辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2006
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辺境遊戯 第三部 


第二章:竜魔問答−19


 
 緑深い辺境の森をさらに歩きながら、レックハルドは文句を言った。ちょっと後ろには、相変わらずファルケンがついてきている。例の臆病なビュルガーとレナルは、とりあえず後から追いかけてくるという話で、二人は、レックハルドがかなり悩んでから存在に気付いたソルにつれられて歩いていた。一緒についてきてくれた方がレックハルドとしては、何となく安心なのだが、ビュルガーが何かとうるさいので、実質、レナルに預けてきたのである。
「もっと早く言ってくれればよかったのにさ」
「いえいえ、お邪魔するのも悪いので」
 そんなことを意地悪く言う狼のソルは、上機嫌に先導をつとめていた。まさか、悩み苦しむさまがあんまり滑稽でおもしろかったなどと、この頭のいい獣はけして口にしない。だが、態度でだいたいわかるので、レックハルドは少々不機嫌だ。
「しかし、どうして連れてこなかったんだ? 引っ張ってくればよかったのに」
「それがそういうわけにもいかなかったんですよ」
 ソルは、軽く振り返りながら言った。
「なにせ、あちらさんは、ぜんぜん声をかけても反応してくれなかったんですからねえ」
「狼に声をかけられたからびっくりしたんじゃないのかい?」
 そういえば、ソルのことをダルシュは知っていたのだろうか。知らなければ、結構驚くかもしれない。と、ファルケンは今更ながらに思った。
「いいえ、そういうんじゃないんですよ。ただ、ふらーっと洞窟の中に入ってしまいましてね」
「ええ! 洞窟?」
 ファルケンが思わず声を上げた。レックハルドは、横目でちらりと後ろを見ると、ファルケンは、そしらぬ顔をして慌てて目をそらした。
「……お前、やっぱり何か知ってるよな、その反応」
「えっ、いやっ、そんな大したことじゃないんだけどっ!」
「さっき、食われるかもっつったじゃねえか」
 レックハルドは、更に睨みつける。
「オレは、食われる事はあるかもしれない、っていっただけで、そんな確率の高そうな意味では……」
「同じことだろうが!」
 何となく見苦しい言い逃れをするファルケンをにらみながら、レックハルドはため息をついた。
「まったく、どうしようもねえ」
 急に不安そうに、ファルケンはレックハルドに、そっと訊いてみる。
「な、何かあったらどうしようか」
「どうしようかって、お前がそそのかしたんだろ?」
「そ、そそのかすなんて、オレはただちょっと……あいてっ!」
 レックハルドに帳簿でいつものごとくはたかれ、ファルケンは軽く頭をなでやって、おずおずといった。
「でも、オレ、悪気はないんだよ?」
「尚更悪いわ!」
 世の中、わざとやっていると聞かされるほうが、ちょっと救いになることもある。怒りの持って行き場がわからないだけに、ある意味悪辣といえそうだった。
 ファルケンは、ええと、と何か申し開きをしようとしたようだが、うまく言葉がまとまらなかったらしい。急にソルの方に話を振る。
「で、でも、洞窟って、辺境の奥にある苔むしたかなり古いあれだよな?」
「ええ、そうですよ。兄貴も、一応知ってはいるでしょう?」
「ああ。実際にはやっぱり入ったことはないけど」
 ファルケンは、軽くうなずいた。レックハルドが、首をかしげながら目をあげる。
「なんだ? どういう意味だよ?」
「あの洞窟は、確かに辺境の中にあるから、その存在自体は狼人は知ってるんだ。でも、その詳細はほとんど知らない。司祭でも多分、中に入ることは特別に許しを得ないとだめなんだよ」
 ファルケンは、そう当たり前そうに応えたが、実際、レックハルドにはちょっと妙な感じがした。
「へえ、また、どうして?」
「あそこは、オレたち辺境の生き物が無断で入っちゃいけない事になっているから」
「ああ? どういう意味だ?」
 更にレックハルドは、奇妙な顔をした。辺境の中に、狼人や妖精の入れない場所があるというのは、結構衝撃的な話だ。
「レックにもわかるようにいうと、アレだ、あそこの中に入らないっていうシンシキョーテーがあるんだよ」
「紳士協定?」
「まあ、相手の縄張りには無言で敬意を示せってことなんだけど、相手が、厳密には辺境に属さないからな。オレたちでも、手は出しにくい、ちょっとややこしい状況なんだ」
 レックハルドは、思わず目を軽く見開いた。
「おい、てことは、中にいるのは、狼人の賢者とかそういうんでもないのか!」
「もちろん。そんな相手にならダルシュを会わさないよ。ダルシュを会わせようと思ったのは、ダルシュだからこそ、会えると思ったから。相手が相手だけに、オレでも、会ってくれるかどうかわかrないけど、ダルシュだったら絶対に会ってくれるそういう相手なんだ」
「あいつだからこそ?」
 レックハルドはいよいよ奇妙な顔をした。一体それはどういうことなんだろうか。
「おい、その洞窟にいるのって一体何なんだ?」
 とうとう、きいたレックハルドに、ファルケンは少しだけ声を潜めるようにしていった。
「大昔の……竜の王様だよ」
 その響きは、何となく滅び去ったものの幻を感じさせた。




「狼人は、確かに剣を持ってたな。金属が嫌いだといいながら、何故か武器は剣だ」
 ダルシュは思い出すようにいった。ファルケンもそうだったが、あのシャザーンという奴もそうだった。他の狼人も、金属を避けながらも、剣の形をした武器を好む。
『そうだ。そもそも、狼人というのは魔性の存在でもある。人間とは比べ物にならない力を持ち、己を消して集団戦に持ち込むことが出来れば、この世のあらゆるものよりも強くなれるだろう』
「……だったら、武器なんていらねえじゃないか」
 ダルシュは肩をすくめた。
「何でそんな質問をオレにするんだ?」
『私の意図が読めないうちは、口を挟むな』
 せっかちなダルシュにそういうと、ギレスは話を続けた。
『そうだ、その武器を持つ必要もさほどない狼人が、こと、守りや祓いに使うのが剣。だが、そもそも、剣は狼人が発明したものではない』
「それじゃ、竜か?」
『ふん、我々はそんな脆弱なものに頼る必要などない』
 ギレスは不機嫌な口調になった。同時にダルシュの足元の岩が深くえぐれて飛び散った。ダルシュはとっさに身を引きながら驚く。攻撃を仕掛けてきた気配すらわからなかった。
(み、見えなかった! 何だ?)
 ちらりと目を走らせる。が、ギレスが攻撃してきた様子はない。魔法、というべきものなのか。一瞬、見えざる爪先が、岩を砕いてえぐっていったような感覚だった。やや、恐れるようにして上を振り仰ぐダルシュに、ギレスは強い口調で言った。
『我々、竜は、この世でもっとも気高い生き物なのだ。人間ごときの作った物を使う必要などない』
「な、なるほど……」
 やはり、竜王は竜王。それなりにプライドは高いらしい。ダルシュは一旦、そう認めておいた。
「じゃあ、人間の?」
 といいかけ、ダルシュは、ふといぶかしげに眉をひそめた。
「でも、狼人って人間がいる前からいるんだろ?」
 ギレスがため息をついた気配がした。
『お前達は何も知らないのだな。……狼人というのは、人の似姿でしかないのだ……』
「はっ? ……ちょっと待てよ」
 ダルシュは、きょとんとして手を広げた。人の似姿ということは、人間を模倣して作られたという意味だ。
「あいつらは、昔からいたんだろ? で、辺境を守っていて、俺達がその後……」
『人間がどう伝えたかわからないが、辺境というのは、大昔から存在した。精霊は、自らをまもるために、守護者を置いた。だが、人間が生まれないうちは、それはその大地にいるものを象ったものにすぎない。例えば、われわれ竜がこの世を支配していたとき、守護者も竜の姿をしていたのだ。または、竜の一族から守護者を出したりしてな』
 ダルシュは瞬きした。
「つまり、昔は、狼人なんていなかった?」
『そうだ。あれは、新しい守護者だった。まあ、新しいといっても、貴様らにとっては、記憶もたどれぬ遠い遠い昔のことよ』
 ギレスは、遠い昔を懐かしむように、少し目を細め、再び彼らを見やった。
『我々は、高度な知能を持つ。お前達人間とは違うのだ。……だからこそ、精霊の意を汲み取るのはたやすい。だが、人間は違った。アレは、精霊の範疇から逸脱する生き物だったのだ。だからこそ、精霊は、再び守人を作り直した』
「それで、でも、どうして? それが人間に? どうせなら、あんた達みたいなほうが、強いんだろ? 狼人っていったって、人間の形している以上は……」
『それは精霊は、人と交流する道を選んだからだ』
 ダルシュは、意図が取れずに、小首をかしげた。ギレスは続ける。
『……だからこそ、人間にそっくり狼人と妖精をつくりだした。そもそも、あれらは精霊が生み出すものだ。本来性別などいらぬはずが、どうして男と女をつくったのか、そう疑問に思わなかったのか? ……あれは、人間と混血する可能性を考えて、わざと精霊がそう作ったものだ』
「な、なんで、また?」
『人間はマザーから逸脱する存在。だが、辺境のものはマザーの庇護なくしては生きていけない。人間は精霊の意図などわからない。だからこそ、辺境のものの血を混ぜることによって、邂逅をはかろうとしたのだ。失敗したがな』
 ギレスは、声を低めた。
『大昔、人間との間に深い断絶を起こしてから、狼人も妖精も、人間の魔の手から辺境を守る存在でしかなくなった。人間に似せすぎたこともあり、あれらの中にも憎悪は存在する。人と仲たがいを起こせば、憎しみも疑念も持つ。これは、精霊にとっても誤算だった。奴らにとって辺境と精霊は絶対的存在だ。それを汚されることは、彼らの存在如何に関わる。かつて、人間が何度かそれを侵したことがあった。連中はそれを忘れることが出来ない、たとえ精霊が忘れろといったとしても。……一度感情が発露すれば、精霊の意思とは無関係に暴走してしまう。奴らに深い感情を与えたことは、ある意味では精霊の悲劇的な誤算なのだ』
 ダルシュは、後頭部をかきやった。
「む、難しくてよくわからねえが、要するに、人間と混じって人間を辺境側にひきいれようとして失敗したって事か?」
『簡単にいえばな……。大分横道にそれてしまったが、要するに、その人間の武器を好んで狼人は使っている。それ自体に疑問がわくだろう?』
「まあ、それは……」
 ダルシュは、訊きながら顎をなでやり、何か思い出したように顔をあげた。
「そういわれると、ファルケンの奴も妙な剣を持ってたな。アレは、辺境の細工なのか?」
 あまり見なかったが、刀身まで装飾の多い刀だった。不思議な色を放っていたような気がする
。と、そこまで言ってダルシュは、ああ、と何かに気付いた。
「そういや、狼人は金属と火が苦手なんだったっけ。じゃあ、アレは金属じゃなくて……」
『厳密に言うと……』
 ダルシュの独白にギレスは口を挟む。
『狼人が金属や火を恐れるようになったのはずっと後のことだ。魔幻灯が珍しいのは、大災厄が二度続いた後でも、なお、平気で火を扱えたからに過ぎない』
「じゃあ……」
『しかし、狼人は剣をうまく作れないのだ。なにせ、奴らは、もともとが強い力を持っているからな。それほど破壊力の強い武器を持つ必要などなかった。必要がない、ということは、それだけ技術など発達しないということだ』
 ギレスのいうことにも一理はあるな、とダルシュは何となく納得した。確かに、あの狼人は、そもそもが強いのだから、必要によほど迫られない限り、強い力を持つ必要などなさそうである。いや、仮に必要に迫られたからといって強すぎる武器を持ったら、かえって力に振り回されてしまわないだろうか。
『アレは、大昔、辺境が妖魔の危機にさらされたときに、人間が打つ手がなくなった狼人の依頼を受けて、その協力を得ながら作った剣なのだ』
 ギレスは静かに言った。
『人間が振るうにしては荷が重いが、狼人はそれを作る技術を持たない。……要するに、あれは、かつて人間と辺境がもっとも近しかった頃のなごりのようなものかもしれないな。強い妖魔から、世界を守るために、人間も辺境も、お互いの干渉なくしては立ち向かえないのだ。今は双方とも、それを忘れてしまっているようだが』
 厳かに声が響く。
『剣とはおおよそそのようなもの。人間が作った血塗られた愚かしい武器であるが、時にそれは何かを守るために必要なものになる、ということだ。だが、大きな力を伴うものほど、物事の真実の姿がなんであるか、ちゃんと見極め、自分の分にあった方法を選ばねばならない。そういう意味では、あの狼も貴様も同じだな』
 それは、と言いかけてダルシュは、ふと口を閉ざした。ざわっと、不意に胸騒ぎがしたような気がした。洞窟の外で、何かが騒いでいるような気がした。思わず外に目を向けようとしたダルシュを止めるように、背後から突然突風が吹きつけてくる。ギレスの声が響いた。
『外に気を取られてはならない。……貴様は私の言うことを理解しない限り、この剣を取ることは出来ない』
「で、でも、外に……!」
『外で何かが起こっているのは私にもわかる。だが、剣を取るためには、まず頭で少しでも理解しろ』
「大体理解はした! 要するに、アレなんだろ、正しい使い方をしろってことだろ! だったら、もう始めようぜ!」
 焦ったダルシュが、そうまくし立てるが、ギレスはうなずかない。
『貴様は何もわかっていない!』
「何がだよ?」
『わかっているのなら、この剣がすぐに取れるはず。取れていないということは、理解していないということだ!』
 きっぱりといわれて、ダルシュは、思わずかっとした。今まで随分おとなしく話を聞いていたはずだ。それをちゃんと理解した筈なのに、この言い草は何だろう。ダルシュは反射的に地面を蹴っていた。
「じゃあ! 今すぐ取ってやるよ!」
 黒い竜の影の向こうに剣の光が見えている。それを狙ってわざと回り込む。竜の爪が彼の頭上を掠めていくがかろうじてかわした。そのまま走り抜けて、剣の柄に手を伸ばそうとしたとき、ダルシュは、思わず驚いた顔をした。先ほどまで見えていた剣の柄は、今は影も形もなく消え去っていたのだ。





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©akihiko wataragi