辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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辺境遊戯 第二部 

グレートマザー−8

 そろそろ何時ぐらいになるのだろう。日が見えないと時間の把握に困る。白昼でも、今は街の中はしいんとしていて、店を出す者もいない。久々の日蝕で、皆閉じこもってしまっているのだ。
「やれやれ」
 真っ暗な空を見上げながら、ふうと青年はため息をついた。
「ずーっと大丈夫だと思ってたのによ。いきなり日蝕かよ」
「そう上手くはいかないものね」
 シェイザスがダルシュに言う。
「今まで何もなかったのがおかしかったのよ。…そろそろあなたも仕事始めじゃないの?」
「そうだなあ。ここんところ、なんの情報もなくてうろうろしてたんだが。日蝕が始まったとなると…。しかし、レックハルドの奴も戻ってこないし、どうなってるんだよ」
 ダルシュは、店じまいする商人達を眺めながら、ふと思いだしたようにいった。あのいじましいほど商魂たくましい彼なら、世界が闇に閉ざされたぐらいで商売をやめたりしないだろう。別のビジネスでも考え出しそうなものだった。
「もう、この世にいねえんじゃねえだろうなあ」
 ため息をつきながらそんなことを言うダルシュに、シェイザスはふと微笑んだ。
「なあに? すこしは心配なの?」
「な、何言ってんだ! オレはああいう守銭奴が一番嫌いだって、お前知ってるだろ!」
 慌ててダルシュは、身を乗り出しすごい勢いで否定しだした。
「まあ、それはそうねえ」
 意地悪く笑いながら、シェイザスは相づちを打った。そして、きれいな顔を少し顔を引き締める。
「でも、この感覚はなんか妙ね。なんだか、心の奥がざわざわするわ。いつもの日蝕の時とは違う」
「なんだ、そりゃ。占い師の勘って奴か?」
「勘だけだったらいいんだけど」
 あまり深刻そうでもないダルシュをみながら、シェイザスは口には出さず、単純な頭の人っていいわよねえと毒づいた。
 と、ふいにシェイザスは悪寒を感じて、後ろの方をざっと振り向いた。その顔色が、心なしか青くなったのを見て取り、ダルシュはどうしたと声をかけた。彼女は両手で肩を抱くようにして、そちらの方を見ている。
「なに…あれ!」
「え? 何も見えないじゃねえ…」
 「か」と言いかけて、ダルシュは口をつぐんだ。最初は見えないと思っていたが、よく見るとシェイザスの視線の先に半透明の何か巨大なものが見えている。そちらのほうから、赤い光が上がっているところを見ると、もしかしたら火の手も上がったのかも知れない。
 そちらの方から街の人々の悲鳴が上がり始め、そちらにあった大きな家の石造りの屋根が何かに喰われたような形に割れる。彼らには、おそらく見えていないのだろうが、ダルシュには、その屋根を食いちぎる羽の生えたムカデのような黒い不気味なものが、うっすらと見えていた。
「あれは…」
 ダルシュは、前に辺境でみたものを思いだして歯がみした。あの火事の時、確か、そうしたものがたくさん飛んでいるのが見えたのだ。そして、これもおそらくそれである。
「あれが、ヤールンマール、妖魔よ!」
 シェイザスがそちらのほうを見つめたまま言った。ダルシュは、反射的に剣を握っていた。そして、シェイザスが声をあげる間も与えず、向こうの方に走り出していた。
 ちょうど、ダルシュ達が見つめていた家の近くの少しあるところの町中に、一組の男女が歩いていた。逃げまどう人々にも、ふりかかる火の粉にも気を留めず、彼らは悠然とその上を飛び回る妖魔をみていた。建物が壊され、その破片がかかりそうになると、男の方が着ているマントで細かな破片を払い落とす。
「あぁぁ、はーでにやりやがって!」
 しゃりっと赤い果実をかじりながら、背の高い男は長くてばさばさした髪の毛をかきやった。そして、少しにやりとすると、何かをねだる子供のような顔をして、後ろにいる人物に話しかける。やや少年のようにも見えるその人物の耳は長く、おそらく妖精であろう事がたやすく想像できた。
「ほーら見ろ。ハラールの天然ボケがさぼりやがったから、色々暴れてるじゃねえか。ちょっと寄り道していこうぜ」
「なんだい、手を出す気かい?」
 少年のようなしゃべり方の妖精がふっと冷たい笑いを浮かべる。
「固いこと言うな。ここんところ、暴れられなくて体がなまってるんだ。いい運動になるだろが」
「あんたが手を出すと、街の一つや二つ消えることがあるからねえ。手加減ぐらいしなよ」
 ふふん、とばかりに男はいった。
「まぁまかせやがれ。それにオレにだってそれぐれえの分別はあらあな!」
「さ、どうだかねえ」
 妖精は肩をすくめた。男はにやりとすると、かじっていた果実をいそいで平らげ、芯を道ばたに放り投げた。そして、肩に背負っていた大きな両手持ちの剣をひょいと抜くと、軽々と片手にひっさげた。今度は、いやに屈託のない笑みを浮かべる。
「へへへ、みてろよ、ド外道共が! オレ様がじっきじきに地獄の果てに突っ返してやるぜ!」
 獣のようによく光る目は暗い空にはえる赤い色に向けられている。狼人の男は、歓声をあげると逃げまどう人を避けて、屋根の上へと飛び上がった。




 圧倒されて声も出ないレックハルドに、グレートマザーと名乗る巨木は、その落ち着き払った声で告げた。
『あなたが、ここにきた理由はおそらく二つ…。』
 背景の黒い森の内に、妖精らしい影が、ふらふらと飛んでいるのが見えた。奇妙な空気に、レックハルドは自分は夢を見ているのではないかという気にさえなる。ただ、この頭に響いてくる声は、あまりにもはっきりとしていて、レックハルドを現実へと引き戻してくれる。
『一つは、イェームの正体を知りたいから、もう一つは、私の正体を知りたいから。そうですね。』
「ああ。そうだ」
 訊かれて、レックハルドは憑かれたように頷いた。
「確かに、オレはあんたの正体も知りたければ、あいつの正体も知りたかった」
 そうでしょうね、と声が響いてきた。
『私の正体については、おおよそわかったでしょう。…言葉で伝えるよりも、私の姿を見せた方があなたは理解してくれると思っていました。あなたは、何より見えるものを信用する筈です。だから、私はあなたをここに呼び出しました。』
 全て見通しているようなことをいって、マザーは少し笑うような声を立てた。
『この森は私の森です。ですから、私はここに入ってきた者について把握しています。もちろん、あなたのことも、イェームのことも、果てはあの司祭のことも。』
「あ、あんたは、あの司祭とは関係ないんだよな?」
 急に不安になったのか、レックハルドは訊いた。
「危害は加えない、その約束は守ってくれるんだろうな!」
 疑心暗鬼のレックハルドに、マザーは少し優しい言い方で答えを返してきた。
『あの司祭、つまりギルベイスですね。私はすでに引退した身、未だに司祭を操れるほどの力は持ち合わせておりません。それに、あれは彼の独走のようですし、司祭全体の意思というわけではないのでしょう。どういうわけか、ギルベイスはあなた方に深い恨みを持っているようです。』
 なだめるような言い方に、レックハルドも少し彼女を信用する気になったようだった。軽く唸って顎をなでる。
「オレは、あいつに恨まれる覚えはないぜ」
『かもしれません…。あなたには…』
 静かにマザーは言い、少し寂しそうに言った。そして、ふと話を変えた。
『私が話しておきたかったのは、あなたの旅の目的に対してのことです。あなたは、今、ファルケンを助けることができるのは、マザーであると思っているでしょう。しかし、その力は私にもありますよ。』
「えっ!」
 レックハルドは驚いたように巨木を見上げた。無感動な事務的な声のマザーの声が、もう一度はっきりと言った。
『私も、ファルケンを蘇らせることができる、そう私は言ったのです。』
「そ、それは本当なのか! あ、あんたも、そんな力が?」
『ええ、イェームはあえてそれを言わなかったのでしょう。…そもそも、涙の器というのは、グランカランの下に生える花です。その朝露に特別な力を込められるのが、私やマザーのような特別なグランカランだということだけです。私には以前ほどの力はありませんが、司祭の呪法をとくのは別に難しいことではありません。彼らの力よりも、私の力が上だからです。』
「そ、そうなのか! じゃあっ! あいつを助けてくれるんだな! あんたが!」
 レックハルドは嬉々として、顔を上げた。
「あんたの力さえあれば、…あいつは、助かるんだな!」
『…ええ、助けることができます。ただ、条件もあります。』
「じょ、条件?」
 レックハルドは首を振った。
「いいよ! オレはなんでもやる! なんだってやってやるから! 条件を教えてくれ!」
『なんでも、やりますか?』
「ああ!」
 確認するようにいったグレートマザーに、レックハルドは力強く答えた。しばらく、マザーは考えているように沈黙し、そして、再び話し出した。何かものをいうごと、わずかに頭上で葉ずれの音がする。
『では、まず、イェームの正体からお話ししましょう。』
「なんでまた、あいつの正体から?」
 レックハルドは待ちきれないといったように、急かすように訊いた。マザーは、あくまで無感動に、静かに静かに言う。
『彼の正体が、この話に大きく関わるのです。ですから、先にあなたに伝えないとならないのです。』
「そうか。それなら、先に」
 つい、そう言ってしまってから、レックハルドはすぐに後悔した。何故だろう。ファルケンが助かるという話を聞いて、つい有頂天になってしまって言ったものの、イェームの正体をしるのが今更になって恐いような気がしてきた。
『訊かない方がよいですか?』
 心を見透かしたように、グレートマザーの声が響いた。
『このことを知れば、あなたは後戻りすることは許されませんよ。』
「オ、オレは、もともとファルケンを助けるためにここに来たんだ。今更後戻りなんてできないんだぜ。いいよ、話してくれ!」
 恐れる心を隠すように、レックハルドははっきりとそう言った。
「あいつは一体何者だ?」
 グレートマザーは、一瞬だけ沈黙し、再び木の枝を軽く揺らした。ざわざわという音とともに声が聞こえてくる。
『妖魔、というものを知っていますか? 彼らは邪気の塊から生まれ、やがて力と意思を備えたもの。通常、残留思念と呼ばれる心のかけらが寄り集まり生まれるものです。』
「ああ、それは知ってる。でも、何故?」
『わかりませんか? いいえ、あなたはそろそろ分かっているはずですね。あなたほど頭のいい人が気づかぬ訳がありません。』
 最初に話を振られたとき、動揺していたレックハルドは、その鋭い指摘にぎくりと肩をふるわせた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! そんなことが!」
 青ざめた顔で首を振るレックハルドに、グレートマザーは容赦なく続けた。
『そう、あなたの予想通り、イェームという男は、妖魔です。妖魔は近しき人の姿を借りる。彼はあなたに近づくために、『ファルケン』という、あなたの記憶の中の親友の姿を借りたのです。』
「そんな馬鹿な!」
 レックハルドは激しく否定した。先ほどまで青ざめていたレックハルドの顔は、一瞬憤りのために赤くなり、そして再び真っ青になっていた。両手を広げ、抗議するようにレックハルドは言った。
「あいつは何度もオレを助けてくれたんだぞ! しかも、命をかけてだ! 妖魔なら、なぜオレを助ける? オレは以前妖魔に殺されそうになったことがあるんだ! 妖魔がオレの命を狙っていることは知ってるぜ! だったらなぜあいつが!」
『イェームはファルケンに似ているでしょう? いいえ、似すぎているでしょう?』
 グレートマザーに訊かれ、レックハルドはふと詰まる。
「あ、ああ、そうだ、似てる。だが! あんた、さっき自分であいつがファルケンの姿を借りているといったじゃねえか!」
『私は、今、あの男とファルケンの「内面」が似ているかどうかを訊いたのですよ。』
「えっ…!」
 レックハルドは言われて考えた。確かに、性格は少し違うところがあったが、ファルケンとイェームは何となく行動や雰囲気が似ている。特に雰囲気だ。砂漠を歩きながら、レックハルドは時々、イェームといると、ファルケンと旅をしているような気分になったこともある。あの時は、それは自分を慰めるために思いこんでいるのだと思っていたが、今思えばそれだけではないような気がする。確かに、あの「感じ」は、ファルケンとよく似ていた。
「どういう意味だい?」
『ファルケンは、少なくとも思いを残して死にました。特に、彼が自分を殺した司祭に対して抱いた恨みは、凄まじいものだったでしょう。それに、あなたとの約束を果たせなかったという気持ちも強かった。…だから、彼には未練も恨みもあった。』
「な、な、なにが…言いたい?」
 レックハルドの額から静かに冷や汗が流れ落ちた。
『気づかなかったのですか? …あれには、ファルケンの残留思念が混じっているのです。それが強く出てしまい、結果、あなたを助ける事になった。あなたのことを、彼が気遣うのは、妖魔に混じった思念の中で、もっともファルケンの意思が強かったからに他なりません。…今、彼がファルケンと同じ呪いに苦しんでいるのも、そうした理由からですよ。』
「ざ、残留思念…」
 レックハルドは小さく反芻した。
「じゃ、じゃあ、あいつはファルケンの幽霊か何かだって言うのか? で、でも、あいつが死ぬ前に、イェームはオレの前に現れたぞ。あれは…」
『妖魔の恐ろしいところは…過去現在未来、どこにでも現れる事ができることです。彼らはそもそも「生命」ではないのですから、世界のゆがみのようなものを見つけて、そこに入り込むことぐらいできるのです。あなた方とはルールが違う場所にいますから。特に、力を持つ妖魔は、時の流れを行き来することを覚えるのです。』
「だから、…あいつが死ぬ前に…イェームがいた?」
 レックハルドは、あの時、燃える森に向かうとき、イェームが悲壮な顔で「行くな」と叫んでいた事を思い出した。もしかしたら、行けばファルケンが死ぬ事を知っていたのかもしれない。だから、あれほど、哀願するように叫んだのかもしれない。
「じゃあ、あいつは妖魔でもファルケンなんだな。…だから…オレを助けてくれようとしたのか?」
『いいえ、彼はファルケンではありませんよ。別人です。先ほども言ったでしょう。「今」は、ファルケンの意思が強く出ているにすぎません。』
 グレートマザーの声は、冷え冷えと響いた。
『その記憶と意思をいくらか残しているので、今はそれが強く出ているだけなのですよ。他の意思とやがてまじり合っていくと、本来の妖魔としての使命に目覚めていくでしょう。そうすれば、あなたも闇に引きずり込まれます。』
「嘘だ! あいつは、そんな事は!」
 レックハルドは首を振り、それを否定しようと声をあげた。
「あいつはいい奴だ。オレを何度も助けてくれたし、それに……」
『妖魔は妖魔です。それに何の信頼もしてはいけません!』
ぴしゃりとグレートマザーは言った。思わず圧倒されて口を閉じたレックハルドに、グレートマザーは静かに訊いた。
『もう一度訊きます。あなたはファルケンの蘇生を願うのですね?』
「あ、ああ! そうだ!」
 反射的に答えながら、レックハルドはなぜか指先が震えるのを禁じ得なかった。これ以上、この声の言うことをきいてはならないような気がしたが、もう今更後には引けなかった。
 それを知っているらしいマザーの声は冴え冴えとしていた。
『――ならばあなたは選ばなければなりません。』
「な、何を! 何を選ぶというんだ!」
 嫌な予感がした。この場から逃げ出せればどれほどいいかと思うのに、きかなければならないとも何かが彼に告げている。
『ファルケンを蘇生させるのは、私にはたやすいことです。私が助ければ、呪いもかき消され、元通り、幸せに生きていけるでしょう。…苦しむこともありません。』
「あ、ああ。そうだな」
 マザーは、少し暗い声になった。
『しかし、彼には問題があります。彼の魂の一部、つまり残留思念であるイェームが、すでに妖魔と成り果てていることです。考えて下さい。レックハルド。その魂の一部が妖魔と化している者が蘇ったとてどうなるでしょう。蘇れば、あの子は、今度は身体ごと妖魔に変化し、自分の意志も消され、暗い衝動のままに殺戮と破壊を繰り返す存在になるでしょう。イェームという分身がいる限り、蘇らせても新たなる悲劇を生むだけです。それがどういうことだかわかりますね?』
 はっとレックハルドは顔を上げた。ようやく、レックハルドにはマザーの言う「条件」の意味が分かったのだった。この長くて、彼にとっては耐え難い悲しい話をしたのは、すべてその「条件」を彼に理解させる為なのだ。
「ま、待ってくれ! …ま、まさか…!」
『後戻りできないと忠告したはずですよ。…あなたは選ばなければならないのです。どちらかの命と心を…。彼は今、あなたに全幅の信頼を寄せていて疑いもしていません。それに今の彼は弱っています。…なら、あなたにでも消すことが出来る。』
「そ、そんな…オレにあんた…そんなむごいことを…やれと…」
 レックハルドは、紙のようにしろくなった唇を動かして、どうにかこうにかつぶやいた。
『私の条件とは、それです。それがあなたの贖罪、だから、あなたが手を下さねばなりません。…むごい方法を選んだのもあなた。私は確かに忠告しました。』
 グレートマザーの声は冷たかった。そして、絶望的な顔で木を見上げるレックハルドに、死刑宣告を下すように、マザーは凍てつく声で告げた。
『――――イェームを殺しなさい。』





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©akihiko wataragi