辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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辺境遊戯 第三部 

 第一章:闇夜の竜王-9


マリスは森の周りを歩いていた。辺境のごく浅いところなら、彼女は一人で歩いてもそこそこ大丈夫だと踏んでいた。前は少し深入りしてしまったが、今回はあてもないので表面のほうをさらうように歩いている。
 カルヴァネスの人間は、辺境をきらって入らないが、実は行き交う行商人達はそうでもない。多少近道をするために、辺境の浅いところを集団で通り抜けることがあるといい、マリスもそのことをよく知っていた。特にマジェンダ草原出身のマゼルダ人やシェレスタ人は、狼人を恐れる気持ちが希薄なのもあって、辺境自体に対する恐怖心が薄い為にそうした経路を取ることが多いらしいという。
 マリスの実家であるハザウェイには、年がら年中、どこかの行商人が出入りしているが、その話をきいていたせいか、マリス自身は辺境というものに対しての恐怖心というものが、ほとんどなかった。それもあり、ファルケンが狼人でも、ロゥレンが妖精でも、マリスはそれほど抵抗なく受け入れられたのである。
 辺境に住まうシェラリスが、タッと目の前を走っていく。マリスの足音に気づいたのかもしれない。やや濃い赤茶色の毛並みに、まだらの模様が独特なリスで、木の枝の上まで避難して、まだ彼女を警戒しながらみていた。
 マリスはその様子に少しだけ安堵する。シェラリスがいるということは、この一帯にそれほどの肉食獣がいないということでもあるのだ。どう猛な辺境狼がいると、小動物は息を潜めてしまうのだと、ファルケンが教えてくれた。
 浅い、といっても辺境は辺境だ。それに、カルヴァネスは乾燥地帯が多く、森に乏しい。ヒュルカ南方の沖にある諸島には、密林もあるのだが、こうした森にはカルヴァネスの人々はあまり慣れていない。緑の深い薄暗い森は、それだけでマリスには非日常的なものにうつる。緑の若芽や苔むした木々に、彼女は少しだけ目を奪われた。ファルケンは辺境は綺麗だと、彼女によく教えてくれたが、マリスはその気持ちがよくわかるような気がする。
 と、マリスの目の前で、何かがふわりと揺れたような気がした。
暗い森の中に注ぐ木漏れ日で透き通る虹色の羽が、幻想的な影を地面に落とす。緑が飼った金色の髪の毛がふわりと舞い、一人の少女が目の前に現れた。普段はそうも特別に思わないが、こうして突然舞い降りるときの姿を見ると、マリスでも思わず息をのんでしまうほどそれは美しくもあり、おおよそ人間とは遠い生き物のようだった。
 だが、地面に降り立った姿は、彼女の探していた人物そのものだ。マリスは、ようやくさがしものを見つけた喜びと安心に満ちた声で、その名を呼んだ。
「ロゥレンちゃん!」
 そこに立つ少女に駆け寄って、マリスは笑顔を見せる。
「今日は出てきてくれたのね。この前来て探したんだけど、全然見えなくて困ってたの」
 マリスはそういって彼女に笑いかける。ロゥレンは、あまり元気がないようで、マリスの方を一瞥しただけだった。
「どうしたの?」
 マリスは、不思議そうに首を傾げながら、そうっとロゥレンの方をのぞき込む。
「何か困ったことでもあったの?」
 女性としては割と背の高いマリスからすると、ロゥレンは本当に小さい子にみえる。マリスが果たして、彼女が自分の四倍ほど生きていることに気づいているのかどうかはわからないが、マリスは年下の友人に接するようにロゥレンに接していた。
 ロゥレンは、マリスを見上げるようにした。ややきつい印象もある彼女の面差しだったが、今日は何となくしょげているようにも見えたのだ。何も言わない彼女にマリスは困ったような顔をしたが、すぐにほほえみを浮かべると優しくこういった。
「あ、そうだ、ファルケンさんが戻ってきているのよ? 一緒に会いにいかない? あれからヒュルカに行くっていっていたの。今から行けばきっと会えるわ」
 ロゥレンは、ぴくっと顔を上げて、少し必死になった様子で急き込んで訊く。
「ファルケン…? ファルケン、ここにいるの?」
「ええ、いるわよ。あたし、会ってきたもの」
 マリスは少し首を傾げてから納得したようにうなずいた。
「そうだったわね、何か事情があったんだったわね。ロゥレンちゃんも、あたしにいいにくかったんでしょう? でも、もう心配することはないわ。ファルケンさんも、レックハルドさんも帰ってきているもの」
「あいつも? ちゃんと帰ってきてるの?」
呆然と訊くロゥレンに、マリスは力強くうなずいた。
「ええ、とっても元気そうだったわ。何があったかわからないけど、ロゥレンちゃんがそんな心配をすることはもうないのよ」
 ロゥレンは、何かうつむきながら考えているようだった。マリスは、ロゥレンの肩に手を置いて促すようにしながらいった。
「そうと決まれば早速ヒュルカに行きましょう? 向こうに馬もおいてあるし、すぐに行けば会えるわ」
「い、嫌!」
 急にその手を振り払うようにして、ロゥレンは引き下がる。マリスはきょとんとして、ロゥレンをのぞき込んだ。
「どうしたの?」
 ロゥレンはうつむき加減にしながら、唇を噛むようにしていった。
「ファルケンにあいたくない!」
「どうして? ファルケンさんは大変な思いをして、こっちに帰ってきたのよ。会ってあげないと、とても悲しむと思うわ」
 マリスは彼女の肩に手を掛けながら諭すように言った。ロゥレンは、悄然としながら言った。
「だって……、あたし、きっとファルケンに怒られる…」
「なんで?」
「なんでって……」
 ロゥレンは、思わず詰まる。まさか、レックハルドを死地においやるような事をしたのが自分だと言うことを、マリスに言えなかったのだ。レックハルドは、きっとロゥレンがあんな風に責めさえしなければ、砂漠に無謀な挑戦などをしなかっただろう。その事情にファルケンが気づいたら、きっと許してはくれないにちがいない。
「大丈夫よ」
 マリスはそうっと慰めるように言った。
「ファルケンさんは怒ったりしないわ。ね、もし会うのが嫌なら、遠くから見るだけ見てみたらどうかしら? 本当はロゥレンちゃんも心配なんでしょ?」
 ロゥレンはうなずきはしなかったが、その表情で彼女が何を考えているかはおおよそ予想がつく。マリスは、少しかがめていた背を伸ばすと、ロゥレンの肩を軽く叩きながら先に促した。
「ね、行きましょ? それに、たまには買い物とかもしてみたらいいかもしれないわ。ね」
 無理はしなくていいから。と、マリスは言ってロゥレンを見る。ロゥレンは、うつむき加減だが静かにうなずいた。マリスは安心して笑い返すと、ロゥレンを連れて辺境の外側に向かって歩き出した。



 一大都市ヒュルカの市は、華やかである。どこからか聞こえる音楽に人の雑踏、店の売り子の呼び込みの声が高らかに響く。赤、青、黄色、緑、様々に彩られた屋根や敷物や商品が目に鮮やかだ。
 街の中心を歩きながら、レックハルドは目の前を歩くファルケンに向かっていった。相変わらずオレンジのスカーフを頭に巻いた彼は、荷物を担いですたすた歩く。珍しく歩くスピードがレックハルドより早いのは、彼が今日はえらく不機嫌だからだ。
「なぁ、どうしても駄目か?」
取りなすようにレックハルドは言う。
「駄目といったら駄目」
 ファルケンはすげない。レックハルドは嫌に熱心に頼むようにしていった。
「いいじゃねえか。けちけちすんなよ。どうせすぐのびるだろ?」
 だが、ファルケンは不機嫌なままに歩いていく。それについていきながら、レックハルドは頼み込むようにしていう。
「髪の毛の一本ぐらいやれよ」
「レックがそう言うときは、一本じゃなくなるから嫌だ」
 ファルケンは憮然としていう。
「んじゃ、この際切れば? 暑いなら切ればいいだろ? この際半分ぐらい。いや頑張ってこの際、一気に……」
「一気にって、オレに坊主になれっていってるのか? 昔のどこかの話で髪の毛が短くなると、力を失うとかそういうのあるだろ? だから嫌だ」
 そういえば、そういう話もどこかで聞いたことがある。だが、ファルケンがそういうのは明らかにこじつけらしい。
「迷信に決まってるだろ? 大体、お前この前、のびてたからって髪の毛ちょっと切ったじゃないかよ? この際ばさっと…」
 宥めるように言うが、ファルケンは少しレックハルドを睨むようにしていった。
「…レック、オレの髪の毛、売る気だろ?」
「えっ、いや、そうじゃなくってな……。ほら、欲しい奴がいたらあげるのが人情って言うか…」
 図星だったのか、珍しく少し慌てるレックハルドである。
「まぁ、確かに、あのおっさんは売ってくれっていってたけど。いいじゃねーか、髪の毛の一本や二本」
「さっき、部下にもあげるっていってたじゃないか! だから、絶対一本や二本じゃすまないだろ!」
 ファルケンも必死である。
「オレ、剃髪するのは嫌だからな!」
「短くすればいいだけだろ?」
「髪の毛短いの似合わないし」
「酒と博打つけるけど駄目か?」
 そうっと餌をつけてみると、さすがにファルケンは一瞬ぴくっとして、ふらっと煌めく目をレックハルドに向ける。
「酒と博打解禁?」
「そうだ。解禁だ! …なぁ、その髪の毛ばっさりきっちまえって!」
 ファルケンは思わずうなずきそうになったが、一瞬ハッと我に返って首を振った。
「だ、駄目だ駄目駄目! 何度言われても駄目!」
「お前も強情だな、ホント…」
 レックハルドはため息をつきながら、頭に手をやった。
 発端は、今日の商売中に、同じマゼルダの商人と商談をかわしている時だった。たまたま、ファルケンはその場にいなかったのだが、レックハルドは、その年輩の商人との世間話の中でこういう話をきいたのである。
「最近どうも景気が悪くてね。これは幸運を呼ぶって言う狼人の髪の毛をお守りにしたいものだ」
 色々話をきいてみると、もし手にはいるなら一本につき銀貨五枚で買い取るという。
「確かに、マゼルダの部族の人間の間では、狼人の髪の毛は確かにお守りとして通用するんだけど…。お前らの髪の毛って緑色が適当にはいるから、偽物も作れないしさあ。なあ、でも、お前、髪の毛一本で銀貨五枚ってすげえいい値段だぞ」
「嫌だといったら嫌だ」
 きっぱり、とファルケンは言う。以前のファルケンなら、或いは「今回だけ」といってくれたかもしれないが、今のファルケンは、そんなに与しやすくない。
「お前、そんなきっぱりいうことないじゃねえかよ」
「レックが嫌なことは嫌だっていえっていっただろ」
「…くそっ、余計な知恵つけちまった…」
 ファルケンは、ようやく少しだけ勝ち誇った笑みを見せた。このままだとどうにか坊主にはならずにすみそうだ。
「オレ、前は言いたいことを言わなくて迷惑かけたから、今度からはっきり言うことにしたんだ」
「だからって変わりすぎだろ、お前の場合」
 レックハルドは不満そうにいうが、ファルケンはにやにやするばかりである。
「でも、このぐらいのほうがいらいらしなくていいってこの前言った」
「ぐっ…、畜生、それは失言だ」
 レックハルドは突っ込まれて軽く額に手をやる。
「わかったよ。ったく、お前、ホント無神経になりやがって!」
 ファルケンは頭に手をやりながら、悪戯っぽい猫のような表情で、えへへと笑った。
 街の市場を歩いていたのは、別に遊ぶわけではない。これでもちゃんと仕入れをするつもりで歩いているのである。ヒュルカに来る商人達は、西のディルハートからもやってくる。だから、この市場には見慣れない柄の商品もあるのである。レックハルドはその辺りを目当てにしているらしかった。
「でも、どれを買うんだ?」
「東方の品物はつてがあるからなあ、西のやつもいいんだが。あ、でも、この際、上等な絹織物の錦にでも手を出してみてもいいかもしれねえが、今は綿織物しか持ってないし」
 レックハルドは手持ちの金と買う物を頭の中で計算しながら、悩んだ。上等な品物は、うまくかわないといけない。
「なるほど、難しいんだなあ」
「そうだよ、難しいんだ」
 レックハルドはそういいながら、市場の店に目をやりながら歩いていった。ようやく機嫌がなおったので、スピードをゆるめたファルケンはいつものようにレックハルドの後ろにまわっていた。
 人がたくさんいる市場でも、ファルケンのような長身の男はよく目立つ。そして、彼を引き連れるように歩いているレックハルドも、何となく目立つ存在だった。
 だから、市場から少し離れた路地裏に隠れるようにしている少女が、上等な服をきてすっかり商人然としてきたレックハルドに気づくのは、そう難しいことでもなかった。しかし、レックハルドもファルケンも、まだ彼女の存在には気づいてもいない。彼女が、「レック」とその名を呟いたことにも――





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©akihiko wataragi