辺境遊戯 第三部
第一章:闇夜の竜王-27
「しかし、集まるときは一気に集まるもんだな」
レックハルドは感慨深げにいいながら、やれやれと肩をすくめた。シェイザスに、ひっつかまれていったダルシュは、不機嫌そうにまだ彼女と言い合いをしているようだが、レックハルドは、シェイザスとも関わりたくないので、何となく距離を置いている。実はレックハルドは、シェイザスのような女性はかなり苦手なのだ。
そのシェイザスが、パーサを連れてきているのは知っていたが、レックハルドはまだ自分から彼女に話しかけない。パーサは、どうしたものか迷いながらそこに立っている。
「レック……」
とうとう、ファルケンが、話しかけてやれよ、と言いたげに視線を投げやってきた。
「ああ」
そう答えるだけで、レックハルドは目の端でダルシュが勝ち目のない舌戦を仕掛けているのを見ていた。「悪いのはオレじゃねえ、あいつと、あのケモノで!」とか何とか言っているが、シェイザスに勝てる道理もないのでその内に負けるだろう。
レックハルドがあんまりに動かないので、ファルケンは、今度は少し強い口調で言った。
「レック!」
「わかってるよ」
レックハルドは、少しだけため息をつき、上着を揺らしながら歩き出した。パーサは、少し怯えたような素振りを見せたが、逃げずにそこに立っていた。
レックハルドは、少しだけため息をついて、わずかに表情をゆるめた。
「さっきは悪かったな」
「ううん、あ、あたしも、いきなり馴れ馴れしかったよね。逃げないで謝れば良かったんだけど、それにそのあと、こんな事になって……」
慌てて焦ったまま話し出すのは、パーサの昔からの癖だ。レックハルドは、何となく懐かしくも思いながら、続けて話し込む彼女の言葉を遮った。
「お前、オレとしゃべってるのを多分ヒュートに見られてるぜ」
「え?」
いきなり、そんなことを言われて、パーサは言葉を詰まらせて、大きな目でレックハルドを見上げた。
「アイツは本気だ。……本気でオレを殺す気らしいからな。お前、嘘があまりつけないだろ? あいつに呼び出されたら、お前も危ない」
「そ、そんな……でも………」
それどころか、今のヒュートは、多分人間といっていいかどうかすらわからない。だが、それはパーサが知らなくてもいいことだ。
「で、でも、あたし……まだ……」
「だよな。お前は、まだあの中にいるんだろ。だったら、ヒュートと顔を合わさないわけにはいかねえだろうな」
だから、といってレックハルドは財布から何枚か紙幣を抜き出すと、それをパーサの目の前に突きだした。
「持って行けよ。これだけあれば、当面は困らないだろ?」
「えっ? ど、どういうこと?」
「説明させんなよ。オレは、誰かに金を渡すのが一番嫌いなんだ。こうしてるときだって、拒絶反応で気絶しそうになるんだから」
どこまで本気かわからないが、レックハルドの顔は別に笑っていなかった。
「組織を抜けろ、パーサ。……ピリスにタンジスっていうお人好しの魚屋がいる。オレの関係者だって言えば、きっと手を貸してくれるよ。それまで、これで十分いけるだろ?」
「タンジス? ……あの、これ……レック、あたしにくれるの?」
「だから、説明させるなって!」
レックハルドはいらだったようには言っていたが、その仕草が何故か焦っているようだった。パーサは、どうやらレックハルドが、わざとこわばった表情を作っているらしいことに気づいた。おそらく、照れ隠しだ。
パーサは、そろそろと手を出して紙幣を掴む。五枚ほどの紙幣は、結構な額で、昔のレックハルドなら、触っただけで怒り出しそうなほどだった。だが、パーサが紙幣を掴んだ時に、レックハルドはそのまま手を離してそれを彼女に渡す。ようやく、パーサはゆっくりと笑顔を広げた。
「ありがとう! ……レック、安全なところまで逃げろっていってくれたのね!」
「だーから、まどろっこしいこといってんじゃねえって」
そろそろ成り行きをみて、背後でにやつきはじめたファルケンを睨むと、さすがにまずいと思ったのか、ファルケンは真面目な顔になって目をそらす。パーサは、思わず笑った。
「やっぱり、レック、何となく変わったなあ。昔と全然違う」
「そりゃありがたいね」
レックハルドは相も変わらずぶっきらぼうに答える。だが、それがひねくれたレックハルドの本心でないことはわかっているので、パーサは楽しそうに言った。
「今の方がいいよ」
「オレは、昔も今も一緒だよ」
そんなはずもないのに、レックハルドはそう答え、イライラと急かすようにパーサに言った。
「早く、オレの気が変わらない内に行けよ、パーサ。…はっきりいって、オレは金を出すのが一番……」
いいかけて、レックハルドは閉口した。いきなり、パーサがレックハルドに近寄ってきたからであり、その驚いた一瞬に、いきなり頬に軽く口づけされたからでもある。いきなりのことに、さすがのレックハルドも慌てた。
「お、おい……」
明らかに少し照れた様子のレックハルドを見て、パーサは声を立てて笑った。
「驚いた! あんたでも、照れることってあるのね…。レティにキスされたとき、全然平気だったのに。昔、結構遊んでたんじゃなかったっけ?」
「る、るせえな! ……あ、遊んでねえよ! ご、誤解だ。あれは誤解だぞ! オレは、そんなに遊んでねえんだから! い、いいか、レティのことは、誰にも言うなよ! ホントに! あれとはなんでもなかったんだから!」
レックハルドは必死だ。さすがに、近くにマリスもいるはずだし、こんな話題を吹き込まれたら……と思うと、レックハルドはいてもたってもいられないのである。
「なんか……でも、お世辞とかじゃなくて、いまのあんたのほうがいいなあ。あと、あの何となく毛皮っぽい人ってお友達でしょ? 大切にしてあげてね」
「け……毛皮ね……」
レックハルドは苦笑いした。
「まあな。……あいつには助けてもらってるからな」
そういって少しだけレックハルドは、優しい表情を覗かせる。
パーサの目に映ったのは、いつかの冷たいレックハルドではなかった。そんな表情の彼を直接見たことはなかったが、彼女に優しくしてくれたレックハルドとよく似ているような気がした。
「ああっ、マリスさん」
いきなりレックハルドは、向こう側をみて声をあげた。その声色が明らかに今までとは違うので、パーサはひょいと頭をあげた。そこに立っているのは、赤っぽい巻き毛と大きな目が特徴的な女性と、金髪の少女だった。ファルケンが一瞬びくりとしたが、まだマリスがロゥレンの服を何気なくつかんでいるので、少しだけ安堵する。
「レックハルドさん。ダルシュさんとシェイザスさんがいらっしゃったってきいたんですが……。あら、この子は……」
マリスが、パーサに気づいて大きな目を瞬かせる。レックハルドは、慌ててパーサの前に出ていった。
「い、いえ、こいつは、ただの〜〜……」
うっかり昔のことをしゃべられたらかなわない。レックハルドの顔には、鬼気迫るものがあったのだが。
「あたしは、パーサ。レックの昔の知り合いなの」
「あっ、お前、黙って……」
焦るレックハルドだが、まさかマリスの前できついことはいえない。どうしたものかおろおろしていると、パーサが瞳を瞬かせながら、とんでもないことをいいだした。
「ねえねえ、もしかしてあなた、レックの恋人?」
「え?」
きょとんとするマリスに対し、レックハルドは一瞬で真っ青になった。そのまま倒れそうな表情のレックハルドに気づかず、パーサは、にこにこしながら言った。
「あたし、あなただったら許しちゃうかもなあ。かわいいし、いい人そう」
マリスは、言われたことに、しばらく目をぱちぱちさせていたが、思いついたように微笑みかえした。
「レックハルドさんとはお友達ですよ。とてもいい大切なお友達なんです」
「そう? そうなんだ! でも、なんか望み有りって感じね、レック!」
一瞬レックハルドの方を向いて、そういうと、パーサは再び向き直る。当のレックハルドは、よろよろとそこから逃げ出していた。真っ青な顔のレックハルドは、見るも哀れな状態だったが、パーサの方は全然気づいていないらしい。
と、パーサは、マリスに捕まっている少女の方に目を向けた。何やら興味を持たれたらしいことがわかり、ロゥレンはどきりと身を縮ませる。
「な、何よ?」
「あなたも、レックのお友達ね?」
にっこり笑いながら、かわいいと連呼するパーサに思わずロゥレンは、言い返す。
「ち、違うわよ! あんな細目野郎の友達なわけないでしょ!」
「レック、友達一杯増えたんだ! よかったあ! あいつ、友達が一人もいないから暗いんだと思ってたらそうだったのね〜!」
「違うって言ってるでしょ!」
好き勝手いうパーサに注意する気力もなくしたレックハルドは、その場にほとんど倒れ込んでいた。それを見やりながら、いつの間にかダルシュを言い負かしたらしいシェイザスがかげでにやにやしている。
「あああ、オレは終わりだ、破滅だ……。あたためてきた思いよ、どこへ……」
土気色の顔でぶつぶつ言っているレックハルドをいぶかしげにのぞき込み、ファルケンは首を傾げた。
「どうしたんだ? レック」
「……マリスさんのいない人生は闇だ……」
「レック、何言ってるのかよくわからないけど、マリスさんはいるよ?」
その言葉も届いていないらしい相棒を見やりつつも、パーサの様子にファルケンは一安心するのだった。