辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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辺境遊戯 第三部 

 第一章:闇夜の竜王-10


『お前達の王は滅び、
 お前達の王は姿を現さず、
 そして、お前達は良心と知性を失ったのだ

 さぁ、時に取り残されし太古の亡者どもよ、
 かつての地上の支配者よ
 今こそ、もう一度その覇気を取り戻すがいい
 
 街を焼き払い、そして、この世を焦土にするがいい
 さあ、破壊の衝動のままに飛び回れ 

            『ギレヴァの辺境経文』より
                 レックハルド=ハールシャーの言葉として… 』


「ああ、今日のお山はどうも様子がおかしいなあ」
 このごろ、日蝕は起こっていないというのに、あのヘラーヌ山にはいつも暗雲がかかっているようだ。なにか暗く見えている。岩肌の目立つ険しい山は、「辺境」と人が呼ぶ領域の、大きな森の中に埋まってみえる。
 中年の農夫は、クワを振るう手をとめて、山をもう一度よくよく見上げた。不気味な山は、今日は更に不気味そのものであった。
 古代、この大陸には三つの大きな国があったらしい。一つは、最大の王国ギルファレス。もう一つは戦士の誇りと調和を尊ぶ国メソリア、そして、竜の神を祀る神聖バイロスカート。
 今現在、竜などといういきものを見る機会はない。辺境の長命な狼人達も、竜の存在を知るものはない。古代、竜はいたが、三つの国になる頃にはそれはほとんど姿を消していた。
 今現在、三つの国のあった地域には、カルヴァネス王国とディルハート王国の二つの国がある。そのディルハートの外れ、辺境の端にあたるところにヘラーヌ山がある。古代バイロスカート建国の地と程近いその場所には、古代から様々な噂があった。生き残りの竜達がその山の穴の中で眠っているのではないか、等のそうした類の噂である。それがどれほどの信憑性を持っているのかはよくわからない。
 ただ、古代の伝説にあるように、いつか竜が目覚め、町を燃やし破壊することがあるのではないかと、徐々に人々はおそれを抱きはじめていた。
 農夫は、足下の畑を見る。日蝕のせいで今年は不作とまではいかないが、麦の育ちがよくない。それを嘆きつつ、上を見ると見えるヘラーヌ山に、人々は日蝕の悪影響が出ないかと不安になる。
 竜などといういきものがいるかどうかはわからない。
 
 だから、結局は、それはただの漠然とした不安にすぎない。



「あ、それ二つ下さい」
 いきなりやってきた大柄な客に、カバブ屋のオヤジはやや驚いたが、すぐに客だと気づいて警戒を解く。相手は確かに大柄だが、やたらと愛想のいい男で、危険を感じなかったからだ。よく見ると瞳の色が薄いのだが、それぐらいでオヤジは驚いたりしない。
 目の色が青いのは別に珍しいことではない。大陸の中程にあるここは、通商の要衝である為に、そもそも大昔に様々な人種や民族が混じり合っている側面があるのだ。黒髪で明らかに東方系の顔つきのレックハルドは、実は目の色はやや薄い。目が大きくて色白のマリスや、西北系民族風の美人のシェイザスなど、顔つきの違う民族がこの辺りには大変多い。
 髪の色の色素が薄いのは、まぁまあ珍しいのだが、それでも相手がはっきりと狼人とわからない限りは騒がれるほどでもない。町中を見回せば、必ず一人二人、金髪や茶髪の人々は歩いている。だから、オレンジ色のスカーフからはみ出ているだけの髪では、緑がわずかに混じる狼人の髪の毛であることはばれない。
 レックハルドのもくろみ通り、狼人らしからぬ容貌のファルケンは、あっさりとオヤジに、ヒュルカの街にきた旅人として認識された。
 串に刺した実にうまそうな色に焼けた肉をナイフでそいで、それをパンに挟むのだが、そうして用意をする間に、すでに香辛料の匂いでよだれが出そうである。
「旅人さんかい? 西の方から来たんだろう?」
 オヤジは野菜を挟みながらいった。
「まあ、そんなところかなあ」
「なるほどねえ。西の方っていうと、あれだろう? ディルハート王国を越えた辺りに山があるらしいじゃないか。あれも辺境に入ってるって話だが」
「ええと、なんだろう。ヘラーヌ山のことかい?」
「そうそう、そういう山だな。この前、あんたと同じ西の旅人に訊いたんだが、あの山には、昔の竜っていう化け物が棲んでるっていう噂があるんだってさ。それは、ずっと昔に眠ってるって言うんだが、昔一回目がさめて暴れ回ったんだってさ。それが日蝕が続いたときだって言うんで、不安がってたなあ」
 たまたまきいたうわさ話を誰かにきかせたくてたまらない様子のオヤジは、用意をしながら得意げにいった。
「でもさあ、そんなのいるのかねえ」
「竜は、オレもそういえば、あんまり知らないよなあ。森の中にいたっけ」
「え? なんかいったかい?」
「ああ、いや何でもない」
 思わず、そう呟いたファルケンは慌てて首を振った。全部言ったらさすがに正体がばれてしまいそうだ。
「ほら、できたよ! おまけつけといたから」
「ああ、ありがとう」
 ファルケンは、銅貨を何枚かオヤジに渡し、包みにはいったそれを受け取って、軽く挨拶をしながら来た道を帰る。
 そこから少し離れた大通りから少し離れた場所で、レックハルドは午前中の仕事、といっても、すでに太陽はに傾きかけてはいるが、それを終えて儲け分を勘定している所だった。街路樹の下のそこは、比較的涼しいことを彼は知っているのである。
「ほら、買ってきたよ」
 ファルケンが片手を振りながら帰ってきたのを見て、レックハルドは眉をひそめた。
「もう、食ってるじゃねえか」
 ファルケンは、明らかに食べながら戻ってきたらしく、すでに半分なくなっていた。確かに待ってほしいとは言わないが、それにしても友達甲斐のない奴だ。と自分のことを棚にあげてレックハルドは思う。
「だって、もうお昼も大分過ぎてるよ。オレ、もう空腹で堪えられなかったんだ」
 香辛料の匂いに負けただけということもある。レックハルドはあきれかえって肩をすくめた。ファルケンは、すでに半分ほどを食べてしまっている。味が好みだったのか、妙にご満悦な様子だ。
「うん、やっぱり、この辺の食べ物はいいなあ」
「まぁ、都会は飯がうまいのがいいところだ。だが、金がかかるんだよなあ」
 レックハルドは少し頭に手をやった。典型的なやせの大食いのレックハルドと、そもそもが狼人なファルケンは、二人ともよく食べる。だから、食費にかかる金額が実は馬鹿にならない。旅の最中なら、ファルケンがふらっと辺境に入って何か狩りをしてきたり、採集してきたりしたものをその場で料理して食べることが多い。だから、食費はほとんどかからないのだった。が、今いるのは大都会ヒュルカだ。
「町中じゃさすがに自炊できないもんなあ。おまけに宿暮らしだし…。ここのところの稼ぎはいいけど、出費も馬鹿になんねえよな」
「それはレックが野宿だとまずいからなんだろ?」
「うん、まあなあ。…旅人に混じってりゃわかんねえだろうが、野宿はまずい」
 腕を組みながら、やや困ったようにレックハルドは言う。
「でも普通逃げるときは野宿するんじゃないのか?」
「オレの昔の仲間達はそういう奴等が多いんだよ。それに、奴等、オレがまっとうに商売やってると思ってないだろうからな」
「レック、そんなに悪いことしてたのかい?」
「言うな、若気の至りだ」
 まだ十八やそこらのレックハルドだが、妙に若気の至りという言葉が似合う。それだけ老けているというか、老成しているというか、そういう感じであるのだ。すでに七十年は確実に生きているファルケンだが、時々レックハルドが自分より年上じゃないかという気がすることがある。一体、この人間の青年は、どうしてこんなに老けているのだろうか。
 そして、つきあった仲間にそんな風に疑われているなんて…と思い、ファルケンは思わずぽつりといった。
「レック、本当に信用されてないんだな」
 ぴくっと唇の辺りを引きつらせた否や、レックハルドは、右手に持っていた帳簿を投げつけた。うまく左手でそれを受け止めたファルケンは、角が指に当たったのか、少し手を振っている。そうっと少し不満そうにレックハルドを見やる。
「な、なんだよ、魔が差しただけだよ。そんなに怒ることないのに…」
「くそっ、悪気なくいわれるのが一番腹立つ」
 レックハルドはそう言って、残りの分を口の中に詰め込んだ。
「まぁいい。昼間からはちょっとこの町を脱出してどうこうってことも考えようぜ」
「そうだなあ」
 ファルケンが応えて木の下に座ろうとしたとき、ふと目の前に小さな影がおちた。怪訝に思って目の前を見る。
「やっぱりそうだ!」
 人影は明るく声を上げ、はしゃいだ様子で続けた。
「あなた、やっぱりレックでしょ?」
 名前を呼ばれてやや慌てたようにレックハルドは立ち上がる。
「お前…」
 目の前には、小柄で華奢な体の少女が立っていた。痩せた体つきのなか、大きくてぱっちりとした目が目立つ。彼女は楽しそうに笑い声をあげて、レックハルドを見上げて笑う。
「すごい! 全然見違えちゃった! 遠くから見てそうかなって思ったんだけど、なんか全然違うから自信なかったんだ!」
「レック、この子だれ?」
 やや驚きながらファルケンは首を傾げる。少なくとも見覚えがないので、レックハルドの昔なじみなのだろうとは思うのだが、レックハルドの方が無反応なのが気になった。
「あれ? 忘れちゃった? あたし、パーサよ? レックだよね、じゃあ覚えてないかしら。あんたに色々盗み方を教えてもらった仲間のパーサよ?」
少女がそういって首をやや傾げたとき、不意にレックハルドはつかまれた手をふりほどいた。
「おい、いくぞ、ファルケン」
「え? レック。でも……」
 ファルケンは目の前の小さな少女とレックハルドを見比べて、おろおろとした。レックハルドは、この目の前にいる短髪の娘を無視するつもりだろうか。場所を移す予定だったのもあり、まとめられた商品を手にとるが、ファルケンは娘が気になって歩き出せない。
「レック…、あのさあ…」
 そう彼が声を掛けようとしたとき、急にパーサの方がレックハルドの方に回り込んだ。その顔は、少し泣きそうに見えるほど切迫したものだった。
「レック!」
 パーサは、レックハルドのやや酷薄そうに見える冷たい顔を見上げながら不安げに言った。
「何、何か怒ってるの?」
 応えないレックハルドに、パーサはますます心配になった。
「何か、あたし、あんたに不都合なことしちゃったの?」
 レックハルドは、鬱陶しそうにパーサの手を振り払って、冷たい口調で言った。
「オレはお前ともう何の関係もないだろうが」
「え?」
 パーサは、大きな目をもう少しだけ大きく見開いた。レックハルドは、パーサの顔などろくろく見ずにこう続けた。
「オレに関わらないでくれって言ってるんだよ! オレは、もう足洗ったんだ! お前らとは何の関係もねえんだよッ! 大体、今更出てきて仲間面してんじゃねえ!」
 突き放すようにいってしまうと、レックハルドはふとぎょっとしてしまった。初めてまじまじとみたパーサは、涙を目の縁に一杯ためて、ひどく傷ついた顔で立っていたからだ。
「あっ、待て…今のは…」
 さすがにレックハルドは言い過ぎたと思ったのか、珍しく慌てた様子になった。
「あの、今のは、ただの言葉の……」
 あやだ…とレックハルドは続けようとしたが、パーサは最後までそれをきかなかった。いきなり、ばっと身を翻すと、走り出して行ってしまう。
「ああ、ちょ、ちょっと待て!」
 慌てて手を伸ばすが、パーサは顔も見せないですぐに走って街の角を曲がっていってしまった。
 やや呆然としているレックハルドに、さっきからずっと黙っていたファルケンが、急に口をきいた。
「レック、今のはひどい!」
 ファルケンがなじるようにそう言った。
「あの子がかわいそうだ! 女の子にあんなこというなんて、酷すぎる!」
「な、何だよ、……た、確かにちょっと言い過ぎたが、オレだっていきなり出てきたんで、びっくりしてだな……」
 レックハルドはやや狼狽しながら言った。ファルケンに糾弾されるとレックハルドは弱かった。あまり他の連中に言われても堪えないのだが、ファルケンのように普段何も言わない人間に言われると、心に響くらしい。しかも、自分でも後ろ暗いところがあるだけに思わず慌ててしまったのだ。しかも自分を見やるファルケンの目が、なにか自分を責めているような気がする。
「な、なんだよ、そんな目で見るなよ! わ、わかってるよ! 今のはオレがいいすぎたよ! 言い過ぎたけど!」
「なんか、心配だな。オレ、あの子、ちょっと見てくる」
 レックハルドの弁明もあまりきかず、ファルケンはたったと荷物を抱えて走り出す。
「見てくるって…おい!」
 残されたレックハルドは、不満と焦りにとらわれつつ止めようとしたが、ファルケンはすぐに街の角を曲がっていってしまった。
「な、なんだよ。…このままじゃ、オレ、まるで最低野郎みたいじゃねえか…」
レックハルドは、取り残され、困った様子で思わずぽつりと吐き出した。レックハルドとしても言い分はあるのだった。大体パーサは、もともといた組織の人間だ。あの組織の幹部であるヒュートから睨まれている限り、どんな罠が仕掛けられているのかわからないのだ。レックハルドは、今更自分に近づいてきたパーサに咄嗟に警戒してああいってしまっただけで……。
「ま、まあ、久々に会ったのに、あれはちょっと酷かったな…。ちょっと、口がすべっちまった気がする…」
 レックハルドは多少落ち込んだ様子になった。パーサはレックハルドの後ろからいつもついてきているような娘だった。正直に言うと少し鬱陶しいこともあったのだが、それでも、自分に懐いてくるような人間はいなかったから新鮮ではあったのだ。だから、レックハルドは、パーサのことは嫌いではなかったし、何となく妹のような気がして世話を焼くのが嬉しかったのも事実なのである。ただ、感情の表現がうまくないレックハルドは、あまり優しくしてやれなかったような気もするのであるが。
「くそ、あいつも人の話きかねえし。言い訳ぐらい言わせろよ、ったくよ!」
 一応反省しているらしいレックハルドは、ああ、とため息をついた。勘定した分の金を布袋にどさっと投げ入れ、荷物を持ちながらとりあえずファルケンの後を追うつもりで立ち上がる。
 が、その表情は一瞬の後凍り付く。いつの間にか、彼の目の前には、黒衣の男を中心に数人が立っている。その酷薄そうな顔つきには、嫌というほど見覚えがあった。
 レックハルドは、唇を噛むようにして低い声で言った。
「ヒュート…!」
「久しぶりだな、レックハルド」
 長い間会わなかったような気がするかつての上司の顔には、彼に対する憎しみがはっきりとみてとれた。





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©akihiko wataragi