辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
一覧 戻る 次へ

  
 


辺境遊戯 第三部 


第二章:竜魔問答−1

かつて人の王と使いは、ここを訪れた。
 それは、人が太古と呼ぶほどの昔のことで、まだ、竜の王がここを支配していた頃のことである。
 ギレスが、まだ肉体を持ち、そして黒い竜として君臨していた頃。人は、素晴らしい技術を持ち、狼人と妖精と人は、まだ道を分かってもいなかった。
 人の王は、かつて即位や祝祭があるごとに、彼に挨拶をすることが通例になっていたが、それでも、ここのところは大国の王の使いは途絶えていた。ただ、ミィンのように小さな都市国家にとっては、未だにそれは残っている風習でもある。ミィンに新たな女王がたったという噂を聞いた。それに関して使者が数人訪れていたが、彼らが最後に宰相がこちらに出向いて挨拶をすると、あらかじめ伝えていた。
 彼らによると、宰相というのは若いのだが、恐ろしい男だという。何が恐ろしいかを彼らは語らなかったが、とりあえず、取っつきにくい男なのだろうと思っていた。
 彼らが去ってすでに一月経っていた。そして、その日、件の宰相とやらは、彼の顔見知りに連れられてやってきた。


 冷たい岩屋戸にしずくがしたたり落ちていた。そのリズムは、ほとんど狂うことはない。いつもの音としてそれをきいていたギレスは、ふと物音をききつけて目を開けた。
「おおや、起こしてしまったかな? まあ、どうせ私が起こす気だったんだからちょうどいいのだが」
 やたら明るくいう男は、見かけは少なくとも老人で、一応人間の方が強そうな血筋の持ち主だろうと予測がついた。
 隠者風の男は、「監視人」だ。現在、彼が即位してから監視人をやっているのは、ガルランドという名前の男である。「監視人」の存在を知るものは、今は人間の中には少ないという。そもそも、監視人が人間の血をうけていなければ選ばれないことも、彼らは今は知らないのかもしれない。この男も、ガルランドは人の形をとってはいるが、彼の中には竜と辺境の血がそれぞれ少しずつ流れているらしいことを、ギレスは知っている。
 ギレスは、ふと目を瞬かせた。それは、監視人が珍しく人間を従えているからだ。従えている人間は二人、どちらも若い。年上の男は、痩せた長身に漆黒のマントを羽織っている。細い目には鋭い光が宿っていて、何となく不敵さの漂う顔つきではあった。もう一人は、金色の髪をしているところから見ても、恐らくその男とは民族が違いそうである。先程の男よりも、まだ若い。むしろ、幼いといってもよいのかもしれない。大人しそうな顔に、理知的な光をたたえた瞳をしていた。
 野心の輝くようなぎらつく瞳の男と、理性的で静かな少年を連れているのは、ある意味ではその監視人にぴったりのような気がした。なぜなら、ギレスの知っている限りでも、その監視人は、その二人を足して程良く割ったようなところがあるのだ。
「ははは、寝起きは機嫌が悪いかな? 蛇の王」
 ガルランドは、にこにこと陽気に微笑んでいるが、この男の外見はその心情と必ずしも一致しない。彼は人間が「狸ジジイ」などと呼ぶ種類の男だから、もちろん、嘘もつくし、とんでもなく物騒なこともやりかねない。俗に言う腹の黒い男なのだ。
『ほう、監視人ガルランド、それが新たな弟子か?』
 きかれて老人は、肩をすくめてからから笑った。
「いや、この男は、少々どころかかなり俗っぽいし、何をやるやらわからんとんでもない男だ。仮にも、こういう男を弟子として連れ歩くわけにはいかんな。もし、連れ歩いたら私の名折れになるしな」
 彼は妙に笑いながら、からっと答える。
「むしろ、できるなら、そっと始末したほうが安全だと思うぞ。こやつは弱いから、お主が部下にやらせればかぎ爪一発で暗殺できるぞ。どうせ、周りにも良く思われていないし、始末したところで誰もきづかんだろうて」
「ヘッ、言ってくれるな爺さん」
 黒い服をきた男は、にんまりと笑い返す。こうした応酬にはなれているのか、別段腹を立てた様子はない。ガルランドは、近くにいた青年というより、まだ少年といったほうがいいもう一人を指し示す。
「弟子は、こちらの青年の方だ。名はサライ。そこの口の悪い男とは違って、まあ、見所はある」
「マキシーンの坊ちゃんが、まさか、あんたみてえなクソジジイの弟子になるとは思わなかったぜ」
 割ってはいってきた口の悪い男が、にんまりと笑う。
「一応親切心で忠告しといてやるが、そのジジイに関わるとろくな大人にならねえぞ。今なら取り返しがつくんだから、離れたらどうだ」
「ほほほほ、それは貴様に関わっても同じじゃのう」
 ガルランドは笑い飛ばし、ふとギレスの方を見た。
「ああ、そうそう。その若造はこれでもミィンの宰相だ。言葉遣いどころか、存在自体が無礼な男だが、まあ、そなたも腹が立ったからといって噛み殺さぬように。いや、私もできるなら、崖からふらっとつき落としてもいいのだが、万に一つでも見つかって、外交問題を引き起こすと厄介だろう? それはお主も同じだったと思うのでな」
 ガルランドは、とんでもないことをいいながら、その存在自体が無礼な男を、前に進めた。
「別に私がいうこともあるまいが、ギレスには敬語をつかうことはないぞ。アレは人の心を読みよるからな〜。お主がどう飾ろうと無駄な事よ」
「はっ、じゃあ、あんたの真っ黒い心底も覗かれてるってわけだよなあ?」
「ふふふ、面白いことをいうのう。だが残念。生憎と、黒(カラル)は貴様のあだ名であって、私のあだ名でないからな。お主をさしおいて、そういう風には名乗れぬなあ」
 そういうと、男は肩をすくめて舌打ちする。それを気持ちよさそうに眺めると、ガルランドは、それでは、といった。サライという少年に合図をして、そのまま後ろに下がる。また、あとで会いに来るのだろう。目的は言わなかったが、おそらく、今回は、このミィンの宰相を案内してきたのに違いない。
 ギレスは、一人とりのこされた男に目をやった。ギレスがわずかに顔をあげると、そのたびに奥の方の空中で炎が灯り、暗い中で男の顔をてらす。暗い中でも顔は見えていたが、こうして光の元にさらされるのをみても、やはり男はその要職の割には若い。
『女王の使い……か。用向きはわかっている。即位の挨拶であろう』
「そこまでわかっているなら、話ははやいですな」
『そうか、それにしては、若いな……。まあよい、貴様には特別にききたいこともあるからな。座れ』
 そういわれ、男は黙ってその場にあぐらをかいて座った。炎に黒光りする鱗は、暗い中でも竜の姿をはっきりと映している。先程まではほとんど見えなかったその輪郭は、男が思っていたよりも巨大だった。闇の中で光る瞳が、男をじっと観察しているようだった。やがて、竜は嘆息をついた。
『なるほど。あの国は人が少ない。……賢人だったあの王は、貴様を娘の参謀につけた。つまり、貴様しか適任者がいなかったともいう』
 低い声は、少し普通の声とは違うように聞こえる。それがどういう原理で響いているのか、男にはわからない。あの竜が直接人の言葉を発しているのか、それとも、魔法のようなものを使っているのか。どちらにしろ、男には大して差のないことだ。
「……適任者がいないとは、あんまりな言い方じゃないか」
 さすがにむっとしたのか、男は口を尖らせる。竜の不思議な笑い声が微かに響いた。
『別に貴様をおとしめたわけではない。あの国には老人が多いが、あの王は、彼らではこの局面を乗り切れないことを知っていた。つまり、若さが必要だということを知っていたのだろう。……若さと、そして年齢にあわぬ狡知がな』
「そいつあ、随分なお褒めのお言葉で」
 男は、わずかに湿った地面に平気であぐらをかいて、その上に肘をついて頬を乗せていた。文句一つ言わずに湿った地面に座ったのは、一応礼儀を見せたのだろう。不満そうな彼に気を止めず、ギレスは続けた。
『貴様は一見傲慢だが、見た目ほど性根は悪くない。人の意見もきくし、賢者の意見をきく謙虚さを持ち合わせている。だから、かの王はあえて貴様を要職につけたのだろう』
 男は黙っている。その静かで落ち着いた様子を眺めていたギレスが、暗闇の中で少しうごめいた。金色に光る瞳と、炎にてらされて時折光る牙が、理知的で高尚な動物の、しかし危険な側面を映し出していた。
『ほう、この前来た貴様の部下達は、貴様が怯えることはない恐ろしい男だなどと、いっていたが、ソレは嘘だな。いや、貴様に騙されているのだ』
 いきなりギレスがそういったので、男はほおづえをやめて、そっと竜を見上げる。
『貴様は別に恐がらないのではない。現に、貴様は私の姿を見たときに、おびえを感じていただろう。おそらく、今も、不安を感じてはいるはずだ』
 だが、とギレスは目を開く。は虫類の瞳に浮かぶのは、深い思索の色だ。さすがの男も、そんな蛇やトカゲのようなその瞳に、それほどの深い知力を見いだすことがあるとは、今まで予想だにしなかった。
『ただ、おびえを顔に出さないだけだ。……それは、貴様がそれが最も安全だと確信しているからだ。違うかな? 恐怖を顔に出すということは、自分の弱みをさらけだすことでもある。策として使うなら別だが、涼しい顔をしていれば乗り切れる局面もあろうということを、貴様は良く知っているからだ』
「それが心を読むってやつかい?」
 男がききかえしたが、ギレスは答えない。やれやれとため息をつきながら、男はくすりと笑い声を漏らした。
「やれやれ……竜っていうのは、みんな、あんたほどに問答好きなのかい?」
『ふふ、貴様ら人間ほどではないな』
 ふと、ギレスは頭をもたげた。そして、男の前に顔を覗かせる。黒い鱗に覆われたいかつい顔の向こうで、金色の目が光っていた。
『貴様にはいくつかききたいことがある。いや、女王の用件ではない』
「なんだ? ……あんたは心が読めると言った。オレにいちいちきくことじゃねえだろう?」
『そうはいかん。分かるとはいえ、それは推測でしかないからな。貴様自身に確かめねばならないのだ』





一覧 戻る 次へ

このページにしおりを挟む 背景:NOION様からお借りしました。
©akihiko wataragi