辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2004
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辺境遊戯 第二部 

砂漠渡り-4
 


 レックハルドがすっかり姿を消して随分になる。
 あれから、日蝕はまだ一度も起こっていないし、何も異変も起こっていない。一体、ファルケンが解いたという封印とはなんだったのか。ダルシュはそう思うと複雑な気分になった。
 相変わらず、辺境調査の命令を受けているくせに、それにかこつけてさぼり気味のダルシュである。横で今日は商売をしないのか、街の街路樹の木陰で休んでいるシェイザスが横にそっと控えている。
「…なんにもおこらねえのに…、司祭 ( スーシャー ) って奴はどうしてあいつをそこまで許せなかったんだ? あんな死に方させる理由なんかあったのかな?」
 ダルシュは、どこかしんみりとした口調で言った。
「辺境の掟に従ったからよ。…ファルケンにとっての最後の砦は、自分が『狼人』の一員だったってことでしょうね。だから、最期も…掟に従った。言い訳はしなかったんじゃないかしら」
 シェイザスは少しだけ重たい口調だった。
「あの人が、あの誓いを行って、ああいう死に方をしたのは、辺境を捨て切れていないからだわ。本当に捨てている人なら、司祭のいうことにも、それどころかマザーのいうことにも反目することができるはずよ」
 でも、とシェイザスは言って、綺麗な顔をうつむかせた。整いすぎて寧ろ冷たく見えるシェイザスの横顔をダルシュは横目で見ていた。
「そうすれば、あの人は本当に孤独…。人間の世界でも異端扱いなのに、辺境の世界では、裏切り者扱いされてしまうわ。魔幻灯だと恐れられている時よりも冷たい扱いをされるでしょうから」
「そうか…。難しいんだな、色々」
 ダルシュはため息をついた。そして、ふと思い出したように言う。
「でもよ、あいつ、ホント、死んじまってんじゃないだろうな」
「あいつ?」
「ああ、どっか消えちまって…。マリスさんに訊いたら、ファルケンと旅に出たって言うし…。マリスさんにほんとの事いえなかったんだな」
 同情をしているようなダルシュの言葉に、くすくすっとシェイザスが笑ったのがわかった。
「案外元気でやってるかもしれないわよ」
 ダルシュは不審そうに彼女を見る。
「なんだよ? わかってるみてえな言い方だな」
 占い師の彼女の実力は知っているが、ダルシュは少し信じきれない。
「ファルケンと旅に出るとか、そういう事いって長旅に出るって言ってたんだぜ? アイツ。だったら、本気で死出の旅路とか……」
「ふふ、あの人、そんなにヤワに出来てないわよ」
「でも、あんな場面一人で見てたんだぜ? しかも、それが自分のせいでっていうんだぞ。 そしたらああいう薄情な奴でも自責の念の一つや二つ…」
 ダルシュは、レックハルドをかばうような口ぶりになっている。シェイザスはふふふと笑い出した。
「自責の念には駆られるでしょうけど、それで自分から死を選ぶなんて潔い男じゃないでしょ、ってこと」
 普段妖艶な彼女の笑顔だが、意外にダルシュの前では普通の少女のように微笑む事がある。そんないささかあどけない笑みを浮かべながらシェイザスは言った。
「レックハルドがしぶといってことはあなたも知ってるでしょ? 転んでもただじゃすまないでしょ、あの人の場合。だから、多分まだ無事だと思うけれどね」
「なんだよ、それ」
「もしかしたら、自分の責任を取る事ができる方法を見つけたかもしれないという事ね。別に責任をとる方法は、一つとは限らないし、後ろ向きなものとも限らないでしょう? あの人は、前向きな方法を見つけ出したに違いないわ」
 にっとシェイザスは笑う。
「ちょっと危険な方法かもしれないけれどね」
「じゃあ、どっちにしろ、やばいんじゃないのか? あいつ、あんまり強くねえし…」
 ダルシュが訊くと、シェイザスは首を振る。
「一人じゃないわよ。多分。どうも、案内人が傍にいるみたい」
「案内人?」
 反芻したダルシュにうなずきながら、シェイザスはふっと言った。
「そう、案内人」
 そして、なんとはなく意味深に、含んだような表情をした。
「その案内人が、意外に波乱の元かもしれないんだけれどねえ」
「何だそれ?」
 ダルシュは妙な顔をする。その少しのんきな顔を笑顔で見上げながら、シェイザスは意地悪く言った。
「あなたもいい加減遊んでる場合じゃなくなるかもしれないわよお。今のうちに平和を謳歌しておくことね」
「なんだッ! その言い方は!」
 ダルシュはムッとした。
「オレは波乱がある方がいいんだ! いつもかかってきやがれって感じだぜ!」
 そう言い返してくるダルシュを身ながら、シェイザスはため息をついた。どうしてこの男はこんなに頭まで筋肉質なのだろうか。
「ま、いいわよ。狂犬のあなたにはどうせ平和なんて似合わないしね」
「なんだあ! その言い方は!」
 シェイザスはダルシュの怒りの声にはこたえず、口に手をあててあくびをした。その態度に更にダルシュがうるさくいうだろうが、もはや無視する事に決めた。

 昼下がりの街は、旅人達が時折通るぐらいで静かである。太陽の光がきらきらと降り注ぎ、ちょうどいい木漏れ日が彼女とダルシュの上あたりにも降り注いでいた。
 
 それは、彼女が言うとおり、実に平和な昼下がりの光景だった。



青い青い空とそして無情に黄色い砂が延々と地平線まで続いている。そこに小さくだが、緑のあふれる場所がぽつんと存在した。
 ようやく地獄の砂から解放され、そのわずかな緑の茂みの中に入り込んだ二人組みは思わず歩みを速めた。ふらふらしているが、だんだん速度が速くなるということは、何かを期待している証拠だった。
 緑の植物がそこに生えているということは、かならず水があるということではある。そろそろと無言で進んでいた二人のうち、前のほうを歩いていた青年がガッと鼻の近くまで覆っていたターバンの端を掴んで引き下げ、足を止める。
 その目の前には、空の青さを映してそれ自体青く見えている水が一面に広がっていた。青年の顔が喜びに満ちる。
「み、水だ!」
 レックハルドが嗄れかけた声で歓喜の声をあげる。後ろのほうでふらふら歩いていたイェームが死んだような目をきらりと輝かせる。思わず二人して走り出し、同時に泉にかけよった。水が溜まっているせいで半分池か湖のようになっている泉は、思ったより透明で澄んでいる。このままでもすぐに飲めそうに見えた。
 だが、二人は岸に駆け寄ったまま、水に手をつけてじっとしている。水がすぐに飲めるものとは限らない。塩分のきついこともあるだろうし、何か毒性の物質が混じっているのかもしれない。忘れてはいけないのは、ここも辺境の一部だということである。
 レックハルドにしろ、イェームにしろ、砂漠に入ってから何度もサソリや毒虫とは戦っているし、森ではないからといって安全だと判断するのは間違いである。
 だが、警戒しながらも、二人の喉はすでにカラカラだった。イェームが顔色を変えて訊いた。
「の、飲めるのか? 試しに飲んでみようか?」
 と、手を伸ばしかけると、レックハルドがそれを止める。
「ま、待て。ここは慎重に…。ここはまずオレから飲んでみよう。二人で飲んで、何かやばい水だったら、共倒れになっちまうだろ」
 イェームは、一瞬納得しかけたが、はっと我に返る。
「えっ! あんた、人間なのに大丈夫なのか? オ、オレのほうが丈夫そうだから…!」
「いいや、ここはオレが試すっつってんだろ! オレが調子悪くなってもお前がオレをかついで行けばいいんだから! オレはお前を担げないだろが!」
 妙に納得してしまいそうな言葉だったが、レックハルドの下心は見え見えだ。もちろん、イェームが先に水を飲みたがるのも同じ下心である。本当は、毒があるかもしれないなどという建前はどうでもよく、少しでも早く水が飲みたいだけなのだ。だが、万が一を考えて、二人同時にというのは気が引けているのである。
「でも、オレのほうが絶対丈夫だし! それに毒性があったらすぐにわかるし!」
 イェームが珍しく不服そうに食い下がる。
「オレがやるっていってるだろが!」
「いや、オレが!」
「ここは、オレだって言ってるだろが! てめえがいちいち覆面ずらして水飲むのが鬱陶しいだろうと思って気を使ってやってるオレの思いやりがわかんねえのかよ!」
「そんなの別にちょっと布をずらしたらいいだけだろ! ずっとやってきてるんだから大丈夫だって!」
 だんだんと醜い争いになってきた。やや険悪な雰囲気になってきたが、レックハルドが見透かすように鋭くふっと言った。
「ほう、じゃ、これが毒の水だったとするぜ。だったら、お前、絶対にその覆面してる布に水がこぼれてしみ込むよな。そうなったら、毒のついた布なんか顔に巻いておけねえんじゃねえのか? 一端、布を巻きなおしたりしなきゃならねえぜ?」
「うっ、…それは…!」
 イェームにとっては痛いところをつかれた。
「そういうことだ。じゃ、オレに任せろ」
 イェームは物欲しそうな目をしながらも、仕方なく引き下がる。こうして勝利したレックハルドは、勝利の余韻に浸る暇もなく、ざばりと水に手を入れた。そのまますくって少しだけ口に入れる。
 少しだけ甘い。後に引く甘さではなく、清涼な感じがした。
「ど、どうなんだ! どうなんだ!」
 早く飲みたいので焦ったようなイェームが答えを急かす。
「うまい」
 一言だけ答えたレックハルドの答えを聞いた瞬間、イェームが慌てたように水をすくって少しだけずらした覆面の間から水を流し込む。
「ははは、やった!」
 レックハルドが笑い声をあげ、水をばしゃっと跳ね上げた。持っている水はなくなってはいなかったが、ここの所随分と充分な量の水を口に出来てはいない。こんな上質な水は久しぶりだった。
「ははは! 久しぶりだぜ!」
「やった! 今度は幻じゃないぞ!」
 イェームもつられて歓喜の声をあげ、水を跳ね飛ばす。頭からばしゃばしゃと落ちてくる水に急襲され、髪の毛が一箇所だけ濡れたりしたが、彼らはかまわず水をすくいあげたりしながら笑い飛ばす。
 しばらくそうやってはしゃいでいた彼らだったが、いきなり笑いは止まった。そして、やけに脱力した顔になると、そのままぐたりと砂地に倒れこむ。
 いくら水を飲んだり、浴びたりして涼しげでも、まだ天空では太陽がらんらんと輝いているのだった。しかも、今は時間としては真昼である。その日差しにさらされて歩いてきた彼らに、それ以上ふざける元気はなかった。
「ふざけて遊んでる場合じゃなかったな。…無駄な体力つかっちまった」
「…右に同じ…」
 ここでふざけて泉に飛び込んで泳いでいたら、下手すると溺れるところである。レックハルドはまだ何とか冷静だった自分を少しだけ褒めてやった。
 ぐたーっと泉の傍にのびて、レックハルドは空を仰ぐ。ちょうど樹の葉が顔の辺りを影にしているので、随分と助かった。
 横でイェームはというと、のそのそ這いながら泉に腕をつけたりしている。
「ちーくしょー…今日の日差しは一段ときつかった…洒落になんねえな」
 レックハルドは、完全にばてたような口調で言った。そのきつい日差しの太陽はは未だに彼の頭の上にらんらんと輝いているのだった。
「そうだなー……」
 先ほどの元気はどこへやら、イェームはぐったりとした口調で言った。そのまま顔を半分水の中につけている。
「なんとかならねえのかよ、この暑さ。日蝕でも起きねえかなあ」
 不謹慎なことを言うレックハルドだが、イェームもとがめなかった。
「オレもそう思う…。いっそ、しばらく出ないで欲しいなあ」
 この発言は、狼人失格だ。司祭 ( スーシャー ) に聞かれたらそれこそ真剣に糾弾されるだろうし、下手すれば罪に問われる。それほど繊細な話題のはずなのだ。だが、そんな事を考える余裕もないのか、とうとう泉に半分頭を突っ込んだまま、何も喋らなくなる。水を飲んでいるでもないらしいし、おそらく涼を取っているつもりなのだろうが。
「おい、そうやってっといつか溺れるぞ」
 しばらくたっても、返答がない。ただ、泉にぶくぶくと泡が立ち上っているばかりである。レックハルドははっと気づいて慌ててイェームの首を掴んで引き起こした。
「こ、こら! お前、半分おぼれてるじゃねえか!」
 ざばっと引き上げられると、イェームはうつろな目をレックハルドのほうに向けた。かなり参っているようだ。顔の周りを巻いている布がすっかり濡れてしまって顔に張り付いていた。
「め、面目ない。…暑くて…意識がふっと」
「暑いからって溺れるなよ」
「いや、冷たいところのほうがいいから」
 イェームはよくわからないことを口走っている。レックハルドは肩をすくめた。かなり暑さでやられているらしい。
 そろそろそこそこ涼しくなってきたので、木陰のほうにうつることにした。昼ごはんも食べないといけないのだが、暑くて食欲がわかないのでとりあえずは涼む事にする。
 木陰に倒れこみ、レックハルドはため息をついた。横で、同じようにイェームも影に身を潜めている。頭の上では、椰子かバナナのような葉っぱが静かに日光に堪えている。こう見るとつくづく植物は偉大だ。こんなに暑くても、水さえあればしっかり立っていられるのだから。
「しかし、お前、どうしてそんなにすんなりオアシスにつけたんだと思ってたら、随分いいもん持ってたなあ」
 レックハルドは木陰にねころがって横で同じようにへたばっているイェームを横目で見た。彼の手には古い一枚の紙のようなものが握られていた。
「砂漠の地図なんて便利なものがあるなんて…、知ってればレナルにきいときゃよかった」
「レ、レナルは知ってるかなあ…」
 イェームがへろへろした声で答える。合流して数日たったが、回復が思ったより早かったレックハルドよりも、イェームのほうが暑さにやられているようだ。あれだけ水に浸かっていたくせに、まだ暑さから復活し切れていないらしい。
「じゃあ、誰からもらってきたんだよ、この地図は」
「えーと、そうだな、如何様博打では丁の目の出る確率は――」
「おい、しっかりしろよ。頭回ってねえだろ」
 話を聞いていないらしいイェームに、軽くそういう。横目で見るだけだったが、それではっと我に返ったらしいイェームがこちらを向いた。
「何の話をしてたんだ?」
 レックハルドは肩をすくめた。
「砂漠の地図の話をしてたんだろ」
「あ、ああ。そうか。すまねえ、暑いから」
 いいわけのようにいいながら、イェームは手にした地図をじっと眺める。
「レナルがこれ知ってるかどうかは、オレはちょっとわかんねえな。普通リャンティールは一枚ずつ写しをもっているらしいから、知ってるかもしれないが。でも、レナルや他のリャンティールからオレは、地図をもらえないぜ」
「なんでだよ?」
 レックハルドは怪訝そうな顔をする。イェームはレックハルドのほうに目を移した。
「狼人ってのは大体大人しいけど、案外テリトリーにはうるさいんだ。レナルやセンティーカはそうでもないんだが、相手の縄張りに入っている以上は、自分の存在を回りに示していかなきゃいけねえんだな。だから、狼人のシェンタールは、自分を示すための「もの」なんだよ。相手の縄張りに入っている間は、自分のシェンタールを掲げて、敵意のないことを示さなきゃ、縄張りを荒らしにきたとおもわれてもしかたねえんだな。そうなったら、締め出されても仕方ないんだ」
「ふーん、なるほどな」
 レックハルドは、ファルケンが辺境に入る前に、必ず魔幻灯の中に火を入れていた事を思い出す。ああして周りに存在をしめすのだといっていたが、そういう事情があったからだろう。
「そういえば、お前、シェンタールを…」
「ああ、オレの名前知ってたんだっけ…。ああ、オレは辺境での名前を捨てちまってるからな。それで大体わかるだろ? オレはどのチューレーンにも属していないからな。それで、地図だけくれとか言い出したら、それこそ血を見かねないぜ」
 イェームは近くの水の入った器を取った。被っていた覆面の口の部分だけを器用にずらすと、口の中に器の水を流し込みながらため息をつく。
「今思えば、レナルに訊いて来てもよかったな…」
「じゃ、誰からもらったんだ。そんなもん」
 レックハルドが訊くと、イェームは少しだけ詰まった。
「い、いやその…。もらったもんじゃないんだよな」
 気まずそうにいう彼に、レックハルドはにやりとする。
「そうか、パチって来たのか?」
「ぱ、ぱちるだなんて、そんな物騒な…。ただ、その、ちょっと拝借してきただけだ」
「無断拝借だろお? そういうのを盗むって言うんだよ。誰からだ?」
 にやにやしながら、レックハルドはイェームを横目で見る。
「その、…いや、その…」
「隠すなよ。オレも同業だったから、別に言いふらしたりしねえからよ」
 妙な絡み口調で、レックハルドはにんまりと笑う。つられて乾いた笑みを浮かべながら、気まずそうにイェームはいった。
「じ、実は司祭から、ちょっと…な」
「し、司祭? お前、スーシャーからちょろまかしたのか?」
「ちょ、ちょろまかすだなんて、そんなせこい…。ただ、誰もいないときに、とある司祭の祭壇の箱からこっそりと拝借を」
「いい度胸してんな」
 レックハルドはふうと息をつく。人間の世界で言えば、王様の部屋に忍び込んでその箱からこっそり宝物を盗んでくるようなものだ。イェームはそんなレックハルドの思いには気づかなかったようだった。思い出したようにレックハルドの前に地図を広げる。古い紙に、大雑把な図が描かれている。地図というより、何かのメモのようだった。オアシスらしい記号と、そして周りにたくさん点が書かれていた。そこに字がふってはあるが、狼人の文字はわからない。
「あんたにも見方教えておいたほうがいいよな、これがこの砂漠の地図だ。といっても、狼人用の地図だから、多分、あんたからみるとずさんなもんだと思うけど…」
「この点は何を指すんだ?」
 その注意書きのようなものに目をとめて、レックハルドはきいた。イェームは目を走らせて、ああ、といった。
「主に北極星がどこで見えるかって話だよ。あんたもやってたんだと思うけど、星を観測しながらわたるだろ。この付近ではいつどの角度で何が見えるか、ってのを書いた地図らしいんだ。後でオレが古代語から訳しておくから、そうすればあんたでもわかるよな」
「なるほどな、一応迷わないようには気をつかってんだな」
 イェームは少し頷いて樹の幹にぐたりともたれかかる。それから、疲れ果てたように青すぎる空を眺めた。雲ひとつない、曇りのない青い天蓋がそこにはある。綺麗といえば綺麗だが、今の彼らの心情からすれば、それは残酷な青さだった。
「しばらく休んでっていいか」
 イェームが半分目を閉じながら訊いた。
「そうだな、暑いし、もう少し休んでいくか」
 レックハルドは、そう答え頭の後ろで手を組んだ。緑に包まれたオアシスをみていると、何となく心の中が安らかな気分になる。地獄のような死の砂漠を歩いてくると、こうした命の色にいとおしさを覚え、また安心する。レックハルドのような薄情な男でも、そんな風に思うのだから、ましてあの感性の鋭い狼人たちは一体ここに来て何を思うのだろう。
 昔、ここを渡って旱魃 ( かんばつ ) にあえぐ彼の先祖を救ったという狼人は、どういう気持ちでこの砂漠を渡ってきたのだろう。
 不意にレックハルドはそう思った。思えば、あの伝説も不思議な話だ。どうして、彼らは森から直接来なかったのだろうか。
(オレが考えてもどうしようもねえことだがなあ。)
 木漏れ日がちらちらと目に入る。しばらくなら眠ってもいいかもしれない。レックハルドは軽く目を閉じると、片手を荷物いれにかけた。
 じゃら、と音が鳴った。それがイェームが拾ったおかげで、彼の手元に戻ってきた、あの算盤の音だとわかると、レックハルドはふいに無性に街が懐かしくなった。





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©akihiko wataragi