辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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辺境遊戯 第三部 

 第一章:闇夜の竜王-7


くすくすという女の艶めかしい笑い声に、パーサはそうっと顔を出す。壁に背を付けた男と、それに近づくようにしている女がいる。この街ではそう珍しくもない風景だ。どこかの店の客引きが、客を誘惑でもしているのかと思ったのだが、ふとパーサは立ち止まる。
「お前もつくづく無節操な女だな。ヒュートの次はオレか?」
 物憂げに口をききながら、男の方は鬱陶しそうに顔を逸らした。ちょっと絡んだような言い方と、年の割に低い声ですぐにわかる。レックハルドだ。
 パーサは息を潜めながらも、一生懸命向こう側をのぞき込む。
「いっておくが、オレは遊び以上にはならねえぜ? アテがあるなら、他にいけよ」
「あら、本当にそうかしら。あたしは、これでも、うちの組織じゃ一番いい女だと思うけど?」
「オレはそういう自信過剰な美人は特に嫌いなんだぜ?」
 レックハルドは薄ら笑いを浮かべるだけで、その表情に変わりはない。服はみすぼらしいし、頭には布を一切れ巻いて前髪を留めているだけだ。長身痩躯という言葉がぴったりの、やや痩せすぎた体は、何となく頼りなげにもみえる。
 彼は取り立てて二枚目というわけでもなく、そう目立つ人間でもない。ただ、青年とも少年ともつかない同年代の男達の中では、ひときわ大人びていた。大人びていると言うよりは、どことなく虚無的なところがあるといった方がいいのかもしれない。十代後半にして、彼はすでに孤独の影をいやというほど引きずっていたし、世の中への不条理を憎悪しているような態度は、彼にいくらかの邪悪さを与えてもいる。彼が人目をひきつけるとしたら、恐らくそれぐらいだろう。
 ただ、魅力らしい魅力といえば、切れ長の目と自分の才能への自信からくるらしい目の輝きと、そして、わずかに草の色の混じる砂の色の瞳ぐらいだろうか。
 ただの下っ端の、しかもケチな盗賊のレックハルドが、レティのような女に言い寄られることがあるのは、そうした理由からかもしれない。
 レックハルドの薄ら笑いをどうとったのか、レティは挑発的に笑いながら、そっと身を寄せる。余りの危うげな雰囲気に、思わずパーサは飛び出していた。
「だめー、だめだめ!」
 レティを突き飛ばすように二人を引き離し、パーサは思わずレティに言った。
「何やってんのよ! レック困ってるじゃない」 
 急に割ってはいられて、レティは、気を悪くしたらしく、綺麗な顔を少ししかめてみせた。
「レックは、困ってるなんて事、言ってないわよ。あんたみたいな子供につきあわせるほうがかわいそうだわ」
「な、なによっ!」
 子供扱いされて更にむっとしたパーサは、更に喚くように言った。
「とにかく、こんなところでいちゃつこうなんて思ってるんじゃないわよ! 大体、あんた、ヒュートさんの愛人でしょ!」
「うるさい子ねえ。まあ、いいわ」
 レティは、自信があるせいもあってか、ふんと鼻で笑って歩き出した。少しだけレックハルドに目配せをして手を振った。
「それじゃあね、レック」
 だが、レックハルドは何も応えなかったし、手も振り返さなかった。ただ、彼女を一瞬冷たい目で見ただけだ。
「なによ、あの性悪女! この前、ヒュートさんを誘惑してたくせに、今度はレックに乗り換え!」
 一通り文句を言って、すっかりレティがいなくなってから、パーサはふと気づいた。レックハルドはまだ無言のままだ。
 そうっと、パーサはレックハルドの方を見た。
「レック、もしかして怒ったの? …レティの事好き?」
「別に」
 レックハルドは、鼻先で笑った。
「別に、オレはあの女が好きな訳じゃあねえからな。むしろ、いちいち色目使ってきて鬱陶しいぐらいだぜ」
「そ、よかったあ! あんたにあんな性悪女似合わないわよ」
 パーサは、ややはしゃぎながら歩き始めたレックハルドの後を追う。
「ねえ、ねえ、レック! この前、スリのコツを教えてくれるっていったわよね。ねえ、教えてくれないの?」
「鬱陶しいなぁ。お前は…」
 やや困惑気味にいいながら、レックハルドは少しだけため息をつく。
「まぁいいか。盗み方の講習だけならしてやってもいいぜ」
「やったあ。レックって優しいのね」
 そういって、そうっと手を組もうとしたが、レックハルドは少しだけ嫌な顔をする。
「馬鹿いってんじゃねえ…。オレは、鬱陶しいのが嫌いなだけだ。ほら、はなせ!」
 レックハルドは、パーサの手を振り払ったが、普段の彼を知っているものからすれば、それは多少は優しい振り払い方だろう。レティにしろ、誰にしろ、レックハルドは、普段はもっとすげなく手をふりほどく。彼が冷酷に見られるのは、そういう態度がいけないのだとパーサは勝手に思っていた。
 そう考えると、 レックハルドは、少なくとも、パーサには少し優しかった。彼がどうして優しくしてくれるのかわからなかったが、パーサは、恐らく組織では一番優しくされていたように思う。


 ふと、パーサは目を覚ます。金色の朝日が窓から入り込んできていた。目をこすりながら、彼女はあくびをして起きあがる。
 そうして、彼女は、この街からあの青年が飛び出していったことを思い出すのだった。

 

 カルヴァネスで最も栄えた街は、やはりヒュルカである。王都のキルファンドも栄えているが、政治都市としての色合いが強く、伝統と格式が感じられる整然とした都だ。そこにいくとヒュルカは、雑然としていて並びたい放題に建物が建っているようにすら見える街だ。歴史的にはヒュルカの方が古く、その時の建物が街の有力者の建物としていくらか残っている。貴族が少なく、そのほとんどは富商出身で、マリスのハザウェイ家などもどちらかというとそちらにはいるようである。
 ヒュルカは華やかな商人の街だ。あちらこちらから人が集まり、様々な人が暮らす一大都市なのである。だから、影の部分も多く、様々な暗黒組織の温床にもなっているのだった。
 美しい花と汚いゴミが棲み分けしているようなこの街だが、空だけはどこでも抜けるように青い。この間日蝕が起こっている間は、干せなくて溜まっていた洗濯物を干し終わり、一人の少女が路地裏に出てきた。短い髪の毛をかきやる。少しだけそばかすのある娘は、まだあどけない表情を残していた。軽く口を押さえてあくびをしながら、彼女はあまり上等とも言えない服装のまま歩き出す。
「よう、パーサ。今日はどこにいくんだ」
 ふと、路地裏に座っていた男が声を掛けてきた。もう一人、壁を背にたっている青年もいる。彼らが「仕事」の上での相棒同士であることをパーサは承知していた。
「どこにもいく予定はないわ。今日は、十分お金もあるし」
 パーサと呼ばれた少女は、そういいながら頭にスカーフを巻いた。
「昨日の獲物の財布がよかったからね。だから、今日はお店も休んでゆっくりするわ」
「なるほどなあ…。最近、お前も腕あげたんじゃねえか。昔は、全然盗めなかったのに」
 もう一人が興味ありげにそういった。
「えへへ。まぁねえ」
 パーサは得意げに笑って言った。その笑みをみながら、思い出したのか、座っている男が言った。
「ああ、そうか…。お前のスリの腕はレック仕込みだったよなあ? あの野郎、とんでもない奴だったが、腕だけはよかった」
「ああ、あと口と頭もな、あいつに騙された奴は組織の中で一体何人いるのやら……。ああ、でも、あいつ、お前にだけはそれなりに優しかったな? …なんだ、そういう関係だったのか?」
「そんなんじゃないわよ!」
 急にパーサはムッとした顔で言った。
「あいつ、結構そばにいたのに、あたしのことなんか鼻にもかけなかったのよ」
「ああ、そうか、あいつはレティとだったっけ? 確かレティの奴、ヒュートさんのあと、あいつに乗り換えたって言う噂があったな…」
「いや、一週間で捨てちまったって噂も聞くけどなあ。捨てられたって感じじゃなかったし…」
「あんな上玉を一週間とはね…。あいつ、なぜか女にだけはもてたからな」
「レティとは無関係だってば! あの性悪女が勝手に言い寄ってただけ!」
 パーサは思わず口を挟む。レティの名前に、今朝の夢を思い出してしまったのだ。男達は軽く肩をすくめた。
「お前、あいつのことかばうよなあ」
「いいけど、あいつにあんまり肩入れするなよ。…あいつ、案外遊び人だぞ」
「あんた達よりましでしょ!」
 きっぱりといってパーサは、腕を組んだ。それを苦笑いしながら見ていた男達の内の一人がふと思いだしたようにいった。
「おお、そうそう、噂をすればってやつだが…、レックがここにいるらしいぜ? えらく立派な格好して、随分様変わりしているらしいが」
「なに? あいつ帰ってきてるのか!? ふらっといなくなったと思ったら、ヒュートさんを怒らせて…、賞金まで掛けられてるってのに舞い戻ってきたのか? 相変わらず、どういう神経してるんだよ、あいつは」
「ええ? ホント?」
 そっぽを向いていたパーサは、慌てて振り返って話に聞き入る。
「あいつ、ハザウェイの家に行ってからおかしかったし、あれから、あいつ何やってるのかわかんなかったしな。正気の沙汰とは思えねえけど、ホントにおかしくなったんじゃねえのか?」
「さあなあ、詳しいことは。…でも、正気じゃねえってのにはちょっと同意するかもな」
 不意にそういった相棒に、もう一人の男が怪訝そうに訊く。
「は? 何かやらかしたのか?」
「ああ、いや、なんか、辺境の化け物を一緒に連れてるって噂もあるんだよ」
「辺境の化け物? まさか、狼人か? おいおい、いくらあいつでも、…そんな奴相手にするか?」
 さぁ、でも、と青年は言った。
「あいつが、この辺の賭場を荒らしたって話をきくからな。いくらあいつでも、誰の手助けもなくできねえだろうしなあ。あいつ、頭はよかったが、喧嘩はさっぱりだったから…」
「そうだな…。逃げ足は早いが、まさか、一人でそんな無茶はできねえ筈だ。あいつは、弱かったからなあ」
 二人の会話をききながら、パーサは、久しぶりにきいた青年の名前に懐かしさを覚えていた。
 レックハルドが飛び出していってから、すでにかなり経っている。話を終えて二人が「仕事」に出ると言って、出ていくのを見送ったが、パーサはすでに上の空だった。
 レックハルドは、組織の中でも少し浮いた存在だった。仲間となれ合わないし、それに冷たくて、誰も信用していなかった。何となくとげとげした存在で、でも、パーサにはそれなりに親切にしてくれていた。
 ある日、レックハルドは、単独行動を責められて仲間と喧嘩になり、自分の住処の近くで、こっぴどく殴られていた。頭はよかったが、レックハルドには力がない。数人に囲まれて好きなように殴られて、ボロボロになっているのを、パーサは建物の影から見つめることしかできなかった。
「思い知れよ、馬鹿」
「お前なんて所詮口先だけだからな!」
 レックハルドがほとんど動かなくなってから、男達は口々に捨てぜりふをいって去っていった。ちょうど珍しく雨が降りはじめていた。雨に打たれて、その冷たさに促されたのか、レックハルドはそろそろと起き出して、軽く壁に身を寄せた。
 パーサはようやく建物の影から飛び出した。あまり身動きする気配のないレックハルドは、うつむいたままで、パーサは思わず心配になった。
「レック、大丈夫?」
「うるせえ…」
 低い声は、掠れていた。パーサは、彼が少なくとも大丈夫そうなのに少し安堵した。 
「ねぇ、レック。…もうやめない?」
 ぐったりとしたレックハルドにしゃがみこみながら、パーサは訊いた。レックハルドはわずかに顔をあげた。パーサの上にも雨は降りかかったが、彼女は気にしなかった。
「ねえ、やめようよ。…レック、なんで、あんなにみんなに突っかかるの? 今回のだって、みんなのいうこときいてれば、何も問題なかったんでしょう?」
 レックハルドは、パーサから目をそらしている。何となく悲しくなって、パーサはもう一度訊いた。
「あんたみたいに頭のいい人がそんなの変だよ。なんで、関係悪くするのわかってるのに、そんなことするの?」
 レックハルドは、聞き返すこともなく、ふと顔を逸らす。殴られたせいか、顔のあちこちから血が滲んでいるのが見えた。パーサは慌てて手をさしのべようとした。
「あ、…だ、大丈夫? 痛くない? 血が出てるよ?」
「さわるな」
 レックハルドは冷たく手を払って、パーサを押しのけるようにして、土を払って立ち上がる。
「お前だって、さっき見てたんだろ…。オレが無様にのされてるのをよ?」
「え、それは…」
「さぞかし見物だったろうな。オレがあんな醜態さらしてるのみて、お前、ホントはいい気味だって思ってたんじゃねえのか?」
「そんなこと…!」
 きつくいわれ、パーサは泣きそうになってレックハルドを見た。レックハルドは、それを冷淡に無視して、ふらふらと自分の住処に向かっていった。後ろをそうっと追いかけるが、レックハルドには近づけない。やがて、レックハルドは自分の住処のある建物まで辿り着くと、そうそうに扉をあけて中に入ろうとした
「ま、待って!」
 パーサは思わず声をかける。
「そんなんじゃないわ。あたし…でも…」
「オレに構うな。…今気が立ってるんだよ!」
 バンと扉を力任せに叩きつけ、レックハルドは向こうに行ってしまった。かつかつと高い靴音が聞こえて、それが遠ざかっていく。盗賊のレックハルドは、普段は足音などほとんど立てない。それが出来ないほど、いらついているのだろう。
「ごめんなさい」
 パーサは、きいてもいない相手に向かってぽつりといった。
「…あたし、ただ、恐かったの。ごめんね、レック。でも、あんたが心配だったから、恐いけど見てたの…。あんたが殺されたらどうしようって思っただけなの」
 雨は次第に強くなっていた。冷たい雨に打たれながら、パーサは扉に額を着けた。
「ごめんなさい…。…見てるだけじゃだめだってわかってたけど、…ごめん」
 頬に水滴が流れたが、それはもしかしたら雨水だったのかもしれない。
「…でも、あたし…あんたのこと…」
 そこまでいって、パーサは口をつぐんだ。もう、レックハルドが扉の向こうにいるはずもない。諦めて、彼女はその日は帰ることにした。あの後も、レックハルドとは何度かあったが、別に彼はその日のことを話題に出さず、態度も特に変わらなかった。だから、パーサも覚えていない振りをして、彼といくらか話した。
 でも、彼女は、あの日のことを何となく忘れられない。冷たい雨の中、その雨より冷たい目を向けてきたレックハルドのことを。
 かるくパーサはため息をついた。
 レックハルドが、冷たい男であることは、組織の中でも相当有名だったし、よく知っていたが、あんなに冷たく言われたことはそれまでも、それ以降もなかった。レックハルドは、でも、パーサにはそこそこ優しかった。レックハルドは、パーサの軽薄な遊びにつきあうような事もしなかったが、時々、小銭を投げてくれることもあったし、困っているときはそれとなく助けてくれたこともある。レックハルドと噂になった娘は、レティ以外にも居たような気がするが、その噂は一週間ともったこともなかった。
 そんな彼がおかしくなったのは、ハザウェイの家に忍び込んでからだ。あの時から、レックハルドは、何か部屋の中をうろうろして、そわそわして、一日中ぼうっとしている日が続いた。話しかけても上の空で、なんだか牙が抜けてしまったような気がするほどに、いつもの彼らしくもなかった。そして、そんな日が数日続いた後、彼はとうとう組織を飛び出していってしまった。しかも、ヒュルカで有名な高利貸しから借金をして、そのまま消えたという。
 あれから、一度だけヒュルカに戻ってきたという話はきいていた。そして、ヒュートに喧嘩を売ったらしいのだが、その詳細をパーサは知らない。ただ、あのレックハルドが、ヒュートの面目を丸つぶしにするような事をどうやってやったのか、気になっていた。
 心の内では反抗的だったレックハルドだが、ヒュートにだけは逆らわなかった。あれに逆らうと何をされるかわからない。それはよく知っていたのだろう。それが、どうしてヒュートにたてついたのかもパーサにはわからない。レックハルドが、彼にたてつくほど、何か大切なものを見つけられたとしたら、それはそれで気になった。
「レック、ヒュートなんかに逆らって、どうしようっていうんだろ?」
 パーサは、ぽつりといって空を見上げる。
「生きてたら、また会えるかなあ」
 様変わりしている、とさっき男達はいった。一体、彼はどんな人間になっているのだろう。





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©akihiko wataragi