辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
一覧 戻る 次へ

  
 


辺境遊戯 第三部 

 第一章:闇夜の竜王-15


「一度、オレを操ったあんたならもうわかるんだろ?」
 ファルケンは静かに言った。
「もう、オレはあんたの支配下にはおけない。……それは純粋にオレの方が強いからだ。あの時は、力の使い方をよく知らなかったが、オレはもう今は戦い方を知っている」
「生意気を……!」
 アヴィトは、忌々しげに吐き捨てた。
「……だから、オレを通してくれ。だったらアンタに危害は加えない!」
 と、ファルケンは、空中に半ば浮かぶようにしているアヴィトの足元を見た。屋根の上に落ちる影は、不自然に震えている。アヴィトの姿形とは関係なく、その下によどむものは、何と醜悪で哀れなものだろう。
 ああ、そうか。とファルケンは思った。道を後一歩踏み外せば、自分もきっとこうなっていたのかもしれない。あの時、レックハルドやマリスが引きずり出してくれなければ、自分はきっと本当に惨めなモノに成り下がっていたことだろう。
「一発ぐらい殴るかもしれないけど、オレはそれでもう全部忘れる! もう……そう決めたんだ。だから、別にあんたをどうこうしようなんて思わない!」
 言ってしまってから、ファルケンは、感情を抑えるように奥歯を強く噛んだ。憎悪が全部消えたと言えば嘘になる。あの時のことを許せといわれても、ファルケンにはまだそれはできない。あの時の苦しみも哀しみも、レックハルドの後悔も、全て自分とこの司祭達が悪いのだ。だから、きっとそれを考えるとファルケンには、まだ全てを許すことはできない。本来なら、八つ裂きにしても気が済まないほど、ずっと憎んできた相手なのだ。その炎を消すことは、まだファルケンにはできない。
 だが、自分をあの暗闇から出してくれた二人を思うと、ファルケンはこの感情をひきずったまま生きる気にはなれなかった。忘れる振りならきっとできる。その内に時間が、この感情を薄れさせてくれるだろう。
「だから、退けよ! オレは急いでるんだ!」
 ファルケンはそういって、だっと走り込んだ。
「くっ! 私を愚弄したな!」
 アヴィトは怒りにまかせて、ファルケンの方に光弾を放ったが、ファルケンは相手にする気などなかった。ダン、と屋根を踏みつけると、そのまま斜めに飛んだ。
「何!」
 アヴィトの本体に飛び込むような形になり、慌てて彼は避けるがファルケンは追撃しない。彼が避けるのはすでに予想済みだ。そのまま、ファルケンは、反対側の屋根に降り立ち走り出す。
「貴様ァ!」
「相手している暇なんかないっていってるんだ!」
 ファルケンは小声で吐き捨て、刀をもったまま走る。後ろからアヴィトの追撃が来たらしく、足下に熱い光が弾ける。だが、それを見ることもなくファルケンは走る。
 向こう側に煙が上がっている。レックハルドがいるとしたらそちらだ。新しいコートを掠めては焦がす熱線を鬱陶しく思いながらも、走るファルケンは、徐々にアヴィトを突き放しつつあった。首飾りの金貨が胸元で揺れる。
(急がないと!)
 息を切らしながら全力でファルケンは走る。向こうの建物の一角で、巨大な黒い何かの尖った先端が見えた。翼の一部かもしれない。
「あそこだ!」
 土煙をたてて建物が破壊されていくその場所に向かって、いっそう速度をあげる。後ろから追撃はもう来ない。完全に巻いたのだ。
(後は走ればいいだけだ!)
 ファルケンがそう思って、わずかに喜色を顔に浮かべたとき、不意に頭の上のほうから何か風を感じた。
「えっ!」
 思わず、ファルケンはスピードを緩めた。目の前に黒く大きい何かが落ちてきて、ファルケンはのけぞりながらその場で足を止めた。ガッという音と共に、走っていた屋根の天井部分に鋭く大きいツメが刺さっていた。それは黒い堅い鱗に覆われた皮膚で守られた手についていた。バランスを崩しながら、慌てて身を翻す。
 そうだ、竜は一匹ではなかった。ファルケンはそれに気づいて舌打ちした。顔を上げると、そこには黒い鱗を持つ巨大な蛇のようなものが彼を金色の瞳で睨んでいた。
「くそっ! オレは急いでるんだって言ってるだろ!」
 ファルケンは、多少いらだってそう叫んだ。と、同時に相手が大きな赤い口を開いて咆哮をあげる。するどい岩のような牙が、ファルケンを威圧した。
「だから、急いでるんだ!」
 ファルケンは叫び返すと、相手に飛び込んだ。口に入る前に、鼻面を掴んでそのまま上に飛び上がる。竜はあばれてすぐに空に飛び上がる。ファルケンは、背中のギザギザした突起に手を掛け、上昇の衝撃に何とか堪えた。
「くっ! ……面倒なことに……!」
 ファルケンは右手に持っていた刀をかざした。空にあがったことでよく見えた視界の向こう側で、建物はいっそう埃を巻き上げて散らばっている。あそこの下にレックハルドがいるかもしれないと思うと、ファルケンの心はいっそう焦った。
「とにかく、手早く勝負つけさせてもらうからな!」
 振りかざした刀を思いっきりそこに叩き込む。さすがに背中からここを突けば、死ななくても多少弱まるはずだ。ファルケンはそういう目算だったのだが、次に訪れたのは奇妙な音と衝撃だった。
「いっ…………!」
 ファルケンは腕に走った痺れを押さえながら、剣を取り落とさないように必死で抱え込んだ。そうっと下を見るが、剣を突き立てたはずの場所には、傷一つ入っていなかった。
「嘘だろ!」
 ファルケンは思わず叫んだ。
「刃が全然通らないなんて!」
 竜の尻尾がこっちに向かってきて、ファルケンは、慌てて翼につかまって身を翻す。必死でしがみつきながら、ファルケンは困惑した。
「ど、どうしよう……。竜退治の仕方なんて誰も教えてくれなかったし……!」
 トカゲぐらいなら狩ったことはあるにはあるが、ファルケンはあまりは虫類を獲物にしてはいなかった。それに、トカゲとも蛇とも、この動物は違う。同じ鉄のような肌を持っていても、この動物は切れ味では普通の剣を凌駕するはずのこの刃すらも跳ね返した。
 つまり、特殊な何かか、特定の場所でないと傷つけられないということなのかもしれない。
「ど、どうしよう」
 敵の攻撃を避けつつ、ファルケンはそっとレックハルドの方を伺う。まだ竜が暴れてるということは、レックハルドは無事なのだろう。そう思い、ファルケンは、この竜をどうかわすか考え始めていた。
(と、とにかく、オレが行くまでレックが食べられませんように!)
 ファルケンは、思わずそう祈った。
 その位置からは、よく見えない場所に、赤い髪をなびかせて、一人の娘が走っていることをまだファルケンは知らない。


 ファルケンが竜と戦っているのは、下にいるダルシュとシェイザスからも見えていた。その旗色が悪いのも、竜の翼の端に必死につかまっているらしいファルケンの様子をみるだけで予想がつく。
 パーサを安全な建物の影に運んで、シェイザスが近くについて様子を見ている。ダルシュは、そこから少し出たところで不安げに空を見上げているばかりだ。
「くそ、どうなってんだ?」
 ダルシュは舌打ちをした。
「……竜は、……やはり竜なのよ」
 シェイザスがぽつりといった。
「伝説によると、竜というのは、昔ほぼ不死身だったそうよ。もちろん、傷つける方法がないわけではないんでしょうけど、それについての伝承は消えているわ。それに、万一急所がわかったとしても、空を飛ばれている以上、ファルケンが不利なのは当たり前だわ」
「くそっ……! 何か方法が……!」
 ダルシュはいつの間にか、拳を握っている。それが微かに震えているのは、恐怖のためでも興奮のためでもない。シェイザスには、彼が自分をそうやって押さえ込んでいるのがよくわかる。そうでもしないと、ダルシュはそのまま剣を抜いて飛んでいってしまいそうなのだろう。
「ねえ、ダルシュ……」
 シェイザスは少し迷いながら、釘をさすように言った。
「あなたは、行っちゃいけないわ」
 言われて、ダルシュははっと彼女の方を向く。やはり、図星だったのか、ダルシュの顔つきは少し険しかった。
「わかっているでしょう? あれはあなたには敵わない生き物なのよ?」
「ああ、わかってるよ! オレにはあんな奴を相手にする力はない!」
 シェイザスから目を離し、ダルシュは、唇を噛みしめながら言った。
「オレは、あのファルケンの奴みたいに、あんな化け物相手に戦う力なんてないんだ! どうにもならねえのはわかってる! だけど、このままじゃあ……!」
 無力なのは、もう嫌なほどわかっている。自分は結局あの時から何もできなかった。レックハルドのように口と立ち回りだけで乗り切る自信もなく、かといってファルケンのように正面切って相手に向かうほどの強大な力を持ち合わせてもいない。自分にできるのは、せいぜいちんぴらを相手に殴り合いで勝つことぐらいで、ファルケンが死んだときも、結局何一つ役に立てなかった。
 別に、恐くはないのだ。ダルシュはどちらかというと恐怖感が欠けている方でもある。だから、別に化け物相手にしてもそれほどに恐いとは思わない。恐いのはそれではない。
(……このまま行っても犬死にか?)
ダルシュは唇をいっそう強く噛んだ。いや、無駄死にすることもさほど恐くない。ただ、助けにいってファルケンの足を引っ張る方が恐かった。
 わかっているだけに正直辛かった。いまや、あのファルケンを見ると、自分は足下にも及ばない。人間の身であんな化け物に立ち向かうのは無理だ。少なくとも、力にだけしか自信のないダルシュには――
 建物が壊される様子を見ながら、ダルシュは押し黙っていた。胸の奥に鉛が沈んでいるようで、悔しさで息が苦しいほどだった。
『汝、力を望むか?』
 突然、頭の中に声が響いた。電撃のように痺れを伴うような、そういう声だ。
「え、あ、誰だ!」
 ダルシュは辺りを見回す。だが、そこにシェイザス以外の人間の姿は見えない。
『汝、力を望むかときいておる』
 もう一度声は響く。頭に直接投げ込まれているようで、体の芯が痺れるような感覚が同時にした。
「どこにいるんだ! そりゃっ、望むっていうと、望んでるが!」
「ダルシュ、あなた誰と話しているの?」
 シェイザスが怪訝そうな顔をした。それは当たり前といえば当たり前で、周辺には気を失ったパーサをのぞけば、シェイザスとダルシュしかいない。しかも、その声はシェイザスには聞こえていないので、ダルシュが一人で騒ぎ出したようにしか見えないのだった。
「どうしたの? なにか幻覚でも?」
 ダルシュは首を振る。
「いや、なんかどこかから声が……し……」
 ふとダルシュは声をとぎらせる。直後、びくうっとダルシュの体が不自然に大きくひきつった。握っていた拳が感電したように大きく開かれ、指先がわずかに震えるのが見えた。
「ダルシュ!」
 シェイザスが声を上げる間に、ダルシュの体は地面に投げ出される。シェイザスは彼の側に駆け寄った。何が起こったのかわからない状態で、シェイザスは彼女らしくなく少し慌てていた。そうっと手を差し出しながら、倒れ込んだダルシュをのぞきこもうとする。
「ど、どうしたの? 何が……」
「なるほど、これはよい媒体ではあるな」
 ふとダルシュの口から声が漏れた。シェイザスはびくりと手をひいた。身を起こすダルシュの雰囲気が、なにか根底から変わった気がしたのだ。
「私の声を聞けたということは、こやつはさしずめ眷属というわけだな。だが……」
 彼は、目を細める。
『だが、遠くからではコレが精一杯か……。ものの認識がうまくできん! 不便な――!』
 不意に声ががらりと低く変わり、ダルシュは眉をひそめた。その目には、彼には無縁だった理知的な色が灯っている。黄金に光る瞳には虫類の細い瞳が、異様な色を添えている。冷たい冷気のようなものをまといながら、ダルシュは身を起こす。
「ダ……」
 名前を呼ぼうとしてシェイザスは、絶句した。そこにいる男の顔は、ダルシュであってダルシュとは全く違った。威厳のある老いた眼差しに理知的で威圧的な光。ダルシュにあったはつらつさと若さと荒々しさが消えている。顔色までが違うようで、シェイザスは一体何が起こったのかわからず、ただ黙って彼を見つめていた。
『む、そこに誰かいるな? 先程の声からすると……女か?』
 ダルシュは口を開いた。やはり、はっきりと彼の声とは質が違う。戸惑うシェイザスの存在はわかるらしいが、その様子は、しかし彼には見えていないらしい。彼は、シェイザスの戸惑いにも疑問にも答えようとせず、ただはっきりとこう言った。
『そこな娘、このものの体、しばし、借り受けるぞ!』
「なんですって?」
『借りるだけだ! 無傷で返す!』
シェイザスは耳を疑った。「借りる」とはどういうことだ。
「どういうこと?」
 だが、ダルシュ、正確にはダルシュの中にいる「もの」は、シェイザスの疑問に答えようとせずに身を翻した。翻る赤い布が、真っ黒な墨でもかぶったように見る見るうちに黒く染まる。それは、果たして闇のせいだったのか、それとも、中にいる何かのせいなのか、シェイザスにはすぐにはわからない。ダルシュの影は、だっと屋根まで飛び上がり、そして走っていく。
 シェイザスは、思わず目を見張る。ダルシュの運動能力は、確かに以前から高かったが、だが、あんな狼人ような無茶な真似ができようはずがなかった。
「ど、どうなっているの?」
 シェイザスには、なにか形のないものを見る力は、はっきりとある。だが、それでも、その「中」にいるものが何であるかはわからない。悪霊などではない。邪気や妖魔の類でもない。それらのエネルギーを感じ取るぐらいの能力はシェイザスにはある。だが、先程の中にいるモノは、それらとは全く違う力と雰囲気を身につけていた。
「『あなた』、一体誰?」
 彼女は、ぽつりとダルシュの中にいる者に向かって呟く。もちろんその答えは返ってくるはずもない。
 ただ、向こうで黒い翼が広がり、羽ばたく音がしたような気がしただけである。





一覧 戻る 次へ

このページにしおりを挟む 背景:NOION様からお借りしました。
©akihiko wataragi