辺境遊戯 第二部
グレートマザー−9
燃えさかる街の中に飛び込んだダルシュは、上を飛び交う魔物の姿を見る。半透明からやや濃い色になっているそれは、黒くまがまがしくて、前に辺境で見たものに少し似ていた。
「畜生! 好き放題やりやがって!」
ダルシュは、抜きはなった剣を構え、上の魔物を見た。 暗くて赤い空に飛び交う洋間は、建物を壊し、そのまま蛇のような動きで通り過ぎては、また旋回してこちらに戻ってくる。何か獲物でもあるのかもしれない。
その一体が、ダルシュを見つけたのか、地面すれすれに飛んできた。ダルシュは剣を振るったが、ふいに半透明になったそれは、刃をすーっとすり抜けていく。
「なんだ、これ!」
まるで煙でも切っているようで、ダルシュは顔をしかめた。と、それに気を取られているうちに、足をいきなりすくわれ、ダルシュは危うく転びそうになる。バランスをとって振り返った頃には、すでに妖魔は空にあがっていた。
「ダルシュ!」
シェイザスが声をあげた。
「だめよ! 妖魔っていうのは、普通の武器では完全には滅ぼせないわ」
「じゃあ、どうしろっていうんだよ! このままみすみす・・・」
ダルシュがそこまでいったとき、不意に妖魔の姿が斜めにずれた。それに注目していると、今度はその尾のような長い部分がそのまま力なく下に落ちてくる。ようやくわかった。妖魔は、その尾を鋭い何かで切り裂かれたのだ。落ちてきていた尾は、ぼろぼろと崩れて下に落ちるまでには消えていく。
「・・・な、なんだ!」
ダルシュが、怪訝そうにそれを見上げていると、ふと人影が建物の屋上に現れた。同時に、笑い声が聞こえる。
「手応えのねえやつだな、おい! ここにゃ、くず妖魔しかいねえのかよ?」
聞き覚えのない声だった。ちょっとがらがらしていて、それでもってずいぶんと威勢がいい。
「よっしゃあ! 片ぁつけるぜ!」
声が不意に歓声をあげた。と、炎で明るくなっていた空がまた暗くなった。その理由をいち早く察知して、ダルシュは動いた。
「うわっ! 危ねえ!」
ダルシュは、シェイザスを背後にかばってそのまま後退した。
すぐに、上空から黒くて大きなバッタのような形をした妖魔が落ちてくる。先ほどまで彼らがいたところに落ちてきた妖魔は、また起きあがろうとしたようだった。あわててダルシュが構えるが、そのまえに、彼らに背中を向けたままの男が建物の上から飛び降りてきた。
「一匹仕留めたーッ!」
男が歓声を上げるとともに、ずどん、という重い音が鳴り、男の構えていた剣が、妖魔に埋まった。腰ほどまである長い髪の毛は、ばさばさでのびたい放題のばしているといった風情である。炎の赤さを受けた髪の毛の男は、若くて、背がずいぶん高かった。狼人かもしれないが、それにしては火を恐がらないのが不自然である。それに、連中にこれほど乱暴で好戦的なものがいるとは思えない。
「よーし、次いくぞ、次!」
彼は、近くにいるダルシュとシェイザスに目もくれなかった。ハナから視界に入っていないらしい。地面に降りてきていた妖魔をめざとく見つけ、それに駆け寄っていく。
「何だ、あいつ・・・」
「さ、さあ」
さすがのシェイザスにもわからないのか、シェイザスは面食らった様子で、その様子を見ている。視線の先で、男は、黒い妖魔の首らしき部分をつかむと、そのまま引き寄せて振り回した。どんと地面に引き倒し、剣を振り下ろそうとしたが、妖魔は鋭い牙をむき出しにして、その剣を受けた形になった。
「おお! おまえ、やるじゃんかよ! オレ、お前みたいなん大好きだぜ!」
男はひゅっと口笛を鳴らしながらそういう。そして、後ろの方を見やりながら、叫んだ。
「メルキア! お前はどうだ! 無事でやってっか?」
「うるさいね! 戦ってるときに話しかけられると集中が途切れるんだよ!」
少し低い声が聞こえ、建物の一部を壊しながら、妖魔がこちらの方に逃れてきた。それを追いかけてきたメルキア、つまりメルキリアは、左手に鞭を、右手に剣を持ったまま、ざっと素早くそれに追いつく。
「今更、じたばたするなんて見苦しいやつだね!」
メルキリアはそういうと、左手の鞭をしならせて放った。
「てめえのようなド外道は!」
メルキリアの鞭が妖魔の首に巻き付いた。悲鳴をあげてのけぞった妖魔をそのまま締め上げて、彼女は右手に持っている剣で妖魔の胴体らしき部分を薙いだ。暗闇が裂けるように、さっと黒いものが分散していく。
「地獄に堕ちて反省しやがれってんだ!」
びっと鞭を元に戻し、メルキリアは黒いものが散っていくのを冷徹にみた。
「うわーっ、恐ええ。あいつ、ほんとに女か?」
その様子を見ながら、狼人がぽつりといった。
「つくづく、あいつだけは相手にしたくねえなあ」
彼はそういいながら、顎の無精ひげをてもちぶたさに撫でた。甲高い奇声をあげて、剣で押さえつけている妖魔が暴れ出す。押し返されて、狼人は一度宙返りをしてから地面に着地した。思わぬ反撃をくらった形になった彼は、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「るっせーな! 人が折角遊ばせてやってんのに、そんなにせかすなよ! そんなに早く地獄行きがいいのか、てめえらは! 生き急ぐとろくなことがねーって、長老からいわれなかったのかよ、お前は!」
怒り狂った妖魔はその言葉をきかない。そのまま彼に襲いかかってくる。
「ちっ! 人の話もきけねえなんざ、妖魔の屑だぞ屑!」
自分は人の話など聞かないくせに、彼はそう言うと剣を構えなおして、そのまま勢いつけて地面を蹴った。
「だぁらああ!」
相手も飛びかかってくるのだから、飛び込んでくるのを待てばいいのに、彼はそれができないらしい。ふりかぶった剣を思い切り振り下ろす。相手の爪がこちらに届きそうになったが、男の剣は早く、しかも力強かった。妖魔は、ひっかこうとした爪ごと真っ二つにされる。
「よーしっ! かっこよく決まったかあ?」
消える妖魔の傍らで、びしっと刃を振りながら、男は腰に手を当てて剣をなおした。
「お前ら程度の悪党が、オレにかなうとでもおもったか、わーっはっはっはっはっは!」
「そりゃあ、悪党って点ではあんたを抜かす奴はそうそういないだろうからなあ」
自分もあらかたの妖魔を倒したのか、メルキリアがこちらに歩いてきていた。そして、ふと状況を固唾をのんで見守っていたダルシュとシェイザスに気づく。彼女は素早く男の袖を引っ張った。
「ちょっと。あれ」
「あん?」
面倒そうに振り向いた男は、こちらをみている二人に気づくと、にんまりとした。
「ほっほう、まぁずいところを見られてしまったな。というか、お前ら、アレがみえんのかよ」
正面を向いた男をみてわかった。やはり、狼人だ。
狼人にしては精悍な顔つきに大きいが鋭い目。ばさばさの長い髪の毛が、たてがみのように伸びている。頬の赤いメルヤーは、おおざっぱで荒っぽい。背はファルケンぐらいなので、狼人としては高い方でもないのだろうが、それにしてもダルシュが見た限り、もっとも荒くれ者の部類にはいる狼人である。本人はそのつもりはないのだろうが、大概な絡み口調なので、喧嘩を売られているような気分にすらなるのだ。
ただ、その顔は、見慣れた男に似ているようで、ダルシュは思わず戸惑った。それにも気づかず、狼人はわはははは、と異様に豪快に笑い捨てた。
「そこのきれーなねーちゃんは、なんとなく見えてそうな気がするが、お前もそんな面してるところをみると、見えてるんだよな? 人間のくせに見えてるって珍しいじゃねえか」
「な、何なんだ、お前らは…」
ダルシュは牽制の意味も込めて、相手をみた。男はにやりとしている。
「ただの通りすがりだ。それ以外の何に見えるってるんだ?」
盗賊にも見えるし、強盗にも見えるし、他の色んな危なげな人間に見えるのだが、狼人の男は自信満々に言ってのけた。あまりのことに、茫然としているダルシュを、ふとみた彼は、何かに気づいてじいっと彼を観察しだした。
「ん、待てよ。もしかして、お前……」
「な、何だよ?」
少し鋭い目でダルシュをさらっと見た男は、突然にまっと笑った。
「おおー! こいつ、おもしれーな。どう見ても人間なのに、混ざりもんの匂いがするぜ! そうかそうか! 見えるのは、混ざってるせいだな!」
「はっ?」
いきなり不審がるダルシュの頭に男は手をおいた。そして、親しみの込めた笑みを見せながら、威勢よく言った。
「どうだ! 覚醒させてやっから、オレと死ぬまで殴りあわねえか! どうもこの時代は刺激がたりなくっていけねえや!」
「は、はあ?」
「いや、死ぬまでってのは、なんだっけ、そうそう言葉のあやっつーやつで、別にホントに殺したりしねえからよ! どうだ!」
「ど、どうだって言われてもよ。なんで、いきなりそう・・・」
血の気の多いダルシュだが、さすがにここまであっけらかんと言われるとこちらが困ってしまう。ダルシュは瞬きをすると、じっと狼人の顔を見た。
「お前、狼人だよな?」
「おっ! 珍しいじゃないかよ! オレは狼人にしては珍しい顔立ちなんだ! だから間違われるんだが、お前、勘がいいじゃねーか。さすがは、混ざってるだけはあるな!」
なにが混ざっているのかは相変わらず不明だが、とにかく狼人ではあるらしい。
「いや、そ、そっその……お前まさかファルケンじゃねえよな?」
ダルシュは言いにくそうに訊いた。さすがにここまで性格が違うとそうは思うのであるが、その顔は、ファルケンと大体にたような顔つきだったのである。ところが、そういわれた狼人の方は不満そうに両手を広げた。感情の起伏が激しいのか、表情がころころ変わる男である。
「あーなんだってえッ? あいつとオレ様を間違うなよ! オレのどこがあいつと似てるんだよ! オレの方がどう見たってかっこいいだろ!」
「いや、似たようなもんだろ。冷静なだけあっちのがましだね」
今まで黙っていた妖精が、不意に口を挟んできた。その冷たい言い回しに、狼人は、むっとした顔をして、非難の声を上げようとした。
「あっひでーな、メルキ…あいたたたたた!」
ぐっとメルキリアが、その胸ぐらをつかんでいたのである。
「さ、帰るよ。いい加減、干渉しすぎだ」
細い腕なのに、見かけによらず力があるのか、狼人は引きずられるようにして彼女に従って歩き始めた。
「何だよー、ちょっとしゃべっただけじゃねえかよー!」
「やかましいね! いらないことをしゃべるんじゃないってあれほど言っただろ!」
「オレ、なんもいってねえのに!」
「十分もう言ってる! 面倒起こさないうちに帰るよ!」
「そんな・・・あっ! お前!」
ひっぱられていきながら、狼人は大声にいってダルシュに手を振った。
「お前、絶対、今度オレと手合わせしろよ! 忘れるなよ! オレは常に暇してんだからなあ! 忘れんなよぉ!」
精一杯叫んでいた狼人は、やがて妖精に引っ張られて、街の向こうに消えた。炎が消え始め、やがて、人ががやがやいいながら集まりはじめていた。
ダルシュとシェイザスは、煙が細々とあがる中、まだぼうっと彼らの去った先を見ていた。
「な、なあ、あんまり認めたくないんだが、あいつ、性格はともかく、外見だけファルケンに似てたな」
「関係者…だったらどうするの?」
「えっ?」
ダルシュは思わずシェイザスの顔を見た。茫然とした顔に、何となく不安のようなものがある。
「ま、まさか」
ダルシュは首を振った。何となくあの乱暴な狼人とファルケンを一緒にしたくないような気がして、彼は苦笑いしながら否定する。だが、何とも妙な後味のようなものが残って、彼は不安になった。