辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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辺境遊戯 第三部 

 第一章:闇夜の竜王-19


 ――力を貸してやろうか?
 ある日の夕方、そうして声をかけてきたものがいた。黄色に染まる空の下、背の高いヒュートの影がのびている。
 それは、あの空がおかしくなって日蝕が随分続いた後のことだ。ヒュートは、ザメデュケ草を手に入れることも出来ず、そしてレックハルドを捕らえることもできず、何となくいらだった気持ちになっていた。無理に辺境に部下達を進ませたが、途中で猛獣や植物に阻まれ、また姿こそ現さないが、狼人の妨害にあって結局、どこにザメデュケ草があるのかもわからない。
『あのガキに逃げられるようでは、お前もダメだな……』
 そうして、全てに息詰まったヒュートに、彼の親分は、あざけりと共に叱咤した。屈辱に打ちのめされながら、鬱々と日々を過ごしていたヒュートに聞こえた声は非常に魅惑的だった。
 ――力を与えてやろうか? そうすれば、何でも出来る。あの狼の男達にも勝る力を与えてやろうか?
 そうすれば、と耳元で蠱惑的に声が囁く。それは、美しい女の声のようであり、威厳に満ちた王の声のようであり、そして、自分自身のような声であり……
 ――あの小生意気なガキを捻り殺すことだってできる……
「本当か?」
 振り返っても誰もいないのはわかっているはずなのに、ヒュートは、ふとそう声に答えを返した。本当だとも、と声は返す。
「……まるで伝説にある悪魔だな……」
 にやりとしながら、ヒュートはふらりと身を起こす。
「そういえば、……昔、どこかの教義できいたぞ。古代、あの小僧と同じ名前の男が、邪神として祭り上げられたのは、奴を信奉したものに、均等にとんでもない力を与えたからだとか……」
 ――昔のことだ……だが、懐かしいことでもあるな……
「魂を売れば、……俺をよほど強くしてくれるのか?」
 ――それには及ばぬ事だ……。ただ、身を委ねればよいだけのこと……
「それが契約か?」
 ヒュートは、歪んだ笑みを浮かべながら不意に足元を見た。長く伸びた影が小刻みに揺れていた。それを愉快そうに見ながら、ヒュートは笑った。
「力がなければ、この世界では屑だ……。いいだろう、貴様の申し出にしたがってやろうじゃねえか」
 そして、ヒュートは肩を揺らして笑った。げたげたと笑う声に、周りの者が怯えたが、それにも気に留めずただひたすら笑っていた。
 ――その時、ヒュートが、なにか常人とは違う力を得たことを、しかし、知るものはいなかった。彼の影になにかが潜み出したことにも。
 

 馬の背に揺られ、レックハルドは手綱をマリス越しに握りながら、前方を睨んでいた。ヒュートのいるのは、すぐ前の方。このまま闇雲に突っ込んでも、ヒュートはきっと射手を連れている。それに、このままいったところで、馬の足が落ちているから追いつかれるのも早い。
「レックハルドさん! どうしますか!」
 レックハルドは、背後を一度見やって前を向く。かなり競ってきている巨大な追跡者を確かめる。
「一か八か!」
必死で馬を飛ばしながら、レックハルドは、脇道の屋根の方をみる。昔の記憶を呼び戻しながら、レックハルドは経路を素早く考えた。
「あっ!」
 いきなり隣でマリスが声をあげて、顔をわずかに上に上げていた。少しだけにしたのは、レックハルドの視界を遮らないように遠慮してのことだろう。
「ロゥレンちゃん!」
「えっ? あの妖精小娘?」
 そういえば、さっき、一緒に来たといっていた。上を見上げると、確かに妖精らしい小さな人影の姿がおぼろげに見える。
(だが、少なくとも、オレといるよりは、あいつといた方が安全だよな……)
 ヒュートの目的は、恐らく自分でマリスではない。竜と見えない敵がどういう意図をもって自分を狙っているかはわからないが、それでも一人は確実に敵が減る。それに、あんな風に飛んでいるのだから、きっと目のいいファルケンはロゥレンの居場所に気づいているはずだ。だとしたら、マリスを先にロゥレンと合流させた方がいい。
「ロゥレンちゃんと先に落ち合えばいいんでしょうか?」
 ふと、マリスがレックハルドの心を見抜いたように声を掛けてきた。
「え、ええ、屋根に登ることができれば、あの小娘にも見えるでしょうし」
「その方が、あたし一人分馬も軽くなりますものね! わかりました! でも、どこから……」
「マリスさん、……あそこに飛び上がる自信はありますか?」
 レックハルドは、進む先の古い金物の看板に目線をあげながらいった。古いが、それなりに丈夫に作られてはいそうだった。あそこに手をひっかければ、屋根まですぐに上れる。
「え?」
 マリスは、さっと上に視線をあげる。五軒向こうのかつての商家の看板部分が見えていた。ちょうど手がかけられそうな突起がある。マリスは、レックハルドに目を向けてにこりと笑った。
「オレが後で脇道に入ってからあの反対側から屋根に周ります。だから、先にあの看板を伝って、先にあいつを呼んでください!」
「やってみます! でも、後で必ず着いてきてくださいね!」
 マリスは、にっと笑った。
「ええ!」
(そうだよ、こんなところで空しく死ねるか!)
 マリスが側にいるのに。レックハルドは、力強く答えながら、内心で吐き捨てた。
 一、二、三、と心の中で数を数えながら、レックハルドは軒をみる。マリスは鐙から足をはずし、準備をしている。あと二軒。進む風景の先で、日蝕の薄暗い光景が徐々に明るくなっていく。
 四、五と数えて、レックハルドは息をつかずに叫んだ。
「今だ!」
「はい!」
 構えていたマリスは、素早く鞍の上に立ち上がると、そのまま鐙から飛び上がり、素早く看板にとりついて屋根に登る。その下をくぐり抜け、レックハルドは、さらに馬を飛ばす。
「そう単純に……!」
 向こうで弓を構える者達を背後ににやつくヒュートを見ながらレックハルドは、口の中で呟いた。
「突っ込む馬鹿がいるかよ!」
 ふとレックハルドは、馬を思いっきり加速しながら建物すれすれに寄せた。そうして、次の瞬間、その古い建物の一角のあいたままの入り口の柱に手を掛け、飛び移る。馬はまっすぐにヒュートのいる方に向かっていく。
 レックハルドはそれを素早く確認して、建物の中に入り込んだ。がらんどうになった古い建物の人気の感じられない中を、がらくたを蹴散らしながら走る。向こう側に窓の光が見えている。そこに飛びついて外に出ながら、レックハルドは続く廃屋の軒を掴んで屋根の上に飛び上がる。昔の職業柄、こういう事には慣れていた。背後の建物が壊される音が響く。どうやら、建物の入り口に竜が突っ込んだらしかった。首でも突っ込んだのか、それ以上、引き抜くことができずに暴れている。
「ザマァみやがれ!」
 レックハルドは、この地方に多い平たい屋根の上にのぼりきってから一言そう叫んだ。
「くそっ! レックハルド! 貴様ァアアア!」
 ヒュートの声が聞こえる。向こうの方にマリスの姿が見えたが、必死で彼女はロゥレンを呼んでいるようだった。空中にいる彼女にマリスの声が聞こえたかどうかはわからない。





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©akihiko wataragi