辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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辺境遊戯 第三部 

 プロローグ:闇夜の竜王


 まだ人も狼人も生まれていなかった時代…
 太古の昔、この大地の全てを統べていたのは人ではなく竜であった。

 高い知性と高い魔力を備えた彼らは、しかし人より自然に近しい存在であった。
彼らは辺境の精霊より全てを託され、そしてこの世を見ていた。
 だが、滅びの運命は彼らにも訪れた。人が生まれ、その対抗の為に狼人が生まれたころには、彼らはすでに衰退を辿っていた。彼らの多くは知性と魔力を失い、ただのトカゲとして生き残る道を選び、そのいくらかは人の姿を取り、やがて人間と交わって消えていった。
 最後の竜王であった黒い竜は、人からも竜の神と呼ばれる崇高な存在であった。だが、彼にもやがて滅びの時がやってくる。彼はこの世の行く先と自分の力をなくした世界が不安だった。そして、彼は、自らの肉体が滅びる前に、その魂を人のつくりし武器に込めた。彼は姿と自由を失ったが、その代替として永遠に失われぬ力を手に入れることに成功した。そして、その武器をふるう者に、全ての力を与える事を決意した。

 そして、すでに何千年の時が経つ。
 しかし、永遠の鎖につながれたまま、彼はずっと待ち続けているのだ。彼と同じ血を持ち、そして、彼の考えに同調できる人間が現れることを。




「さすがですな、…バイロスカートはそこいらの宮殿とは、ひと味も二味も違う」
 荘厳な宮殿の、ちょうど赤と黒の紋章の旗の下、竜騎士の称号を持つ男は、廊下にたたずんでいた。赤いマントの下に甲冑を着ている。古代バイロスカートは、竜の神のお告げによって成立している神秘的な国である。国というよりは、古代ギルファレスにおいても、メソリアにしても、メルシャアドにしても、彼らの下す神託というものを必要以上に重用視していた。戦乱の世になればその度合いはますます増している。バイロスカートには、各国の官僚や将軍が常に出入りしては、事の状況を見守っている。
 もっとも、神も悪魔も信じないレックハルド=ハールシャーにとっては、神託に頼ることは考えられないことであり、彼がバイロスカートに来るのはあくまで外交としてである。彼本人は、竜の神とやらが告げる預言も神託もどうでもいいことだ。
 目の前にいる竜騎士は、彼よりもずっと年上だときいたが、随分若く見えた。狼人ほどではないが、竜の血を受けた者達も長生きなのだという。もっとも、竜を先祖にもっていても、必ずしもそれを強く受け継ぐわけでもなく、ごく希に彼らに近しいものが生まれるというだけのことだ。「竜騎士」というバイロスカートにしかない聖戦士階級は、そうした者達の中から選ばれる特殊な神殿警護の戦士団である。よって、竜騎士達は選び抜かれたエリートだという意識が強い。
 そういう意味では、彼らから突出した感じの彼は物珍しい存在といえるかも知れない。彼、竜騎士ギリアバスには、そうしたエリートの香りはあまり感じられない。
「紅のギリアバス殿」
 ハールシャーは静かに訊いた。
「今日は、影はいらっしゃらない、ですか?」
「ギルファレスの宰相殿はオレでない方に用がおありか?」
 ギリアバスは、ムッとした顔で応えた。ハールシャー自身もこの男が好きではないが、相手はもっと彼のことが好きではないらしい。自分が彼のことを気にくわない理由も、彼が自分を気にくわない理由も、ハールシャー自身よくわかっている。
 『生理的に合わない。』それだけだ。
「歯に衣着せぬ貴様が、なぜ今日はそんな遠回しに言う? …はっきり言いたいことがあるなら言え! …オレは貴様のそういう喋り方が好かない!」
 きっぱりといった竜騎士は、わずかに睨むように彼の方を見た。本来は黒い瞳が、一瞬にしてほとんど金色に変化している。影はいないわけではないらしい。ハールシャーはわずかに眉をひそめた。
「はははははっ」
 黒い宰相の乾いた笑い声が響く。
「竜騎士殿は相変わらずのようだ。よろしい、私もいい加減、上っ面の礼儀は捨てることにいたしましょう」
 レックハルド=ハールシャーは挑発でもするように口をゆがめた。そして、彼はがらりと言葉と口調を変えた。
「それじゃ、遠慮のないところで言わせてもらうがな。「影」は一体何と言っている? ギルファレスの本当の末はどうなるかってことについてだ。これは公務とは別だ。ひっそりとりついで欲しいのだが」
 ギリアバスは、意外な言葉に驚きながら眉をひそめた。
「それは神託になるぞ、……貴様が神託を信じる? 何を考えている?」
「別に何も信じているわけじゃない。ただ、参考にはさせてもらう…。これから先の行く末が心配なだけのことだ」
「自分の行く末じゃないのか?」
 皮肉っぽく言われて、ハールシャーはまさか、と応える。
「オレの方は、かなりうまくやっているつもりだがな、紅の……」
 ハールシャーは冷たく言った。そして、猫のような目で横目にギリアバスを眺める。
「政略結婚の噂が立っているのは知っているだろう。…まぁ、条件は悪くない。いずれ受けてもいいかも知れないが」
 からかっているのか本気なのか、その表情からはよく読みとれない。ギリアバスはむっとした。
「先方が受けたわけではないだろうが!」
「さぁ、だがどちらにしろ……オレの一存で決まるんだがな。いいのか、手を打たなくても」
 ちらりと竜騎士の方を見ながら、ハールシャーは笑った。喧嘩を売られているのだと知り、ギリアバスは、カッとした。
「なんだ! そもそも貴様がたぶらかしたんだろうが! それでオレに対処しないかってどういう意味だ!」
「オレがたぶらかした? はっ、冗談はよしてくれ」
 ハールシャーは冷たい笑いを浮かべた。
「いっておくが、オレの方から話を出した覚えなんてないぞ。まぁ、せいぜい気をつけることだな」
「くっ、…てめえ……」
 黒い宰相は、ギリアバスの顔を見ながら気持ちよさそうに笑った。

 
 それは遠い昔の話だ。彼にとってはそう昔のことでもないかもしれない。
 あの時は、様々な人間も竜も狼もいた。今となってはその一つはほとんど滅んでしまったかも知れない。外界をうかがいしることしかできない彼にとっては、世界がどう変わったかを正確に知る術などない。
『……狼は戻ってきた。彼らの「剣」の力を感じる。』
 ぽつりと彼は呟いた。
『あれがシールコルスチェーンになったことで、一体、事態がどう動くかはわからぬ。』
 ただ、と彼は呟いた。
『しかし、私の勘が正しいのだとすれば………必ずや、私の力が必要になるだろう。』
洞窟の中から咆哮が響く。肉体を無くした空しい声だが、その声は、森の獣たちを怯えさせ、遠く離れた場所にいるとされる彼の一族に畏怖の念を抱かせる。
 
 辺境の奥にいます蛇の王――最後の黒き竜神の名はギレス。彼はいまだに待ち続けているのだ。
 その、時を。



 ちゃりんちゃりんちゃりん、と音が鳴り、金貨が一枚と銀貨が少し、銅貨の小銭も二十枚ほどぐらいしかない。
「うっ、マジでこれだけかよ…」
 街道筋から少し入った木陰に座り込み、野郎二人が何かをのぞき込んでいる姿は滑稽だ。しかも、二人とも相当切羽詰まった様子で、じっとそれを見ているのである。
 一人は白いターバンを巻いた黒髪の痩せた青年で、もう一人は同じようなコートを着た金髪の男。遠目にもはっきりと分かる剣を一振りは肩に、もう一振りは腰に吊してある。
 そんな二人が道ばたで小銭を数えながら唸っている図は、やはりあまり格好がよろしくない。
 一旦、マリスをヒュルカの方まで送ってきて、そして近くの街で一旦別れた二人組は、今は旅の資金繰りの話をしていた。何しろ、レックハルドはためた金をあの時に燃やしてしまっているわけであり、ファルケンの方は、全財産を情報料と旅の支度と称して、博打に全額つぎ込んでしまっているわけなのだ。布の在庫はベーゼルにくれてやったので、今は何もない。
 二人は、一から商売をやり直さなければならないのである。そしてその為には資金が必要だ。
「…駄目だ。ぜーんぜん足りてない。お前も全財産出せ!」
 レックハルドは、自分の財布を振って何ももう出ないのを見てファルケンにいった。
「オ、オレ一文無しだってこの前……」
 応えにくそうにそういうファルケンに、レックハルドは、そうだったよな、とため息をつく。そして、地面の金貨銀貨を転がした。レックハルドに本当は賭け事で全部使ったとは言えないファルケンは、こっそり苦笑いを浮かべながら、冷や汗をかいている。こんな状態で本当のことがばれたら、血の雨が降りそうだ。
「ううう…。あの時あいつにもらった金も、旅の用意だけでほとんど使ってるからなあ。残りはこれだけか…。これで仕入れなんかできるのか?」
 レックハルドはため息をつきながら、目の前の金を見た。思えばあの時、ベーゼルに布をやることなどなかった。それに、金なんて燃やすんじゃなかった。レックハルドは軽く頭を抱える。
 彼がそうすることになった原因の当のファルケンはというと、もう何事もなかったかのような顔をして、横で同じく銅貨を数えたりしている。お互い痛み分けだったのだから仕方ないとは思いつつ、レックハルドは世の中の非情というものを感じたりもしていた。
「何とかなりそう?」
 ファルケンが横から無邪気に訊いた。それがいけなかったのか、レックハルドが思わずそのまま持っていた財布をファルケンに投げつける。いてっと声を上げる彼に構わず、レックハルドはファルケンを掴んで怒鳴りつけた。
「なるわけねーだろ! お前どこに目をつけてんだ!」
「い、いや、その…」
 ファルケンがなだめようとしたが、レックハルドは矢継ぎ早にいった。
「お前、誰のせいでオレが文無しになったかわかってんのか!」
「えっ、あっ、それは………」
 色々言いかけて、ファルケンはそうっとレックハルドの方を伺って、びくっとした。これは、まずい。今日は相当機嫌が悪い。目の色がすっかり変わっている。
「す、すみません、オレのせいです…。い、色々すみません」
 こういう状態のレックハルドはこれ以上刺激しない方がいい。ファルケンは、怯えながら、とりあえず謝る。レックハルドは、それを見て、チッと舌打ちするとファルケンを掴んでいた手を乱暴に離した。
「とにかく、オレ達が生き延びるには金が必要だ!」
「おっしゃるとおりです」
「ということで、手段は選んではいられん!」
「お、おっしゃるとおりです」
「適当に迎合してすまそうとすんな!」
 調子に乗りすぎたのかますますレックハルドの不興を買って、ファルケンは身をすくませた。
「……いや、そのそういうわけじゃないんだよ。ただ、ちょっと」
「どこがそういうわけじゃねえだ? いつも立場が悪くなったら適当にごまかしやがって! だったらいい知恵の一つや二つ出してみろってんだ!」
「いい知恵っていわれても…」
 ファルケンは苦笑いした。金儲けに関することで、レックハルドがどうにもできないのに、自分が何か考えつくはずがないのだ。それはレックハルドも当然わかってはいることである。軽くうなりながら、レックハルドはぽつりといった。
「こうなったらやはりアレしかねえ」
「アレって……」
「昔、お前、競馬で大金当てたよな?」
「ああ、あの時はよくわからなかったけど、今なら根詰めてやれるかも」
 と、ファルケンは急にとろんと夢見る目つきになった。前は競馬など知らなかった癖に、今や賭け事ときくとこのざまだ。元々賭博は好きだったらしいが、この状態だと、例の放浪中に相当やり込んだと見える。一体、「憂さ晴らし」とい名目でどれだけ賭博にふけっていたのだろう。
(そりゃ、お前も色々大変だったんだろうが……何というか、遊んでたんじゃねえかっていう疑いが……)
 その真実はひとまずレックハルドにはわからない。だが、一つはっきりしているのは、今のファルケンは賭け事ときけば、飛びつかずにいられない体質になっている。案の定、ファルケンは、にまっと笑っていった。
「そうか! じゃあ競馬やろう! 今度もう一回やりたいと思ってたんだ。才能あるっていわれたし!」
「調子に乗るな! あれはビギナーズラックだ! お前の才能なんかじゃねえっつーんだ!」
「えっ、そんな……あの時レックが才能あるっていったのに?」
 冷淡に才能を否定され、ファルケンは少なからずショックを受けるが、レックハルドは取り合わない。それどころではないのだ。
「あれは確率が低い」
 レックハルドは冷徹にそういうと、軽く唸りながらあごをなでた。
「要は配当と確率の問題だ。うまくすればどうにかなる! ……お前、勘の良さは異常だよな?」
「い、異常かどうかはわからないけど、悪くないとは思うなあ」
「お前を増長させそうで恐いが……」
 ファルケンの答えを受けて、レックハルドは眉をひそめながら複雑そうにいった。
「背に腹はかえられない! あの手で行こう」
「あ、あの手って何だよ?」
 聞き返すファルケンは、レックハルドの視線を辿る。そちらの方には、大都市ヒュルカが見えていた。





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©akihiko wataragi