辺境遊戯 第二部
グレートマザー−26
最初から相当イライラしていたらしい。暗い森で待っていたフォーンアクスはの我慢は既に、臨界点を突破していた。
「遅いぜ! ハラール! てめえ何してやがったァ!」
開口一番怒鳴られてハラールはおろか、付き添いのビュルガーまでが肩をすくめた。
「ああ、オレもう帰ろうとおもっちまったぜ! 一体どれだけ待たせるんだよ、ええ!」
「なんだ、たった三時間なのに」
ツァイザーはぼんやりとそう言う。
「私なんか丸一日待ったのに……」
「オレとお前の精神構造を一緒にすんなよ、バカヤロー! オレは待つのが大嫌いなんだよ!」
凄まじいまでに自分勝手に言いきって、フォーンアクスは腕を組んだ。ハラールは怒鳴られてややびくびくしている。
「ああ、すまない。…急いできたんだが、どうも遅くなってしまったようで……」
「謝ればすむと思うなよなー! ッーたく役立たずがよう! 遅れるならお前みたいなやつ呼ばなくても良かったんだぜーッ! オレが温情と優しさで呼んでやったのになんでええ!」
役立たずと言い捨てられ、ハラールはがくりと肩を落とす。
「フォーンアクス」
ツァイザーが淡々といった。
「なんでえ」
フォーンアクスがツァイザーの方に目をやると、彼は冷静な目でフォーンアクスの方を見ながらいった。
「ハラールが可哀想だ」
「そうだよ、あんた、気短すぎだし、自分のこと棚に上げすぎ」
「何だよ! ハラールばっかりかばってさあ!」
メルキリアまでがそう言うので、フォーンアクスは不機嫌そうにいう。
「いわれたぐらいで落ち込むような奴は、立派なシールコルスチェーンになれないんだぞ!」
「そのノリであんたが剣術を教えたファルケンは、見事にひねくれたんじゃなかったのかい。あの子、あんたに関わってから性格ねじ曲がったんだよ」
「あっ、あれは、オレのせいじゃねえって! 勝手にあいつが!」
メルキリアに睨まれて、さすがに居心地が悪くなったフォーンアクスは責任転嫁をし始めた。
「お前に教育されるとみんな不良になって帰ってくる。そういえば、リヴィスもゼアースもそうだった。あの二人は折角の才能があったのに、お前があまりいじめるから帰ってしまった」
「あ、あれはあいつらの根性がなかったからでい!」
「根性があったかもしれないが、ファルケンはひねくれたし」
「だめだよ、ツァイザー。こいつ自身が不良だからね。こんな奴に教育されても、まともに育つわけがないじゃないかい。ハラールが担当してたときはまだ暗いだけだったのに、とうとう曲がっちまってさ」
「なんだあ、オレの教育方針が悪いみてえじゃねえかよ!」
「お前の精神論は間違っている」
ツァイザーにいわれて、むかっとしたフォーンアクスはハラールの頭をがっと掴みながら訊いた。
「おい、ハラール! てめえどう思う?」
「え? いや、私は……」
いきなりつかまれて、ハラールはやや怯えるようにしていた。
「だってそうだろ! もうすぐ『あいつ』が蘇るんじゃねえかって時にだぜ、のんきにちんたら剣術なんて教えてられっかよなあ!」
「い、いや私は……ビュ、ビュルガー……。ちょっと来てくれないか!」
慌てて弟子に助けを求めるものの、弟子のビュルガーも、フォーンアクスがあまりに恐いので近寄れない。
「大体なあ、お前が遅れてきたからオレはツァイザーとメルキリアにもう三回もしゃべっちまったじゃねーか! お前のためにもう一回説明するの面倒なんだよ!」
「そ、そんな…私も好きで遅れたわけでは……。せ、説明は是非ききたくてここにきたのだが…しかし……」
ハラールは完全に飲まれた様子で、自分よりも背の高いフォーンアクスにぶんぶん振り回されて、どうやら目を回している様子だ。
「じゃーきけよ! なんかこの日蝕は、あの時と似てるんだよ! これはあいつが復活する前兆なんだよ! わかるか!」
「フォーンアクス、やめてやりなよ。可哀想だろ」
メルキリアが見かねてとうとう止めに入る。と、不意に人の気配がした。こんな暗い森の奥に通りすがる影もあるまい。怪しんで彼らは一斉にそちらを注視した。
そこには一人の男が立っていた。旅姿だが、それは彼らとは大きく違い東方の草原の民の服装をしていた。背が高く狼人であることはほぼ間違いない。
「いやあ、遅れてしまって悪かったなあ」
そういいながら現れた男に、フォーンアクスを初め、ハラールまでが一瞬あっけにとられた。そこに現れた男は見覚えがあるどころか、先ほど話題に出した男その人であった。ただ、いつも彼らが見ていたような暗い目をした青年ではなく、陽気といったほうが印象にあった。
「ファルケン…お前……」
「なんだ、シーティアンマにフォーンアクスにメルキア姐さんにツァイザーもいたんだな。ビュルガーも久しぶり」
「いやっ、久しぶりってお前……」
手を振られたビュルガーは、あまりのテンションの違いに驚いているが、彼はそんなことなど気にしなかったようだ。フォーンアクスの方を向いて、へらへらしながらこんな事を尋ねる。
「で、今日の集まりは一体なんの会議だったんだ?」
タッと柄が鳴る音がした。フォーンアクスが突然抜刀して彼に斬りつけたのだ。
「フォーンアクス! いきなり…」
メルキリアが止めたが、フォーンアクスはすでに飛びかかっていた。ファルケンは、ざっと後ろに飛ぶと、腰の短剣を引き抜いた。
「相変わらず血の気の多い……!」
「るせえっ! この妖魔が!」
呟いたファルケンに向けてフォーンアクスは鋭い一撃を見舞ったが、それは彼のマントのしろい布をわずかに切っただけで、うまくかわされた。身体を反転させたファルケンにフォーンアクスはもう一撃を鋭く突いた。ファルケンは横に身体を流しながら短剣を逆手に構えてそれを受け流した。
「……く、てめえッ……!」
フォーンアクスは唸る。その剣の受け流し方に覚えがあった。さっと離れて、ファルケンはふうとため息をついた。手がしびれたのか、短剣を持った右手を執拗に振っている。
「相変わらずだな。ホント。あんたには一生敵いそうにないよ」
「ファルケン…!」
ハラールが声をあげた。ひょいとそちらに顔を向けて、魔幻灯のファルケンは少し頭を下げた。
「略式で失礼しますよ。お久しぶりでございます、シーティアンマ」
そういってあっけにとられているフォーンアクスの方に向き直る。
「オレが妖魔じゃないって信用してもらえただろ?」
片手で短剣を回して鞘に戻すと、ファルケンはにやりとした。その首元には赤いビーズでつくった派手な首飾りがかけられている。東方の織物でつくられた飾り帯に魔幻灯を吊している。フォーンアクスは、へっと不機嫌そうに吐き捨てた。
「…確かに。ファルケンの剣術には独特の癖がある。お前のそれはファルケンと一緒だ。だがなあ!」
フォーンアクスは声を荒げた。
「何もんだお前は! あいつはこんなに明るくねーし、強くねえんだぞ!」
「あんたって何年経っても変わってねえんだな」
ファルケンは苦笑いした。
「ちょっと待ちな。…あんた、ファルケンだけど、ファルケンじゃないね!」
メルキリアが鋭く訊いた。その視線にややびくりとしながら、ファルケンは笑って応える。
「さすがはメルキア姐さんだね。ご明察。そうだよ、オレはファルケンだが、あんたの知ってるファルケンとはちょっと違うな」
「なんだそりゃあ! 意味がわかんねえっていってんだろ!」
「あ、あのさ、……話だけでも聞いてくれよ…」
ファルケンはフォーンアクスをもてあましたようにため息をついた。
「シールコルスチェーンならわかるんだろ。……オレは「この時間」のファルケンじゃない。まあ、あんたにいじめられてから四捨五入して十年経ってると思いなよ」
「なんだあ、そのいい方」
フォーンアクスが食ってかかったがメルキリアがそれを制して訊いた。
「それで何かい? 未来のお前が『過去』に何のようだい? …過去をかえにでもきたのかい?」
「まさか」
ファルケンは、ふっと笑った。
「それはもう十年ほど前に懲りたって。…この時代のファルケン(オレ)が会議に出られないから代わりにでてるだけだよ」
「じゃあ、何しに来たんだい? 時間の流れを読み、それに身を投じることが出来るシールコルスチェーンとはいえ、よほどの用がない限り、遊びでは時を越えられない。時を越えることで、空間にずれが生じることがある。みだりに来てはならない過去にあんたは何のようで来たんだ?」
「ああ、それはよく知ってるよ。遊びできた訳じゃない。……オレは、ただ確認がしたかった。結末を見ておきたかったのさ。…もちろん、この「過去」のオレが今のオレになるかどうかわからないのは承知の上でね」
ファルケンはそう言って、ふっと笑った。
「でも、もう結果を見たから用はないんだ。オレは帰るよ」
そういって、彼は暗い空間に手を広げる。彼らには見えていたそこの時空の歪みが少し大きくなる。ファルケンは、そこに身を半分差し入れた。途端、彼の半身がその空間に入った分だけ視界から消えた。
「ああ、それから」
身体が半分中空に消えた状態で、ファルケンは見えている方の左の目を少し細めた。
「フォーンアクス、あんたの予想は多分あっているよ。これはただの前兆にすぎない。オレも含めて、多分これから大きな災いに巻き込まれていくことだろう」
「何?」
フォーンアクスが少し表情をゆがめたが、ファルケンはじゃあなどといって軽く手を振った。そして、ハラールにだけわずかに頭を下げる。
「シーティアンマには失礼しました。いずれ改めてご挨拶に」
「ああ、…また」
「どうぞお元気で」
直系の師匠にあたるハラールにだけそう挨拶して、ふっとファルケンは時空の流れに身を躍らせた。相当慣れきった様子に、彼自身の時空渡りの腕が垣間見られた。
それを見送りながら、ツァイザーは、なるほどと嘆息を漏らした。
「やはりそうだな、……フォーンアクスに関わる奴はみんな不良になる」
「だね……。すっかりふてえ野郎になってるじゃないか」
メルキリアとツァイザーがそういってフォーンアクスを見ている。
「な、なんだよ! 強くなりゃいいんだよ! あんなに強くなったなら、多少性格が変わろうがいいんだって! そうだ、力こそ正義だ!」
とんでもないことをいいながら、フォーンアクスは二人に言い返す。ハラールだけが、彼の言った言葉の重大性を気にして、彼の去った後を眺めていた。
先ほどファルケンは、『大きな災い』といった。やはり、それはおそらくアレのことを示しているのだろう。
ハラールだけではない。フォーンアクスもツァイザーもメルキリアも、きっと感じていることだ。
――もうすぐ、
『彼』が蘇る。――
「しかしよ」
星空を見上げながらレックハルドはいった。毛布をかぶって上を向く。辺境の深い森の木々の葉に時々かくれながら星はちらちらと瞬いていた。
「オレ達は、お互い相手を助けようとして泥沼にはまってたんだな。なんか因果だよなあ。……しゃれにならねえ皮肉だよ」
少し離れたところで同じように毛布を被っているファルケンは、そうだなあと相づちを打った。
「でも、……よかったのかもな。結局戻ってこれたわけだし」
「ああ、そうかもなあ」
でも、とファルケンはポツリと呟いた。
「今回はマリスさんに助けてもらったような気がする」
「ああ、オレもな……。あそこで正気に戻らなきゃ、多分死んでたよ」
レックハルドはため息をつきながら、脇腹に手を当てた。本当にあれは危機一髪だった。もう少し動くのが遅れたら自分もろともマリスも死んでいたかも知れない。
ファルケンが優しい声でいった。
「マリスさんは不思議だな。…なんだか、言われて自分がやってきたことがばかばかしく思えてきた。復讐だの何だの、もうどうでもよくなったよ」
「そうだろ。マリスさんは不思議な人なんだ。…それにお前みてーな馬鹿には復讐なんざにあわねえよ」
マリスのことをいわれて、レックハルドは自慢げに言った。
「レックが、マリスさんがあれほど大切なのがよくわかったような気がするよ。マリスさんに、助けてもらったんだ。……あそこでマリスさんに会わなかったら、オレは多分元には戻れなかったよ」
ファルケンは心なしか、少し頬を紅潮させている気がした。
「…本当に優しい人なんだな、マリスさんは――。とても大切な人だよ」
不意にレックハルドは、危機を覚えてがばっと起きあがった。今の反応は、今までには無かった反応だ。
「ちょっと待て…。何だ、お前……今の!」
「何だって、だから、マリスさんが…」
レックハルドは小声になって、向こうの枝の上にいるはずのマリスの様子をうかがいながら鋭く訊いた。
「まさか、貴様、マリスさんが好きとか言い出すんじゃないだろうなあああっ!」
「え、好きだよ? マリスさん」
即答したファルケンに、レックハルドの意図する気持ちがあったのかどうかは予測できない。だが、頬を赤らめていたのも、確かにこの男なのだ。レックハルドはそのままファルケンの首のスカーフに手をやった。そして、思いっきり引っ張る。当然首が絞まって、ファルケンは悲鳴をあげた。
「ぐがっ! レック、く、首が!」
「そんな簡単に好きだというな、マリスさんだけはオレのもんだ! 抜け駆けしたら、殺す。地獄に送り返す! むしろ障害は全て排除すべし、このままここで殺す!」
仰ぎ見た目がかなり本気で、意味が分からないながらに怯えたファルケンは思わずうなずく。レックハルドはころっと笑顔になって、手を離した。
「よーし! 信用するぞ!」
「そ、そういうところ、本当に相変わらずなんだな……」
スカーフをなおしながら、ファルケンは半分あきれながら言った。
「オレから言わせりゃお前の無神経さも変わってねえよ!」
というよりは、無神経さに磨きがかかったような気さえする。レックハルドは、ため息をつきながらごろりと横になった。
そんな応酬をかわしながら、その懐かしさにレックハルドは安心を覚えていた。
星はゆっくりと天を回っている。やがて、そばで小さい寝息が聞こえてきた。 多分マリスもこの空を見ながら眠っている頃だろう。レックハルドは目を閉じる。そして、辺境の緑の香りをかぎながら、今日は随分久しぶりに安らかな眠りが得られそうだと思った。
もう、本当にあの夢も、砂漠の夢もみることはあるまい――お互いに。