辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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辺境遊戯 第三部 

 第一章:闇夜の竜王-12


 礼節をわきまえた人間は嫌いではない
 時に、人は分をわきまえぬ愚かな生物だと言うものもいるが、
 多くの人間は、それでも自らの分を本当は知っているものである
 だから、彼らは私に怯え、私を畏怖し、そして敬うのだ

 かつて彼らは私に供物を捧げ、そして、私は彼らを保護することを約束した
 だが、それは、彼らが私を恐れるからではなく、
 私が彼らを支配しているからではなく、
 
 ただ、我々は、この地上に生きる同志として、彼らを受け入れただけのことなのだ
 私が、おそらく、人間をふくむこの世界を愛していただけのことである

滅びの運命を受け入れ、そして、私は、彼らに全てを継がせようと、そう思っただけなのだ


 ヒュルカの旧市街の路地裏にはろくなものがない。上から崩れてきた廃材やその辺のがらくたが、先程の衝撃で一気にふりかかってきたようだった。
崩れてきたがらくたの山の一角が動き、レックハルドはようやく頭を出した。
「畜生、えらい目にあっちまった…! いってて…。なんだ、今の地震はよ」
 レックハルドは、不満そうにいいながら身を起こす。がらがらと鳴る足下の木くずを蹴りながら身を起こした、レックハルドは空を見て、ハッとする。
 いつの間にか、日蝕が起こりかけている。薄暗くなった空に、中途半端に輝く白い太陽が、いっそのこと不気味だ。そして、その空を、彼が先程見た筈の黒い翼が縦横無尽に飛び交うのが見えた。
「…な、なんだ、あの化け物は……」
 レックハルドが言葉を詰まらせるのも当然だ。狼人のファルケンや、何か特殊な力があるらしいダルシュはともかくとして、レックハルドは妖魔を見分ける能力もないのである。最初は妖魔かと思ったのだが、それは、彼がせめて見たことのある範囲の妖魔とは違っていた。
 黒い黒い存在が一頭。蛇のような体に、大きく蝙蝠のような黒い翼に、大きな頭。全身が堅い鱗に覆われているのがかろうじてわかるほどである。その全てをもってしかるべき動物を、レックハルドは知らない。
「レックハルドーーー!」
 追いかけてくる声が、その考えを中断させる。レックハルドは、反射的に立ち上がって駆けだした。蹴られたがらくたが後方に飛び散り、追っ手の先鋒を転ばせたことをレックハルドは音で知る。
「くそっ、ヒュートの野郎、あいっかわらず、しつこい野郎だ!」
駆ける狭い路地裏の空は、暗い。走る度に移り変わる空の上で、やはり黒くて長い生き物が飛び交っているのが見える。これほど不気味な光景は見たことがない。あんな巨大なものが空を飛ぶなど、レックハルドは信じられなかった。
 と、ふと後ろから風を裂く音が聞こえ、レックハルドは反射的に横に飛んだ。先程いた場所を、鋭い音を立てて矢が通り抜けていく。
「チッ! あいつ、本気でオレを殺す気かよ!」
 レックハルドは後ろにむけて吐き捨てる。飛び道具まで使ってくるようでは、こちらも早々にどうにかしなければ……。
 と、レックハルドは、ふと前方に顔を向け、あることに注目する。もうすぐ路地裏を抜けて、別の路地にでるのだ。食堂らしい建物の目の前に馬が一匹つながれているのが見えた。この暗い空に怯えてか、馬は落ちつきを失っているようだった。
 狭い路地を走り抜け、レックハルドは、人々が怯えながら店や家に逃げ込んでいる中、まっすぐに見捨てられたような馬に向かって走り込んだ。杭にかけられた手綱を払うと、馬は驚いて逃げようとする。
「逃がさねえぜ、レック!」
 後ろから追い立ててくるヒュートの声をききながら、レックハルドは走り始めた馬の手綱をまだ放さずに併走した。恐慌をきたしている街の通りだが、人はすでに少なくなっている。
「くそっ! こんな不毛なところで死ねるか馬鹿野郎!」
 レックハルドは吐き捨てると、逃げる馬の手綱をつかまえて、あぶみに無理矢理片足をかけた。馬は暴れようとしたが、レックハルドはそもそもが草原の生まれだ。かなり馬には乗っていないが、それでも、子供の頃、羊を追うために馬に乗って行動していた。だから、レックハルドは、馬術にはそこそこ自信があった。
 ぐっと手綱をひいて、片足だけあぶみにのせたのみのバランスの悪い状態でも、レックハルドは馬を押さえつけることができた。
「よーし、いい子だからいうこと聞けよ!」
 そのまま走らせながら、レックハルドは思わずそんなことを呟く。その言葉に応えたのかどうか、馬はそのまま走り出した。背後から飛んでくる矢を振り切りながら、レックハルドは、ようやくそれにまたがる。これより街に入れば、ヒュートとはいえど、さすがに矢を乱射してくることはないだろう。
「しまった!」
 追いかけてきたヒュートの手先の一人が舌打ちした。
「あいつは草原生まれですぜ、馬に乗せたら……」
 もう一人が、遅れて走ってきたヒュートに言った。草原の民が馬に乗ったときの力は、相当なものである。例え、武芸一般がほとんど駄目なレックハルドにしても、先程のような真似ができるところをみて、その力をなめてはならない。その気になればレックハルドは、手綱を放してでも馬を操ることができるはずである。
 ヒュートは、血走ってはいないくせに、異様に冷たい憎悪に満ちた目で、彼がまだ不安定な姿勢のまま馬を走らせていくのを見ていた。ふっと、薄い唇に歪んだ笑みをのせて、ヒュートは何でもないことのように言った。
「そう長くはもちはしねえ。もし、野郎が落馬したら、引きずってこい」
「え、しかし……」
 どうしてその内に落馬するなどとわかるのだろう。仮にも草原の民であるレックハルドが落馬することは滅多にないはずなのに。だが、彼らの疑問には答えることなく、ヒュートは空を見上げた。その彼自身が、異様に黒い力を発散させていることに気づけるものは、ここにはいない。
 冷たい瞳が空を刺すように見る。そこに飛び交う謎の巨大な動物を眺めながら、彼は言った。
「……あいつらが、奴を八つ裂きにして食い散らかす前にな!」
 ヒュートは、冷たい笑みを浮かべる。日蝕のせいで、はっきりしないもやもやとした彼の影が、揺れていることを気づいたものもほとんどいない。 
 ヒュートの手を一旦逃れ、街の中、逃げまどう人の間を縫うように馬を走らせていたレックハルドは、結局旧市街の方に逃げ込んでいた。頭の上であんな化け物が飛び回っていることもある。とっととファルケンと合流した方が無難だと彼は踏んだのだった。
 空に飛んでいるのは、一匹だけではない。黒いのが二匹と、赤い肌をもつものが一匹。計三匹である。頑強な鱗に、そして、凶暴な金色の瞳。トカゲというよりは、足のある蛇に近い印象がある。
 だが、レックハルドは、まだこの時、それほど危機感を抱いていなかった。まさかあんな大きなものが、自分のような小さな獲物を狙うとは考えていなかったのだ。だが、それは甘い考えであった。いや、むしろ、レックハルドに予想しろというのも、無理だったのかもしれないが。
 突然、頭上に黒い影が落ち、レックハルドは嫌な予感がして咄嗟に手綱を引いた。馬はいななき、少し左側に身を寄せる。直後、先程まで彼がいたであろう場所に、鋭い鋼鉄のようなツメがふりかかり、地面を激しく抉った。土塊はさすがに彼には当たらなかったが、それでもその威力を示すには十分な演出だった。
「何!」
 体に悪寒が走るままに、レックハルドは頭上を見上げる。金色の凶暴な目と真正面からぶつかり、レックハルドは悲鳴を飲んだ。黒い鱗に覆われた大きな頭だが、その中に理性というものが詰まっているとはとうてい思えない。
 大きな蛇のような体に生えた腕の先の鋭いツメと、そして口から覗く黄色の牙に、さすがにレックハルドは息をのむ。
 頭上を彼が走らせる馬に併走するように飛んだまま、黒い竜は翼を重く羽ばたかせた。その風圧だけでも飛びそうになるが、馬はどうにか倒れずに走る。しがみついたまま、レックハルドは、ようやく、竜があえて自分を獲物として狙ったことに気づいた。
「ちょ、ちょっと待て! 何でオレなんだ!」
 食用として狙うなら、長身で痩せているレックハルドはあまり向けでない。馬を狙っているのかとも思ったのだが、先程の目は間違いなく自分を見ていた。そして、或いはその目にはっきりとした敵意のようなものを感じることもできたのである。
 あの化け物は、あきらかにレックハルドをターゲットに絞ったのだ。それは、おそらく、ただ彼を殺すために……。
「ちっくしょう! オレは化け物とは何の縁もないぞ!」
 レックハルドは、口の中で吐き捨てると、馬を急き立てた。
(こんな不毛なところで死んでたまるか!)
 先程も言ったばかりの台詞をもう一度繰り返し、戦う術のないレックハルドは、ただファルケンを探しながら走る。こんな化け物をファルケンが相手にできるかどうかは、正直の所わからない。だが、こういうとき、彼が頼ることができるのは、ファルケンだけだったのだ。


 空を見ている内に、いつの間にか日蝕が起こっていた。といっても、完全な日蝕ではなく、黒いもやが薄く太陽にかかっているほどで、視界を遮られるほどの暗さではない。
 ファルケンは色とりどりの巨大な翼が空を飛んでいるのを見ながら、あっけにとられていた。ずっとそれを眺めていたファルケンは、呆然と呟いた。
「まさか……コレが「竜」って奴なのか?」
 でも、きいていた姿とは少し違う。辺境の狼人は長命なために、その分、人間よりも正確な伝説が伝わりやすい。彼らの口伝によれば、竜はたいへん知性の高い動物だ。人間と狼人がこの地上に現れる前までは、彼らがこの地上の支配者だったとされている。彼らは滅びの運命に身を委ね、そして静かに消えていったと言われてはいるが、世界が何度か危機に陥るたびに、彼らは辺境とそして人間の為に手を貸してきた事実がある。
 だというのに、この知性のかけらもない生き物は何なのだろう。まるで、これでは姿形が整っただけの妖魔と一緒だ。破壊の衝動に身を委ねるばかりなのだから。
 ファルケンは、一瞬考えて、そして素早く決めた。何がどうあれ、このままではヒュルカはとんでもないことになる。竜達は何も考えずに旋回しているわけではないのだ。彼らはどこに狙いを定めるか、ゆっくりと獲物を選別しているのである。
 ファルケンは、厳密に言うとまだ正確なシールコルスチェーンとして、守り人の役割を割り振られたわけではない。自分で半分拒否して出てきている面もある。だから、別にこの場でこの破壊を見捨てても、彼の罪にはならない。
 だが、ファルケンは、この場で破壊を見過ごす気にはならなかった。それに、何だかんだいってファルケンもこの街が嫌いではないのだ。だから、ファルケンは自分の意志で剣に手を掛けた。
「……あまり、暴力には頼りたくないんだけどな…」
 と、ふと、抱きかかえていたパーサに、少し離れたところに、と言おうとして、彼は、思わず驚いた。
「あ、あれっ? ちょ、ちょっと…」
 いやに反応がないなとは思っていたが、パーサはすっかりぐったりとしていて動く気配がない。どうも、先程の衝撃のせいで気絶してしまったらしいのだ。ファルケンは、剣に掛けていた手をはなして、やや動揺しながらパーサを慌てて抱え直した。てっきり驚いて動いていないだけだと思っていたら、いつの間にかずり落ちそうになっていたからだ。
「あの、パーサ…だっけ。……大丈夫かい、なあ……」
 駄目もとで顔を軽くそうっとたたいてみるが、パーサはすっかりのびてしまっているらしく、目を覚ます気配がない。ファルケンは、思わず顔を空いた手のほうで覆った。
「ま、参ったなあ。どうしよう。ホントに気絶しちゃってるよ」
 気絶している少女をその辺に放置して戦うわけにもいかない。どうしようかと周りを見回していると、ふと、街の一角から大きな音が聞こえた。思わず肩をすくめ、ファルケンはパーサをかばいながらそちらを見る。
 近くの旧市街の廃墟が一棟、粉砕されながら吹っ飛ぶのが見えた。人がいなさそうなので、とりあえず犠牲者はいないだろう場所なので、安堵したのもつかの間、そちらの方から非常に聞き覚えのある声が聞こえてきたのである。金切り声にまではなっていないが、相当切羽詰まっているのはその声の調子でよくわかった。
「ファルケン! どこにいるんだ! 出てこいぃ! 死んだら、終生祟ってやる! お前、いっとくが人生長いんだぞ! 不運が取り憑いて博打なんか一度も……うわあっ!」
 旧市街の方からもう一度木くずが飛ぶ。ファルケンは、どうもレックハルドが襲われているらしい事を知って、更に焦った。
「どっ、どうしよう……。さすがにこの子背負って戦うのは危ないし……」
 腕には気絶した娘、向こうには何か命の危機を迎えているらしい親友。元はといえば、レックハルドがパーサを泣かせたのが原因なので、罰が当たったといえばそれまでだが、だからといって見捨てることはできない。あわあわと焦っていたが、ふとあることに気づいて、ファルケンは落ち着きを取り戻す。
「あ、…でも、あれが言えるということは、レックはまだ余裕があるってことだよな」
 そろそろつきあいが長くなってきたせいもあって、レックハルドの性格はよくわかる。ああいう悪態がつける内は、レックハルドは、まだ何とか平気だということである。本当に余裕がなくなると、レックハルドという男は面白いもので、急に叫ぶのをやめて冷めたことを言い出す事が多い。だから、可哀想な気もするが、悲鳴を上げて罵声を浴びせている間は、大丈夫は大丈夫なのだ。
 だったら、とファルケンは素早く周りを見回した。どこかにきっと人がいるはずだ。その人にパーサを預けてから、レックハルドを助けに行った方が断然いいはずである。
「あっ、あれは!!」
 と、ファルケンは、不意にある人物を見つけて目を輝かせた。それは、打開策を見つけたという一方で、ある種の懐かしさをふくむものだった。
 ここからでは小さくしか見えなかったが、その男は赤いマントを着ていて、側に暗い色の服を着た女を連れているようにみえたのだ。





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©akihiko wataragi