辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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辺境遊戯 第二部 

グレートマザー−7

レックハルドはそれを確認すると、自分も少し休もうと、木の幹へ背をもたせかけた。しかし、何となく落ち着かない。
 あの時のイェームの様子が思い出されて、何となく不安になる。彼の前では、何でもないように振る舞ったが、内心レックハルドは混乱していた。動揺しなかったといえば嘘ではない。イェームが流行病と似たようなものだといったから、おそらくはそうだと思うのだが、それにしても、イェームの症状があの時のファルケンとあまりにも似ていて、レックハルドは、心配になっていた。
(まさか…)
 あの時の絶望的な気持ちが蘇ってきて、レックハルドは、不意に青くなった。
(まさか、お前も、死んじまうんじゃねえだろうな…あいつと同じように……)
 レックハルドは首を振る。
「そんな、そんなことはあり得ないよな。…あの流行病は、静養してたら治るって話だし」
 わざと口に出して、確認すると、レックハルドはその考えを振り切るように立ち上がった。イェームは、すでに眠っているらしく、雑音の混じった呼吸音が少しだけ聞こえてきた。
 本当はずいぶんと悪いのかもしれない。レックハルドは、顔がまだ血だらけなのに気づき、そっとずれた覆面をはずした。
「こりゃ覆面の意味もうないだろ」
 レックハルドは、さらに水筒の水で布をしめらすと、イェームの血だらけの顔を拭いてやった。徐々にその顔があらわになると、レックハルドは自分の予想が当たっていたことを思い知る。
「…やっぱり……こいつ…」
 その顔はファルケンとやはり同じだ。メルヤーをついでに落としてしまったので、その形を確認することはできないが、顔自体の作りは同じである。
 予想通りだ。やはり、イェームはファルケンを知っていたし、自分の顔が彼と同じだということも知っていた。知っていながら、わざわざ隠していたのだ。
(しかし…、なんで隠す理由があるんだ? オレに正体をばらしたくないからか、それとも、他に何か理由が…)
 少し考えてみるが、今は答えが出ない。いつかイェームが話してくれるかもしれないし、その前に自分が問いただすことになるだろう。イェームが話ができるような状態ではない以上、彼の回復を待つのが先決だ。しかし。
(……もし……)
 レックハルドは胸騒ぎがしていた。そんなはずがないと思いながら、レックハルドは、ある可能性を捨てきれずにいた。
 ――もし、こいつも……あいつと同じ呪いにかかっていたらどうする?
 ギルベイスと知り合いのようだった。そして、割と穏やかで冷静なイェームが、あれほど我を忘れてギルベイスに怒りをぶつける理由は何だろう。…そして、ギルベイスが圧倒的に有利で、まるで奴が口を開くたびにイェームの苦しみが増しているみたいだった。
 あの呪いについて詳しいことはわからない。ただ、ファルケンの様子とあまりにも似ていることと、あの司祭のあの態度――。全てを総合して考えてみると、可能性をうち消すことはできない。
「…考えても仕方がないだろ。今はこいつと休ませないと」
 レックハルドは雑念をうち消し、イェームがコートの中に着込んでいる上着に手をかけた。呼吸をらくにしてやる意味でも、衣服は少しゆるめてやったほうがいい。
 コートの模様はどこかで見覚えがある気がしたが、おそらくマゼルダ系の衣装の刺繍は似たようなものだからそれでだろうと考える。それに、こんなに色あせた色の古いコートに自分が関わっているなどと言うことは、あろうはずもなかったからだ。少しだけ上着をくつろげて、もう一度毛布をかけ直してやろうとした時、ふとレックハルドは目を見張った。
「うっ!」
 それが視界に入った瞬間、思わずレックハルドは、腰を抜かしそうなほど驚いた。がちがちと歯がなるほどに震えはじめ、毛布を握ったままの手に思わず力が入る。
「な、な、なんで……」
 可能性はあるとは思っていた。予測もしていた。だが、実際、証拠を見せつけられると、レックハルドは平静でいられなくなってしまった。
「な、何で、なんで、お前も同じなんだよ……」
 確かレナルはこういった。あの呪いにかかった者は、生きようが死のうが取れることのない黒い入れ墨のようなものが胸に浮かび上がるという。それは罪人の烙印のように、二度と取れることはない。彼らが許されない限り、未来永劫それは残り続けると……。
 あの時のファルケンの胸には、確かそういった黒い入れ墨のようなものが浮かび上がっていた。そして、それと同じ形をした、まがまがしい模様が、今イェームのくつろげた上着からものぞいているのである。
(まさか…まさか…お前は違うよな……)
 レックハルドは首を振る。
(まさか……お前がファルケンだなんてことは――)
 そんなことはあり得ない。だが、他人のそら似で、さらに同じ呪いまでかかっていることがあり得るのかとも思う。しかし、それでも、ファルケンは死んでいたのだ。彼の目の前で、確かに、息もしていなかったし、脈も止まった。…おまけに、氷のように冷たくなってしまって、あの時、ファルケンは確かに死んでいた。
 彼を生き返らせるためにここまで旅をしてきた。だが、レックハルドは、どこかでそれを信じていなかった。この旅の本当の目的は、自分に決着をつけるためだった。だから、本当に彼が生き返るなどとは、信じてはいなかったと思う。
 レックハルドは首を振った。
(何言ってるんだ。こいつはファルケンじゃない…。歩き方も言葉遣いも、全然違うじゃねえか。あいつとは違う。…オレは何を錯覚してるんだ?)
 イェームとファルケンは、その行動においては似てもにつかない。ファルケンは、あんなすれた口のきき方はしなかったし、肩で風を切って歩くようなイェームとは違う。言い聞かせるが、不安はどんどん胸を突き上げてくるばかりだ。
 そして、彼が何者であれ、あの呪いがかかっている以上、いつ司祭に殺されてもおかしくないと言うことも、同時に目の前につきつけられたことになる。
(…お前も死んじまうのか? …オレの目の前で、あいつと同じ顔で、あいつと同じ死に方で死んでしまうのか?)
 それだけはやめてほしかった。もう二度とあんな思いはしたくない。目の前で人が死ぬのも嫌なのに、同じ容貌の男が同じ死に方をするなどと思っただけで頭がおかしくなりそうだった。
「…お前、一体、誰なんだ?」
 ぽつり、とレックハルドは呟いた。
「一体、誰なんだよ…」
 イェームは深い眠りに落ちているらしく、答えることはない。代わりに、高い声が聞こえた。
『あなたはそれを知りたいのですか?』
 多重に絡まって聞こえる高い女性の声は何度か森の中に反響してもう一度聞こえる。
『あなたはそれを知りたいのですね?』
「誰だッ!」
 我に返ったレックハルドは、振り向きざまに短剣を抜いた。
「どこにいる!」
 イェームはこの調子で、今は守護輪もない。身を守る術は、自分が頑張るしかない以上、レックハルドが過敏になるのももっともだった。
「誰だ! どこにいる!」
『おそれることはありません。…私はあなたと話がしたいのです。』
 落ち着いた女の声だった。だが油断はならない。レックハルドは、森のあちらこちらに目を走らせるが、反応はない。
『おや、信じないようですね。無理もありません。ギルベイスがあなた達に接触した直後とあっては、私を彼らと同類とみても仕方がないことでしょう。』
「…あいつを知ってるのか? 一体あんた、何者だ?」
『……私を信じるならば、私のところに来るための道を開きましょう。身よりなきレックハルド」
「なぜ、オレの名前を知ってる?」
 相手に知らないはずの名前を呼ばれて、レックハルドは少し焦った。
『あなたがやってくることはわかっていました。…私は近衛から報告をうけていますから。』
「近衛…?」
 レックハルドは、あちらこちらに目を走らせるが、その正体はつかめない。気配すらない。あの時までいた近衛の狼人の気配も今は消えていた。このままではいけないと直感的に感じた。目の前の声は、何でもお見通しのようだった。そんな敵に勝てるはずもない。ひとまず友好的なのならば、あえて争ってはならなかった。
「……信じる、といえば、いいんだな。オレ達に危害を与えるつもりはないと?」
『ええ。私の話を聞いてくれればよいのです。それ以上のことは望みません。』
 レックハルドは、短剣を握ったまましばらく考えて、そして顔を上げた。
「わかった…。あんたを信じよう」
『ありがとう、草原の遺児よ。』
 女の声が聞こえた後、ふと、レックハルドは目を覆った。というのも、突然、目の前がまばゆい光に包まれたからである。
「な、なんだ!」
 その光があまりにも激しいので、レックハルドは両手で目をかばった。強い風が前の方から、彼の身体に吹き付けて、危うくとばされそうなほどである。レックハルドは両手で目をかばったまま、少し低い姿勢をとって、それに耐えていた。
 やがて、その光がしばらく続いた後、風が揺るまったような気がした。それに気づいたレックハルドはようやく恐る恐る目を開いて、背を伸ばした。光はもうおさまっていて、目の前には紫の木々がさらさら揺れているのが見えた。空は暗いままだ。そして、顔を上げて、思わずレックハルドは息をのんだ。
『よく来ました。身よりなきレックハルド。』
 女の声が空気を震わせて聞こえてきた。だが、レックハルドは、自分の名前が呼ばれていることなどどうでもよかった。
 目の前には巨大な木が一本そびえ立っていた。天を衝くような恐ろしい高さの木のてっぺんはここからでは確認することはできない。葉はすべて紫色に彩られ、森と同じように発光していたが、その葉の多さといったら、とてもとても数え立てることはできない。目の前にある幹は、何人の人で抱えられるかわからないほどで、レックハルドの予想を超えていた。
 その紫色の葉を持つ木の枝がわずかに揺れる。さらさらさら、と音が鳴り、真っ黒な空に、いくつか葉が舞った。続けて女の声がした。その女の声は、この空間全体から響いているようだったが、目の前の巨木が発していることは直感的にわかった。その声は、落ち着き払ったままこう告げた。 
『私は、古きムーシュエン・グランカラン…。あなたがグレートマザーと呼ぶ存在です。』





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©akihiko wataragi