辺境遊戯 第二部
グレートマザー−6
紫色の葉が、風のせいでざらざらと揺れる。暗い森の中、この紫の色がわずかに発光しているようで、不気味ながら見通しがよくなっていることも確かだ。
イェームの覆面は、先ほどの騒ぎの時にほとんどずれてしまっていた。頬に血を塗っているので、ある程度しか把握できないが、彼の容貌をレックハルドは大体わかっている。その顔は、それでもファルケンと同系統で、おそらく同じ顔といってもさしつかないだろう。ある程度予想していたことだが、今、レックハルドはそれをイェームに告げる余裕はなかった。
「後少しだ…。もう少しがんばれ…」
レックハルドは肩を貸しているイェームにそういって足を進める。その視線の先には、大きな木が一本たっていて、その周りは比較的高い草が少ない。レックハルドはどうにかこうにか、イェームをそこまでひきずりながら連れて行くと、彼を木の幹にもたせかけて、自分もばったりとそこによりかかった。
レックハルドは長身だが痩せているし、力もない。イェームとはかなりの体格差があるので、彼をひきずるのはなかなか辛いことだった。
大きくため息をついているレックハルドに、ふとイェームが話しかけてきた。
「…す、すまねえ……。こんなことになっちまって…」
「ま、まあしょうがねえよ」
レックハルドはふうとため息をついて、息を整えた。
「色々あったしさ」
「でも…大丈夫だったのか? あれは…。ギルベイスの攻撃、本当に受けなかったのか?」
イェームは心配そうに訊いた。
「ああ、守護輪っていったっけ。あいつがまもってくれたのかもしれないが」
レックハルドは少しだけ顔をゆがめて、そっともっていた布を広げて中のビーズを見た。はじけ飛んだときに、そのほとんどは粉々に砕けてしまって、形をとどめているのは一つ二つだけだった。今まで何度も自分を守ってくれたものだ。だが、これで、もうあの数珠つなぎにしてつくったファルケンの形見は、もう彼を守ってくれることはない。
「あいつらが、消えた時、木の上の方で何かがいた…みたいだ。だから、多分、あれは近衛達が…何かしたんじゃないかと…でも…」
イェームは少し苦しそうに咳き込んで続けた。
「でも、変だな…。…守護輪は、そんなに強い力を持っていないはずだ。…ギルベイスの魔力に太刀打ちできるほどのものを、ファルケンは作れるはずがなかったんだ。…あれには、その作った奴の魔力と熟練度が、すべてを決めるから…」
「…そう言われると、そうか…。でもさ、まあ。大丈夫だったんだから、この際よしとしようぜ。…で…」
レックハルドは、ビーズを懐になおしこんだ。
「お前、ちょっとは落ち着いたか?」
そっと水を差し出しながらそう聞く。
「さっきいきなり切れちまうから、びっくりしたぜ」
訊かれて、イェームはふうとため息をついた。
「すまん。…見苦しいところを見せてしまって…」
「気にするな。オレだって相当いらついてたんだ。お前が先に切れなきゃオレの方が切れてたかもな。お前にどういう事情があるかしらねえが、オレだって司祭を許せないからさ。でも、あんまり無茶するなよ」
レックハルドは自分も横で木の幹にもたれかかった。
「森に入ったときから、かなり辛かったんだろ…。ちょっと休んでろ」
「わ、悪い…」
イェームは、まだ深い息をしながら申し訳なさそうに言った。
「これから…って言うときに…、オレの方が足手まといになってしまって…」
「気にするなよ。…それより、お前、身体の方、大丈夫なのか? まさかとは思うが、なんかタチのわるい流行病にでも……」
「え、あ、ああ。その、まあ、似たようなものかな…」
レックハルドが心配そうに訊いたので、イェームは慌てて濁すように言った。
「しばらく、良くなってたから……すっかり忘れてたんだ…。今回は少し無理をしてみたいで……」
「だったら隠してねえで先に言えよ!」
レックハルドは、少ししかりつけるような口調で言った。
「まったく、お前らと来たら何でもかんでも都合が悪くなると隠しやがる。お前らにとっちゃ、世話かけるのが嫌で隠すんだろうけどよ、はっきりいってそれで倒れられたら、オレの方がダメージきついんだよ! いいか、これからは辛くなったらはっきり言えよ」
レックハルドは、そういって不機嫌そうな顔で頭上の紫色の葉を見る。何も言わないが、レックハルドがファルケンのことを少し思い出しているのは、何となくわかる。怪我をしていたファルケンを、それと気づかず、マリスと一緒に町中に連れて行ったことを、レックハルドはずっと後悔しているのだろう。
口数が多くて、悪態も多い癖に、レックハルドも、本当に辛いことをあまり口に出したりしない。
「…ごめんよ…」
ぼそりとイェームは小さな声で呟いた。
「ん? 今なんかいったか?」
「ああ、な、何でもないんだ。…それより…」
いいかけて、イェームはまた幾度か咳き込んだ。直接は触れなかったが、レックハルドは先ほどイェームが血を吐いたのを知っている。少しだけ焦って、レックハルドは慌てて彼の方に身を乗り出した。
「おい、大丈夫か…。もういいから、喋らずに寝ろ。…少しでも体力を回復しておかないと…」
「…いや、でも……先を…急がないと……」
イェームは顔を上げた。青い顔には汗が幾筋も流れている。レックハルドは首を振った。
「いいから、しばらく喋るな。無理するなよ。無理したら、死ぬぞ。急がなくていいんだ。だから、休んでろって」
イェームは少し顔を伏せる。
「いいんだよ…オレは…。どうせ…死んだって……」
「そんな捨て鉢みたいな事言うな! …てまあ、オレに言われてもあれだろうけどさ」
自分の言い方が投げやりなことはよくわかっているのか、レックハルドはそう付け加えた。続いて、言い聞かせるようにゆっくりと言った。
「いいか、オレとお前はこうなったら一蓮托生なんだ。…お前が死んだら、オレだって多分死ぬんだろうし。でも、まあ、お前は一人でも大丈夫そうだが…、オレがいなくなったらちょっと困るだろ。特に今の状態じゃ、一人でいるのなんて…。オレが言いたいことわかるか? そう考えたら、捨て鉢みたいなこといえねえだろ? な、お互いのために、無理はしないでおこうぜ」
イェームの大きい目がレックハルドの方に向けられた。それをなんと取ったのか、レックハルドは少しだけばつが悪そうな顔をした。
「ああ、取引みたいで冷てえと思うかもしれねえが…、そう考えた方がお互い楽だろ? 誤解されねえように言っておくが、別にお前を利用しようって訳じゃ…」
「わ、わかってるよ。……あんたならそう言うだろうってことは……。それで間違ってねえってことも」
イェームはため息をついた。
「いいんだ。…あんたの言葉を聞いていると、オレはなんだか安心するよ。あんたみたいに考えられたら、楽だな…。でも、…オレなんて、でも、本当はとんだ屑野郎なんだぜ…。役にも立たねえし…」。
「ははは、そんな事言ったら、オレも十分屑だからな。屑は屑同士、価値があるもないもねえよ。役立たずもお互い様さ」
レックハルドは、少しだけ薄く微笑んだ。それは、ほとんどかすかだったが、しかし、彼が滅多に見せない優しい笑みであった。
「それにな、まあ、オレの旅は、急ぐに越したことはねえけど、でも、時間が制限されてる訳じゃない。あいつなら、待ってくれるさ」
そして、レックハルドはぽつりといった。
「あいつは、シルユェーラだ」
一瞬イェームがはっと彼の方を見た。なぜ、レックハルドが「親友」を意味する辺境古代語を知っていたのかがわからなかった。
「たぶん、地獄に堕ちてやさぐれてても、あいつはあいつのままだよ。…そんな一日二日遅れたって、怒るような奴じゃない」
「……そ、それは……」
イェームは、少し視線を泳がせた。
「…あんたは、ファルケンが…たとえば、…とんでもないタチの悪い奴になっていても、そのままだっていうのか?」
「え? まあ、最初は戸惑うかもしれねえけど。……ま、実際、あいつタチ悪かったからな」
レックハルドは、あのひたすら人を食った言動を繰り返していた狼人を思い出した。思い出すと殴りたい衝動に駆られるほどだ。一体、どれだけレックハルドをたばかって遊んでいたのかと思うと、今あったらとりあえず殴り飛ばしたいぐらいである。
「うーん、でも、まあ、タチは悪かったが、なんか器用に雰囲気だけは同じなんだよな。結局、どうなっててもあいつはあいつだよ。…許せねえぐらい悪い奴になってたら、殴るぐらいはするだろうけど」
レックハルドは、鏡の泉の向こうであったファルケンのことをいっているのだが、それはイェームにはわからない。レックハルドは、思わず苦笑した。
「それにだぜ。…オレはオレで、たぶんこのまま生きてくと、どんどんタチが悪い奴になるんだろうし、あいつがタチが悪くなったからって責められねえやな。それに、一般的にみて、どう考えてもオレの方が悪党だろうぜ。だったら、オレにあいつを責める資格があると思うか?」
「そっ、それは…」
レックハルドの言葉を遮るようにして、イェームは口を挟んだ。
「それは……あんたが本気で思っていることなのか……?」
「あ? ああ。普通に考えてもそうだろ?」
そう答えながら、イェームを見た。
「そうか…。……そう、だよな……。あんたはそういう…奴だよな……」
ぽつりと呟いて、イェームは再び深いため息をついた。そして、ようやくあきらめたのか木の幹に身体をもたせかけて、目を閉じる。
「わかったよ、…じゃあ、…しばらく眠らせてくれ……。それから、また出発しよう。…すまねえが…それまでは……」
「ああ。休め休め。気にかける必要なんてねえんだよ」
レックハルドは、毛布を彼に渡してやった。
「…オレも疲れてるんだよ。お前はどうも、気にしすぎなんだ。そんな遠慮なんかやめてくれよ」
「…ああ。…わかった…そう…するよ……」
そういうと、イェームは無言に落ち、すうっと眠りに入っていった。