辺境遊戯 第三部
第一章:闇夜の竜王-4
狂気と哄笑の賭博は夜が明けても延々と続いていた。狼人の勘と時の運は恐ろしい。いつの間にやらレックハルドとファルケンの前には、黒く塗られた札が山のように積み上げられていた。一睡もしていない二人にこの状態で平静でいろというのは無理というものだ。
煙草、ではなくおそらくラキシャの方だろうが、を、ふかしはじめたファルケンは、すでにどこからどう見ても立派な博徒だ。元から目つきだけは良くないファルケンだが、眠いのもあって目つきが悪いどころか、どこからどう見ても危ない商売の男にしか見えなくなっている。草原風の長いコートも、ファルケンが密やかに好きな原色の派手な帯も、そして、腰と背中の剣につけても、どう見てもその筋の用心棒風に彼を仕立て上げていた。
だからといって横のレックハルドの悪党ぶりが薄れるはずもない。金に目の色を変えているレックハルドはレックハルドで、完全に用心棒連れのどこかの組織の幹部のような顔をしている。
ここにいるには似合いの二人組だった。厳密に言うとレックハルドはやや若いのだが、十分に老成している彼は特に態度だけは二十代をゆうにこえているように見える。ここの幹部が彼らをどう見たかはわからないが、どこか別の組織から潜り込んできたという風にも見えないことはない。場が荒れるのを嫌って、何人かの素人風の男性が逃げるように帰っていく。もし、彼らが別の組織から来たのならば、おそらく、もうすぐ血の雨が降るはずだ。特に最後の大勝負が終わった後に。
「ど、どうだ、ファルケン……」
「よ、読める。オレには読めるぞ。全てが読める」
何が、とはレックハルドは訊かない。ファルケンの言葉のおかしさに気づかないほどにはレックハルドもおかしくなっているのだ。ファルケンは、生意気な動作でふうと煙を吐きながら、次の勝負を待っている。
元々酒と煙草代わりのラキシャは、ファルケンが一番辛い時期にストレス解消に覚えたので、あまりいい思い出はないはずだが、すっかり板に付いてしまった。
何はともあれ次で勝負は最後だ。他の客が見守る中、とうとう賭場を仕切る目つきの悪い男が出てきて、目の前に座っている。最後の勝負はサシでやるのだった。
「これを全て賭けて勝負でいいんですかね」
「おう、……つぶすかつぶされるかだ! オレは、後悔しないぜぇっ!」
ファルケンが大問題なことを叫んでいるが、周りの空気もすでにおかしいので誰も咎めない。
「ふふふふふふふ。金だ。金だ…」
ぶつぶつそんなことを言い始めたレックハルドは、横のファルケンが限界を振り切ったような性格になっていてももう気に留めない。
「やっちまえ、ファルケン…」
「おうよ、レック」
何もやっていないようなレックハルドだが、五回いかさまを見破って、ファルケンに判断と逆に賭けさせている。最後に相手がいかさまを使ってくるかどうかはわからないが、敵もレックハルドを警戒し始めている。いかに彼の目つきが危うくても、巧妙ないかさまを何度も見破られているので、彼らも最後は使わないかもしれない。実際、レックハルドは、ディーラーをやったことが何度もあるのだ。指先の動き一つで、自分の経験から何をしているのかわかっているし、彼らがいかさまを仕掛けてくるタイミングも大体わかるのだった。
前には組織の連中がずらりと並んで彼ら二人と対峙している。これは異様な光景だった。
「最後は、普通にサイコロを転がして、その目が赤か黒で決めさせてもらいますぜ」
「ああ、その方がいかさまも使いにくいだろうから構わないぜ」
レックハルドはにやりと笑いながら言った。
「いっておくが、さっきまで使ったこのサイコロでいけよ。…他のを出されると中に何が入ってるかわからねえからな…」
「て、てめえ!」
若い者がかっとしかかったが、年輩のものに止められている。それもそうだ。これで勝ってさえしまえば、今までの負けは取り戻せるし、この小生意気な二人組のメンツをつぶすこともできるのだ。
ここはぐっとこらえて、ディーラーがころんとサイコロを陶器の入れ物に入れる。
「さあ、どっちだい?」
「じゃあ、……黒だ」
ファルケンがレックハルドの視線をやや気にしながら選ぶ。レックハルドは、視線をかわさない。…ということは、少なくとも彼の目からはいかさまが来る可能性はないということだ。というよりも、レックハルドは勝っても負けても、ある程度の金額をかっぱらうつもりなのかもしれないが、ファルケンはそんなことは知らない。
「勝負!!」
声がかかり、陶器の入れ物が伏せられる。ばっと人々の目がそちらに向く。陶器の入れ物を取り去ると、サイコロが彼らの目に入る。
そのサイコロの目は――黒だ。
うおおお、と声を立てて、対峙する男が頭を抱えた。と、ファルケンとレックハルドは、その反対側で大騒ぎしている。
「やったー! やったー! オレやったよ、レック!」
「ファルケーン! 野生の神秘だなあ、お前は!」
抱きつきながらレックハルドはよくわからない褒め方をする。わいわいやっている二人の反対側では、殺気を漂わせながら二十人ほどの男達が立ち上がっていた。
「ふざけるな!」
「そのまま帰れると思うなよ!」
突然怒号が飛ぶ。喜んでいた二人はぴたりと申し合わせたように、喜びの声をたてるのをやめた。
「ほほう。勝ち逃げとおっしゃいますか」
レックハルドは、ゆったりと立ち上がる。上着の裾がひらりと揺らめき、すでに夜明けの陽光が窓から入る床に影を作る。後ろでまたファルケンが不穏な空気をたたえながら立ち上がっている。
「勝ち逃げとは人聞きが悪い」
レックハルドは、腕組みをしたまま、悪役よろしくにやりと笑う。
「大体、博打ってぇのは厳格な勝負の世界だろ。負けた奴が勝った奴に文句を言うとはコレ如何なものか」
「生意気な口きいてんじゃねえぞ!」
「てめえ、よく見ればヒュートのところにいたスリのガキじゃねえか!」
下っ端らしい男が、ようやく思い出したのかそう叫ぶが、レックハルドは知らん顔である。
「はん、そんな昔のことは忘れたね!」
レックハルドは、ややふんぞり返るようにして大口を叩く。
「いいのかい…。あんまり手荒な事になると、あんたらの方が後悔するぜ」
レックハルドが一歩身をひくと、自然と後ろにファルケンが立ちはだかる。くわえた煙管を直し、片手を腰の短剣に置いている彼の姿は、相手に恐怖を与えるに十分だ。
「くそっ、狼人を…」
「さぁ、そんなの関係ねえだろ」
彼らを取り囲んだ連中が、やや怯えたように見えた。
「……え、ええい! 相手は二人だろ! やれ!」
目つきの悪い男がそう叫ぶ。狼人の存在に怯えながらも、彼らは一斉に彼らを取り囲む。
「いいのか〜。ったく、仕方がねえな。やっちまえ! ファルケン!」
「了解!」
だっと連中が飛びかかってきたとき、レックハルドは素早くファルケンの背後に回り込む。前に出てきたファルケンは、短剣を抜いて打ちかかってきた彼らの刀を受け止めた。
賭場に突然響き渡る剣の響きに、大勝負を見守っていた客達は悲鳴を上げて逃げ出す。ファルケンに足をすくわれ、若い者二、三人が転んで倒れる。
レックハルドは不意に、た、と身を翻した。札を換金する入り口には金が袋に入れられて積まれている。中の喧噪に気を取られた男達が呆然としている隙に、レックハルドは通り抜けざまに袋を一袋かっぱらった。
「これで、それ相応だろ! もらってくぞ!」
そのまま入り口から抜けていく。はっとファルケンは振り返った。気がつくとレックハルドはすでにいない。自分のおかれた立場に気づいて、ファルケンはさっと青ざめた。
「ああ! レックがオレを置いて逃げた!」
先にレックハルドを逃がすというのは考えていたことだからいいのだが、予告無しにやられるとさすがにひどい。ファルケンは、剣を交えていた相手を突き飛ばすと、あわてて自分も後を追う。ようやく追いつくと、ファルケンはレックハルドに早口で訊いた。
「レ、レック、こんなの打ち合わせになかったぞ!」
「馬鹿。全ては臨機応変だ。あ、お前コレ持ってくれよ!」
レックハルドはかっぱらってきた麻袋をファルケンに投げやる。ドスッという音と共にかなり重いものがファルケンに投げつけられた。どうにかこうにか受け止める。札束と金貨銀貨の入った袋らしく、かなり重い。
「レ、レック、これって……」
「あの勝ち分からすると、それでも足りないぐらいだが、そんなもんでいいだろ! いっておくが、泥棒じゃねえぞ! オレはお前の勝ち分だけ取っただけなんだからな!」
ぎりぎりの言い訳だが、まあ気持ちはわからないでもない。確かにあの勝ち分からすると、これでも少し足りないぐらいだ。
「後の分は、寄付してやるぜー!」
後ろに向かってそう叫ぶが、一銭も渡したくない連中がそれで喜ぶはずもない。後ろから追いかけてくる柄の悪い男共を巻くために、レックハルドはそのまま人ごみに入る。慌ててファルケンはそれに置いて行かれないようにする。
「ひたすら走れ!」
「ええっと、でも、どこまで!」
「まあ、ついてこい!」
そういうと、レックハルドは、市場の脇から急に路地裏に入り込んだ。狭い路地だ。狭い道が嫌いなファルケンは、大丈夫かと不安になったが、そんなことを考えている場合でもない。慌てて後を追う。後ろからは罵声が聞こえてくる。
「待て! こら!」
後ろをちらりと見やり、レックハルドはにやりと笑いながら吐き捨てる。
「待つような馬鹿がいるかよ! 馬鹿野郎!」
足下にはがらくたが大量に散らばっている。金属製のものから木製のものまで、それが踏み壊されてがらがらと鳴るが、少なくともレックハルドはそれに足を取られることなく走っていく。
「あいったたた…! こ、この道ひでえな…!」
がしゃんがしゃんと何かを踏み割りながら、ファルケンはレックハルドの後を追う。レックハルドは俊足だ。いくらファルケンが狼人で人間の能力を超えていると言っても、彼らの能力は主に自然環境に適応していることが多い。彼らは人工的なジャングルには全くと言っていいほど備えがないのである。だから、そもそもこんな狭い道で足の速いレックハルドに追いつけるはずがないのだった。おまけにレックハルドは、ヒュルカの路地裏を知り尽くしている。どんどん距離をあけられて、ファルケンは焦った。おまけにレックハルドが待ってくれる気配が全くない。
「ま、待ってくれよ! こんな狭い道、オレにはちょっときついってば!」
「こ、こら! お前が金持ってるんだからな! 追いつかれたりするなよ!」
「そ、そんな…。ひどい! は、薄情だ! 薄情者!」
ファルケンが悲鳴のように叫んだが、レックハルドはさすがに冷たい。
「お前、嫌なら魔法とか使って見ろよ! イェームは使えただろ!」
「…だ、駄目なんだ! あれは精神集中がいるし、今寝不足だから…! そんな咄嗟に使えるようなもんじゃないんだ…。だ、だから、オレは魔法全般が苦手なんだって!」
ファルケンがやや青ざめながら後ろを気にする。足下で踏みつけた木箱がばりばりと音を立てて壊れていくが、足を取られて更に焦る。
「そうなのかよ、それで旅の途中に一回も使わなかったのか! 使えねえ奴!! ああ、もう早く来いって!」
そういってレックハルドは急な角度の曲がり角を曲がっていく。ファルケンは慌ててその後を追っていった。