辺境遊戯 第三部
第一章:闇夜の竜王-23
「狼……そういえば、そうか」
何かを思い出したのか、ヒュートはいきなり嘲笑を浮かべた。
「てめえも可哀想な奴だ! 一度死んだのなら、大人しくあの世にいってればよかったものを! もう一度辛い人生を歩みに来るとは、酔狂な奴め! そこの薄情野郎についたせいで、悲惨な最期を遂げたにもかかわらず、まだ懲りてないのか?」
「てめえ、ヒュート! 黙れ! それ以上言ったら許さねえ!」
声をあげたのはファルケンではなく、レックハルドの方だった。唸るようにそういったレックハルドを見て、ヒュートは満足そうに言った。レックハルドの顔色が明らかに変わっているのを見て取ったからだ。
「へえ、……さすがのお前も気に病んでいたのか?」
レックハルドは、そういわれてわずかに拳を握る。
「さすがのお前も目の前で死なれちゃあ後味悪いもんなあ!」
「何だと! オレは……!」
「レック!」
真っ青になったレックハルドを制するようにファルケンが声をあげた。我に返るレックハルドに目配せして、ファルケンは小声でささやいた。
「レック、こいつはオレが引き受けるから、マリスさんのところへ先に」
「でもよ……。さっき、そりゃお前は入ってきたけど……」
レックハルドは、手を少し後ろに伸ばす。何もないようにしか見えないのに、手はそこで何か壁にあたって止まる。やっぱりそうだろ、と言いたげに眉をひそめるレックハルドに、ファルケンはうなずく。
「外からは入れるけど、中からは出られないようになってるんだ。だから、オレが飛びこんでこられたんだけど、逆は……」
「おい、じゃあ……」
「大丈夫。こういうのって、案外、力には弱いもんなんだよ。オレが何とかするって」
「わ、わかった。気をつけろよ」
ああ、と答えてファルケンはふいに思いだしたようにいった。
「あ、そうだ」
顔を向けると、妙にファルケンは含みのある笑みを見せる。
「もう前のことは気にしなくていいから、……その代わり今からちょっとだけ、乱暴にやるけど、許してくれな?」
「は?」
レックハルドが一瞬意味を取り損ねたとき、ヒュートが足を動かすのが見えた。と、同時にファルケンは、剣を持って相手に飛び掛かるように大きく跳躍した。だが、ヒュートに襲いかかると見せかけ、いきなりファルケンは、屋根の端の方向に思いっきり剣を振るった。それは、寧ろ切ると言うよりは、力任せにぶつけたという感じだ。何もないはずの空間に、亀裂が走ったのは、光の加減でレックハルドにもわずかにみえた。
「くそっ! てめえ、力ずくで!」
吐き捨てるヒュートにファルケンが明るく言った。
「オレは魔法がさっぱりだからな! だったらこうやるしかないだろ!」
がっしゃあんと大きな音を立て、一気にまるくこの場所を覆っていた見えない壁が崩れた。上から横から破片らしきものが飛んできて、レックハルドに当たる。意外に痛い破片に四苦八苦している内にファルケンの声が聞こえた。
「レック! 今だ!」
「今だ、って……!」
反論しようとして、レックハルドはヒュートの視線とぶつかり、慌ててきびすを返す。頭上からまだ振る破片にさいなまれつつ、レックハルドは頭にターバンを巻いていることをありがたく思った。
(そりゃ、予告はしていたがよ! お前! ちょっと乱暴すぎるだろ!)
後ろからヒュートの声と金属の響く音が聞こえる。それに急き立てられ、レックハルドは、急いでその領域から抜け出した。
「くそっ! 無茶苦茶やりやがってっ!」
悪態をつきつつ、レックハルドはそこから飛び出す。結界とやらの破片が、微かに頬に当たる。透明で実体もなかったはずなのに、それはとげとげしく尖った固い小片になってレックハルドの頬をわずかに傷つける。わずかに滲む血に気づかずに、レックハルドは屋根を伝って逃げる。
(……前のことは気にしなくていいってか?)
ため息をつきながらも、レックハルドは舌打ちした。
(全く、それ言わなかったら、どやしつけるじゃすまさねえところだがな!)
とりあえず、破片に当たって痛かったのも確かだ。レックハルドは、マリスの方に走り出す。振り返っても良かったのだが、何となく、振り返らなくてもファルケンは、もう大丈夫だという気がしていた。
短剣と剣で、力比べをすれば、剣のほうが圧倒的に有利だろう。押し切られる形になり、ヒュートは慌てて退いた。ファルケンはそれ以上追わずに、一定の距離を保ったまま立っている。
破片は、地面につくころには、今度は跡形もなく消えていた。それが、いわゆるかなり上等な魔術であることは、ファルケンにもわかる。実際、ファルケンにはこんな器用な真似はできない。そこから考えると、ヒュートに取り憑いているモノの、力量が推し量れようというものだ。
レックハルドが飛び出していくのをみて、反射的に動いたヒュートの前に、ファルケンは立ちはだかる。
「あんたの相手はオレだよ……」
構えずにだらりと下がる切っ先が、わずかに円を描いていた。
「オレを無視していくってのは、さすがにあんたでもできないだろ?」
走っていくレックハルドの方も見ないで、ファルケンは言った。握った剣をわずかに引き寄せて相手を見やる。舌打ちするヒュートは、足を止めた。言われたとおり、ファルケンを避けていくことはできない。下手に逃げれば、待ちかまえているファルケンに一撃でやられかねない。
「『シールコルスチェーン』とかいったな? 中途半端だが、てめえを甘くみるわけにはいかねえ。辺境が自分たちをまもるのに作った妖魔狩り専門の狼、それがてめえらなんだってな?」
ヒュートは、少し驚いた様子のファルケンに目を走らせる。
「そんな専門職の連中をなめるとどういう事になるのかはわかっているつもりだぜ。オレも、組織じゃそういう処理班だったからなあ!」
「そんなことまで知ってるのか? あんたに取り憑いた妖魔は、結構博識なんだな」
「そうかもしれん」
ファルケンは、少し表情を険しくした。
「やっぱり、外にいる司祭より、あんたのほうが大分手強そうだな」
「そういやあ、さっき、てめえ答えなかったな? 一回そんな死に方をしたにもかかわらず、あいつとまだやってく気か?」
ヒュートは、話題をかえてにんまりと笑った。
「本当はレックハルドにきかれたくねえことでもあるんじゃねえのかよ?」
「まさか」
ファルケンは、軽く首を振った。
「レックが先にいったから、オレは答えるのをやめただけだ」
それに、とファルケンはつなげる。
「そもそも、オレは懲りないたちなんだ。結局死んでも直らなかったから、ずっと直らないだろうな」
にっとほほえみ、ファルケンは言った。
「それに、レックはあんたのいうような薄情な奴じゃないよ。オレはそれを良く知ってるしね」
きり、と握った剣が微かに軋みをたてる。飛び出す体勢に入りながら、ファルケンは相手の隙を一瞬ではじき出した。
「だから、さっさとあんたともケリをつけなきゃな!」
言葉と同時にたっと飛び出して、ファルケンはヒュートに剣を振るう。ガッ、と音を立て、足下の石が削れた。ヒュートが大きく後ろに飛びずさって避けたのだ。
「さすがだな!」
ヒュートは、そのまま勢いで屋根のはしを蹴った。背後の何もない空間に足を踏み出す。だが、彼の体は重力にはひきつけられずに、わずかに浮遊したままだった。それどころか、体がふと薄く霧のように消えていくのがわかる。
追いかけて剣を振るうが、ファルケンの刃はすでに宙を切るばかりである。にやりと笑ったままの顔は、そのまま空間に薄くなってとけていく。
「今日の所はここまでだな!」
「逃げる気か!」
いきなり、逃げを打たれたファルケンの声には、意外そうな驚きが混じっていた。
「はは、俺は用心深いほうなんだよ! それに、俺が殺したいのは、てめえじゃなくレックハルドの方だ! 大体」
ヒュートの声も、徐々に遠ざかっていくようだった。
「『シールコルスチェーン』の謎もとけねえのに、てめえに勝てるとは思えないからなあ!」
やがて、声は完全に消え去り、ふっつりと笑い声の余韻すらなくなった。そして、ようやくファルケンは、相手が消え去ったのを知った。