辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
一覧 戻る 次へ

  
 


辺境遊戯 第二部 

グレートマザー−17


 感覚を信じすぎるのは危険だが、彼が自分の感覚を信じる限り、待ち合わせの時間はとうに過ぎているはずだった。だというのに、一人も顔見知りが現れる気配すらない。途中寝ていたので定かではないが、おそらく一晩待った。
 銀の色をした短髪の男は、無表情のままだが、内心不安になってきていた。
「日にちと場所でも間違えたか」
 それなら仕方がない。とばかり、男はいった。執着のなさそうな口調で、おおよそ感情とは無縁ないいぶりだった。単に何に関しても無感動なのである。だから、彼の口調は常に切って捨てるような言い方になるのだった。
「寒いし、腹も減ったし、どうしようか。帰ろうかな」
 ぽつりぽつりと独り言を言いながら、彼はそれでも、もう少し待った方がいいのかな、とも思う。
 空は暗い。あの時のように暗い。
 闇を見続けると、自分もまた闇に吸い込まれるような気分になる。もちろん、この時の彼もそうだった。
「おっと」
 彼が足を浮かせた瞬間、足下に鉄の波が走る。ざざっと草をなぎ倒していく波は、そのまま飛び上がった彼を狙って上に跳ね上がってくる。だが、彼は飛び上がったとき、すでに腰の剣を抜いている。抜いた剣を下に振るって、それを跳ね返すと、その衝撃で跳ね上がりながらゆったりと絵だの上に着地した。彼を襲った者は、反対側の枝にいる。
 その正体をみながら、彼はほう、と嘆息した。
「なるほど暗闇を見続けると、自身が取り込まれそうにすらなるということだったな。そして、そういう輩がひとり……か」
 目の前にいるのはおそらく狼人である。しかも、その服装や顔のメルヤーから見て、階級が高いのはすぐにわかる。
「司祭か」
 それが、さすがに十一番目の司祭であり、アヴィトと名乗っていることは、彼は知らない。「彼ら」は階級にあまり興味を持たない。ハラールはそれでも気にしているようだが、普通彼らは辺境に属しながら、自分を辺境の支配機構から別の場所に置いている。それ故に、時に「狩人(シェアーゼン)」の二つ名で呼ばれる事がある。それは本来、辺境の間ではあまり良い意味を持たないが、すでに逸脱した彼らにとっては、そんなことなどどうでもいいというのが本心であろう。
『貴様…覚えているぞ……! ツァイザーだな? 酔葉のツァイザー!』
 狼人は、その身体の持ち主らしからぬ声色で叫んだ。
 目の前の細身の短髪の青年は、相変わらず無表情である。銀色の髪の毛は、わずかに緑を含んでいる程度であるし、短髪は狼人には珍しい。背も、彼らの平均よりは低い方で、メルヤーは片方の頬だけにごくごく簡単にしているだけだ。一見すれば人間に見える可能性が高い。首から葉を加工した飾りのついたペンダントをぶら下げてはいるが、それにしても目立つほどのものではない。
 それほどわかりにくい彼を一目で見破った、アヴィトの目には、彼のものではない憎しみがあらわれている。
『昔、貴様に邪魔をされた。覚えている! 忘れるものか!』
「ああ、そうか、思い出したぞ。あの時の妖魔だな? 性懲りもない。また貴様か」
 男、ツァイザーは、ちらりと現れた人影を見やりながら、さして面白くもない口調である。
「日蝕が続いて自分を押さえきれなくなったと見える。…相も変わらず自制のきかぬ奴だな。というか、忘れてくれて良かったのに」
 彼は物憂げに言う。剣を持っていない方の手で、短い髪の毛をかき分けながら、ツァイザーはぽつりといった。
「私は争いと戦いはあまり好まなくてな。忘れてくれた方が面倒もなかったのだがな」
 そう言いながらも、彼は握っている剣に軽く力を込める。妖魔は、かつての仇を前に、溢れ出るような憎しみと破壊衝動を抑えきれなくなり、ますます凶暴な色を見せる。やれやれとばかり肩を軽くすくめ、ツァイザーは、そのまま指先に剣をぶらさげたまま、密かにそれを下段に構えた。やる気のない彼の身の回りにも、少しだけ不穏な色が見え隠れしている。
「……会ったのがフォーンアクスで無いことをありがたく思うんだな。私は奴ほど乱暴なつもりはないから、事情もきかずに消そうなどとは思わない。命の保証ぐらいはしてやろう」
がっと地面を蹴り、どん欲な狼のように妖魔は迫ってくる。ツァイザーはそれを静かな目で見ていた。



 何となく気持ちがふわふわしていた。酒にでも酔ったような、夢の中の出来事のような、そんな感覚だった。このまま進んではいけないような気がするのに、なぜか足が止まらない。そういう感じがする。
 レックハルドは、いつの間にかひたすら森を歩いているのだった。今まで紫色の森の中にいたはずなのに、今あるいている森は、いわゆる普通の森だった。緑色がまぶしく、それと同時に気持ちが少し安らぐ。木漏れ日が、きらきらと、宝石のように輝いては地面に落ちてくる。日蝕がおこっていたのではという疑問は忘れた。
 前を歩いているのがサライ=マキシーンであることはわかっているが、何故彼がここにいるのかをレックハルドは聞けないでいた。ずっと歩いている間、誰も一言も言葉を発していない。
 不可解なことは色々あった。誰かと一緒にいたような気もする。だが、そんな不可解なことは歩くにつれてどうでもよくなってきていたのだ。
 ――だめだ…!
 頭の片隅で、レックハルドの残された理性が必死で警鐘を鳴らしているが、すべてが麻痺しているようで、その訴えはすぐにかき消される。
 ――正気に返れ!
 だが、足は止まらない。目の前のサライについて歩いていくばかりである。
はらりとサライが何かを落とすが、レックハルドはそれにも目をとめることはない。サライの落とした白い花は、草の上に転がり、中に入っていた液体はこぼれていく。前を見ることしかないレックハルドは、そのまま歩いて花弁を踏みつけた。だが、それでも彼は気づくことはない。
 奥へ奥へと歩いて、どれほど歩いたかはわからない。ただ、サライは大きな木の前で立ち止まり、初めてレックハルドの方を向いた。
「一体何の用なんです?」
 レックハルドは、不意に彼に聞いた。というより、自分でも驚くほど簡単に声が出たという方がいい。サライはうっすらと笑った。
「お前に会わせたい者がいる」
「会わせたい? 一体誰です?」
 レックハルドはそう聞き返したが、彼の口調はいつもの精彩を欠いている。いつもの言葉の切れが全くなかった。サライはわずかに嘲笑うような表情を見せるが、それでもレックハルドは嫌な顔一つしていない。
 サライは、ふと右手をあげた。
 木漏れ日の漏れる緑の森の中、木の後ろから現れたのは一人の狼人である。緑色の木下にたたずむ彼に、枝の緑色が落ちていた。
 碧色の目はうつろではあったが、こちらの方を向いているようだった。長身を木の幹にもたせかけるようにしている。無表情ではあったが、その頬には見覚えのあるメルヤーがある。その顔立ちは、見忘れるはずもなかった。
 レックハルドは、ハッとした。どこかでそんなはずはないと冷静な自分がいうのだが、彼はその声を聞くことすらできなかった。喜びが心の中にあふれかえり、いつもの彼が持ち合わせている用心深さや疑い深さを全て消してしまう。
「ファルケン!」
 喜びの色を顔に浮かべながら、レックハルドは駆けだしていた。背後でサライが笑ったのを彼は見ていない。例え見ていたとしても、今のレックハルドにそれがどこから来た笑みなのか判断する力はない。
 今のレックハルドならば、何も疑うまい。彼のいる場所が霧深く、日蝕の暗闇に閉ざされた森であることも、彼は気づいていないのだから――。
 
 
 





一覧 戻る 次へ

このページにしおりを挟む 背景:自然いっぱいの素材集様からお借りしました。
©akihiko wataragi