辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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辺境遊戯 第三部 

 第一章:闇夜の竜王-6


「オレがなんでこんな事」
 街道にしたがって、辺境の森の中を歩きながら青年は文句を言っていた。かろうじて狼人だとわかる程度のメルヤーをしているが、一見すると狼人とはわからないだろう。少し短めの髪の毛のビュルガーは、狼人にしてはかなり背が低い方だ。それもあって、街を歩いていても、彼もツァイザー同様、あまり正体がばれることはない。
 本人はそれをかなり気にはしているらしいが、師匠は彼より背は高いが、狼人としては背が高くないし、ツァイザーにもそれは言える。だから、フォーンアクスの背が高くても、あまり傷つかずにいられた。あのフォーンアクスのめちゃくちゃな性格を思い出せば、彼の背が低いことより、アレと同格にされないだけいいような気もした。
 だが、事はあの暗い弟弟子が入ってきてから変わる。標準だとはいうものの、彼らの中では結構高かったファルケンが弟弟子なのが、彼の不幸であった。あれが後ろに立っているだけで、彼の背が低いことが比較をもって正しくわかってしまうのだ。おまけに顔はフォーンアクスを少し大人しくした感じの顔なのもあって、フォーンアクスに頭に肘を置かれて「肘おきにちょうどいい」などと言われて、いじめられたことも思い出してしまうおまけつきだ。
「ホント、オレ、正直いって、あいつあまり好きじゃないんだけどなあ」
それだけではない。時空の司、つまり、狼人としても特殊な地位を持つシールコルスチェーンの弟子候補として、ハラールに拾われたのに、ビュルガーには、その適応性がほとんどなかった。魔力は、普通の狼人よりずば抜けて高いのだが、戦闘能力はさほどないし、この性格なので向上心もあまりない。
 だから、ハラールの元でのんびりと修行なのか、師匠の世話役なのかわからない生活をしていた彼を、ファルケンはあっという間に抜いていったのだ。そのせいで、フォーンアクスには「おお、駄目弟子、元気か?」とか言われ、メルキリアにはあきれられ、ますます彼の地位は脅かされていった。そのことは面白いはずもなかったのだが、ビュルガーはファルケンに兄弟子として振る舞った事はほとんどない。
(あいつ、おっかなかったしなあ…)
 自分より相当年下の筈の弟弟子に、ビュルガーはさっぱり頭が上がらなかった。ファルケンが本名だと言っていたが、実際、名前をあまり呼んだことはない。正直、名前を呼びつけにしたらとんでもないことになりそうな雰囲気すら漂わせていたからだ。
 離れ島、と彼らが呼ぶ、時間の流れが緩慢な、いわば、こことは異世界といえるかもしれない空間。そこにいる時のファルケンはとにかく、恐かった。まず、話さない、笑わない、冗談がきかない。常に暗い感じで、一人でふさぎ込んでいると思えば、師匠といきなり喧嘩をしていたり、とにかく色々恐かった。目つきも悪いし、あれならフォーンアクスの方が明るい分まだマシだと思う。
 一度、ビュルガーが夕飯の用意をしてきたとき、ファルケンが気がついたら無言で立っていて、腰が抜けるほど驚いたことがある。
「な、何だよ、お前そこにいたのかよ!」
 ここで、悪い、ぐらい言えばまだかわいいものを、あのファルケンという弟弟子は無言で彼を睨むようにしながら、すーっと彼の前を通過して、自分の寝床にバッタリ倒れ込むようにして寝てしまったりするのだ。おまけに、弟弟子の癖に、飯の用意をしてくれたこともない。むげにすると、師匠の心証も悪いので、そうっと飯を差し入れてやっても、礼の一つも言わない。可愛げもまったくなかったのだ。
「うう、なんで、オレがあいつなんか…」
 ビュルガーはため息をつく。これもどれも、あののんびりしていてぼーっとしている師匠が悪い。彼が、『ファルケンが帰ってこないんだ。心配だから見てきておくれ。』などと、困った様子で頼み込んでくるから、うっかり承諾してしまった。
「ああ、気が重いなあ。…あいつ、ホントに大丈夫なのか? 気が変わって、どっかでやばいことになってたら、オレが師匠に言わなきゃいけないんじゃないか」
 貧乏くじを引く気分だ。悲報をきかせたりしたら、あの優しい師匠はまた気を病んで落ち込んでしまうに決まっている。それを慰めるのはいつも自分の役なのだ。
(あんなぼんやりした師匠と、あんな暗くてよくわからない弟弟子をもったのがいけないんだ)
 ビュルガーは自分の運命を呪いながら、仕方なく先を急ぐ。レナルの縄張りあたりにいけば、何かの情報がつかめることもあるかもしれない。
 何本かの木を隔てて、街道が見えている。その街道を馬に二人乗りをした男女がゆったりと進んでいた。仲のよさそうな二人だ。
 ビュルガーはそれを見ながら深くため息をついた。全く、辛い任務にあたる自分とはえらい違いである。あれぐらい楽しくいきたいよなあ、とつぶやき、彼は意気消沈して惰性だけで歩いていくのだった。
 街道をいく馬の二人組は、実際、確かに男女だった。紅い色と、紫系のショールの色が太陽の下で鮮やかだった。だが、ビュルガーが想像したほど、彼らは楽しく旅をしているわけではない。ビュルガーがもう少し彼らに近づいていれば、その会話の内容がききとれたかもしれないが。
「あなたって…ホント役立たずじゃないの?」
 言葉は辛辣だが、その声はきわめて美しい。それがかえって彼女の魅力になっているのかもしれない。実際、彼女の声で何を言っても、たいていの貴族の子弟は不敬を許してくれる。
 だが、目の前の男はそうはいかない。彼女の、いっそ蠱惑的な美貌にかけようが、美しい声にかけようが、目の前の男は、普通にその台詞をきいて不機嫌になる。
「う、うるせえなあ! オレだって一生懸命やってんだよ!」
 ややばさばさした黒髪の青年はそういって、背後の娘を見やりもしない。馬にのる男は、鮮やかな赤いマントをはおっている。その背に身を寄せて、馬に乗せてもらいながら、女の方はさらに辛辣な口調で続けるのだ。
「だって、ホント、あなた、あの頃からいいところナシじゃない。敵にはやられるわ、日蝕は起こるわ、この前なんてあんな妙な輩に助けて貰わないと、妖魔一匹退治できないなんて」
 美しい黒髪をなびかせながら、彼女は、切れ長の神秘的な瞳で横目にダルシュを見た。
「あのレックハルドでも、決死の覚悟で砂漠に行ったのに、男ならもっと命張ったらどうなの?」
「るせえな…。張ってこれで悪かったな!」
 ダルシュはヤケ気味にシェイザスに言った。
「大体、お前が言ってたんだろ! 妖魔は普通には倒せないとか何とか!」
「まぁ、それはそうなんだけど」
 シェイザスは、そういいながら面白くなさそうにぽつりと呟く。
「何となく、でも、駄目なのよね…。妖魔ぐらい、どうにか倒す方法さがしてくれれば、あなたも一流なんだけどねぇ〜」
「なあにい! どういう意味だこら!」
 さすがに振り返って怒鳴ったダルシュを冷たい目で見ながら、シェイザスは指先を軽く振る。
「あーら、怒ったの? じゃあ、頑張って活躍なさいよ。それに、いつまでも、休んでないであなたも、そろそろ仕事に戻ったらどうなの? 大体ねえ、あなた、辺境調査の任務はどうしたのよ?」
「だって、よくわかんねえんだもんよ。日蝕が起こったり、起こらなかったり、化け物がでてきたり、消えたり」
 ダルシュは片手で髪の毛をぐしゃりとやる。
「おまけにあの商人も帰ってこないし、……確かに、ファルケンのことはオレも気にしてはいるんだぜ…。オレだって、助けてやれなかったんだもんな」
 ダルシュは、ため息をついて少し視線を落とす。
「ファルケンにレックハルド、ねえ」
 ふとシェイザスは、顎に手を当てた。この前、彼女はダルシュが街で武器を見繕っているとき、ひっそりとその街のはずれで一人の男に会っていた。その時に聞いた話を思い出したのだ。
 大体、彼は町外れに彼女を呼び出す。それは、彼が騒がしいところを嫌うからでもあり、話の内容が人に聞かれるとまずいものでもあるからである。
 シェイザスが、手紙を差し出すと、細い指がそれを受け取る。
「情報は、その手紙にあるとおりよ。…あなたのいうような、おかしくなった貴族や領主の話はきいていないわ」
「そうか」
 男は手紙を受け取って笑う。何度会っても食えない男だとシェイザスは思った。優男風の外見にぴったりのゆったりとした服と、ゆるめに束ねられた長い髪の毛。理知的でどこか底の読めない瞳。金色の髪も、白い肌も、おそらく、彼がこの土地の人間でないことを示している。元々はディルハートの宰相だったという彼が、今でもディルハート王家の相談役をしていることを知っている者は少ない。
 サライ=マキシーンは、うっすらと微笑む。それは、何かを隠すような笑みで、しかも、何となく挑戦的な感じの不敵な笑みでもあった。同じ策謀家タイプのレックハルドも、よくそんな笑みを浮かべるが、サライと彼の決定的な差は、サライには冷たい上品さが強調されて、或いは無表情に見えるのに対し、レックハルドの方は、奥でじりじりと押し込められて焦げているような感情が透けて見えて、隠された自信がわずかににじみ出すように見える。おそらく、彼らの笑みに現れる不敵さの大本の源が違うのだろう。そういう意味では対称的だとシェイザスは思う。
 それは恐らくハールシャーにも言えることで、泥の中からはい上がってきたハールシャーと、もとより一筋の道は指し示されていたであろうサライとの大きな違いだ。サライが、ハールシャー、いやレックハルドに対して、持っている苦手意識のようなものは、生まれの根本的な違いからくるコンプレックスに近いものなのかもしれない。
 もともとは、ディルハート方面にいたシェイザスが、彼の手先としてあちこちの情報を得ていることは、ダルシュでも知らないことだ。
「あなたが何を探っているのかを私はきくつもりはないけれど…、でも、純粋にディルハートの為の情報収集じゃないわね? 最初から、カルヴァネスとの間に、問題は起きていないんだもの」
「まぁ、そういうことだな。…その内、私がいわなくても、きっとわかるときが来るだろう」
 静かにいうサライに、シェイザスは薄い笑みで応える。どうせ、答えがもらえるとは思ってもいない。
「それにしても、あなたも、ひどい方だわ」
 シェイザスは妖艶に笑って、話を変える。
「何の話かな?」
「あなたが、レックハルドを砂漠に向けようと焚きつけたそうじゃない」
「焚きつけた、とはひどい言われようだな」
 サライは、少し苦笑いして、目を開く。切れ長の目に淡い瞳が、面白そうに引きつる。
「私は、なにも、アレを死なせようとしているわけではない。…彼にとっては、これは必要な旅でもあったからだ。いいや、厳密にいうと「彼ら」だな…」
 いわれている意味を完全に把握はしていないが、シェイザスは、軽く肩をすくめる。
「あなたの目的は、それだけじゃないんでしょう? 昔、まだ若かった頃、こっぴどくこづかれたことに対しての仕返しかしら」
少しだけはっとしたようにサライはシェイザスを見る。すでにどれほど生きているかわからない彼の目に、初めて驚きの表情が灯ったのを見て、シェイザスは少しだけ優越感にひたる。
「別に前世の記憶とかそういうものじゃないわ。…そうね、いうなれば、勘、かしら。何となくそんな気がしたの」
 当たったかどうかは訊かず、シェイザスはふらりと身を翻す。
「何かあったらまた報告するわ。…でも、その内、わたしにも事情を話して欲しいものね」
さらりと長い黒髪を翻る。シェイザスの紫の落ち着いた色の服を見ながら、ふとサライはいった。
「ああ…そうだ、…彼は帰っているよ」
 ふっと、シェイザスは振り返る。サライは不敵な笑みを浮かべながらいった。
「厳密にいうと、「彼ら」だな。街に行けば、会うこともあるかもしれない」
 サライは続けて少し含むようにしながらいった。
「あれについていけば、やがて、私がなぜこんなことを調べているか、わかるかもしれんな」
 青い空には、日蝕はあれから起こっていない。馬の背に揺られながら、シェイザスは、追想をやめた。サライの薄い笑みは、きっと彼女がカマをかけたことへのささやかな仕返しだ。
「あの二人は、それじゃあ、生きているということかしら」
 ぽつりと声に出ていたので、ふとダルシュが怪訝そうに振り返ってきた。
「ん? 何かいったか?」
「別に、何でもないわよ」
 シェイザスはそういって、ふと辺境側を覗きやる。この前は、緑色の葉をつけていた木々が、黄色く染まっていた。紅葉する木でもない。あれは、枯れているのだ。その前の草原に何本か枯れた木が倒れて朽ち果てている。この一角では、森が枯れてきているのである。
 かと思えば、別の場所では、普通ではあり得ないほどのスピードで森が広がり、街道を脅かそうとしている場所もあった。局地的な変化が激しすぎる。
 辺境の森の木々は、辺境の土地のエネルギーの変化に敏感なのかもしれないが、そうかんがえると、このバランスの狂い方はただごとではない。
「ああ、またか…」
 ダルシュはシェイザスの視線を辿って呟いた。
「あれから、この辺、急速に枯れてきたな」
「ええ、そうね…」
 シェイザスはいいながら、サライの不安とやらがこの辺に直結しているものだろうということを漠然と知る。ダルシュは、何となく疲れたような声でいった。
「狼人つかまえても、理由はわからないだろうし…。とりあえず、オレ達にできるのは、街で食料を調達するぐらいだな」
「そうねえ。…次は、ヒュルカかしら」
 シェイザスはそういって前方を覗きやる。その前方では、摩天楼のような高い建物が並ぶ、大都市ヒュルカの姿がおぼろげながら見えていた。





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©akihiko wataragi