辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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辺境遊戯 第二部 

グレートマザー−13

 サライの家への道を歩きながら、ハラールはふと眉をひそめた。
「どう、なさいましたか? シーティアンマ」
 先導していたビュルガーが、師匠の顔色の変化に気づいて尋ねる。
「ああ、…大したことはないのだが、ふとあの子が心配になってね」
「あいつですか?」
 先ほど自分で大丈夫だといっていたような気がするのに、もう意見が変わったのか? とビュルガーは少しだけ呆れたが、それは顔には出さなかった。
「そういや、あいつ、何か色々調べていましたからね。一体何をするつもりで出ていったんですか?」
「知らない方がいいかもしれないほどの事をするために出ていったんだよ。ビュルガー」
ハラールがさらりと答えたので、いっそビュルガーは驚いた。
「な、何ですか? それ」
「…あの子は」
 ハラールは、光を失った瞳を少しだけ開いた。
「扉をあけて、この世界をなかったことにするつもりだったんだよ」
「ええっ!?」
 思わぬ事に驚いて、ビュルガーは声を上げた。だが、ハラールは冗談を言っているようではなかった。
「聖域を目指しているのは、実はおそらくそのためだ」
「そ、そんな事をすれば、あいつ自身だって……! ななな、なんで、止めなかったんですか?」
 いささか動揺して、ビュルガーは立ち止まって振り返ってハラールに訊いた。ハラールは、首を振った。
「…私が無理に止めても無駄だ。あの子は、止められたら私を殺す気ですらいたのだから。それほど決意が強かったんだろう」
 ふうとため息をついて、ハラールは続けた。
「あの子を力ずくで止められるほど、私は強くない。それに……あの子自身も激しく迷いがある。…先ほどもいったように、彼が自分で闇から抜けるしか止める方法はない」
 黙り込むビュルガーの気配を感じながら、ハラールはすっと足を進めた。
「行こうか。…結果は、後で全てわかることだろう」
「そ、そうですが。…しかし……」
 ビュルガーは、まだ動揺しているようだったが、ハラールは、それには答えなかった。ビュルガーは見なかったが、その時のハラールの顔はまた複雑そうな表情を浮かべていた。彼も不安なのである。「彼」が、一体どんな手だてをとるつもりなのか。


 進んでも進んでも、紫色の森しか現れなかった。レックハルドは、立ち止まり、深い草の中ため息をついて額をぬぐった。
「泉なんてないじゃねえか」
 確か、さっきのところに戻れば泉があるはずだ。あの時、イェームがどこからか汲んできたはずである。彼を起こすのが悪いので、レックハルドは場所をきかなかったのだが、やはり訊いた方がよかったかもしれない。
「弱ったな。迷っちまいそうだし、水もいるんだがなあ」
 立ち止まっていると、不意にぱらっと彼の頭に水滴が降りかかった。顔を上げると、上の方からさらさらと小雨が降ってくる。
「雨か…。最悪雨でも集めて飲み水にするしかないか」
 ふうとレックハルドは、ため息をついた。先ほどポケットに入れていたものを取り出す。手を開くと、割れたビーズがいくらか手のひらに転がっていた。
「…ふん、頼みのお守りもこうなっちまえば何の意味もねえか」
 少し寂しげに言いながら、レックハルドはひび割れたビーズを元通りコートのポケットに戻す。ギルベイスに襲われたとき割れた守護輪のかけらをいくつかレックハルドは拾ってきていたのだった。さすがに、割れて粉々になってしまったものは拾ってこられなかった。
「まったく、イヤな世の中だねえ」
 レックハルドはもう一度ため息をついて、苦笑いをした。
「何一つ、思い通りになりゃしねえ。つまらねえよなあ、なあ、ファルケンよ」
 雨はさらさらと降り注いでいる。器にためられるほどの雨でもない。レックハルドは、面倒そうに上を見上げた。と、不意に彼の表情はこわばった。何かの気配を感じたのである。
「だ、誰だ!」
 彼は振り返りざま、短剣を握って抜いた。紫の森の葉擦れの音だけが耳につく。何も音がない。
「勘違いか?」
 レックハルドは、辺りを見回して、ようやく短剣をおさめようとしたのだが、しろっぽいものがふわっと紫の森に浮かび上がるのをみて、その手を止めた。ふわっと布のようなものが目の前で踊った。敵かと思ったが、現れたのは、髪の長い女である。いや、背中の羽とふわりとした不思議な布を身体にまいているところからすると妖精かも知れない。狼人よりいくらか悪戯っぽく理知的な顔立ちの多い妖精だが、その美しさは思わずほうっと見とれてしまうほどのものであった。まるで宝石のようでもあり、花びらのようでもある。幻のような美しさの彼女は、少しつった感じの目をレックハルドに向けて、にっと笑った。
「な、なんだ?」
 妖精は、再びにこっと微笑む。この世のものならぬ美しさに、幻惑されそうになるのを、レックハルドは必死で理性で押さえつけた。
「何のようだ」
 ふわりと妖精は、こちらに飛んできた。
『あはは、意外にかわいいところもあるのねえ』
 妖精は、辺境古代語でそう呟いたが、レックハルドにそんな言葉がわかるはずがない。不気味そうにみる彼を妖精は笑い飛ばした。彼に警戒されている事実がよほど面白かったのだろう。
「な、なんだよ、お前は…!」
 やや気分を害して、レックハルドは妖精を横目で睨め付けた。が、妖精はけろりとしている。総じて彼女らは無神経だ。こういうところは狼人も妖精も変わらないらしい。
 妖精はくるりと泳ぐように空中を飛び回り、森の奥へと消えたようだったが、すぐに手に何か持って戻ってきた。そして、それを背後に隠して、レックハルドの前に現れた。にこりと微笑む彼女に、レックハルドはとまどいの表情を浮かべた。
「オレは遊んでいる暇はないんだ。オレの連れが身体を悪くしてるんだから、どうしても水がいるんだよ。ほら、そこをどいてくれ」
 妖精は、にこりとしてふわりとレックハルドの周りを回る。
「だから、オレは遊んでいる暇は……」
 いい加減いらついてそう言いかけたとき、妖精はさっと手にしたものをレックハルドに突きつけた。
「な、なんでえ…?」
 それは一輪の花のようだった。しろっぽい花びらのどちらかというと百合のような花だった。レックハルドの手のひらぐらいはあるのでなかなか大きいのだが、可憐だが、上品な感じに見える。しかし、その花は開いておらず、半分閉じかけている。なぜ閉じかけた花を、とレックハルドが怪訝に思う間もなく、妖精は花びらの一端を引っ張った。すると、それははらりと開く。下の方が壺のようになっているせいか、その中に水がたまっている。いや、自然にたまるというよりは、わざわざそれで水を汲んだといったところだろうか。レックハルドはふうんと唸った。
「なるほど、わかった。これはお前らの水筒ってわけね」
 妖精はにこにこ笑いながら、彼にそれを押しつけてくる。
「な、なんだ?」
 レックハルドは、戸惑いながら自分の方を指さした。
「オレにくれるって言うのか?」
 妖精はこくりとうなずく。
「ど、毒なんか入ってるんじゃねえだろうな?」
 妖精は疑われていることを知って、少しだけ顔をふくらせた。だったら飲んでみればわかるだろうといわんばかりである。
「わ…わかったよ、あんたのことは信用する」
 さすがのレックハルドも少し困惑してしまい、仕方なくそう言った。大体、レックハルドはこういうタイプの女性は少し苦手なのだ。しかも、今回は言葉が通じないので、どういえばいいものか迷ってしまう。
「疑ったのは悪かったよ、だがなあ、こういうところで信用しろっていわれても。大体あんた言葉つうじねえし」
 相手に言葉が通じていないのは知っていたが、レックハルドは思わずそんな事を言って、相手をなだめようとした。
 妖精は、彼のその態度を見て機嫌を直したらしい。途端、満面の笑みを浮かべて、レックハルドにそっと寄り添った。いきなりの事に、ややどきりとして、レックハルドは思わず照れ隠しにぶっきらぼうな口調で言った。
「な、なんだよ?」
ふと妖精は悪戯っぽくほほえむと、そっと彼にささやいた。
「『それをあなたのお友達に飲ませなさい。きっと、良くなるはずよ。』」
「何?」
 辺境古代語であったにもかかわらず、その言葉ははっきりレックハルドにも理解できた。どちらかというと頭の中に直接響いてきたような声である。
「『それじゃあね、草原の人。旅の無事を祈っているわ。』」
 続けてそう言うと、妖精はまたふわーっと彼から離れていった。そして、彼が言葉をはっする暇も与えず、森の中に消えていった。
「…飲ませろって…。あいつにか?」
レックハルドは、呆然とそれを見送りながら呟いた。まだ小雨は降り続いている。もらった花を見ながら、レックハルドは軽く唸った。少しだけ手にこぼして舐めてみたが、特に匂いもおかしくないし、刺激がするわけでもない。安全な水ではありそうであった。
「…オレは、怪しいもんは信用しねえ主義なんだけどなあ」
 レックハルドは苦笑してため息をついた。また疑ったのがわかると、先ほどの妖精に怒られてしまいそうだ。
 少し考えた挙げ句、レックハルドは来た道を後戻りし始めた。どうせ、このまま一人で歩くと道に迷ってしまうのがオチだ。なら、一度戻ってみるのもいいのかもしれないとも思ったのである。
 その歩いていくレックハルドの後ろを、黒い影のようなものが地面に張り付くように進んでいった。草むらを進む彼には、暗い森の中、それを確認する術はなかった。





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©akihiko wataragi