辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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辺境遊戯 第二部 

グレートマザー−4

ハラールは、ぼんやりとそこに座って、何かを作っているようだった。手探りでビーズを通しているので、おそらく守護輪でも作っているのだろう。やや白金に近い髪の毛を長く伸ばし、細やかな模様が頬にある。額には、銀でできた額冠がはめられ、腰には剣もある。ゆったりとした服装をした彼は、狼人としては小柄な方に入る。頬のメルヤーさえなければ、人間と間違えられてもおかしくない。
 顔は繊細な顔立ちの多い狼人の中でも細やかなつくりで、美青年といったところだが、大口をあけてあくびするあたりは、さすがに狼人だといえそうだった。
「シーティアンマ」
 不意に呼ばれて、銀輪冠のハラール…、ハラール=ロン=イリーカスは、声のする方に顔を向けた。
 そちらには、ハラールよりもさらに小柄で、少し活発そうな青年が立っている。頬に模様があることから、彼も狼人だとわかる。少し大きめの目に、どちらかというと威勢の良さそうな顔立ちは、ハラールには見えないが、何となく不安そうだった。
「いいんですか? 時間…」
「え。時間って?」
 ハラールは、できた分の守護輪を袋になおして、あまりのビーズも別の袋にしまった。青年はあきれ果てた顔をして、はあ、と深いため息をついた。
「今日は、監視人のところにいくのではなかったですか? 時間がそろそろまずいでしょう」
「え、ああ。そうだね、今すぐ行くよ」
 ふんわりとほほえみ、彼の言うところの「 お師匠様 ( シーティアンマ ) 」は、ゆっくりと身を起こした。光を失った彼の目であるが、その分、ハラールは、感覚に優れている。
「そういえば、そろそろ、一度様子を見てきた方がよかったね。あまり動きがないものだから、すっかり忘れていたよ」
「シーティアンマはのんきですね。あいつが使い物にならない今、『シールコルスチェーン』はあなたなんですよ」
 狼人にしては背の低い青年が呆れたように言ったが、肝心のハラールはのんびりとしたままで笑顔を崩さない。
「でも、ビュルガー…本当はあの子のほうが強いんだよ。私より。だから、私としてはあの子に期待したいんだ。もう年だし…」
「そういうことを軽々しく言わないでください」
 ビュルガーという青年は横目で 師匠 ( シーティアンマ ) を見上げた。謙虚というよりは、何も考えていない表情だ。ため息をつきながら、彼はハラールに言った。
「しかし、いいんですか? あいつほっといて…。あいつ、ほっといたら、絶対突撃かけて自滅するタイプですよ」
「そうかなあ?」
「そうですよ!」
 力説するビュルガーの方を向きながら、ハラールは光を映さない瞳をわずかに開けた。
「確かにあの子にとっては試練かもしれない」
 彼は、少しだけ苦い笑いを浮かべた。
「でも、…あの子を助けてやることは、私にはできないんだよ。ビュルガー。あの子は、黒い闇の中にいる。私が無理にあの子を助けようとすれば、あの子ごと切り捨てることになるだろう。黒い闇に取り憑かれたものならいいんだが、あの子は、半分自分で承知して身を委ねているんだ。心に闇が取り憑いているのではなく、彼自身が闇になっているんだよ。…だから、その闇を切り離すことは、あの子の心を殺すことにもなる。それも失敗すれば、命を奪うことにもなりかねないのだよ」
 ハラールはすいっとビュルガーの横を通り過ぎた。
「あの子が自分からそれを抜け出さなければならないのだよ。そうすれば、あの子は私の後をついで立派につとめてくれるだろう」
 ハラールは目を閉じながらふと微笑んだ。
「もっとも、「 森の守護者 ( シールコルスチェーン ) 」より、もしかしたら「 狩人 ( シェアーゼン ) 」の方がむいているのかもしれないけどね」
と、ふとハラールはビュルガーの方に向き直りながら、首を傾げた。
「それにしても、ビュルガー。君はいつから、あの子と仲良くなったんだい? 無愛想だとか、無口だとか、目が恐いとか、おもしろみがないとか、さんざん言っていたから、私は弟子仲が悪いのかと心配していたのだがそれなら心配いらないね」
 慌ててビュルガーは首を振った。
「お、オレは違いますよ! あんな無愛想な奴の事なんか心配してたりしません! あいつなんか嫌いですよ!」
「あれ? そうだったのかい? それは困ったなあ」
 しかし、ハラールは本心を見抜いているらしく、にっこりと笑い、首を傾げるふりをする。
「それでは、サライのところに行こうかな。ついでに挨拶しておきたい相手もいるし」
「そうですか。それでは参りましょう」
 ビュルガーは、ため息をつきながら、どこまでが本気なのかわからない 師匠 ( シーティアンマ ) につきしたがって、歩き始めた。


目の前をウサギが一匹飛び跳ねていった。こんな紫の森でも、動物はたくましく生き延びている。命の気配がないこの森にも、そんな動物がいたことに、イェームはどこかで感心していた。
「オレは…何やってるんだ?」
 イェームは軽く額をおさえた。レックハルドは、もっと安全な場所を探して森の奥へいってしまったので、彼は木の幹にもたれかかったまま、一人で漠然と考え事にふけっていた。
 休んでいると体調はずいぶんよくなってきた。元々、これは、「奴」の魔力の影響の問題なので、もしかしたら、今は「奴」と離れた場所にいるからかもしれない。
「…なんで、こんな事してるんだ。…マザーのところへいっても仕方がないってのは、わかってるのに…」
 イェームは背中に背負っていた大きな曲刀をいだくようにしながら、それにもたれかかっていた。その柄の延長線上の地面をぼんやりと見る。その先には、紫色の小さな花が揺れていた。スミレの種類のようだが、葉の色まで紫なので、一体なんの植物かよくわからなくなっている。
 イェームは少しだけ覆面をゆるめて、深く息を吸い込んだ。森の奥だけあって、空気自体は清浄だ。問題はこの色彩だけである。
「オレはどうする気で、どうしてあいつを助けようとしたんだ。……オレが目的を果たせば、全ては無意味なことになる…。…なのに、オレはどうして砂漠でレックハルドを助けたんだ」
 あの時、レックハルドが砂漠に向かったときいたとき、本当は、そのまま説得して帰すつもりだった。だが、結局は、自分の方が説得されたようなものだ。どこかでそうなるだろうことはわかっていたのに、イェームは倒れているレックハルドを助けてしまったし、落ち込んでいる彼にきつく言葉をかけられなかった。
 どうせ無意味なら、最初から助けなければよかったのに……?
 そう自分に訊いてみて、イェームは慌てて首を振った。
 いいや、あの時はそんなことはどうでもよかった。ただ、何もしない間に人が死ぬのが恐かったにすぎない。特に、レックハルドが目の前で死ぬのは、我慢ならなかった。それだけのことだ。無意味だとか、そういうことは、あまりたいした問題でもなかったのだ。
 あの時は、感情で動いていた。合理性など何も気にしなかった。
「…オレ、本当は、…どうしたいんだろうなあ?」
 イェームは思わずぽつりと呟いた。
「なんか、最初から道を間違えちまった気がする……」
 ため息混じりに呟いたとき、ふと彼は何か気配を感じて、横にあった剣をつかんだ。 
「だ、誰だ!」
 イェームは反射的に、左手で鞘をにぎりしめながら、片膝をたてる。
「… 近衛 ( チィーレ ) …じゃないな? お前は……」
 と、イェームは気配を読み、正体を探ろうとした。気配は、複数だ。先ほどの上から見ているだけの 近衛 ( チィーレ ) 達とは違い、こちらには、敵意のようなものが感じられる。
「お前は……」
 イェームは身を低くして、刀を横に薙いだ。ガキンと音がして、隣の木にとがった針のようなものが刺さってはらりと崩れる。
 そこからさっと横の、比較的開けた場所に移動し、イェームは肩で息をしながら、相手を見た。
 後ろには、おそらくこの森ではなく、司祭 ( スーシャー ) 直属の親衛隊である選び抜かれた 近衛 ( チィーレ ) 階級の狼人が五人ほど控えている。その前に、立っているのは、黒い髪の美貌の青年で、その整った顔の冷たい瞳がこちらをあざ笑うように見ている。
「一番目…ギルベイス……」
 イェームは、わき上がる感情を抑えながら呟いた。
「久しぶりだな。あの時立ち聞きしていただろう? それ以来か…?」
 相変わらず、ギルベイスは普段は、他の司祭 ( スーシャー ) のように魔力を駆使してしゃべろうとしない。たいてい、自分の肉声をつかって話すのだった。
 それが何を意味しているのか、イェームには未だにわからない。ただ、ギルベイスを前にして、冷静にならなければならないという気持ちとは裏腹に、怒りと憎悪が交互にふきあがってきて、平静でいられなくなる。
「ギルベイス!」
 イェームは思わず叫んだ。
「ギルベイス! …な、何しにきやがった……!」
 刀を抜きはなち、イェームはそれを後ろに引きつけたまま相手を睨んだ。
「ふ、古き聖地にまで巡回とは…と、とんだ暇人だな……」
反射的に、まずいとは思った。怒りと憎悪だけが、わき上がってきたならいい。だが、ギルベイスがいることで、彼の身体も変調をきたしていた。息苦しくなり、頭が痛くなる。イェームは左手で胸を軽く押さえた。
 この状態で戦っても、ギルベイス相手に勝てるかどうかわからない。万全の状態でもぎりぎり互角程度と踏んでいたが、まさかここまで「あれ」の影響が残っているなどと、想定外だった。せめてアヴィトのような下級司祭 ( スーシャー ) が相手なら、どうにかなったが、一番目のギルベイス直々に来るとは思わなかった。
「我々は、母なる木を守るために、そして、その聖域を守るために控えているものだ。妖魔も、それに準ずる人間も近づかせるわけには行かないのだ」
「そ、そうか…」
 ぐっとイェームは奥歯をかみしめた。口を覆っている覆面に、かすかに血がにじむ。
「…あんたは相変わらず人間嫌いなんだな…」
「お前の連れている人間は特別だ。あの男は、もとより妖魔に取り憑かれやすい思考の持ち主だ。それを聖域に潜り込ませるわけにはいかん」
 ギルベイスはそういって微笑むと、一歩足を進めた。
「もちろん、お前の存在自体が、聖域に悪影響を与えかねない。だから、古い聖地で片づけるのが、我々の役目でもある。…だが、貴様はもとより狼人だ」
 ぐっと圧力が強くなる。視界がわずかに揺らいだ。その揺らぐ視界の中で、ギルベイスはうっすらと笑っていた。 
「元通り帰属して、我々の命令に従うならば命は助けてやろう。お前に自由などないが、それでも……」
 と、ギルベイスは冷酷に微笑んだ。
「…もう二度と、あんな地獄よりも辛い思いはしたくないだろう?」





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このページにしおりを挟む 背景:自然いっぱいの素材集様からお借りしました。
©akihiko wataragi