辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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辺境遊戯 第三部 

 第一章:闇夜の竜王-17



 暗い夜のなか、確かに向こうに人家が建っていた。
 レックハルドは、なぜか松明で煌々と照らされた場所に立っていた。周りにたくさんの人がいるような気配がしたが、なぜか顔だけがぼんやりとしている。
 ただ一つ直感的に、そこは普通の場所ではないことがレックハルドにはわかった。独特の緊張感が、まわりに響いているようだったからである。
 遠くに星のような光がちらちらと揺れていた。いや、星などではない。そして、街の灯などといった平和なものでもない。あれは、そこで陣地を張っている敵が燃やしている松明の光だ。
 何も証拠もないのに、レックハルドは、ここが戦場だろうと見当をつけた。恐らく黒い服を着ているようだった。こんな辛気くさい服着ることもないだろうに、と思いながら、レックハルドは周りを見回した。
 思った通り、周りにいる男達は武装していた。松明の光に、ちかちかと槍の穂先が光っていた。
 ふと、側に女がいることに気がついた。顔はやはりはっきりとしないので、それが誰であるかはわからない。だが、とても優しそうだと直感的にわかった。
 だが、レックハルドは突然申し訳なさそうな顔をした。その理由はレックハルドにはわからなかったのだが、何となく彼女に対して負い目があるような気がしていた。
『お前を戦場に出させてしまって申し訳ない』
 と、彼は恐らくいったのだろう。実際どんな口調でいっているのかはわからないが、そういっているのはすぐにわかった。
『俺が戦えれば、お前に苦労させなくてもいいのにな』
『まあ』
 非難の声が飛んでくると思ったのに、女は面白そうに笑ったようだった。
『私は苦労なんてしてないわ。……それに、あなたには、私にはない力があるでしょう? そして、私が持っている力が、あなたになかったのだとして、私がそれで戦っているのだとすれば、何も気に病むことはないじゃないの』
 やけに澄んだ声だった。彼は少し首を傾げるようにして、女の顔をのぞき込む。だが、やはり顔は判然としない。だが、彼女が笑ったのが少しだけわかるような気がした。
『人には、誰にだって得手不得手があるし、その人にしかない力があるわ。……誰だって、与えられたカードで切り抜けるしかないといったのは、あなたなんでしょう? 私はソレが正しいと思うわ。……みんながみんな、自分にできることをすればいいだけなんだもの』
 そう声が聞こえ、慌てて彼は口を開く。きっと、無様な姿を見せてしまったから言い訳でもするのだろうと、レックハルドは他人事のように思った。
『…………』
 だが、口から飛び出たはっきりと発音した言葉は、目の前の女の名前のはずなのに、その名前がどうしても思い出せないし、その声だけが聞こえない。
『……………』
 もう一度、レックハルドは、その名前を呼んだ。今度は、わずかに微笑んでいった。だが、その名はやはり聞こえない。
『逃がさないわ』
 不意に先程もきいた女の声が聞こえた。だが、それが横にいる女から発せられた言葉であるかどうかはよくわからない。そうなのかもしれないと思うが、女の唇ははっきりと動いていなかったからだ。そのままで、声は続けた。
『絶対にあなたは、”わたしのもの”よ』
 何か、ぞっと背筋の寒くなるような情念のこもった声だった。だが、それに肝を冷やされるまでもなく、ますます気が遠くなる。目の前の風景が暗闇に落ちていきそうになり、目の前に立たずむ女も、そろそろ消えてしまいそうだ。
「レックハルドさあん!」
 幻想の狭間にとらわれていたレックハルドの耳を、いきなり聞き覚えのある声が打った。現実のはっきりとした音に引き戻されたレックハルドは、いきなり目の前に飛び込んできた状況に思わず叫び声をあげた。
 レックハルドの目の前、それも本当に目の前に、黄色い牙が下がっていたからだ。生臭い息がかかり、よだれが垂れそうになっている。レックハルドは思わず右手で顔をかばった。
 レックハルドが幻惑をはねのけたのがわかったのか、竜は突然開いた口をレックハルドを巻き込んで閉じようとした。
 その瞬間、目の端に明るい色の閃光が走った。同時に彼の斜め後ろからにしろい手がさしのべられる。
「レックハルドさん! 手を!」
「……マリスさん!?」
 炎に染まって燃えるように赤く見える髪を風になびかせて、飛び込んできた娘の名をレックハルドは口にした。同時に反射的に手を伸ばす。
「くっ!」
 精一杯手を伸ばし、レックハルドはマリスの手を掴む。思いの外強い力で引っ張られる。同時に、竜が口を閉じた。足下が牙にやや引っかかって靴に傷が付いたが、引きずられずにはすむ。危うく竜の口を免れたレックハルドはそのまま鞍に体を引き寄せるとマリスの後ろ側に足をかけた。
「大丈夫ですかっ?」
「あ、だ、大丈夫です!」
 レックハルドが、竜の牙に巻き込まれたのではないかと思ったらしい。いつもはのんびりと喋るマリスも、この時ばかりは凛々しい話し方になっていた。それにつられて慌てて返事をしたレックハルドは、自分の返事のまずさにため息をつく。助けられただけでも十分格好悪いのに、さらに悪くするような返事をするなんてどうしようもない。
(い、今のはオレ、……もしかしてめちゃくちゃ格好悪くなかったか!)
 だが、マリスは、そんなレックハルドの嫌悪に気をとめるような娘ではない。
「それならよかったわ」
 少しだけ振り向いて、安堵の笑顔を浮かべる。それをみて、レックハルドは、ふとさっきの幻想を思い出した。あの時、隣で笑った女は一体誰だったのだろう。
 レックハルドは首を振った。今はそれどころではない。
「あ、ありがとうございます、マリスさん!」
 我に返ったレックハルドは、慌ててマリスに礼をいう。
「し、しかし、マリスさん、な、何故こんな所に?」
「ロゥレンちゃんとお買い物に来ていたんです。でも、見かけた人がレックハルドさんなんて思いませんでした。よかったわ、間に合って!」
 そういって笑うマリスを見ながら、レックハルドは何て危ない真似をするのだろうと思った。助けてもらっておいてこう思うのもおかしいのかもしれないが、自分の前に飛び込んできたマリスがどうかなってしまったら、と思い直して、レックハルドは今更に青ざめる。
「オ、オレは、大丈夫だったんですよ。……お願いですから、危ないときはオレなんて……」
 もし、マリスに何かあったら、正直死ぬより辛いと思う。
「まあ、お互い助け合うのが友達じゃないですか?」
「しかし、……以前だってこうして助けてくれたときも、危険に……」
 レックハルドは、マリスと初めて会ったときのことを思い出していた。辺境狼に襲われた彼を助けたのはマリスだ。だが、その後マリスが危なくなったときに、助けてくれたのはファルケンで、自分ではない。マリスは、ふと嬉しそうに笑った。
「あの時のこと、覚えていてくださったんですね!」
「え、ええ、そりゃあ……」
 レックハルドにしてみれば、忘れられるはずもない思い出だ。あの日のあれがあるからこそ、レックハルドはすでにぞっこんだった相手にもっと入れ込むことになったのだ。
「人を助けるのに、危険をおかすのは当たり前じゃないですか! それに、レックハルドさんがご無事で本当によかった!」
 マリスは、こともなげにそういうと馬を飛ばした。レックハルドは、何となくどう答えたものか迷いながら、ため息をつく。どうして自分はマリスの前で、いつも無様な格好を見せてしまうことになるのだろう。この前だってそうだったし、今回もそうだし、そもそも初対面もそうだった。
 と、後ろから巨大な足音が聞こえた。まだ竜は、獲物を諦めてはいない。二匹に増えた獲物を、血走った目で追ってくる。
(まずいな……。あいつ、まだ諦めてねえのかよ!)
 二人のっていると馬はそれだけ速度を落とす。以前もそれで失敗した。今度こそどうにか手を打たないと、とレックハルドは頭を抱えた。前は狼だったからいいが、今度は竜だ。狼でもあれだけ苦戦したのに、竜など人間の手に負えるはずもない。
「レックハルドさん! ……前に!」
 考えているレックハルドに、マリスの危機感のこもった声が聞こえた。前方にむけているマリスの視線を探る。と、レックハルドは、表情を変えた。
 前に人が立っている。だが、それもただの人ではない。もし、けが人や逃げ遅れた人だったら、マリスは「助けよう」と言い出すだろう。だが、マリスは明らかに警戒を込めてレックハルドに言った。その理由はレックハルドにもわかる。
「……ヒュート!」
 ぽつりと彼は前に立っている人物の名を呟いた。酷薄そうな顔立ちに、薄い笑みを浮かべながら、彼は狂気を映すような瞳で、レックハルドを睨むように見ている。彼にもレックハルドを追いかけてくる竜は見えているはずだ。だというのに、ヒュートは、仲間数人をつれてそこにたたずんでいる。その右手には、刃物の光が、鈍い太陽にてらされてわずかに輝いていた。
 マリスが警戒するのももっともで、彼の憎悪は傍目からみてもすぐにわかる。その不気味な雰囲気に、マリスはレックハルドに意見を求めたのだろう。
「……マリスさん! 手綱を!」
 少し考えた末に、レックハルドは、マリスに言った。
「え、あ、はい!」
 マリスは、後ろからのばしてきたレックハルドの手に渡した。それをしっかりと握って、マリスの肩越しに見える前方に注意を向ける。後ろからも、迫ってくる足音が聞こえる。そして、姿を現していないが、先程確実に彼を攻撃してきた者がいる。少なくとも、レックハルドには、三つの敵がいるということだ。
 その三人で、一番戦いやすいのは、おそらく、ヒュートだ。彼の下で働きながら、レックハルドは、その考えを読んできたつもりである。まずは彼をどうにかして、それからあと二つをどうにかすればいい。或いは、異変に気づいたファルケンが、そろそろ来てくれるかもしれない。
(逃げ切ってやるぜ! 大体――)
 レックハルドは唇を軽く噛んだ。
(これ以上カッコ悪いトコさらせるかよ!)
 レックハルドは手綱を握る手に力を込める。マリスは、少し前にかがむようにして馬のたてがみを掴んだ。視界が開け、目の前の黒い服を着たヒュートが、わずかに笑んでいるのが憎らしいほどにわかる。
 そして、レックハルドは、ふと先程の幻想を思い出した。
(黒い服なんざ、やっぱり辛気くさい服はきるもんじゃねえなあ!)
レックハルドは苦笑した。
 あのヒュートと揃いの服なぞ、面白くも何ともない。





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©akihiko wataragi