辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2006
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辺境遊戯 第三部 


第二章:竜魔問答−18


 彼がまだ若造だったころ、本当の若造だったころだ。
 彼にも、また師と呼べる人がいた。遠くなりつつある過去の記憶であるが、彼がそれを忘れることはないのだろう。
 今よりももっと辺境が大きな時だった。全て緑に飲まれたような世界を、彼はその師につれられて歩き回ったことがある。
 師である男は、あまりにも不思議な男だった。サライは、いまだに彼のことを理解し切れてもいない。だから、彼と自分とを比べても仕方がないような気がしていた。

 師の名前はガルランドといい、かつて、監視人をしていた男でもある。
 

 あの時、まだギレスが本当にこの世の支配者であった時、そのときに起こった「災厄」にサライは遭遇していた。そして、それに感づいたガルランドとともに、旅をしていた。
 焼け焦げた辺境の森はサライが見ても痛ましいものだった。人の起こした戦いで、森は焼かれてしまっていた。サライは、沈痛な面持ちでそれを眺めやったが、ガルランドは特にそれを表情に出さない。
『やれやれ、……先走った真似を』
 彼はごく冷静な口調でつぶやいた。 
『血の気の有り余り方にも程があるな。あの細目もはて、生きているかどうか。あ、いや、これは死んだな。確実に死んでおる。そういうことにしておこう』
 おや、と、ガルランドは、サライに目を向けた。
『なにやら元気がないのう』
『それは当たり前です。私は……』
 サライは、少し俯いた。
『私とて人間の内にはいるもの。同族がこのような真似をしていると思うと、嘆かわしくてならないのです』
『そうか。……おぬしはまじめな男じゃの』
 にや、と彼は笑う。
『あの死んだ細目男とは言わぬが、もう少し、自分と周りをざっくり切り離したほうが楽なこともあるのだぞ』
『はい……それは、よくわかっておりますが』
 と、サライが言いかけたとき、むこうの方で声がした。数人の男たちを率いてくるのは、黒服の若い男だ。ひでえ目にあった! 何でオレがこんなことにならんといけないんだ! とひときわ大きく聞こえてくる文句に、サライはその人物が誰であるかすぐ特定することができた。
『おおや! 意外だ!』
 大げさにガルランドは声をあげた。文句を言いながら男はこちらを見て、嫌そうな顔をした。それを眺めて師は、嬉しそうに声を上げる。
『ああ、驚いた驚いた。死んだときめておったのに、アレはまだ生き残っておったのか』
ガルランドは陽気に笑った。しかし、サライは知っている。どうせ、彼は本気でそんなことをいったわけではなかったのだ。生きているだろうとわかっているからこそ、わざとあんな言い方をしたのだろう。
『しつこい男じゃのう。まったく、死んでると思ったのに、ああいう俗物ほど長生きするもんじゃの』
 ぽつりと、多分悪気なくガルランドは言って舌を出す。
『とっとと、野垂れ死んだ方が世のためではあるのだが』
『くそジジイィ! てめえ、今なんていったあ!』
 聞きとがめた青年が、あわてて走ってきてそう声を荒げると、ガルランドは、哀れみふかそうな顔になり、手を広げた。
『ああ、若い才能あふれたおぬしが生きていてくれて、私はとても嬉しい! ……大丈夫だったかね?』
『嘘つくなよ! さっき、死ねばいいとかそんな風にいってたじゃねえか!』
 ガルランドは、首を大仰にかしげ、にこりと微笑んだ。
『はて、最近記憶違いが多いものでのう。……いやはや、しかし、世の害虫とはいえ、おぬしのような者は稀有だなとは思っているものだから、ああ、日ごろの気持ちがふらりと口をついて……』
『世の害虫ってどういうことだ?』
 相当ひきつった男の表情を見やりながら、まだ彼はとぼけた表情を偽り、親しげにぽんと肩に手をおいた。
『ははははは、自覚症状があればまだ救いはあるぞ。まあ、どうせ生まれ変わったって治りそうにないがのう』
 その手を払いのけようと男が手を振ったとき、ガルランドは、自然だがすばやくするりとその手をかわして抜けていく。
『いやはや、気の短い男は嫌われるぞ。そんなんだから婚約破棄されるのだな』
 それを聞いた途端、相手の男の顔がざーっと青ざめた。危険な任務についてしまったから、先方からしばらくは……と言われてしまったらしいという噂をサライは思い出す。どうも、その噂は図星だったらしい。
『こここ、婚約破棄じゃねえっ! え、延期されただけだーっ!』
『無期限延期なら望み薄じゃなあ』
 必死な表情をみやりながら、とぼけた表情で、彼は肩をすくめた。
『このクソジジイーッ! いつか見てろよ!』
『ははははは、そのいつかが、いつかだかが楽しみじゃのう……ほほほほほ』
 明るく笑い飛ばしながら、そうっとガルランドは勝ち誇った笑みを見せる。それを見た黒服の男は、明らかに顔をゆがめた。それはそうだ。この師は、他人をからかうのが大好きなのだ。しかも、表向き善人そうな表情を完全に装うことができるので、余計、のぞく本性に気付いたときにものすごく腹が立つのである。本人も自覚があってやっているのだから、多分、一番たちがわるい。



『しかし、アレは結構きつくなるとおもうのだがな』
 向こう側で、彼らがなにやら意見をかわしているのを見ながら、ガルランドはサライにいった。例の黒衣の男は、過疎化の進む小国が期待してすべてをかけた若手でもある。周りに何か伝えながら、彼は今後の対策を練っているようだった。
『なにがでしょうか?』
 サライが顔をあげてそうきくと、師はため息をつく。ガルランドの顔には、引きつった笑みが浮かんでいた。
『――多分、ああいう俗物この上ない者は、何かに関わるととことんまで関わってしまう。関わるということは、それだけいろんなことに入れ込んでしまうということだ。人の世界のことなら、いざ知らず、辺境と関わるのは人間には辛いことだ。俗物であれば、俗物であるほど、辛いものかもしれない……。今度は婚約どうこうでは済まんぞ』
 サライは、そのとき、師の言う意味がわからなかった。
『でも、……もしかしたら、私にとっても、ああいう男がいるのは救いかもしれないがね』
 にやりとして、ガルランドは言った。
『おぬしはああはならないほうが楽だぞ。私のように外から眺めているほうが、楽なのだよ』
 そういう師を見ながら、サライは思ったのだ。
 でも、あなたは、十分に関わってらっしゃるのではないだろうか。と。長い間、結局、何だかんだで手をさしのべてきたのは、彼自身なのだ。それに、ガルランドは気付いているのだろうか。ふと視線をむけたところで、ガルランドの目とあった。サライは気まずそうな顔をしたが、彼のほうは気を止めずにかすかにわらった。自嘲気味に、しかし、少しばつが悪そうに笑う様子をみると、あれだけ人の悪い男であるにも関わらず、何となく憎めない印象がある。
『おぬしの言いたいことはわかっているよ。……私は、あの男ほどではないにしろ、十分俗物だからのう』
 ガルランドは太陽に目を向ける。彼の複雑な出生を示すように、その瞳の色は光を透かすと、人のものとは言いがたい複雑な色を示す。竜の血と人の血と狼人の血を、誰よりも濃く受け継いでしまった彼の姿を、サライはそのときだけ意識した。
『正直、眺めている方になりきれないところがあるのだ……』



 のどやかな昼下がり。サライは、家の外の庭園の木の下で休んでいた。
 そよかにそよぐ木々の葉と、庭園に咲いたバラやチューリップの花が静かに揺れる。青い空の上で穏やかに輝く太陽と、時折、それをさえぎりながら流れていく雲。美しい光景だ。
 サライは、お茶を飲みながらその風景を眺めていた。辺境のほとりであるここは、そもそも土地が肥えている。みずみずしい自然に囲まれながら、サライは、彼がどれだけすごしたかわからない、ゆったりとした時間を味わう。
 だが、その光景がここだけのものであることも、サライはどこかで知っていた。先ほど、空を不吉な影が横切った。恐らく、あれは竜だろう。やはり、一度壊れてしまった均衡の代償は重い。あれ一度ですむはずがなかった。
 そう思いながら、サライは相変わらず、腰をあげることはない。彼にとって、行動することは、役目ではないからだ。ただ、時に、思わず手を加えてしまうこともあるが、眺めているだけでも、サライはそれで十分なのである。少なからず、サライはそう信じてきた。
「お茶にしませんか?」
 ふと、柔らかい声が聞こえ、サライはそちらに目を移す。美しく、どこか儚げな女性が佇んでいるのを見て、彼は安心したように笑いかけた。
「そうだな、リレシア。そうしよう」
 リレシアは、安堵したように微笑むと、相変わらず優しい様子でこちらにカップにいれたお茶を持ってきてくれる。サライは歩いていってやって、そのトレイをかわりにもってやると、リレシアを伴って傍に座った。
 楽園のような庭だ。変わらない日々をすごす彼らの前を、紅茶の香ばしい湯気がふらりと漂っていく。
「変わったはずなのに、何も変わらない気がしますね」
「ああ」
 不意にリレシアに声をかけられ、サライはそうこたえた。
「ずっと、見てきたが、すぐに変わるものでもないのだな」
「はい、そうですね。本当に……」
「あの方だけがいないだけみたいだ」
 サライはふと感傷的に目を細めた。リレシアは静かにええ、と言う。 
「あの方は特別なお方でしたから」
「ガルランドさまは、確かに、特別なお方だった」
 サライはふと、自らの師を思い出す。偉大な人であったはずだが、普段は正体がつかめないような人だった。いや、あれを「ひと」といっていいものかどうかわからない。今の人間の中にも、遠くに辺境や竜の血があるものはいるのだが、それとは違った意味で、あれは様々な血を抱えた複雑な存在だった。
 竜の子孫でありながら、狼人と人間の間に生まれたという彼は、本当に「監視人」に相応しい身分といえたかもしれない。本人もそれに苦しんだことはあるらしいが、サライが出会ったときには、ガルランドはつかみ所のない不思議で陽気で老獪な男へと変わっていて、かつて彼が悩み苦しんだという片鱗は、最後まで感じ取ることができなかった。
『そなたはまじめすぎるのう。……あの欲深い細目男までとはいわないが、もう少しくだけてみるのも一興だとおもうがのう』
 からから笑いながらそういうガルランドは、相変わらず本心が読めなかった。
 あの頃、何も知らず、まじめだったサライは、いまや、彼までとはいえないまでも、相当老獪な男へと変わっていた。しかも、彼ができなかったという、眺めるだけで手を出さない、ということも、多分彼以上にうまくできているだろう。
 今の彼の姿を見れば、ガルランドは、満足するだろうか。それとも、少々残念そうに笑うのだろうか。
「本当に、あの方がいないだけのような気がするよ」
「そうかもしれませんわね」
 リレシアは控えめに笑んでみせた。サライはそれにやわらかく笑い返すと、再び腕を組んだ。
 そうだ。結局、歴史は繰り返しているのかもしれない。なぜなら、いまや渦中にいるかもしれないのは、彼にとっても見知った連中だからである。そう思うたびに、サライは何という偶然だろうと思うのだ。師であるガルランドは、「運命などあるわけもないだろう」といってにやにや笑っていたものだが、サライもそう思う。連中は、多分自分の意思でこの件にかかわり、結局辺境に自ら呪縛されるように集まってきているだけなのだ。そう、あの時も、そして、今も――
 あのレックハルドという砂の大地の名を持つ男、集団から逸脱した自由な獣、そして、竜の王ギレス……。
 少年時代のサライが彼らと関わったということを、知っているのはギレスだけだろうが、そのギレスも今は昔の姿をとうに失っている。
 その関わりについて、彼らが気づくのはいつだろうか。すぐに知るかもしれないし、ずっと来ないかもしれない。サライは、ただ感慨深く思うばかりである。
 しかし、サライにも不安がある。あの方、つまりガルランドがいた大昔、危機は最小限でせき止めることができた。だが、次にやってきた危機、あの古代王国の対決のとき、彼は悲劇を傍観してしまったのだ。眺めるばかりの自分には、あの悲劇を食い止めることはできなかった。それを思い返すと、サライは若干不安になるのである。
 果たして、今回の危機は、大きな犠牲を出さずに済むだろうか。自分は、どうやって動くべきだろうか。いや、やはり、監視人としての役割を守って手を出すべきでないのか。
 ――私のやっている方法は……
 サライは、ふと迷いを瞳に映した。
 ――果たして正しいものだろうか。
「どうなされましたか?」
 リレシアが、怪訝そうに声をかけてきた。サライは首を振り、わずかに微笑む。
「ああ、いいや、なんでもないよ」
 ――全ては、なってみないとわからない。あの時やあの時のように、終わってみなければ。
 サライは、嫌な予感を振り払うように、顔を上げると改めてリレシアに言った。
「それにしても、ギレスが動いたようだな」
「ギレス様はすべてをご存知なのでしょう? 彼らはすべてを知るのではないですか?」
 リレシアが首をかしげて訊いてきた。サライは、その頬に手を伸ばしながら、ふっと微笑んだ。
「さあ、竜という生き物は我々とは、多分関心が違うからな。おそらく、大半のことは記憶のかなたに追いやっているはずだ。あの事実について話すということに、気が回るかどうか」
 いいや、もしかしたら、本当に忘れているかもしれない。
(あれも錆びているからな)
 そんなことをギレスに聞かれたら、さすがの竜王も怒るかもしれないが、とサライは心の中で冷たく考えた。
「それに、たとえなにが起ころうと、監視人は見るのがつとめ。……私は、その役目を守るだけのこと。彼らが全てを知るまでは、私からは何も話さないことにしているのだよ……」
 だが、と、ふとサライは眉をひそめた。あのガルランドならば、どうしただろうか。でも、あの男なら、見ていてつい手を差し出してしまうかもしれない。
 人をもてあそぶということでは、自分以上の筈なのに、ガルランドはついつい手助けもしてしまう人だった。だからこそ、ぎりぎりのところで、あの時危機を脱することができたのかもしれない。
 ――しかし、その彼は今はいない。
(危なっかしくてほうっておけなかったのかもしれないが)
 そう思い出して、サライは思わず苦笑した。そして、リレシアを引き寄せると、ごく自然な動作で彼女を抱きしめた。





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©akihiko wataragi