辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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辺境遊戯 第三部 

 第一章:闇夜の竜王-3

「クレイ…」
 と呼びかけると、青年は振り返る。優しそうな青年の笑顔がこちらを向く。
 彼が一体何をしたのか、ミメルは確定したことはしらない。
シャザーン、いや、本当の名はクレーティスという。ミメルが彼に会ったのは、ずいぶんと幼いころだったように思う。彼女の面倒を見ていた妖精と、彼の面倒を見ていた妖精の二人が友人だったのと、同じ狼人のチューレーンに属しながら生活していたのだ。だから、一度出会ってから、二人は近い場所で育てられていた。
 シャザーンの母は妖精で、ということは父の方が人間だったのだろう。狼人が父の場合は、大体彼らは人間の方に紛れて生活する場合が多いのだときいている。彼が辺境に連れてこられたのは、母に連れられて来たからに他ならないだろうし、彼も他の狼人と同じように辺境の奥で育てられた。狼人と人間の間の子供といっても、その能力差もさまざまで、ほとんど人間のようなものもいれば、クレーティスのように長生きで年の取らないほとんど狼人に近い者もいる。むしろ、彼は普通の狼人よりも魔力が強いほどなので、母の力を多く受け継いだのかも知れない。
 子供の頃の妖精や狼人は、それより少し年上の妖精の保護下で育てられる。ただ、過去の大戦以来、狼人も妖精もかなり数が減っている。生まれる子供の数も少なく、同世代の子供はそうそういない。近くで育てられたこともあり、いつの間にか、クレーティスとミメルは仲良くなっていった。少なくとも、彼が狼人のチューレーンにはいるまでは、ほとんど一緒に育っていった。
 クレーティスは、ファルケンほどには問題のある成人を迎えなかった。ファルケンは、すでに子供の頃に火を起こすことを覚えていたし、恐がるどころかそれを積極的に利用しようとしていたのがまずかった。また、その容貌がゼンクとよく似ているという噂も彼を追いつめた。
 だが、シャザーンは、ファルケンとは違い、火を恐れるし、容貌も狼人らしい容貌だったので、別段問題はなかった。ただ、彼は、やはり辺境での生活には馴染めなかったようだ。そのころ、すでに司祭達は、人間達に対する危機感で溢れていた。人の血を持つクレーティスに何かの働きかけをしたのかも知れない。そういった事情で、彼は自分から辺境を出ていったが、人間の世界でもうまくやれなかったようだ。ただ、時々ミメルに会いに来てくれた。そして、人の世界の不思議なことを好奇心旺盛なミメルに話してくれた。人の世界にあこがれのあるミメルは、その話を聞いてとても楽しかった。
 だが、ミメルは彼に何があったかという事情をきかない。ただ、シャザーンと呼ばれるようになったらしい彼の過去に、何か辛いことがあったのだろうなと予測することができるだけである。
 クレーティスが何をしてきたのか、また何をしようとしているのか。ミメルは直接はしらないものの、何となく、それを把握はしていた。だから、余計にミメルは何も彼に聞くことはなかった。
 その後、辺境で何が起こったかについても訊いていない。シャザーンが、なにか迷うように、時に苦しむようにしていることについても、結局訊いていない。だから、それが、まさか、彼女の育てた一人の狼人を地獄にたたき落としたことからくる罪悪感であることも、彼女は知りもしないのだ。
 しかし、それでも、ふっと不安にはなることがある。小さい頃、彼女の側から離れなかったあの少年、ファルケンが、なぜかもう帰ってこないような気がすることがあるのだ。
『レックはいい奴だよ。』
 ファルケンは、彼女に会いに来た時、帰り際にそう言った。レックハルドが先にいって待っているから話してこいといったときだ。
 まだやや訛りのあるカルヴァネス語だが、ファルケンは相変わらずそれがうまくならない。それが彼をより幼い感じに見せている。だが、ミメルは古代語で喋れば、彼がかなりすらすらと話せることも知っている。
『でも、今までの人もいい奴だったんとちゃうの?』
 あいつはいい奴だったのに、オレを置き去りにしてどこかにいってしまったんだ…。オレが狼人だから。だから、もう嫌なんだって…! 昔ファルケンがそういって泣いていたのをミメルは知っている。不安そうにミメルが訊くと、ファルケンは少し笑った。
『今までの奴よりは、レックは悪い奴だよ。色んな悪いこともしてるし、冷たい時は冷たいし…。…でも、だからこそ、いい奴なのかも。』
 ミメルはファルケンの言う言葉がよくわからず、一瞬首を傾げる。ファルケンはにっと笑った。
『オレが、騙していたのを知ってたのに、許してくれたんだ…。自分の方が悪いことをしているからいいって! それに、オレを対等に扱ってくれたんだ。…オレ、すごくうれしかった。』
 ファルケンは、そういって顔を上げた。
『だから、オレは、あいつの手助けをしてあげたいんだ。…今まで、あんなこといってくれた人はいなかったし、オレをあそこまで信用してくれるのも…。』
 だから、とファルケンは笑っていった。
『オレは、それが終わるまで辺境に帰れなくてもいいんだ…』
 ファルケンがあんな風に自信に満ちた顔をするのを、ミメルは見たことがなかった。
 ファルケンは、ミメルが覚えている限り、かなり大人しい子供だった。女の子と間違われるほど大人しく、そしてとても小さかった。覚えている限り、いつもぐすぐすとべそをかいていた。シェンタールを与えられ、成人してからも、しばらくは、よくめそめそ泣いていた。
 ミメルは慈しみと愛情を与えたつもりだったが、ファルケンに自信を与えることはできなかった。彼に自信を与えたのは、結局、外の人間達だし、彼を成長させたのもそうだ。
 彼の去り際の姿に、なぜか一抹の寂しさを覚えながら、ミメルは彼を送り出した。
「どうしたんだい? ミメル」
 クレーティスは、何度か呼びかけてきていたらしい。何度話しかけても返事をしないミメルを不安に思ったらしく、彼は少し険しい表情をしていた。
「ううん、なんでも」
 ミメルはそう言うとにこりと微笑む。
「ちょっと、心配なことがあって…それで考え事をしてたんや」
「考え事? 何?」
 クレーティスはミメルをのぞき込むようにして訊いた。
「うちの知り合いのファルケンちゃんいう子が今どうしてるんかなって?」
「ファルケン…?」
 口に出してみて、クレーティスは、傍目にもわかるほどに真っ青になる。
『オレは多分死ぬ。…でも、あんたも終わりだ。』
 ファルケンが最後にクレーティス、いやシャザーンに浴びせたのがその言葉だった。
「クレイ?」
 ミメルが心配そうな顔をする。クレーティスは、慌てて取り繕うように笑った。
「何でもないよ。何でもないんだ…」
 そういうクレーティスの、複雑そうな表情を見ながらも、ミメルはまだ何も言わなかった。ただ、先ほどの不安が強まっただけだ。
 ミメルは、ファルケンの名前をそれからなるべく出さないようにしようと思った。
 



 ある意味では、結構自然な姿なのかも知れない、と錯覚しかけ、レックハルドは軽く首を振る。見かけからしていかにもいかさま師のレックハルドと、それの用心棒でありつつ、博徒っぽいファルケン。ある意味では似合いすぎの取り合わせであるだけに苦笑するしかない。
 狼人の勘という奴は恐ろしいもので、ファルケンは大体八割程度の確率で、ずっと当て続ける事ができる。配当は手を加えられないが、どちらにしろ勝ち続けている限りは問題はない。問題は、「勝ち続ける」ということが彼らに与える精神的な影響の方である。
「よーし、次はこれ全部賭けるぞ!」
 すっかりハイになったファルケンが、足下の大量の札をわさっと抱え込んでいった。
(……ああ、…やっぱり性格変わってやがる……)
 レックハルドは軽く額を抑える。今は入って五回目、大した儲けもないので、まだ相手はいかさまを使う気配はないが、そろそろ危うくなってくる。
「わかってんだろな。……作戦は作戦だからな!」
「ふふふ、今日のオレが負けるわけがない! 今日のオレには賭けの神様が降りている! 今日のオレは無敵だ! そして、不死身だ! 不死鳥だ!」
「…お前、意味分かって言ってるのか?」
 レックハルドは頭を抱える。マザーを絶対的存在と考える狼人は、いわゆる「カミサマ」という概念がよくわからないと、この前本人が言っていたばかりだ。大体、無敵からの言葉の発展の仕方がよくわからない。きっとファルケンの頭の中でなにかしらの変化を遂げたのだろう。
 だが、問いただすのは諦めた。ファルケンは、もうだめだ。ファルケンの魂はすでに別の世界に飛んでいるらしく、狂気すら感じる自信満々な笑みにしても、あっちの世界しか見ていない瞳にしても、すでに普段のファルケンと呼ばれる狼人とは違う。大人しくて控えめ、というのがファルケンの第一印象だったが、今やそんな奴は存在しない。
「……もしこれで負けたら、ただじゃおかねえぞ」
「何でもかんでもずばっと来い!」
(駄目だ。こいつ、カンペキにあっちいってるな)
 全く、自信を持つというのにも弊害があるものだ。こうなったら仕方がない。どうしようもならなくなったら、素直にファルケンを殴り倒そう。
 そう決意して、レックハルドは、雑念を振り払うことにした。勝ちさえすれば問題はないのだ。勝ちさえすれば――。
「さて、参りますよ!」
 ディーラーの声が響き渡り、彼らは全員臨戦態勢にはいる。散らばっていた男達が一斉にわっとその場所に集まるのは、何となく滑稽でもあり壮観でもある。
 ファルケンが、不意にちらっとレックハルドに目配せした。札の裏でファルケンは指を一本立てている。あらかじめ決めた合図をファルケンが覚えているのなら、赤に全部賭けるということだ。レックハルドはため息をつきながら、自分も赤に賭けることにする。
 相手のいかさまがわかれば、レックハルドは再びファルケンに合図を送るかなにかするのだが、そうでなければ、自分よりはファルケンの勘の方が鋭いのである。狼人の驚異的な勘というやつに頼るのが、唯一の希望である。
 たんたん、とディーラーが調子を取り始め、彼らはいよいよ、ディーラーの持つ陶器の入れ物にサイコロ三つが入るのを注視する。少なくともこの時点でいかさまである可能性は見いだせない。 
 宮殿の遊びだと言ったが、それは間違いないとレックハルドは思う。なぜなら、この遊び、はっきりいって野郎が囃子詞を歌ったところで、全然美しくないのである。みなが勝ちを夢見ながらぶつぶつ口ずさむわけで、野郎しかいないこの場では、低い声が延々と響く非常にむさ苦しい音楽が流れるだけなのである。
「カラカフカラルヴ(黒い黒い)、ルデルフルデラフ(赤い赤い)…あの姫年十六、お前にあわせるにはちょうどいい」
 この間に賭け金と黒か赤かを決めて、さっと出さなければならない。このゲームの難しいところは選択時間が短いことだ。その間にいかさまを見破らなければならないので、かなりいかさまが見破りにくい賭けでもある。
 リズムに合わせて、黒と赤の指定された場所にそれぞれの賭け金を置いていく。ファルケンが大金を赤に積むのを横目で見つつ、レックハルドはやや低めに賭ける。
 サイコロを振るディーラーは、陶器のお椀をリズムに合わせて弄ぶようにしている。あの中にサイコロが入っているのだ。次の歌詞が終わるまでに、リズムに合わせて陶器を振っていたディーラーが、サイコロを投げなければならない。
 いかさまならば、その間に何か細工をするはずだ。
「カラカフカラルヴ、ルデルフルデラフ、花もて愛を告ぐるは満月の夜!」
 夜、という言葉に合わせ、ディーラーはサイコロを転がす。床の上にサイコロがころりと出てくると、一斉に野郎共ががばりとそれをのぞきにやってくる。みんな目の色が違っている。
 陶器の器からあふれたサイコロがからりと落ちる。ゆっくりと回って、からんと三つのサイコロは思い思いに転がり、やがてぴたりと止まる。その時天を向いている目が勝敗を決するのだ。
「赤だ…」
「赤だぞ!」
 ぼそりと誰かがいう。確かに二つのサイコロが赤だ。そして、大きなサイコロの目が配当を決める。
「配当は五だ!」
「五!」
 レックハルドは身を乗り出す。隣の黒に賭けたおやじが消沈する中、遠慮なく彼は歓声をあげる。ファルケンは、払い戻された札を抱え込む。レックハルドは思わずファルケンに抱きつきつつ、お互い喜びを噛みしめる。もともと期待していないような事を言っていたレックハルドはゲンキンだが、そんなことはすでに忘れ去ってしまっている。とにかく、狂喜しながら、二人は他の当たった男達と同じように騒ぐ。
「いやったー! やった!」
「おお! お前は天才だ! ひゃっはははははは!」
 そして、はっと顔を見合わす。レックハルドの目には、すでに黄金の輝きが、ファルケンの目には、次の勝負が浮かんでいる。
「よーし、この調子で行くぞ!」
「おう!! ガンガン来いぃぃ!」 
 一番問題なのは、勝ち続けることが彼らに与える精神的な影響だ。冷静なつもりのレックハルドも、目の前で金と同等の意味を持つ札が山積みされていく様子に、徐々にまともな状態を保っていられなくなる。
 レックハルドもファルケンも、サイコロと確率と黄金舞うこの世界で、徐々におかしくなりつつあったのかもしれない。
 二人の狂気じみた笑いと共に延々と賭けごとは続いていくのであった。





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©akihiko wataragi