となく脱力させられる。
(なんなんだ……コイツ……)
 どうも、さほど害があるようには見えない。レックハルドは、とりあえず、短剣から手を離してみる。そういえば、横にいるソルも黙っている様子だ。この狼がこれだけ落ち着いているということは、多分、安全だということでもある。
「あの、ちょっと……」
「しかし、いきなりというのも、何故か気が引ける。監視人あたりに聞いてみるべきか」
「何か楽しそうにしてるところ悪いんだが……」
 レックハルドが思い切って声をかけると、男はびくりとして慌てて身を引き、彼の方をようやく見た。ダルシュとは違う目の色が、正面から見て際立ってわかる。
「な、何者だ! 貴様は! いつからそこにいた!」
「いや、最初っからいたんだけどな」
 あまりにもな驚きように、レックハルドは思わず失笑する。この様子を見る限り、いきなり襲ってくることもあるまい。レックハルドは、ため息をつき、腰に手をやった。
「なんか、面はダルシュみてえだが、あんた一体何者だ?」
「何者だ、だと。貴様、礼がなっておらんな。名を聞くときは、自らが先に名乗れ」
 妙に高飛車な様子だが、何となくかみ合っていない感じがするので、腹もあまり立たない。レックハルドは、とりあえず相手にあわせることにした。
「ああ、オレは……」
「ま、待て!」
 言いかけたとき、男が急に血相を変えてそういった。そして、ひくりと眉を動かし、じっとレックハルドを見る彼の表情に焦りが帯びる。
「名乗らんでもよい!」
「は?」
 こほん、と男は咳払いして言った。
「貴様の顔を見ていると、ろくでもない思い出を思い出しそうな気がするのだ! 名乗ることはない!」
「……ダルシュ」
 レックハルドは遠い目をしながらつぶやいた。 
「元からはじけた男だとは思っていたが、とうとうアッチの世界に……」
「むっ! 今の言い方は、どういう意味だ!」
「いや、なぁ」
 レックハルドはため息をついた。
「貴様! その態度は、私に対して無礼ではないのか!」
「いや、もう何でもいいんだけどさ。嫌な奴だったが、ここまで壊れられるとオレも突っ込みようが」
「ええい! 何を言うか! このギレスに向かって、人間の分際で――!」
 プライドが傷ついたのか、えらく怒り始めた男を横目に、レックハルドは腕を組む。
(ということは、少なくとも人間じゃない何かなわけだな、自称は)
 ダルシュに何が起こったのかは知らないが、この洞窟が元々なんだったかを考えると、やや予想がつかないではない。そもそも、ここは竜の洞窟らしいし、ファルケンの説明を補って考えてみると、そこにいる竜が力を貸してくれるかもしれないという話だったらしい。
(まさか……、あのファルケンが言っていた竜の王様がどうたら、なんだろうか)
 だとしたら、何となく先行き不安だ。こんな調子なら、ダルシュ本人が出てくれる方がいくらかマシな気がする。
(何となくわけのわからねえ夢でも見てる気分だぜ)
「何とか言わぬか!」
「あーはいはい。ギレス、様、だったっけ」
 レックハルドは、痛む頭を軽くおさえつつ言った。
「状況はよくわからんが、とりあえず、あんたが敵ではないらしいことはわかったんだが」
 レックハルドは、ダルシュの顔の癖に必死で威厳を保とうとしている「何か」を見やって訊いた。
「ダルシュの奴は、どうなったんだよ」
「ふん、別にどうこうするつもりもない。協力してやるつもりだからこそ、こうやって……」
 そういいかけて、ギレスは、不意に上空を見上げた。また天を仰ぎつつ、この世の美しさについて感嘆するのかと思ったが、今度は違う。少々、険しい顔になった彼は、その瞳で何かの影を捉えている。
「……来たな」
「来たってなんだ?」
 そう訊いたレックハルドの眼前に、ギレスの手が飛んできた。びくりとして肩をすくめたレックハルドは、顔のほとんど寸前で止まった握りこぶしを見ながら、ギレスの方を見る。何をする、といいたかったのだが、それを聞く前に事情がわかった。ギレスの手には、何か黒い半透明のものが握られているのが、レックハルドにもかろうじてわかったのだ。
 真っ青になって絶句するレックハルドに、ギレスはにやりと笑いかけ、その半透明のものを握りつぶす。
「貴様、妖魔に好かれやすいらしいな。気をつけたがいいぞ」
「お、おい、ちょっと……」
「さて、そろそろ気付いたか?」
 青ざめてじたばたするレックハルドに目もくれず、ギレスは上空を再び見上げる。その視線を追って、さらにレックハルドの顔から血の気が引いた。
 小さく映る影は、きっと、あの時、彼の頭の上を通り過ぎていった竜に違いない。
「貴様、アレに狙われておるのだろう。何かやったか?」
「し、しらねえよ! っていうか、やっぱり、オレ、狙われてるのかよ!」
 レックハルドが、途端、おびえた声になる。
「案ずるな。それをどうにかしてやろうと思って出てきたのではないか?」
「本当か? 嘘じゃねえだろうな」 
 思わずレックハルドは、ギレスの腕をつかむ。その様子をみやりつつ、ギレスはゆったりとうなずいた。
「うむ。私は嘘はつかぬぞ」
「本当か!」
 途端、ころっと態度を変えて相手に頼るレックハルドだが、頼られると悪い気がしないらしく、ギレスは満足そうに笑った。
「まあ、任せておけ」
 その瞳の黄金の色が、静かな野生を帯びる。
「ここで、私の力の片鱗を見せてやろう」
 そういって自信たっぷりにいいやる竜王の様子が、あまりにも自信たっぷりすぎて、レックハルドは、何となく不安になった。どうやら長い間外界を見たことがないせいか、少々ずれているところのあるギレスだ。果たして、自分は生きて帰れるだろうか。
 そっと、下のほうを見ると、ソルは相変わらず他人事のようにくつろいだままだ。それが何となくこちらをみて、にやにやしているような気がして、レックハルドは少しだけむっとした。





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©akihiko wataragi