辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
一覧 戻る 次へ

  
 


辺境遊戯 第三部 

 第一章:闇夜の竜王-11


じり、と間合いをはかりながら、レックハルドは周りを素早く見回した。背後にはまだ人の気配は感じない。だが、下手には動けない。
久々にあったヒュートは、以前より更に冷たさが増したようだった。レックハルドは自分を温かい人間だといういう気がさらさらないが、それにしても、ここまで冷たくはなれないだろうとふと思った。昔もそうだったかもしれないが、今、目の前にいるヒュートの冷たさは氷の形容を通り越して、光を浴びたことが一度もないような奈落の底ほどの冷たさに思えたのだ。
 背筋に寒いものが走るのをおさえながら、レックハルドは相手との間合いをもう一度正確にはかる。念のために右手で帯に挟んである短剣を掴む。それを使う機会があるのかどうかはわからない。
「四の五はいわねえ。お前ももうわかってるだろう?」
 ヒュートは低い声でいい、憎悪にぎらつく目で彼を見た。
「組織を裏切った上、俺の顔に泥をぬったお前を生かすわけにもいかねえ」
 さらに、言い募るように声をわずかに高め、ヒュートはレックハルドに告げた。
「楽な死に方ができると思うなよ。てめえだけは、地獄が天国に思えるほど痛めつけてやる! 今の内に遺言でも残しておけ!」
 ふっと笑い声が飛んだ。その緊迫した空気を破って、レックハルドは手を広げた。
「ふん、冗談きついぜ」
 レックハルドは、やや低い声で笑うように言って、わざとそっくりかえるようにして、肩をすくめる。
「大げさな野郎だ。オレみたいな若造一人捕まえて、その台詞か?」
「何だと…」
 ヒュートは、レックハルドが突然軽口を叩いたので、最初は驚いたようだった。やがて、それはすぐさま怒りに変わり、彼は声を荒げた。
「もう一度言ってみろ!」
「ぎゃあぎゃあ吠えるなよ! みっともねえなあ。オレみたいな小物にそんな大げさな事を言って、大物の貫禄がすたるんじゃねえのかと忠告してやったんだよ!」
 さすがに辺境で命の危機を何度か味わっただけあって、レックハルドは以前のようにすくみ上がることはなかった。自分でも、不思議だと思ったが、砂漠を渡って渡った聖域での出来事を思い出せば、今更ヒュート風情に怯える気にはならなかった。自分は一度地獄を抜けてきたのだ。あのことは、レックハルドに、昔とは比べものにならない度胸を与えていた。
「大体組織だの何だの、オレがここにいるとき、あんた何をしてくれたんだよ? それに今はオレは足を洗ったんだ。あんたとは関係ないぜ!」
「てめえ!」
 ヒュートは腰に下げている刀に手を掛ける。それを見計らって、レックハルドは身を翻した。荷物を手に取り、そのまま担いで走る。コートのはしが、風を受けて広がった。
「逃がすか!」
 ヒュートの声が続いて、背後にいた連中に号令を掛けている。足音を聞く間もなく、レックハルドは路地裏に飛び込んでいた。勝って知ったる路地裏を走り抜ける。こちらは、彼らの縄張りではないので、そう派手に暴れられないとは踏んでいるが、あのヒュートの様子は少し異常だった。
「とはいえ…」
 レックハルドは走りながら背後を振り見る。角の方に追いかけてくる彼らの姿がちらりとだけ見えたが、かなり引き離してはいた。レックハルドは足の速いことでは有名だし、待ち伏せされない限りは逃げ切ることができる、とは思う。
 別に恐くはないし、怯える必要はない…が、それはレックハルドが精神的に強くなった結果だ。肉体的に強くなったわけではないので、飛び掛かってくる彼らをたたきつぶす、などという格好いいことは、レックハルドには不可能だった。だから、いくら軽口を叩いたところで、逃げ切れなければ終わりなのだ。
「やべえなあ…。捕まったら間違いなく殺されるな。コレ…」
 逃げ切る自信はないわけではない。だが、万一のことを考えて、レックハルドは少し警戒した。なにせ相手はヒュートだ。どんな手を使ってくるか。
「しかも、こういう時にあいつ、いつもいねえ!」
 走りながらレックハルドは、消えた大男に向けて文句を言った。あの相棒は、頼りにはなるのだが、肝心なときにふらっと姿を消していることが多いのだ。
「くそっ、まずいな。ファルケンの奴を呼び戻すべきか…。それとも、このままあいつがいそうな所まで…」
 パーサのいそうなところは幸いわかる。相手の縄張りの中なのは危険だが、それでも一度立ち寄るぐらいは平気だろう。
 と、方向を変えようとした彼の目の前がにわかに暗くなったような気がした。少し目をこすると、それはあまり変わらないように思える。だが、何か不安になって、レックハルドは、不意に空を見たのだった。
それは、黒い黒い予感だった。日蝕ではないのに、なぜか空がかき曇ったような気がしたのだ。
「な、なんだ…」
 本能的な危機への恐怖といった方がいいかもしれない。レックハルドには、霊感やそうした特殊な勘は全くといっていいほどない。だが、命の危機に関する事に感づくことは、その生活からか鋭いつもりだった。
「なんだか、嫌な予感がするぜ」
 レックハルドは、恐怖に駆られて思わず吐き捨てた。何となくこれは「やばい」。
「ファルケンの奴! ったく、こんな時に! あいつ、何してやがるんだ!」
 ぶつぶつといい、レックハルドは、追っ手に見つかるのも承知で大声で彼を呼ぼうかとも思った。
 もう一度空を見る。太陽の方に微かに見えたのは、何かの黒い翼のようにも見えた。それを何と呼ぶのかレックハルドにはわかろうはずもない。
 それは、彼はおろか、現代ここに生きている人間の大多数が見たことのない動物に他ならなかったからだ。



 ファルケンはその時、危機を迎えていた。いや、人生最大の危機はもうあれこれあった気もするが、それらとは別の意味では今回が最大かもしれない。
(困った……)
 ファルケンは、レックハルドも一緒に連れてくればよかったと後悔した。そうすれば、あのレックのこと、自分などとは違って、もう少し気の利いた事に一つや二つ言えるに違いない。
(どうしよう)
 ファルケンはそうっと隣の少女を覗きこんだ。まだ、視線の先で少女は、しくしく泣いている。実は彼女に追いついたときからそうだったのだ。街の袋小路みたいな路地裏で、彼女は顔を覆って時々しゃくり上げるような声をあげるだけだ。ファルケンは仕方なく隣に座って、何か声をかけようと先程から必死なのだが。
 思えば、レックハルドは、布の善し悪しや値切りの方法など、色々無駄なことは教えてくれたが、女の子を泣きやませる言葉など教えてくれたことはない。
「あの…ええっと……あのあの…」
あらかじめ言葉を考えてみて、口に出してみると結局何を言ったものがわからなくなった。中途半端に口をきいて、ファルケンは結局言えずにおろおろと彼女を見た。
「あ、あの………大丈夫かい?」
 聞いた後で大丈夫でないから泣いているんだよなあ、と思ってしまい、ファルケンは更に焦る。一体、こういうときは、どうしたらよいものか。ロゥレンもよく泣いたが、彼女の場合は半分怒っているし、その内どこかに行ってしまうからまだ対処法もあった。だが、動かない様子でしくしく泣かれた場合、一体どうすればいいのだろう。
 パーサという名前らしい少女を見やりながら、ファルケンは困惑気味にため息をつく。その様子にいい加減気づいたのか、パーサがぱちりと泣き濡れた顔をあげた。茶色の明るい大きな瞳が印象的な娘だ。
「あんた、あたしに気を遣ってくれてるの?」
「え? うん…と、まあ、そうなのかな…」
唐突そう訊かれて、ファルケンは戸惑った。パーサは、そっかあ、ありがとう。などと応え、抱えていた膝を少し伸ばした。
「…ご、ごめんよ、さっき、あのレックが……」
 ファルケンが慌ててそういうと、パーサは首を振った。
「ううん、あたしが悪いのよ。いきなり声かけちゃったし。それに…」
 パーサは、ふうとため息をついた。
「そうよね、…だって、あたし、昔あいつが酷い目にあってるの、黙ってみてたんだもの。きっと、それもあって怒ってるよね、レック。そんなの仲間っていわないもの」
「え、いや、それは知らないけど」
 ファルケンは、顎をなでながら困る。すでに無精髭がはえつつあるが、髪の毛と同じく色が薄いのであまり目立たない。
「昔って本当に昔なんだろ、だったら、レックはあまり執念深くないから大丈夫だよ…」
「そうなの?」
 そうなの、と聞かれて、ファルケンは一瞬詰まる。レックハルドは、けして執念深くないとは思うのだが、実際どうなんだと訊かれると、ちょっとだけ不安になる。金に対しての執念は恐ろしいし、その辺を突っ込まれると、少し不安だ。
「…ええと、ちょっと語弊が有るような気もするな…。レックは、そんな昔のこと、根に持ってないよ」
 言った後で心の中で反芻し、ファルケンはうなずく。そう言った方がきっとぴったりだ。
「あいつ、口は悪いけど、悪い奴じゃないんだ。許してやってくれな」
 慰めるようにしながら、ファルケンはのぞき込んでくる大きな目の少女に笑いかけた。
「多分、自分でも悪い事言ったってわかってると思うから、今頃ひっそり落ち込んでると思うし。レックって、結構いつもそうなんだ」
 ファルケンは、やや笑いながら言った。
「言っちゃ駄目だってわかってるんだけど、つい口に出るらしくて。でも、そう言うときって大体意地を張ってるだけなんだ。本気で言っている事ってあまりなくて…」
 パーサは、涙に濡れた目を瞬きして、ファルケンの方をじっと見た。その視線に気づいて、ファルケンは小首を傾げる。
「どうしたんだ?」
「ううん、あんた、レックのことすごくかばうのね。うん、でも、あたしもわかってるの。あいつ、そんなに悪い奴じゃないのよ」
パーサは、ファルケンの、この辺にいる人間にしてはかなり色の薄い瞳を見た。狼人特有の、若葉を固めて宝石にしたような色の瞳は、西の旅人の中にもほとんどいない色をしていて、何となく不思議だった。それでも、彼女はファルケンを狼人だとは気づいていない。ただ、きっともっと遠くから来た旅人なのだろうと思っただけである。
「レックと組んでうまくいってるのみたの、あんたが初めてよ」
「前からもそう聞いてるけど、レックってそんなにアレだったのか?」
 ファルケンは、かねがね思っていたことを口にする。確かにファルケンも、レックハルドはひねくれ者だし、難しい性格はしているかもしれないと思う。だが、今まで彼がつきあった人間達の中から考えても、それはそれほどひどくはないようだし、気を遣ってもくれる事もわかっている。それに、商売をしている彼を見ると、割と人に合わせることができない奴でもないのである。
 だから、レックハルドには、それ相応の仲間がいてもおかしくないと思っていた。寧ろ、自分とぐらいしかうまくいかなかったという話の方が信じられなかったのである。
「うん。あいつ、いつも相棒ができても一ヶ月ぐらいしかもたないもの。それに、一週間も経つと、相手の方が文句ばかり言い出して…。だから、かばってる人見たの初めて。びっくりした」
 パーサは、そういって笑っていった。
「さっきね、あっちの方で見てるとき、あれっ、っと思ったの。だって、レック、普通に笑ってたから、別の人かと思った。だってね、笑ってるレックって、あたしほとんど見たことないもの。ここにいるときって、冷たく笑ってるか、それか愛想笑いぐらいしかしなかったんだもの」
「ええっ、そうなのかい? …そ、それは、かなり危なさそう…」
 ファルケンは顎に手を置いた。かつてイェームだったとき、彼にも笑わなかった時期がある。その時の事情とレックハルドの事情は違うとは思うが、いい精神状態でないことぐらいは予想がつく。あの砂漠を渡っていたときですら、レックハルドは、別に普通に笑ってはいたのだ。それが全くないというのは、ファルケンからすればかなり不気味であり、さらにかなり危険なのだろうなと思わせる。
(レック、一体どういう生活してたんだ…)
 ファルケンはそう思いながら、パーサの様子をうかがった。どうにか涙をぬぐってくれたようで、少しだけ安心した。このまま泣きやんでくれればなあ、と思う。
「今は、いつもあんな感じだよ。気は短いし、お金も好きだし、すぐに怒鳴るけど、でも、結構あいつ、見てるとおもしろいところがあるよ」
 フォローしているつもりらしいファルケンは、そういってパーサにもう一度レックハルドに会うようにすすめたつもりだったが、彼女の方はそうはとらなかったようだ。パーサは少しうつむいて、諦めたような笑みを浮かべた。
「もしかしたら、レックは、本当にここにいるときと違うのかもしれないなあ。だったら、あたしなんかが声かけちゃ迷惑だったのかもね。だったら、あたし、このまま戻った方がいいのかも」
「そんなことないよ。レックは、慌てたって言ってたし。多分、この街で命狙われてるみたいだから、気にしてたんだと思うんだ。きっとこのまま別れたら、レック困ると思うよ。謝りたそうだったし」
 慌ててファルケンは、パーサを励ますように言った。そうかなあ。とパーサは言う。ファルケンは慌てて何度もうなずいた。このままだと、また泣かれてしまいそうだったので、彼としても必死なのである。
 じっとパーサは彼の方を見ていた。そして、ふと、あっと声を上げた。
「あんた…」
「え、な、何?」
 もしかして狼人だと言うことなどがばれたのだろうか。だったら、どうしよう、とファルケンが不安になったとき、パーサは少しだけ笑い声をあげた。
「あ、あんた、よく見ると、結構いい男じゃない」
「へっ?」
「目の色とか髪の色とか違うなあって思ったけど、中身も結構いいじゃない!」
「な、なんのなかみ?」
きょとんとしたファルケンにパーサは、楽しそうに言った。
「惜しいなあ! よく見ないとわかんないって、すごくもったいないわよ?」
「え? 何で?」
言われている内容がさっぱりわからないファルケンは、瞬きを何度もさせながらパーサを見ている。パーサは笑って言う。
「だって、あたしが見てすぐわかんなかったんだもん! もっと、カッコつけててくれたら、一発でわかるのに!」
「そ、そうなのか?」
 なんだかよくわからないが、世の中には色々あるらしい。ファルケンはそう思うことにして、とりあえずパーサをどうにかレックハルドの所に案内しようと思った。先程自分でもいったが、レックハルドは、あれでも一応お尋ね者なので、一人で長い時間ほったらかしておくのは気がかりだ。
 と、ふと、空がかき曇ったような気がして、彼はふと目を上げた。その視線を辿ってパーサが顔を上げる。
「あら。また日蝕? やだ、洗濯物が乾かないじゃない!」
 彼女にとってはそれが一番の関心事らしく、心底困った様子でぽつりという。だが、ファルケンは、それが日蝕ではないことを一目で察していた。
「アレは――」
 徐々に大きくなるかげりを見ながら、ファルケンは慌ててパーサの手を引いた。
「ここにいちゃ危ない」
「え? どうしたの?」
 きょとんとするパーサに口を開きかけたとき、不意に垂直に上から圧力がかかるのを感じた。パーサはその衝撃に負けて転びそうになったが、慌ててファルケンが抱き留めた。
 もたれかかっていた壁にひびが入っているのがわかった。ファルケンは、パーサを抱えたまま、慌ててそこから飛び上がって近くの屋根の上まで飛んだ。
 もう一度空を見上げる。そして、彼は、先程の衝撃が一種の風圧であった事を知るのだ。何か巨大なものが太陽をつつんでいるのが見えていた。
 異様に黒いそれが「竜」と呼ばれる生物であるのかどうか、見たこともないファルケンには判別ができなかった。





一覧 戻る 次へ

このページにしおりを挟む 背景:NOION様からお借りしました。
©akihiko wataragi