辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2006
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辺境遊戯 第三部 


第二章:竜魔問答−22

 


 炎の色が、薄く向こう側に透けて見えていた。前には、黒い靄のようなものが立ちはだかっている。魔法の炎は、湿気た洞窟の中でも消えることがないらしく、あちこちでまだくすぶっていた。
「ちっ……」
 端がこげているマントを踏みにじって、くすぶる火を消し、ダルシュは、一歩後退した。先ほどから何度も攻撃を受けているらしく、あちこち擦り傷や軽いやけどが増えている。
 一方、ゆらめくようにそこにいる竜は、相変わらずだった。
『よく見るがいい。剣はちゃんとここにある』
 ギレスは、笑いを含みながらそういった。指し示した場所に、剣はやはり突き刺さっている。
『先ほど貴様が空をつかんだのは、貴様が何も考えずに行動を起こしたからだ』
(そんなことわかってんだよ!)
 言われてダルシュは、思わず唇をかみ締める。先ほど地面に打ち付けた場所が、じわじわと痛むが、今は痛みよりも悔しさの方が大きい。それをどうにか押さえつけながら、ダルシュはなるべく冷静に考えた。
 透けている向こう側には、炎が見える。剣も見えていた。時にその体につっかかっても、何もなくなって、かえってこちらが調子を崩されるばかりだ。
(ようやくわかった)
 ダルシュは、息を深く吸い込みながら考えた。
(こいつ、最初から幻なんだ)
 透けて見える体を持つ時点で気付いてもよかった。だが、確かに見えるし、時には透けていた肉体が透けることなく、鋭い爪が本当に地面をえぐることもある。それでかく乱されていたが、ようやく、ダルシュにもわかってきていた。
 この目の前にいる竜は、靄のようなもので、要するに幻に過ぎない。ただ、彼が攻撃したいときにだけ、実体をつくりあげて攻撃してきているのだろう。
『ようやく、気付いたのか?』
 わずかに嘲笑うような声は、相変わらずそのものが影のような竜のものだ。ギレスは、静かに言った。
『そろそろ、時間も頃合だが。早々に勝負をつけてくれるのかな?』
 話したいことは、先ほどの時間に全部話してしまったのだろうか。ギレスの口数は少なくなっていた。その分、攻勢が、今までになく激しくなってきているので、ダルシュも避けるので精一杯である。
「うるせえな! それを今考えてるんだよ!」
『その考えが活かせるといいが』
 ダルシュは、一旦剣をひいた。幻を斬れるとは改めて思えなかった。かつて、妖魔を相手にしたときのように、実体があったとしても、いきなり、幻のようになってしまわれると、剣は空振りをするだけだ。
(でも、さっき、剣を受けとめたとき、上の方は透けてたな)
 ダルシュは、ふとそう思い出す。どうやら、目の前の竜は、意識的に体をその時だけ形作っているらしい。意識的にであるので、全身を形作ることは出来ないらしく、その時、意識を集中した爪や腕だけを実体化しているようだった。
 ということは、逆に言えば、攻撃を仕掛けてくるときは、攻撃に使った場所以外は、すべて幻だということになる。
(ソレを使ってどうにかなんねえもんかな)
 ダルシュは、ひたすら考える。本来、あまり頭を使いたくなかったのだが、力押しで勝てる相手でもなさそうだ。
 先ほど、つかんだ途端に消えてしまった剣は、また再びそこに姿を現していた。いや、多分、このギレスは、魔法で剣の幻などいくつでも作れるのだろう。
 ダルシュには、若干、普通の人間が見えないものを見る力がある。本物の剣ははっきり見えているが、実は彼の目には、偽物の剣も何本か薄く見えていた。先ほどは焦っていたせいで、それをつかまされたのだろう。少し魔力を使えば、本物の剣を見えにくくすることはできるだろうし、先ほどは、ダルシュにもそれを見分ける余裕がなかった。今度は多分大丈夫だろう。あくまで、冷静に振舞えば、の話であるが。
(ちょっと危ないが、アレしかねえか)
 ダルシュは、剣を握りながら乾いた唇を湿らせた。一度決めてしまうと、ダルシュは行動が早い。そのまま、水気のある湿った地面を蹴る。
「いくぜ!」
『まだ同じ手を使うつもりか?』
 ギレスの声と共に、目の前に半透明の爪が飛び込んでくる。それが、やがてはっきりと黒い色を帯びてくるのを見やりながら、ダルシュは持っていた剣をそのまま振るいながら、身を大きく横にかしがせる。ギレスの鋭い爪と剣がぶつかって音をたてた。ダルシュは、その衝撃のままに剣を離し、爪の斜め下をくぐる。 
(ここだ!)
 黒い靄のような体にぶつかったはずなのに、案の定、そこに実体はなかった。爪に意識を集中したのと、飛んだ剣に気を取られたせいだろうか。ダルシュは、難なく反対側に飛びぬける。 
『考えたな! だが、そう簡単にいくかどうか』
 目の前に剣がある。黒く翼を広げたデザインの柄に埋め込まれた宝石が、わずかな光に印象的名赤い色を覗かせる。周りに数本の剣が見えたが、本物はコレに違いない。ダルシュは手を伸ばした。
 背後からは、すでに身を翻し、攻勢に入ったらしいギレスの咆哮が聞こえた。炎なり、爪なりがダルシュに伸ばされるのもすぐに違いない。だが、ダルシュは振り返らなかった。
「これでいけええ!」
 ダルシュは飛び込みざま、剣をつかむ。金属の感触を確認し、ダルシュはその剣を思い切り握り締めた。岩に刺さった剣は、意外にすんなりと引き抜くことができた。
 直後、炎が空気を焦がす気配と音がした。ダルシュは振り返りざま、剣を斜め上に跳ね上げた。目の前で炎が斜めに切れ、そのちろちろと赤い手を伸ばす火の粉がかき消えていく。同時に、ダルシュは何かを斬ったことを理解した。
 手ごたえはない。だが、竜の攻撃が止まったのがわかった。
「よ、……ようやくわかったぜ」
 ダルシュは、息をついた。剣を跳ね上げたときの軌道をそのままに、靄のような影に断裂が走っていた。そこから霧が晴れるように徐々に黒いものが散っていく。同じく、あちらこちらで燃えていた炎もまたふっと掻き消えるように、姿を消していた。
「本当に危ないのは、本当の姿を知らずに突っかかることなんだな。剣にしてもアンタにしても……」
『ふふふ、完全ではないがな。まあ、……それだけわかれば、まあ、いい』
 ギレスは、満足げに言った。
 竜の幻は、剣の一閃を受けて、霧が晴れるように徐々に分散していく。ギレスの笑い声も、反響しながらバラバラになっていくようだ。
『いいだろう。貴様は、合格だ』
 最後の方は、声が分散して何か別の響きのようだった。洞窟へ差し込む光が強くなった気がした。竜を倒した影響だろうか。
 ダルシュは、息をつくと、改めてギレスが消えたことを確認した。そして、消えた火をみやり、ふとダルシュは衣服の焦げたあとを確かめようとした。手触りだけでもわかったが、マントも服も焦げた様子がなかった。やけどしたはずの場所も、今は痛くもない。先ほどは、そう思わされていただけだろうか。
「……擦り傷は相変わらずいてえが、炎も、幻だったのか?」
 ダルシュは呆然として、周りを見回した。ギレスの気配はどこにも残っていない。ダルシュは、手に握った剣を持ち上げた。右手に握ったままの剣は、思ったよりも使いやすい。装飾が多い割りに重すぎることもなく、振り回しやすかった。
「これが、言ってた剣か?」
 確かに、幻の竜が斬れたのだから、すごい剣かもしれない。ファルケンがいっていた、すごい力というのは、これのことだったのだろう。しかし、ギレスとかいう竜の考えがまるでわからない。
「でも、一体どういうつもりだったんだ」
 ダルシュは怪訝そうな顔をしながら、手の中にある剣をみやった。先ほど見たときよりも、ずっと美しい輝きをもつ剣だった。暗い洞窟の中でも、わずかな光を集めて薄く反射する剣は、わずかな黒味を帯びているようだ。
 果たして、普通の剣と同じ金属でできているのかどうかもわからない。そうっと刀身に触れると、独特の冷たさが、指先から伝わってくるようだった。感触も、何となく普通の鋼とは違う。
「それに、……合格って……」
 そうつぶやいたとき、ダルシュは、何かの気配を感じて戦慄した。
 この感覚は前に感じたことがある。いや、ついこの前に、だ。あの時、ヒュルカで意識がなくなる前に、確かにこういう電撃を浴びたような痺れが全身を走ったのである。いや、それは、この前とは比べ物にならない力を持っていた。
 ダルシュは剣を凝視した。見開かれた大きな目には、黒いオーラのようなものがまとわりついた剣が映っている。まだ、「彼」が語りかけてくることはなかったが、それでも、ダルシュは状況を改めて理解した。
「お、お前は……」
 ダルシュは、剣を離そうとしたが、彼の意思とは別に剣はダルシュの指先を離れない。
「お、お前の本体は、まさか……!」
『そうだ。『私』の本当の姿は、この剣にあるのだ』
 ようやく彼が答えた。この声は、やはり間違いない。ギレスだ。
「てめえ……、まさか、最初から……!」
 意識が薄れる。それの意味するところを知って、ダルシュは、わずかに青くなる。この前と同じだ。
『案ずるな。別に悪いようにはしない』
「な、何が悪いようにしないだ! てめえ、人の体に取りつきやがって、そんな事がよくも……」
 ダルシュは、言葉を継げなかった。暗黒の色が、意識の隅まで広がる。ふっと力が抜け、ダルシュはその場に膝を突く。だが、握った剣からは指先一つ離れなかった。
 隣に滴が落ちる。顔を伏せていたダルシュは、ふとそちらを見やった。数度の瞬きの後に、顔を上げたダルシュの瞳は、もはや黒い瞳ではなかった。爬虫類のような瞳の虹彩は、透き通るような金色を帯びていた。どこか青ざめたような顔色に、ダルシュならしない薄ら笑いが浮かぶ。
「さて……。そろそろ、時間だな」
 ぽつりとつぶやいた声は、笑いを含んでいたが、明らかにダルシュの声とは違った。そのまま、洞窟の外へと歩き出す「ダルシュ」は、外の光に目を細める。
 竜王の瞳、いいや、正確に言うとダルシュの瞳なのであるが、その目には、数千年ぶりに見る肉眼での外の世界が映っていた。この前、ダルシュに憑依したときは、その力が不完全だったから、視力はそれほどよくなかった。だが、今回ははっきりと目でものが見える。
 美しい緑の色、青い空。普段、洞窟の中にいながら外の様子がわかるはずの彼にとっても、その光景は、似て非なるものだった。ただの緑の色が、これほど美しいとは思わなかった。
「ああ、そういえばそうだったな。いつぞやの男も言っていた」
 ギレスは、ため息をつくように言った。その顔は、喜びに満ちている。だが、その表情も、明らかにダルシュと呼ばれる青年のものではなかった。 
「あの不調法者でもわかる感情であるならば、私がそう思わぬはずもない。『娑婆ほどよいものはない』のだな」
 





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©akihiko wataragi