辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2006
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辺境遊戯 第三部 


第二章:竜魔問答−16



 スティルフの大歴史書に書かれているハールシャーのことは、案外抜けている部分が多い。
 伝説で伝えられる彼が活躍した期間と、スティルフで彼が死んだとされる期間にはわずかなずれがある。というのも、伝説には、彼が死んだ後成立した筈の国にハールシャーが、特使として訪れた旨がはっきりと示されていることがあるのである。
 レックハルド=ハールシャーについての伝承は多岐にわたる。彼を邪神として見やるものがあり、希にではあるが、彼を小生意気で癖の強い男とするものもある。その死に様もさまざまで、伝えられる内容によっても、彼の死の時期には全てにずれがあるのだ。
 一般的に伝えられるハールシャーのイメージを濃厚にうつしとったのは、いわゆるギレヴァの辺境経文と言われる怪文書に見ることが出来る。
 しかし、かの怪文書でのハールシャーの最期は、他の資料とは異なる点が多々あり、おまけに、当時の国際関係などがつぶさに描かれている事で多いに差異があると言える。
 伝説では、英雄であるザナファルとカルナマクに殺害され、そしてスティルフの歴史書においては、狂乱のあげくに谷に身を投じるハールシャーだが、ギレヴァの経文の彼の姿はどれでもなく、複数あるのである。
 ギレヴァの経文での、ハールシャーの立場は二つある。一つは、さる同盟の代表として盟主をつとめていたというもの、そして二番目は人心を惑わし、ギルファレスを戦争に駆り立てた張本人だというもの。
 片やで竜を煽り、街を破壊させたという記事を載せながら、ギレヴァの経文は、ギルファレスを倒すための同盟締結にハールシャーが忙しく移動していた様子を告げる。
 ギレヴァの経文での彼の行動は、矛盾に満ちすぎており、まるで彼が二人いるようだというものもいる。実際、彼が二人いたのかどうかを示すものはない。彼の心変わりを疑うものもいる。だが、心変わりするなら元よりする男の筈で、ならばなぜ同盟の旗手などやっても仕方のない無駄なことを勤めたのかわからない。
 邪神としてのハールシャーは、最後、彼と政略結婚したとされる女神メアリーズシェイルによって「調伏」されて終わる。だが、それにしても、よくわからないことだらけだ。


 どの書物が真実を告げているかは定かでない。いいや、本当の真実など、もしかしたらわかるはずもないのかもしれない。
 ただ、その正体は、文字の端、口承の欠片から微かに感じ取ることぐらいはできるだろう。


 太陽の光は、ゆるやかに緑の草花に降り注ぐ。まさにうららかな、という表現がぴったりの中庭は、なかなか広くて遠くの花畑が綺麗に見えた。
 ふと、黒髪の女が、顔をついとあげて、そして首を傾げた。 
「何かしらねえ。今、誰かがわたしの悪口を言ったような気がしたけれど……」
 かちゃり、とチャイグラスをおきながら、シェイザスはぽつりといった。
「まあ、大方空耳でしょうねえ」
「まあ、きっとそうですよね」
 などと大変にのんきに同調するのは、マリスだった。それをきいて、びくりとしているのは、その隣に、ほとんどマリスに捕まる形で座っているロゥレンだ。
(今、今、絶対、恐いことを言ったわよ! この女!)
 シェイザスは、優雅に微笑んでいる。
 男共が辺境でそれぞれ苦難の道を歩んでいるとき、彼女達は、マリスの実家でくつろぎながらお茶をしていた。 
 かすかに薔薇の香りが漂っている。薔薇の花びらが浮いた飲み物は、少なくともロゥレンは辺境ではあまり飲んだことがなかった。小麦粉と卵で作ったクッキーのようなお菓子に、蜂蜜がたっぷりとかかっているのは、とろけるように甘い。
 ロゥレンにとっては、マリスのもたらす外界のものは、すべて珍しくて興味深いのだが、さすがにここでへらへらしているわけにはいかない。ロゥレンは、あえて不機嫌な顔をつくりながら、それでも、甘い菓子と不思議な芳香には頬をゆるめてしまうのだった。
 が、それを差し引いても、このシェイザスという女の先程の一言は、ロゥレンを本物の緊張にひっぱり込むほどの力があった。
「ほほほ、それにしても妖精さんはかわいらしいわねえ」
 シェイザスはそういって、ちらりとロゥレンを見る。ロゥレンは、思わずぎくりとした。
(何、この女……)
 ロゥレンは顔を引きつらせた。
(なんだか知らないけど、この女絶対普通じゃない。そうだってのに、なに、にこにこ笑ってるのよ、このボケ娘は!)
 人間にそもそも警戒しているロゥレンだが、何となくこの女は違う。何と言えばいいのか、わからないが、人間には絶対的に無いはずの魔力的な力を感じることがあるのだ。
「まあ、ロゥレンちゃん、どうしたの?」
 どうしたもこうしたもないでしょうが、と思いつつ、ロゥレンは、ほおづえをついて、マリスを見上げる。相変わらず、マリスは、巻き毛の髪の毛を半分風に遊ばせて、のんきに微笑んでいた。本当に、危機感という言葉とは無縁だ。
(何かんがえてんのか、全然わかんないわ)
 人間というものは、本当によくわからない。そんなことをいいながら、ロゥレンは、ふと自分はどうしてここに座っているのだろうと考える。正直、人間などと関わりたくもないのに、どうしてこの恐い女とにこにこ笑ってばかりのわからない女に囲まれて、人間の世界の飲み物を飲んでいるのだろう。
 そう思ったとき、ロゥレンは、少しだけ、辺境が好きとはいいながら、外の世界に並ならぬ憧れの視線を注ぐファルケンの気持ちがわかるような気がした。
(でも、しばらく、アイツのことは絶対に許さないから!)
 あの時のファルケンの態度といきさつを思い出すと、とりあえず、まだ許すのは早いと思ってしまうロゥレンだった。
「それにしても、ファルケンさんは何を探しにいったんでしょうか?」
 マリスが不意にそんなことをきくと、シェイザスはため息混じりにいった。
「さあ、男っていうのは、冒険が好きな生き物なのよ。食われでもしなければ、帰ってくるでしょう」
「そうですね」
「食われでもって、あそこ危ない動物一杯いるわよ……」
「大丈夫大丈夫」
 シェイザスは、きらりと瞳を閃かせる。
「それで食われるようなら、一人前の男とは言い難いものね。いつもでかい口叩いてるんだから、この辺でその証拠を見せてもらいたいものよ」
 ほほほ、と笑いながらシェイザスは言い放つ。
(鬼だわ。この女、あたし以上に鬼だわ……!)
 戦慄を覚えたロゥレンは、せめてマリスに同意を求めようと横を向く。ところが、マリスといえば、相変わらず微笑みをうかべたままだ。
「まあ、シェイザスさんの考え方、とてもかっこいいですね!」
(ちょっと、あんたも何となく同意してるんじゃないわよ!)
 わかっていっているのか、それとも一切わかってもいないのか、マリスはにこにこしながらそんなことをいっている。さすがのロゥレンも、ほんのちょっとだが辺境に行った三人組が哀れになってきた。これでは、本当に何かに食われてしまったらきっと浮かばれない。
「あら、それ、メアリーズシェイル神殿のお守りかしら」
 いきなり、シェイザスが、ロゥレンの胸元を指さす。ロゥレンは、はっとして首から提げていた首飾りを握った。メアリーズシェイルとかそういう名前だったのかは忘れたが、マリスがお守りだとは言っていた。 
「え、ええと、確か、そうだったような……」
「はい、そうです。メアリーズ神殿のお守りだわ」
 ふと、マリスが勝手に説明する。
「あたしが、ロゥレンちゃんの分も買ってきたの。あ、実は、シェイザスさんにも買ってきてあるんですよ。あとで、お部屋からもってきますね」
 にっこりとマリスは笑っていった。
「まあ、ありがとう」
 ゲンキンなシェイザスは、ものをもらえるとわかると、ちょっとだけ機嫌がよくなる。
「これで三人ともおそろいね。よかったわね、ロゥレンちゃん」
「なんで、あたしに同意を求めるわけ!」
 ロゥレンはそう噛みついてみるが、マリスはどう考えてもマリスであって、ロゥレンがどれだけ言ってもするりとすり抜けてしまう。一人で喧嘩を売っていても滑稽なので、ロゥレンは、腕組みしながら黙り込んだ。
「そうはいっても、メアリーズシェイルという神様は、我々女性にとってはとっても御利益のある神様なのよ」
 シェイザスがふとそう言った。
「大昔にメソリアという国があったそうなんだけれど、そこの女将軍だったと伝えられているわ。……とはいえ、途中から色んな女傑が混じっちゃって、本来の性格がどういう人だったのか、もうわからなくなっているというわよ。別の話ではどこかの女王だったとか、実は辺境出身だったとかいわれているそうだし」
「さすが、シェイザスさんは詳しいですね!」
「まあ、それは私はある意味ではそれを記憶して伝えるのが本職だもの」
 シェイザスは、くすりと笑って、お茶を一口飲む。
「もしかしたら、ギレヴァの経文というのに載っているメアリーズシェイルが、本物に近いのかもしれないけれど」
「ギレヴァ経文?」
 意味ありげにいったシェイザスの言葉にマリスは、小首を傾げた。
「ええ、ギレヴァの辺境経文という書物。一説には、元々辺境に伝わっていたともいうわよ……。辺境とここの大昔の話をかいたもの。メアリーズシェイルと、あの細目の商人と同じ名前のハールシャーという男が、政略結婚したという風に伝えていたりして、よく伝えられている歴史書と被る記述もあるんだれど。内容が途中から無茶苦茶になるから、あまり信頼されていないわね」
 シェイザスはそういいながら、不意に「ハールシャー」と心の中で反芻した。
 シェイザスは、元より勘の鋭い娘だった。そんな彼女でも、この世のことわりや成り立ちなどはわからない。この世界に転生というものがあるのかどうかも正直よくわからないのだ。
 以前、密かに彼女に情報収集を頼んでいるサライ=マキシーンにあったとき、彼女は「前世」という言葉を使ったのだが、それについて、彼女が何か確信した、ということはない。
 だが、サライは何かを知っている。あの男は、以前、ディルハートの宰相をしていたといったが、本当はそれ以前からこの世に生きていた筈だ。
 あの口振りからすると、サライは間違いなく「ハールシャー」という名の男に会っているし、「レックハルド」自身についても知っているのだ。いいや、それだけではない。サライはシェイザスに会ったときも、何となく知っている人間に会うかのような目をした。彼は明らかに、古代といわれるあの時、その時のことを知っている。そして、レックハルドも自分も、多分、何か関わっていたのかもしれない。それが、前世と呼ばれるものかどうかは別として――。
 シェイザスは人よりも勘の鋭い娘である。それをよりどころにして、占い師などやっているのだが、そんな彼女でも前世の記憶を辿るなどというような器用なことはできない。ただ、何となくイメージを浮かべることだけはできるような気がした。 
 レックハルド=ハールシャーというのは、確かに黒い服をきた男。策略深くて冷酷な癖に、時々子供っぽくもあり、柄にあわない情に思わず流されてしまうような男。
 イメージを辿っていくと、なぜかギレヴァの経文のように、ハールシャーのイメージは、二つに分かれてしまう。
 一つは、狡猾な癖に少しだけ寂しそうな男で、もう一つは冷酷な邪神のイメージ。果たして、どちらのハールシャーが、彼女がハールシャーとして認識していたハールシャーなのかわからない。
 そういえば、と、シェイザスはふと何かを思い出した。
 そういえば、ハールシャーと呼ばれる男の側には、常に女性がいた。それは確かなことである。
 それが、どういう女性かはちょっと思い出せない。ただ、女性がいたのは、寂しそうなレックハルド=ハールシャーのそばではなかったような気がするのだ。そして、それは言われていた彼の妻、ではなかったような気がしたのだ。
 そう思い出したとき、シェイザスの脳裏に、不思議な映像がふと浮かんだ。

 
 遠くで、笑う声が聞こえる。

 赤い炎がゆらゆらと揺れる中、黒い影が黙って佇んでいる。
 笑い声は男の声ではない。甲高い女の声だと思った。その声の主のことを、多分シェイザスは知っているのだが、すぐにそれを思い出すことは出来なかった。
 くすくすと笑いながら佇む女は、戦支度をしていた。鎧を着込んだまま、笑う女の剣の光が炎に映える。
『残念だわ』
 ぽつりとその声が呟いた。
『……私たちの手にかかっては、こうももろいものだったなんて……』
 くすくすくすと笑いながら、女はこちらを向いたような気がした。その背後には、黒い服の男が立っている。右手の指に金の指輪が嵌っているのが見えた。
 あれは、宰相の印でもあるのだ。彼の出す公式文書には、かならずその印が使われるのである。金色の指輪には、一つルビーのような異様に赤い石が、きらりと炎に光る。
 黒い衣装にくるまれた長身痩躯。鋭い瞳に炎の色が映って異様な感じがする。その男は、薄ら笑いをうかべていた。他の顔ははっきりしないのに、その男が「だれ」であるか、シェイザスはすぐにわかった。
 が、彼女がさらにその確信を深めようとしたとき、男の前に女が進み出てきてその姿を隠してしまう。
『あなたも』
 炎の熱だろうか。視界がゆらゆらゆれていた。男が低く笑う中、女が声をかけてきたのだ。女はにこりと純真そうに微笑むと、突然、ゆっくりと静かに続けた。
『私たちの邪魔はしないでしょう?』
 女のほほえみが、何故かとても邪悪に歪んだのに、シェイザスははっきりと既視感を覚えた。


「シェイザスさん?」
 声をかけられ、シェイザスはハッと我に返る。マリスの声が続けて追ってきた。
「どうかしたんですか? なにかボーっとして……」
「あ、いいえ……」
 シェイザスはそういって微笑しようとして、目をわずかに見開いた。
 目の前は火の海だ。
 赤い巻き毛の髪の毛が、炎にはえて更に異様な赤みを帯びていた。武装姿の彼女は、静かに髪の毛を熱風に遊ばせていた。そして、その背後には人ならぬ美しい妖精らしき何かが見えた。その背中に負っている六枚の羽は、それぞれ炎の色を映して異様な色を帯びている。
「………!!」
 バッと立ち上がったシェイザスに、マリスは小首を傾げた。隣で、ロゥレンも不思議そうに彼女を見やっている。
「どうしたの?」
「え、いいえ」
 シェイザスは、思わず苦笑してやり過ごす。一瞬のことだ。目の前に広がっていたと思っていた炎など、どこにもない。優しい緑に彩られた庭園がひろがるばかりである。
 今のは幻だったのか、それとも一体――
「本当に、なんでもないのよ」
 考えながら、シェイザスは呟いてその場に座った。ため息をついて心をおちつけ、お茶をふくむ。シェイザスは、頭を冷やしながら、もう一度、あの映像を思い出し始めていた。
 





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©akihiko wataragi