辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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辺境遊戯 第三部 

 第一章:闇夜の竜王-29

 辺境の森の奥まで逃げ延びた司祭、アヴィトは、ふらふらとそこを歩いていた。斬られた傷は、重傷ではあるが、致命傷には至っていない。ただ、その姿がどこか崩れたものにみえるのは、彼の背後になにかもやのようなものが見えるからかもしれない。
『おのれ、あ、あ、あの……たかが兵隊階級の……』
 崩れながらアヴィトはそう吐き捨てる。いや、正確には、アヴィトではなく中にいる妖魔だったのかもしれない。
『まさか、まさか、そこまで……。以前は、操ることも容易だったはずが……』
 このまま、ギルベイスの元にいかなければならない。彼はそう思った。そして、あの蘇った魔幻灯がいかに恐ろしい力を手に入れたかと告げねばなるまい。傷ついた体を引きずるように、アヴィトは進む。
 と、ふいに目の前に人影が見え、彼はぎらつく目を向けた。
『十一番目の。なにやら調子が悪そうに見えるが……』
 穏やかな声が聞こえた。現れたのは、フードを深く被った狼人だ。声の雰囲気と、他の司祭より老けた印象から察するに、三番目の司祭のタスラム。
『だから言ったであろう。……魔幻灯は以前とは違う。手を出せば必ず痛い目にあうと……』
『やかましいいい!』
 タスラムの言葉を遮り、この世のものならぬ声で彼は叫ぶ。タスラムがそれで怯えると思ったのだが、彼はうすら笑いを浮かべていた。穏やかな三番目の司祭がそのような表情をするとは思わず、少なからず妖魔は動揺した。
『やれやれ、予想はしていたが本当に中に闇がいると思うと、また気分も別だな』
『……うるさい……! そうだ! 今度は貴様に乗り換えてやる! ……この男はもう駄目だ!』
 本性をさらけだした妖魔の声は、いっそう聞き苦しくなる。もはや、それはアヴィトという司祭の声とはほど遠い。凶悪な黒いものが目の前に広がるのを静かにみやりながら、タスラムは言った。
『言っておくが、……そうそう簡単にはいかぬぞ。私には、それほど迷いというものがないからな』
 その声に反応して妖魔が叫んだが、もう何を言っているのかわからない。その声と同時に、アヴィトの体から黒いモノが一気に飛び出てきた。
『……やれやれ、忠告してあげたのに……』
 タスラムはそういってうっすらと笑い、指を弾いて音を鳴らした。突然静かな森を引き裂いた破裂音のような音が響いた途端、タスラムに襲いかかっていた闇が二つに割れた。アヴィトが静かに倒れる中、タスラムは飛び散る闇が上空に舞い上がりながら、もう一度一つに合わさるのをみていた。
「もう遅い。手中に落ちた」
 傷ついた妖魔は、逃げることに決めたらしく、そのまま森の奥の方へ飛び去ろうとした。慌てて逃げていく妖魔を見やりながら、タスラムは一瞬鋭い目をした。
「愚かな……。すでに手中に落ちたといったはずなのに」
 タスラムがそういって見上げた先で、黒いものは突然弾けて散った。パンと、手をはたいたタスラムは、向き直り、アヴィトの様子をうかがおうとしたが、それをとりやめる。そして、にんまりと笑いながら後ろに呼びかけた。
 ちょうど、そこは深い茂みになっている。そこに、ある人物が潜んでいることは、とっくにわかっていた。 
『ほほう、コールン。ここまでつけてくるとは、二番目殿の差し金かな?』
 見破られ、五番目の司祭のコールンは、慌てて飛び出てきた。
「な、なぜ、私がここにいることを!」
 驚きのあまり肉声になっていることも気づかず、コールンは相手を見上げた。狼人は多くの場合、高齢になっても青年の姿を保つのだが、タスラムは何となく老成した感じの漂う男でもある。
「何となく、というか、予感というかだな。……そうだ、いいところにきた。お主にも手伝ってもらいたいのだが」
 妙に子供っぽい笑顔を浮かべ、普通の声で返したタスラムはコールンを手招きした。どうやら、今日は司祭特有の伝達方法を使わないつもりらしい。
「な、何でしょう?」
「……そこのアヴィトについて、少々訊きたいことがあってな。ここから運び出すのと手当と隠蔽工作に協力してほしいのだよ」
「は、しかし……」
「なぁに、中の悪いものはもう抜けて散った。……さて、あれでどこまで浄化できたかはわからないが、すでに手追いだったから、大丈夫だろう」
「手追い? また、なぜ……。怪我をしていたのは……」
 魔幻灯本人にやられたアヴィトが負傷しているのは、当たり前で、だからこそ中にいた何者かは、タスラムの体を奪おうと思ったのではなかったか。
「いいや、……アヴィトというよりは、中の妖魔に対して攻撃したのだろうな、魔幻灯は」
 タスラムは、そういってアヴィトを見やる。
「遠くから様子だけみておったが、あれで斬られたら、普通は即死モノだぞ。だが、アヴィトの傷は致命傷というには遠い。……ということは、その衝撃の半分を中の妖魔が引き受けてしまったからでもあるし、……或いは、中の妖魔に対して、奴が攻撃したと言うことも言える」
 そうそう、と続ける。
「古のシールコルスチェーンは、取り憑かれている者を傷つけずに、中の妖魔だけを切り払う事ができたという。いや、それができなければ、真のシールコルスチェーン、秩序を守る者としては認められなかったとか」
 タスラムはそういって、はははと笑った。
「つまり、あの魔幻灯は、そろそろ本格的にそれに相応しい精神と力を得てきている、ということかもしれぬなあ。まあ、まだ不完全のようだが」
「タスラム様、しかし、……どうなされるおつもりですか?」
 うーむ、と唸りながら、外面は善良な表情を浮かべる。 
「エアギア様にたれこんでもかまわんが、一番目殿には絶対に秘密にしておれ」
 のんきに笑いながら、三番目の司祭タスラムはとんでもないことを言う。
「しかし……」
「はは、ばれなければ何やっても大丈夫。そう怯えるでない」
 肩をすくめてそんなことを言う三番目は、あまり司祭らしくなく、思わずコールンは、あっけにとられた。
「タスラム様。……一体……何を……」
「私は、どちらかというと好奇心の強い方でな、地道に調べるのが好きなんだよ。この一件には、随分と出遅れてしまったが、そろそろ私が動いてもさし支えないようだからな」
 だから、お主には手伝ってもらいたい。と、タスラムは小声で言った。
「エアギア様は、恐らく必要以上にこの件に手をお出しにならない。というより、なれないのだろう。……だから、私は私の方法で真実を……と思ってな」
 何やら子細ありげな様子に、コールンは自分が知らない二番目の司祭エアギアの秘密を感じた。だが、それについて深く考える前に、タスラムがこちらを向いた。
「まあ、そういうことだ。……ということで、協力してくれるかね?」
 にやりとするタスラムは、司祭というよりは、普通の狼人、普通の狼人というよりは、人間の表情にかなり近かった。今まで、中立を保つものとしての調整役としての顔しか覗かさなかった、穏やかで俗世離れしたタスラムにはなかった表情である。もしかしたら、今までずっとこの本性をかくしていたのだろうか。
「おや、都合でも悪いかな?」
 そんなことを訊かれ、慌ててコールンは首を振る。ええ、と気圧されつつ答えながら、コールンは、もしかしたらタスラムが、最も司祭の中で厄介で恐ろしい存在だったのかもしれないと思った。





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©akihiko wataragi