辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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辺境遊戯 第二部 

グレートマザー−22

 侵入者が去ったのはわかる。彼が誰であるかは、はっきりとはわからないが、レックハルドはそんなことはどうでもよかった。そこにたたずんだまま、レックハルドは、森の木々の方に歩き出した。
「何一つ変わってないんだな。…オレが砂漠に行って戻ってきたって言うのに」
 近くの枝に手を伸ばし、葉をちぎったレックハルドはそれをその場に捨てた。あの時流された血はすでに雨に洗い流されている。ただ、その地形をレックハルドはよく覚えていた。あの時、ここで自分はファルケンを楽にしてもやれず、ただ突っ立っていた。 
「なあ、ファルケン…」
 レックハルドは彼の方を見ないで言った。
「……オレをここに連れてきたのは………オレを殺すためなのか?」
相手は応えない。レックハルドは振り返った。
「そんなにオレはお前から恨まれてたのか? さっきのあいつが言ったとおり、オレは騙されてるのか? …それとも、ただの偶然通りがかっただけか?」
 でも、とレックハルドは無気力にため息をつく。
「まあ、でもどうでもいいか……。オレは、もう、これ以上、何をすればいいのかわからねえんだ」
 レックハルドの目がうつろに泳いだ。
「ここでオレが死んだら、それはオレの…運命って奴なのかな…。……どうでもいいぜ。もう、何もかも」
 レックハルドはファルケンが握っている剣に気づいているのか、いないのか、ただ投げやりに笑った。
「レックハルドさん!」
 不意に懐かしい声が割り込んできて、レックハルドは、飛びかけていた意識が引き戻されたような気がした。忘れるはずもない声だ。砂漠でずっと懐かしく思い出すことを抑えていた。思い出せば、あの状況からにげたくなってしまうのだから。
 レックハルドはそちらに目を走らせた。髪の毛は赤っぽくくるりと巻いていた。大きな瞳に優しい表情に明るい色の服装。
「マリスさん?」
こちらに向かって走ってくる姿を見ながら、レックハルドは、不思議に思って呟いた。何故マリスがここにいるのか疑問に思ったのだ。だが、それもどうでもよくなった。これもどうせ夢の一環だ。その喜びの表情は、どこか普段の彼とは違った。
 走ってきたせいか、少し息を切らしていたマリスは、そこで不穏なものを感じたのか立ち止まる。何も知らないマリスでも、この空間を取り巻く空気の異常さは感じることができる。
「ああ、マリスさん」
 レックハルドは軽く手を広げて笑った。
「ファルケンが帰ってきたんですよ」
 そういって後ろにいるものを指さすレックハルドを見て、マリスはびくりとした。その背後には、黒い影が揺らめいているように見えた。レックハルドは笑いながら、振り返って呼びかけた。
「ああ、そうだ。ほら、マリスさんを見れば、何か思い出すかもしれないよな? なあ、ちょっとこっちに来いよ」
「レックハルドさん!」
 マリスが注意を促すように叫んだ。レックハルドは、初めて怪訝そうな顔をする。マリスの表情は硬い。
「ど、どうしたんですか? 一体」
「レックハルドさん、誰とお話ししているんですか?」
 マリスが一歩近づいたレックハルドにそう言った。
「誰って、ファルケンに決まってるじゃないですか」
 レックハルドは軽く振り返って、彼がいるのを確認して言った。
「ああ、そうか。ちょっと、こいつ、問題があって…それで全部忘れてるんですよ。だから、いつもと違うように見えるだけなんで…。マリスさんと話したら、きっと元に戻りますよ」
「そうじゃないんです」
 マリスは急いで首を振った。レックハルドは、話を遮られてきょとんとしている。
「レックハルドさん、何を言ってるんですか? そこには――」
「何って?」
 レックハルドはとまどいがちに笑って、マリスの方に歩み寄ってきた。マリスはレックハルドを見上げる。何となく寂しげで、前より少しやせていたが、レックハルドはレックハルドで、前と変わりはない。先ほど見えたような気がした黒い影は、今は少しだけなりをひそめている。
「マリスさん。どうしたんですか?」
 レックハルドは少し優しい表情になった。マリスが戸惑っている様子を見て、ファルケンを呼び寄せた方が説明するよりも早いと思いたつ。
「あ、ちょっと待って下さい。あいつを連れてきますから」
 そういってふらりとレックハルドはきびすを返そうとしたが、一歩を歩き出す前にそれはとまった。
「ダメよ!」
 マリスがレックハルドのコートの裾を掴んでいた。思わず彼は立ち止まる。黒い影は足下の方に追いやられ、その揺らぎは小さくなっている。
「マリスさん?」
「ダメよ、レックハルドさん! あっちには行ってはいけないわ!」
「何言ってるんですか? ……あいつが……」
 言いかけて、レックハルドはマリスの顔を見て、一瞬口を閉ざした。きっと口を真横に引き結んだマリスは、その大きな目で彼を睨むように見ながら言った。
「レックハルドさん」
 マリスの声が妙に響いて聞こえた。
「あなたの後ろには誰もいないんですよ! ファルケンさんなんていないんですよ!」
 夢から覚めたような気がした。レックハルドの鋭い目が少しだけ見開かれた。同時に足下にいた黒い影が彼から離れて地面を這って去っていく。
「……そ、それは……」
 レックハルドは思わずうめきながら、後ろを振り返ろうとした。
 その時だ。振り向くより早く後ろの方から空気を切り裂く音が聞こえてきた。本能的に危機を覚えたレックハルドは慌ててそのまま身を倒す。ついで側のマリスを横に押しとばし、自分はそのまま前の方に転がった。背後から斬りつけてきたものの剣はレックハルドのコートの裾を半分引き裂いた。一瞬痛みが走り、赤い飛沫が飛んだ。
「レックハルドさん!」
 大地の上に転がり、受け身を取ったレックハルドは、反射的に脇腹に手を置いた。微かに赤い血が手に付いたが、傷自体はかすり傷だ。
 上を振り仰ぐ。ぎらりと光る剣の光と自分の手の血の色がレックハルドを夢の世界から引き戻した。目の前にいるのは無表情なファルケンで、しかし、それがファルケンでないことをレックハルドは、はっきりと悟った。
「レックハルドさん!」
 突き飛ばされて横ににげていたマリスが血相を変えたのがわかった。いつのまにか、その妖魔は実体化しているらしい。彼女にも、その姿が今ははっきりと見えていた。背後の黒い気配とともに。
 ファルケンの姿をしたものは、笑みをゆがめると素早く剣を振りかざす。そのままそれがレックハルドの上から降ってくるのがはっきりと見えた。慌てて短剣を抜いたレックハルドだが、そんな軽い刃で相手の剣が受けられるはずがない。
 そのまま剣は振り下ろされる。レックハルドは思わず死を覚悟して目を閉じた。
 が、剣が彼の身体に触れる前に、風を切り裂く鋭い音が耳に入った。その音に目を開けたレックハルドは、目の前のファルケンの姿が揺らいだのをみた。その胸にあたるところから剣の切っ先が見えている。それが、あの時のファルケンの姿と重なった。
「あ……」
 レックハルドは見えた光景に思わずうめいた。剣に貫かれたその姿は、膝から崩れるように倒れた。地面につく前にそれは下の方から灰色のつちくれに変わり、砂のようにざらざらと崩れていく。彼がすべて灰色になって崩れ落ちる向こうに、肩で息をしながら立っている男がいた。
 メルヤーもしていない緑がかった金髪の男の、色あせたコートをかけた肩は息をするたび揺れていた。ぜえぜえと息をしながら、男は灰色の砂が消えていくのを凝視していた。その手がまっすぐ前にのばされていた。剣が地面に落ちる音を聞きながら、レックハルドはその剣を投げたのが、目の前の男だと知った。 
「ま、間に合った……」
 相手が全て消えてしまうのを見届けて、彼はその場に膝をついた。妖魔と戦ってすぐに走ってきたのか、かなり息が上がっている。
 ああ、そうか、イェームだな。と、レックハルドは漠然と気づいた。
「レックハルドさん。大丈夫ですか?」
 マリスが慌てて走ってきて、レックハルドを助け起こした。呆然としたままのレックハルドは声を発さなかった。マリスは脇腹の傷が気になっていたようだが、それがたいしたものでないことをしってほっとした。そして、彼を支えたまま、男の方に目を向けた。まだ辛そうに息を整えている彼は、ようやくマリスの方に目を向けた。
「なんとか、間にあったよ……マリスさん。大丈夫だったかい?」
 マリスは微笑んだ。そして、はっきりとこういったのだ。
「ええ、…ありがとう、『ファルケンさん』」





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©akihiko wataragi >