辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2006
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辺境遊戯 第三部 


第二章:竜魔問答−17


 岩を傷つけた刃物が、金属的な響きを洞窟にかきならす。反響する音は、湿りを帯びてか、どこか神秘的な残響をひきながら、空間に散らばっていく。
「くっ!」
 ダルシュは、舌打ちしながら飛びずさる。炎に直撃されて焼かれるのは、どうにか免れたものの、例の赤い色のマントの端が茶色く変色し、手で触るとばぱりぱりにはがれていきそうだった。鼻先を焦げた匂いがなでていく。煤がついて汚れた頬をぬぐいながら、ダルシュは相手を見上げる。
 暗い洞窟の中、まだ地面に先ほどの残り火が踊る。不気味に薄暗く、それでも赤く輝く暗闇で、大きな影の存在ははっきりとわかった。金色の瞳が、ちろちろと炎がゆれるのにあわせて光って見えた。
「畜生! ファルケンのやつ! 大嘘つきやがってえ!」
 ダルシュは、半分やけになりながら吐き捨てる。それも、でも、仕方のないことだ。ファルケンは、「たいしたことない」などといったくせに、この状況はどうみてもたいしたことがあるのだった。ようやくダルシュは、レックハルドが、あの時、にやりとしていた理由がようやくわかったような気がした。思い返せば、ファルケンのやたら無邪気な笑顔も、こうなることを予想してのものだったような気がして、激しく腹が立つ。
「うおおお、あいつなんて信用するんじゃなかった!」
 後で覚えていろ、と思いながらも、ダルシュは目の前の敵に向き直った。
『振り返っている場合でもなかろうが。……早く取らぬと焼け死ぬぞ?』
「うるせえっ! 言われなくてもわかってら!」
 ダルシュは怒鳴り返すと、チャッと剣を構え直す。金色の瞳が光る。そこに間違いなく敵がいる、筈だ。
「行くぜえっ!」
 ダッと足を踏み出して、ダルシュは竜に飛びかかった。黒い影が目の前で踊る。それに向けて、ダルシュは刀を振り下ろした。いいや、正確には振り下ろしたつもりだった。
 目的の相手の体に当たったはずが、手ごたえがあるどころか、空を切る感覚がふっと彼の手に残る。思い切り振り下ろした剣はすぐにはとめられず、地面に当たって硬い衝撃が腕に響いた。
「うわっ!」
 そのまま、バランスを失って倒れかけたところに、目の前に黒い尻尾が迫ってきた。ダルシュは、あわてて体勢をそのままのけぞらせたが、少し間に合わない。とげのついた尻尾に巻き込まれそうになり、ダルシュは剣を顔の前に立てた。バシーンと重い衝撃が手に加わり、そのままダルシュは後ろに投げ出された。
『油断は禁物だ』
 ギレスの笑い声が響く。ダルシュは、そのまま起き上がって、まだ痺れの残る右手を見た。
 おかしい。確かに相手の体に剣を振り下ろしたはずだった。そのはずなのに、いきなり体がなくなったかのような感覚がした。避けられたわけではない筈だ。どちらかというと、剣が体をすり抜けてしまった感じがした。だというのに、襲ってきたときには、確かに受け流した剣には、竜の硬い鱗の感覚が残ったのである。
「ど、どうなってんだよ!」
 ダルシュは思わず声を上げた。
「てめえ、一体……」
 顔を上げると金色の瞳とぶつかった。凶暴でありながら、どこか静かで理性的な印象の目は、とても思慮深い感じがする。ふっと、竜が笑った気がした。
『そのようなことで驚いているようでは、まだまだ世を知らぬな』
「知らないに決まってるだろ! てめえ、今何をした!」
『私に向かって、そのような言葉遣いとは身の程を知らぬな』
 ギレスは、少し不満そうに言った。
『貴様に力を貸してやろうというのに……』
「その前にぶっ倒せっていったのは、あんただろうがよ!」
 ダルシュの前で、ギレスは低く笑う。
『当然のことだ。……私は、貴様には想像のつかぬほど昔からこの世界を見てきたのだ。その私が力を貸す以上、少なくともそれに相応しい素質は必要だろう』
「高飛車なこといいやがって! 大体、一体なんなんだよ、あんた!」
 ダルシュがそうきつく言ったとき、ふと鋭い風が走った。鋭い黒い爪が、ダルシュの首筋あたりを掠めていく。とっさにかわしたダルシュだが、マントの赤い布が、少し引きちぎられて湿った洞窟に散った。
「な、なにしやがる!」
『無礼者め……』
 ギレスは厳かに言った。
『最低限の礼儀は心得ていると思ったのだが、まったく、人間は私に対する畏敬もすっかり忘れてしまったのだな……。かつては、こうではなかったのだが』
「だって、あんたのことなんてしらねえんだよ!」
『ならば、貴様は本当に何もしらないということだな』
 きっぱりといわれて、ダルシュは返答に困った。だったら、どうしろというのか。情報のないものを理解しようといわれても、できるはずがないのだ。ギレスの言っていることは、すべて無茶なことのような気がしていた。
 キイン、と音がして、近くの地面で岩が割れた。黒い影のような爪が、足元に忍び寄ってきている。割れた岩の欠片が飛んできたのを払って、ダルシュは後退しつつ相手を睨んだ。
 これはまずいことになった。ダルシュでも、そう思うこともある。ギレスの武器は、火炎だけではない。彼は伝説で語られるように鋭い爪も持っていれば、そのとげのついた尻尾を振り回すこともできる。おそらく、牙だって鋭いに決まっているのだ。おまけに、この洞窟の中で、彼は平気でその巨体を振り回すことができるのである。
 彼の体は、ダルシュに対して攻撃するときには、はっきりと実体を持っているのにも関わらず、なぜか、それ以外の時はすうっと霧のように物体をすり抜けてしまうようだった。
 竜には魔力がある。実際、相手はその魔力というのを使っているのだと思う。狼人のファルケンや、占い師のシェイザスほどではないのだが、ダルシュにもそうした「何かを察知する」力は備わっているのだった。だから、ダルシュは、この場を取り囲む不穏な空気のようなものを、うっすらと感じることができる。
(でも、どう対処すればいいかなんてわからねえよ!)
 ダルシュは、静かに歯噛みした。
『ゆっくり考えるがよい……』
 ギレスは、ダルシュの焦りを見越したように静かに言った。
『どう戦えばよいかわからないようであれば、貴様は私が力を貸すほどの器ではないということだ』
「やっかましい!」
 挑発されて、ダルシュは大きく刀を振るった。金属的な響きが返ってきて、半ば剣は弾かれる。黒い爪が彼の一撃を払ったのだ。火花が小さく散ったのが見えた。
(当たってもアレか!)
 ダルシュは、構えなおしながら、内心息を飲んだ。金属的な響きだったが、手ごたえのほうも金属のようだった。まるで、鋼を相手に剣を叩きつけたような感覚である。ファルケンが、ヒュルカで相当苦労していたようだったが、あれも別に不思議なことでなかったのかもしれない。竜の鱗は、そこまでも硬いものなのだ。……いいや、もしかしたら、このギレスは、特別なのかもしれない。先ほどから不可解なことが多すぎる。
『恐れるな……。恐れた者から死ぬのだ。時に逆もあるが――』
 再び、まるで彼の心を読んだようなギレスの穏やかな声が降ってきた。ダルシュは今度は答えずに、だまって前の黒い影を観察する。
 何か、この竜にも弱点があるはずだ。それを探せば、きっと勝つことができる。逃げることはおそらく適わないだろう。最初にギレスが「剣をとらない限り、脱出できない」といったはずだ。それに大体、ダルシュはそんなことをあまり考えられない性格でもある。
 じっと隙をうかがうようなダルシュの様子を見ながら、ギレスは、にやりとしたような気がした。
『まあ、でも、わからぬものは仕方がないか。遠い昔のことだ。今は誰も覚えておらぬのかもしれぬ』
 くっくっと、笑い声が漏れてきた。低く厳かな竜王の声は、戦いの最中にしては穏やかなままだ。『無い知識についてたずねるのは、少々酷であるというもの』
 ギレスは思い直したのかそうつぶやいた。
『よかろう。多少は世の理を教えてやるとするか』
「何だと?」
 ダルシュは思わぬことに、少し眉をひそめた。炎はまだ後ろのほうで小さく燃えていた。それに照らされたギレスの影がふらりと揺らぐ。ダルシュは、目を見開いて思わず横に飛んだ。黒い爪がこちらにざっと伸びてきたのだ。
「うおっ!」
 引っ掛けられたマントがちぎれ、ダルシュはきっと相手を睨むが、ギレスは、知らぬ顔のようだった。黒い影が揺らぐところを見ると、隙をみてまた襲い掛かってくるつもりだ。
「な、何しやがる! 卑怯だぞ!」
『話をするといっても、矛を収めるとはいってはいない。話をするならこのままだ』
「なんだあ! 都合で話進めやがって!」
 怒るダルシュにかまわず、ギレスは目を細めた。金色の光がわずかに狭まる。
『まず、貴様……。狼人が何故剣を持つのか知っているか?』
 水滴の音と、入り口から吹き込む風で炎の震える音が、なぜかひどく耳障りだった。暗黒の闇の中、ダルシュは、金色の瞳と対峙したまま、思わず今の質問に聞き入った。





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©akihiko wataragi