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辺境遊戯 第三部
「いいぜ、何なりときけよ」 ギレスは、黄金の目を閃かせて、男を睨むようにして訊いた。 『狼を一匹飼っているだろう?』 「何を? オレはそういう物騒な生き物は飼わない主義ですよ」 すっとぼける男だが、それはギレスには通じない。 『貴様は、すでに異変に気づいている。隠しても無駄だ。辺境を追いだされた乱暴な狼を、一匹、貴様は餌をちらつかせて抱き込んだはず……』 「噂で聞いたならそうだというしかねえなあ」 腕組みをしながら、男はため息を軽くついて、投げやりにいった。 「そんな取って食うような目をしなさんなよ。ああ、そういえば、一匹、情報を掴むために野犬と取引したよ。だが、あいつは、オレの言うとおりに動くなんて殊勝な奴じゃねえぞ」 男は、にんまりと微笑む狼人の男を思いだした。手入れされずに伸び放題伸びた髪の毛と、野性的な大きな目に、気の短そうな表情。あれは、手名付けられるような生き物ではない。せいぜい、情報の一端を聞き出すのが精一杯で、それ以上利用などできるようではない。 『だが、情報を貴様は集めている。何故だ?』 「何故って……。気になるからだろ? これから何か起こるかもしれねえっていう予感がするんだよ。ただの勘だ」 男はそう答えたが、ギレスの周囲に少し不穏な空気が漂った。 『勘? しかし、それをつかって何をする気だ?』 「何を? オレはただ知りたいだけだぜ。もし、それで何か悪いことがおこるっていうなら、対処するのも仕事だしな」 それが真実かどうかは、彼の口から出た言葉だけではまだわからない。ギレスは、静かに彼を見据えた。 『貴様、何を望む……』 ギレスの声が妙に重く響いた。 『世界が欲しいのか?』 男は軽く笑った。 「まさか、オレはそこまで大それた事は考えないぜ。オレは、自分の限界っていうのを知っているんだ。大体、国一つの運命をこの手に握れるようになっただけで、十分だよ。それ以上大きなものを抱え込んだって、オレじゃあつぶされるのが関の山だ」 男は、顎に手をやりながらギレスの方を見上げた。 「あんた達は考えないだろうが、人間には限界ってのがあるんだ。自分の分をわきまえねえと、後で痛い目を見るのも自分なのさ。……まあ、分をわきまえすぎたらしたいこともできねえんだろうがな」 なるほど、とギレスは頷いた。男が二枚舌を使うだろう人間なのは、もとよりわかっているが、今のは嘘でもないらしい。 『ならば貴様を信じ、一つだけきっかけを与えてやろう』 「きっかけだ?」 少し興味が湧いたのか、今までぐったりとしていた男は、顔をあげた。 「何のきっかけだ?」 『貴様が不安がっているであろう、異変についてのヒントだ』 「ほう」 明らかに男は興味を示したらしい。姿勢をやや正し、今までは多少ひいていた背を前のめりにした。 「あのジジイもオレには教えてくれなかったのに、あんたが教えてくれるのか?」 『ふん、私は奴ほど屈折しているわけではないぞ。貴様が危険でないとわかったならば、隠す理由もない。本来、これは多くの人間が知っている方がよいのだが、それを利用しようというものもいるから、私はお前を調べたのだ』 ギレスは目を伏せ、緊張を解く。それが相手にも伝わったのか、男はほっと息をついたようだった。 『貴様が心配している黒い影のことだ』 「あれの正体は、少しだけその野良犬にきいてるぜ。何かよくわからねえが、人間の悪い感情なんかの塊とか訊いたぞ。まあ、早い話、悪霊みたいなもんなんだろ?」 『貴様にもわかりやすくいうとそういうことだ』 ギレスは、ふと視線を男から逸らし、天井の方を見た。 『そもそも、アレは、人の精神の弱みにつけこむ。人間の精神が堕落する時期というのをお前は何だと考える』 「さあ、……少なくとも、オレのような人間がはびこっている限り、常に堕落していると考えてもいいんじゃないのかい?」 『それは面白い答えだ。が、それほど卑下することもあるまい』 男は瞬きして、ギレスの方を見た。ギレスはもう一度訊いた。 『人の精神がもっとも疲弊し、荒廃するのはいつだ?』 「疲弊、荒廃……。つまり、荒れやすい時期ってことだよな?」 少し考えて、男はわかったのかギレスの方を見た。 「考えられるのは、戦乱のどん底と、栄光の最盛期だな。戦が続けば、他人なんて信じる気にもならねえし、それに何となく投げやりになっちまうだろうし、逆に栄えていればおごりから人間ってやつは傲慢になったりするだろう? それのことかい?」 『大体、それで正解だ』 ギレスはうなずいたようだった。 『過去も、そうやって奴等は時期に応じて、人の心につけ込んできた。以前、こうした異変が起こったのは、戦乱の真っ最中だったという』 「今は、確かに栄光の最盛期だな?」 男は何かに気づいたのか、やや険しい表情になっていた。 『奴等は、その時期を交互にねらってやってくるのだ』 「交互? ……つまり、あんたは、今がその時だっていうのかい?」 男は目を閃かせた。緊張をわずかに秘めた光を宿らせた目は、確かに普通の人間と少し違うようだ。金と権力にまみれて生活しているという彼には、もったいないような清廉な光がその目にはある。 『貴様がそれを止める手助けをするというなら、私はお前に協力してもいい』 ギレスがそういうと、男は、少し考えた後、ふっと笑って肩をすくめた。 「それは、逆だろう?」 垂れ下がった前髪をかきわけつつ、男はにんまりと笑った。 「あんたが、オレを協力させるんだろう? 違うか?」 『……ふふふ、そういった方が正しいな』 ギレスは、その応酬に満足したのか、低い笑みを漏らした。そして、顔を上げると、朗らかに微笑んだようだ。とはいえ、男には、竜の笑顔を見極める術は知らないので、そう思っただけだが。 『人間にしては、面白い奴よ。気に入ったぞ。あの監視人が、気に入っているだけはある』 「あのジジイに気に入られてる筈はないぜ。いつでも、オレを崖から突き落とすだの、辺境狼に食われてしまえばいいだの。あのジジイ、へらへら笑いながら無茶ばかりいいやがる」 男は忌々しそうに言いながら、軽く肩をすくめた。ギレスは苦笑いをしたようだ。 『まあそういうな。ガルランドと言う男は、そもそもの愛情表現が歪んでいるのだ。気に入る奴ほどに、悪態をつきたがる。ああやって不穏なことをいうということは、貴様のことはそれなりに気に入っているのだろう』 「へえ〜、オレはいつかあのジジイに後ろから突き飛ばされそうで恐いがね」 男は、信じられなさそうな顔つきでそう呟いた。ギレスは、そうかもしれんな、と言うと、改めて男に訊いた。 『カラルをあだ名に持つと監視人は言っていたな。だが、本当の名は何という』 「オレの名前なんて、訊いても役にたたないだろうが……」 男はにやりとすると、口を開いた。
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