辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2006
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辺境遊戯 第三部 


第二章:竜魔問答−20

 森は青い。
 シャザーンは、天蓋のように周りを覆う青い枝に囲まれて立っていた。どことなく虚脱したような瞳を空の方に向ける彼には、あまり彼自身の感情を感じさせない。
 頃合だ。と、彼でなく彼の中の妖魔が言った。空の上に黒い影がざっと飛び出していくのが見える。
「空には、竜が……。あれはお前がやったのか?」
 シャザーンがそうきくと、妖魔は薄ら笑いを浮かべる。それは、張り付いたような笑みになり、そのままシャザーン自身の顔の上にのった。クレーティスという名前だった若い狼人の青年には、およそ不似合いな表情だが、それだけでその存在の禍々しさを感じさせるものになっている。
「『私ではない。……お前はまだ気付いていないのか? すでに我々の仲間は、あちらこちらで活躍しているのだ』」
 シャザーンの口を借りて、彼はそういう。
「『我々も出遅れるわけにもいかないだろう? このままでは、お前の望みは達成されない』」
 ああ、とシャザーンが答えたような気がした。おとなしい目に映る虚ろな色が、妄執めいた思いを帯びて強くなる。
 強い邪気を感じてか、鳥達が慌ててとびだって言った。それを見やりながら、その木の陰で一人の狼人がため息をついていた。
(参った……。どうもついていないらしい)
 苦笑を浮かべているのは、三番目の司祭のタスラムである。あれから、色々と手を打つべく辺境を移動していた彼は、ふと漂う邪気の塊のようなものに引かれて、ここまで興味本位で足を運んだのである。だが、まさか、シャザーン本人がいるとは思わなかった。
 彼が、それに気付いて慌てて気配を消したとき、すでに、シャザーンの足元には、黒い気配が渦巻いていた。
(これはちとマズイな……)
 タスラムは、内心、冷や汗をかいて苦笑いをうかべた。
(私がそちらに引き込まれることは、多分ありえないのだが、それでも用心はしたほうがいい)
 司祭達が、シャザーンを恐れるのは純粋に力の差もあるが、それだけでもない。今となっても、ファルケンと比べてシャザーンの方が圧倒的に恐いのは、その内に潜む妖魔の存在である。妖魔にふれることによって、自らも誘惑されてしまうこともありえるし、その力を感じることで、触発されることもあるのだ。そういう自覚はあるのだが、アヴィトのように知らない間に引き込まれている連中もいる。本当に、どこで取り憑かれるかはわからないのだ。
(すでに横に妖魔がいるかもしれんということには、みな気付いていないからな)
 やれやれ、とタスラムはため息をつく。今まで派手に動けなかったのもそれがある。いきなり、一番目に噛み付いたとしたら、それはタスラムの乱心騒ぎになるだけだ。
 いまや司祭の関心は、変化を起こす辺境と人間の関連性に向いていることが多い。昔からそうだったのだ。妖魔がはびこるのには、人間に大本の原因があることが多い。だからこそ、彼らは人間に非常な警戒を寄せてしまう。そして、人間に対する強硬派と穏健派で論調が分かれて紛糾してしまうのだ。その間に、闇は刻々と迫ってきてしまう。
 ファルケンによって封印が解かれた後、司祭達は別に傍観していたわけではない。どうにか、妖魔の侵入を食い止めるべく、封印を施したりして回っていた。だが、内側に敵がいるのだから、その効果の程は知れようというものだ。
(いいや、それとも、よく今までもったというべきか)
 タスラムは、そう思いながらもう少しだけ気配を殺しておくことにした。ここで下手に動いてもどうにもならない。
 空には竜。地には妖魔。
『まったく』
 ぽつりと聞き取られない言葉でつぶやきながら、タスラムは皮肉っぽく笑った。
『八方ふさがりとはこのことだなあ』
 ふと、向こう側で黒い光が飛び散った。タスラムが眉をひそめる中、シャザーンの周りの草地がこげるように黒くなっていった。



 目の前は静まり返っていた。彼らの前には、口をあけた古い洞窟が一つ。苔むした洞窟には、何となく生き物の気配がしない。それは、静かな静かな森の風景だった。
「と、何だかんだ言っている間に着いてしまったわけだが……」
 呆然とそう口にするのは、あまりこの場に相応しくない商人姿の男で、その背後にいる狼人の青年も、やはり何となく呆然としていた。その下に何を思ってか、わざとらしく黙り込んでいるしゃべる狼が座り込んでいる。
 こういうときは予想外に早く目的の場所についてしまうことが多い。レックハルドは、眉をひそめて、ファルケンを横目に見た。もう少し時間稼ぎした方がよかったんじゃないか、と言いたげな相棒の表情に、ファルケンもちょっと困り顔である。
「め、めざしてたのは、ここなわけだし」
 再び洞窟に目をやる。戦闘をしているにも静かすぎる。物音一つない。魔法の竜の王様の住処なのだから、もしかしたら、音が聞こえない魔法でもかかってるのかもしれない。しかし、そんな仮説がなんとなく二人の頭をかすめても、それが安心に直結することはない。
 ダルシュの気配がさっぱりないのは、やはり二人に、悪い想像をさせるのである。
「でも、レックどうしようか?」
「どうしようかって……」
「あまり静かだから、ちょっと心配になってきたんだよ」
「うん、オレも……な」
 二人の頭に浮かぶのは、ちょっと可愛そうな目にあっていそうなダルシュと、その背後にいる黒い女の気配だ。ふと、同時に顔をあわせてしまうが、その瞳には同じ不安の色がのっている。
「なあ、レック。……だ、大丈夫かなあ」
「オ、オレにきかれても……」
 レックハルドはひとたび戸惑い、それから、顔を上げた。このまま弱気になっていてもいけない。そもそも、あの赤いマントの単純馬鹿が、無事だったとしたらシェイザスの呪いなど恐がらなくてもいいのだ。レックハルドは、ファルケンに言った。
「お前ちょっといってみてこいよ?」
「えっ! オ、オレが?」
 ファルケンは、さっと軽く青ざめる。レックハルドは、冷淡にいった。
「他に誰がいるんだよ。こういうのってお前の仕事だろ?」
「そ、それはそうだけど……」
「わかってるならいってこいよ。いつもそうやってるじゃねえか」
 でも、とファルケンは困惑気味につぶやいた。
「あれ、洞窟だよ」
「なんだよ?」
 やたらしおらしげなファルケンの声は、あまりに元気がない。首をかしげるレックハルドに、ファルケンは引きつった笑みを浮かべながら言った。
「オ、オレは、実は、暗くて狭いところが駄目なんだよ」
「は? お前なんだそりゃ」
 レックハルドは、いぶかしげに目を細める。
「お前なあ、この前、ロゥレンにびびって、瓦礫の狭いところで縮こまってたりしたじゃねえか」
「いや、あれは、ほら、緊急事態だったし、ああいうところは大丈夫なんだけど……」
 確かに、大柄のファルケンは、何かと狭いところに入るのは嫌いな方である。狭い通路に入るときなど、露骨に顔をしかめたりしていることがあるのは、何かあって挟まったら出られないからだ。その割りに、こじんまりした木と木の間に挟まってゆったりしているときもある辺りがわからないが。
 だが、ファルケンが青ざめて、ともすれば半泣きになりそうになりながら通るのは、家と家とか壁と家の間の横にならないと通れないかもしれないぐらい狭いところのはずだった。それ以外は、結構平気なはずなのである。
「結構入り口広いじゃねえか」
 レックハルドは、洞窟を指さした。狭いといわれると狭いかもしれないが、別に彼が挟まる心配をしなくてもいいぐらいの広さはある。ファルケンは、そういわれても顔を曇らすばかりである。
「いいや、それはわかってるんだけど……。暗いし」
「暗いって……」
 別にファルケンは暗いところが嫌いではなかったはずだ。レックハルドがいぶかしげにしていると、ファルケンはそうっと話し始める。
「あの、レックも知ってるだろ? オレが死んだときどこで寝てたかってこと……」
 多少気まずそうだが、ファルケンは、半笑いのままで言った。
「あの時目が覚めたら木の中で、あのほら、悪夢とか色々あったし。それで、こういうとこ駄目になったんだよ、オレ」
「おいおい、マジか?」
 ちょっと苦笑しているあたり、どこまで本気かわからない。レックハルドは疑わしげな目をやったが、少し考えて前髪をかきやった。
 ちょっと怪しいが、しかし、ファルケンの言うこともわからないではない。確かに、目が覚めて記憶はない、やけに着てるものが血だらけ、おまけに目の前真っ暗で狭い、とくれば、レックハルドでも、トラウマになりそうな気がする。ファルケンは、続けてそろっと切り出した。
「……というわけで、で、できれば、レックが見に行って欲しいんだけど……」
「ええーっ! オレが?」
 ファルケンに言われて、レックハルドは、忌々しげに彼を横目でにらんだ。
「思ったんだが、お前、最近情に訴えるのがうまくなってねえか?」
「いや、あの、そういうのではなくってさあ……」
「あーっ! わかった! オレがいけばいいんだろ、いけば!」
 いい加減、腹が立ったのかレックハルドは例の癇癪を爆発させて言った。おまけに、ここで、断るとますます自分が悪党みたいじゃないか。
「ご、ごめんよ。つ、次の機会に頑張る予定だから!」
「ここで死んだら本気で祟ってやるからな!」
 何となくこわごわしながら、しかし、洞窟に入らなくてもいい為か、安堵の表情を浮かべたファルケンは、思いついたように腰の魔幻灯を持ち出した。
「あ、暗いだろうし、一応これ貸してあげるから」
「くそ! ……お前なあ! 後々覚えてろよ!」
 レックハルドは、それを奪うように受け取ると、ぶっきらぼうに言った。火の入った魔幻灯でぼんやりと照らされる洞窟の入り口に立ってみるが、思いのほか深いらしく、中の様子をのぞくことはできなさそうだった。
 ひんやりした空気が、レックハルドの肌を撫でる。何となく神聖で重い入ってはいけないような雰囲気もするのだが、同時に、おぞましいものがいるようなそういう不気味な感じもした。
(なんというか、蛇の穴つつきにいくみたいで、いい気持ちしねえな)
 ある意味、ファルケンが入るのを嫌がる気持ちもわからなくはない。正直、気軽に冒険気分ではいるような場所でもない。
 一応は心配そうに、ファルケンが後ろから声をかけてきた。
「レック! なんか危なかったら引き返してきてもいいんだからな! 第一撃を食らう前に逃亡だ!」
「言われるまでもなく逃げるわ! 馬鹿野郎!」
 何となくファルケンの声が他人事風なのは、レックハルドの感情によるものだけだろうか。何となくだが、レックハルドの神経は過敏にさかなでられた。
(あの野郎、やっぱり許さん!)
 心配そうにしながらも、絶対洞窟に入ってこようとしない相棒を、こっそり盗み見ながらレックハルドは、思わず魔幻灯を握り締めた。
(ここのところ、何かとすぐに心の傷に甘えやがってええ! アレ言われたら、オレだって断りにくいんだよ!)
 畜生、とつぶやいて、レックハルドは足元の小石を蹴り飛ばす。洞窟の中に響く音は、何か別な響きを持っているように聞こえた。なんだろう。今の響き方は、洞窟の響き方にしてもどうもおかしい。
 そっと魔幻灯を掲げてみる。こわごわ進んでみるが、前に進むにつれて洞窟は狭まっていくようだった。靴の底に湿った苔の感触がして、レックハルドは、慎重に足を運ぶ。ここで転んだら、服が濡れてしまいそうだ。それだけ、苔は水分を蓄えていた。
 水滴の音が響く。だが、それも、ただ響くだけでなく、何となく遠い音だった。
「あれ?」
 レックハルドは、警戒して猫背になっていた背を、思わず伸ばした。魔幻灯を前に、掲げてみる。ぼんやり炎で照らされた岩壁は、水のせいで時々きらりと光るようだった。
「行き止まりじゃねえか」
 レックハルドは、きょとんとしてつぶやいた。
「え? どうしたんだ?」
 ファルケンの声が入り口の方から響きながら伝わる。
「行き止まりだっていったんだよ!」
 レックハルドは、肩をすくめながら入り口の方に怒鳴ってみる。
「ええ! そんなはずないよ!」
「だって、行き止まりなんだよ! お前ちょっと入って見に来い」
 手招きするレックハルドを見やり、ファルケンは、再びさっと青ざめる。
「だ、だから……。オ、オレは、そういうところに入ると、ちょっと恐慌が平常心して……」
 回らない口でそういいながら、ファルケンは首を振る。ともあれ、苦手は苦手であるらしいのだが、それにしても。レックハルドは、今度はあきれの意味を込めて肩をすくめた。
「あーっ! だらしねえ! ホント、肝心なときに役に立たねえんだから!」
「つ、次の機会に役に立つ予定だから」
 苦笑してごまかすファルケンだが、レックハルドの苛立ちはすぐには収まらない。
「お前、オレの用心棒代わりなんだろ! まったく、それなのに、この体たらくはなんなんだ」
「いや、それはその」
「危ないからついてくるとかいいながら、オレに一番危ないことさせてるじゃねえかよ! そもそも、行動が矛盾しすぎなんだよ!」
 そう一気にまくしたて、レックハルドはある程度、気持ちの整理がついたらしい。腹は立つが、やっぱり、ファルケンを責めるのはちょっとかわいそうな気もしなくない。ため息をつきながら、レックハルドはそのまま入り口に向かって歩き出した。
「どっちにしろ、ここには誰もいねえし、何もいないぞ。お前間違えたんじゃないか?」
「おかしいなあ。ソルだって言ってるし、オレだってこんな場所間違えたりしないんだけど」
 ファルケンは釈然としない様子で、足元に静かに控えていたソルを見やる。
「間違えないだろ?」
「そうですよ。ここでした」
「だよなあ」
 ファルケンは、レックハルドの方を向いて首をかしげた。
「間違いようがないよ、レック」
「でも、中にはないんだし。お前が入ったら何かわかるかもよ」
「い、いや、それだけは、その……!」
 いきなり腰が引けるファルケンをみながら、レックハルドは深々とため息をついた。
「じゃあ、しゃあねえ。とりあえず、様子見てもうちょっと……」
 肩をすくめて、レックハルドがそういったとき、ふとファルケンの顔が引きつった。レックハルドに見えるはずもないが、一瞬黒い波動が森を突き抜けるのが彼には見えたのである。
「ん? どうした?」
 表情をひきしめて、思わず戻ってきた方に目を向けたファルケンに、レックハルドは声をかけて、少し小走りに走りよる。
「どうした、ファルケン?」
「……今、何か……」
 きらりと目をひらめかせ、ファルケンは、森の中で何が起ころうとしているのかを見極めているようだった。そのまなじりがわずかにゆがむ。
「シャザーン……?」
「えっ?」
 レックハルドは、その意味に気付いて少し眉をひそめる。シャザーン=ロン=フォンリア。懐かしい名前のようだが、思い出したくない名前だ。なるべく忘れていたかった名前でもあるかもしれない。
「あいつが……何かやったな……!」
 ファルケンは苦々しくはき捨てた。





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©akihiko wataragi