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辺境遊戯 第三部
そんな彼の思いなどしらず、レナルは、始終親しげな上、始終上機嫌である。 「そうか〜、ファルケンの面倒をみてくれていたんだなあ」 「いや、面倒というか……」 レナルと遅れて歩きながら、ビュルガーは、どういえばいいものやら迷っていた。厳密に言うと、面倒をみたという感じでもないし、かといって、面倒をかけられたといわれるとかけられていたような気がする。 あまりにも人懐こすぎる狼人の群れから解放されてはみたものの、このレナルという狼人も少し普通の狼人と印象が違った。どちらかというと、シールコルスチェーンの連中や、なりそこなった連中にちょっと似ているかもしれない。 レナルは、人間世界への憧れを覗かせているせいもあり、少々、普通の狼人とは雰囲気が違う。穏やかでのんびりはしているが、普通の狼人よりは、頭の回転が随分速いのだ。辺境に守られ、辺境を守るためにいる狼人は、普通、あまり物事を考えない。逆に、自分で物事を考えて動く狼人は、それだけ服装や見た目においても、「奇抜」になる傾向があるらしい。だが、リャンティールや司祭、シールコルスチェーンなどの特殊な立場になる狼人には、そうした飛びぬけてしまった者達が圧倒的に有利になるのかもしれない。 レナルにしても、奇抜といえば奇抜だ。だが、これは辺境の感覚の奇抜であって、人間界ではそうでもないのかもしれない。レナルにしろ、ファルケンにしろであるが、ふらっと人間の世界に紛れ込めそうな格好をしていた。特に、髪の色が茶色に近いレナルは、ファルケンよりも目立たないかもしれない。 フォーンアクスやツァイザーは、風変わりな連中という印象があったのだが、彼の師匠であるハラールとの付き合いが長かったせいだろうか。 妙に人間になれた様子のレナルと話していると、ビュルガーは、逸脱したなりに自分や師匠も狼人だったんだなあとふと感じてしまうのである。今の明るくなったファルケンも、あまり狼人らしくないわけであるし。 「シールなんとか、ってのは、オレあまりよくわかんねえんだが、まあ、でも、司祭の影響はあまし受けないのか」 「えっと……、そうだな」 ふとそんなことを考えていたビュルガーは、いきなりレナルに訊かれて、一瞬慌てる。 「そうだなあ、司祭からっていう意味では……。そもそも、シールコルスチェーンは、十三番目の司祭ともいわれてるんだとか。司祭とは同等の立場を取ることは取るらしい」 「そうか。なるほどなあ」 レナルは、どこまで納得しているのかわからない様子で頷きやった。だが、その顔には、どことなく安堵の色がのぞく。 「でも、それならよかった! あいつ、色々今まで苦労してるし、これからも司祭に命令されたりして、かわいそうな目にあったら……と思っていたんだが、そういう心配はないみたいだな」 「あ、ええと、それは多分」 無邪気に喜ぶレナルに、慌てて答えるビュルガーだが、その答えをもはやレナルは聞いていないような気がした。 「それはよかったな〜。俺も一安心だ」 そういって、にこにこしているレナルを見やりながら、ビュルガーは、自分が知らないファルケンの一面を見たような気がした。今までおっかない奴だと思っていたが、本当は、あまり気が強くないおとなしい男だったのかもしれない。 (……なんか、印象違うなあ) さて、師匠にはどう説明しようか。それとも、あの人は意外にファルケンの正体を見抜いているのかもしれない。 ざわ、と足元の草が波立った。ただの風かと思ったその瞬間、ビュルガーは、寒気を感じて振り返る。人間の目には見えないだろうが、力のある辺境のものには見える黒い風が、向こう側から吹いてくるのがわかった。 「……妖魔だ!」 震え上がるビュルガーとは逆に、振り返りざま、レナルは剣を抜く。普通の狼人が持たない金属の武器が、森の中に不穏な光を放つ。 妖魔と戦うのに実際に必要なのは、剣などの武器ではない。妖魔が見えない魔力のない人間はともあれ、ダルシュのように見える人間でさえも、武器だけでは妖魔と戦うことはできない。魔力の使い方を知っているものたちこそ、妖魔と戦うことができるのであり、武器を持つのは手段の一つなのである。特に狼人は、妖精ほど魔力の使い方に長けているわけではないので、武器に魔力を託して戦うことがとても多いだけである。 シールコルスチェーンでなければ、浄化はできないらしいが、単に追い払うだけなら辺境に住まうものであれば、誰でも可能なのだ。 草の中を進んでくる黒い影は、やがて、徐々に何かの形を取り始める。それは、不定形のものだが、自然にある昆虫や獣を不完全に真似たものになっていく。口を開けて真っ黒な闇の牙を向きながら、一匹の妖魔がレナルを飲み込むように飛び込んできた。レナルは、おびえもせずにまっすぐに剣を振るう。ガッと音がして、一瞬の手ごたえと共に、あとは剣は空を切る。黒い塊が、ちぎれた紙のように空に舞う。 「……さっき追い払ったばかりなのに」 レナルは眉をひそめた。普通、妖魔は日蝕時ぐらいしか出てこなかった。おまけに、一度、追い払えば、それほど頻繁に復活してこないはずだった。それほど、妖魔自体の数が増えているのだろうか。 ざわざわとまだ足元の草が騒々しく鳴っていた。天を仰いで、心の中で「お師匠様」とぶつぶつつぶやいているビュルガーにもわかっている。今いる妖魔の数は、一匹や二匹ではない。先ほどファルケンと一緒にいたときにも襲われたが、あれよりもまだ多いらしい。 (お、お師匠様、これは、もしかして試練というやつなのですか) 思わずそんなことばかり、考えているビュルガーに、ふとレナルが目を向けた。 「あんたは、一人で大丈夫だな?」 レナルは確認するように聞いた。ビュルガーは、えっ、と首をかしげて、それから慌てて首を振ろうとした。シールコルスチェーンの弟子だとか言ったせいだろうか。レナルは、ビュルガーは、一人で妖魔と対抗できるぐらいの強い狼人だと見たようだ。それに、不幸にもビュルガーは、魔力だけはあきれるほど高い。魔力の強さが、辺境での強さの基準である。だが、ビュルガーの場合、いくら魔力が強くても、それを全く戦闘に活かせない狼人であるのだ。 「ちょ、ちょっと……オレは!」 「そうか! それじゃあ、俺はこっちをやっつけるから、そっちで!」 レナルもやはりそのあたりは一般的な狼人なのである。人の話など全く聞いていない。あんぐりと口をあけて、慌てて反論しようとしたビュルガーだが、レナルは行動が早い。 「それじゃ、そっちは頼むぞ!」 「あああ! ちょ、ちょっと!!」 ダッと走っていってしまうレナルを追うように手を伸ばすが、あいにくと手は届くはずもない。 「そそそ、そんな、……オ、オレは……」 妖魔との戦い方なんて、ちっともお師匠様は教えてくれなかったような気がする。ファルケンもいないし、レナルも行ってしまった。自分でどうにかしろ、といわれても、あの食虫植物に捕まるぐらいのビュルガーにそれほどの力があるはずもない。 「ちょ、ちょっと待ってくれよ! オレもそっちに……」 慌てて立ち上がって、レナルの後を追おうとして、ビュルガーは、息を飲んだ。突然目の前に黒い影が現れたのだ。どろどろに溶けたような真っ黒な闇の色に、何故か赤く光る瞳のようなものが見える。ビュルガーは悲鳴を飲み込んだ。 風を切る音が、突然、ビュルガーの耳に割り込んだ。途端、目の前の妖魔が散り散りになって飛ぶ。 「大丈夫かい?」 何となく穏やかな声がふりかかってきて、ビュルガーは、それが誰であるかすぐにわかった。 「ファルケン!」 レナルが、気付いて振り返って、声をあげた。何時の間にやら、剣を抜いて、そこに立っていたファルケンは、レナルに笑いかける。 「ここはオレがどうにかするよ、レナル」 「お、お前、何時の間に……」 「いつ、って……。ほら、結構近いところにいたから、不穏な気配を感じたから来たんだけど。でも、ビュルガーって、結構危なっかしいなあ」 ファルケンは、あごひげをいじりながら困惑気味につぶやいた。 「あんなところでぼーっとしてたら、本気で危ないよ」 「いや、オレも、別にぼーっとしたくてしてたんじゃなくてだなあ!」 むしろ、ぼーっとしてたのでなく、慌てて逃げていたのだが。ファルケンにそれがどう映ったのかはわからない。 「ファルケン!」 そこにいた妖魔を切り払い、黒い闇の欠片を振り払いながら、レナルが走ってきた。 「急に、あれこれあったみたいで……」 「ああ」 レナルは、顔を曇らせる。 「一体、どうしていきなりこんな連中が? それほど、妖魔は森の中にいなかったはずだぞ! さっきの黒い波みたいなアレのせいか?」 「多分」 短く答え、ファルケンはうなずいた。 「空に竜も見えた。まだ、襲ってきてはないけど、いずれ……」 「一体、なんなんだ? コレは。あの黒い気配が強くなってきてから、どんどん森がおかしくなっていくみたいだ!」 レナルは、軽く歯噛みをしながらはき捨てた。目の前には、黒い妖魔の影が、森の間にうようよとゆれている。 「とりあえず、ここをどうにかしてから考えよう」 「ああ」 ファルケンの提案にうなずき、そして、レナルは、ふと我に返り、顎をなでやった。 「そういえば、お前、レックハルドは置いてきて大丈夫なのか?」 「ああ、それそれ」 ファルケンは、説明し忘れていたとばかりに、手を叩いていった。 「それは多分大丈夫から安心してくれよ」 なにやら陽気にファルケンはこたえる。 「でも、ソルだけなら……」 「大丈夫だよ。レックだってそんなに柔なやつじゃないし」 ファルケンは、妙に自信がありそうだ。 「それに、あそこにいる以上は大丈夫だよ。いよいよ何かあったら、あそこにいる「ひと」がどうにかしてくれるよ」 さらりと他力本願なことを口にしたファルケンは、まだ状況がつかめていない様子のレナルに笑いかけると、さあ、とばかりに剣を構えた。さりげなく、ファルケンの後ろ側に回っているビュルガーは、ファルケンの言葉の意味などに気付く余裕もなく、とりあえず、自分が戦わなくてすんだことと、助かったことにため息をつきながら安心するのだった。
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