辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2004
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辺境遊戯 第二部 

鏡の向こうのファルケン-12


 ふと目を覚ますと、木陰にいた。、木の陰は比較的昼でも涼しい。どうやら街のはずれにいるらしい事は、何となくわかった。
「よぉう! 目が覚めたかっ?」
 やたらと明るい声が飛び込んできて、レックハルドはいきなり現実に引き戻された。入り口を見ると、上機嫌らしい様子でファルケンが立っている。
「おい、オレは…」
「ああ、あんた? やっぱり無理はいけないぜ? 疲れてたんじゃないのか? 瓦礫にもたれかかって寝てたぜ。その間にオレが奴らをのしてきたんだが」
「寝てた?」
 起きあがり、レックハルドは首を傾げた。いや、そんなはずはない。確か、レックハルドはファルケンの姿をしたものに、後ろからしめあげられたのを覚えている。だが、あれが幻ではないと証明することも難しい。疲れて夢でも見ていたのだと言われれば、違うとはいえなかった。
「ほらっ、あんたが寝てる間に直しといたんだ!」
 そういって、ファルケンはレックハルドの前に魔幻灯を出してきた。割れたガラスも、曲がって、くすんでいたかさも、きれいに直されて磨かれていた。一瞬、同じものだとは思えない。おそらく、本来の姿にもっとも近い姿に戻っていたに違いない。
 レックハルドは思わず感心した。
「うまいもんだな…。ここまで修復できるとは思わなかったぜ。まさかお前がやったのか?」
「まぁなあ。肝心なところはそのままでいけたからさ」
 そういいながらも、ファルケンはやや得意そうである。
「それだけ綺麗にしてれば使いやすいだろ。サイズがでかいのはどうしようもないけど、一応軽くしといたし」
「ああ、そうだな、これなら使いやすいか」
 受け取ってレックハルドはそれを眺めた。前のように、それを見てもあの光景がよみがえることはなかった。
「あんたの連れが見つかったみたいだぜ」
 ファルケンは不意に言った。
「何?」
 顔を上げたレックハルドに、ファルケンは笑っていった。
「狼人なんだろ。このごたごたの間に、そういう奴を見つけてきたみたいでさ。反対側の外れに待たせてあるから、一緒に行こうぜ」
「そ、そうか」
 応えながら、レックハルドは少しだけ複雑な気分になっていた。イェームが見つかったと言うことは、ここにいるファルケンは所詮他人の空似か何かだったということだ。そう思うと、何となく寂しく思う。
 ファルケンは彼をそのまま街の大通りを通らせて、外れに案内するつもりだったようだ。今まで何も食べていないだろうと言って、彼はレックハルドを食堂に連れていくと、何かよさそうな料理を頼んで、自分は途中で出ていった。彼が戻ってきたのは、レックハルドがそろそろ料理を食べ終えたころである。
「何してたんだ? そんな荷物抱えて」
 食堂を出ながら、レックハルドは荷物を抱えたファルケンに訊いた。
「いや、ほら、これ。…あんたの靴ぼろぼろだし。これでも持っていったらと思って!」
 ファルケンは丈夫そうな靴をレックハルドに押し付けた。彼が悪いなと言う前に、懐にいれておいた袋を取り出した。その中身が金なのは外見からでもわかる。それを無理やりレックハルドの手に握らせて彼は言った。
「あと、これは路銀だ。とっておけよ」
「い、いいのか?」
「ああ。あと、これは食料と水。ついでに毛布もつけといた。さっきの間にそれ買ってたんだ」
「な、なんだよ、異様にサービスがいいじゃねえかよ」
 レックハルドは奇妙な顔をした。
「さっきから、やけに豪華な飯をおごるし…」
「だって、連れがいるなら、あんたともこれでお別れだしな。餞別ってのは派手にしなきゃ」
 ファルケンはそう言ったが、何となく疑わしかった。餞別というよりも、まるで旅の用意をさせているようだった。それに、イェームを待たせているといいながら、急いでいる様子がない。
 街を歩いていると、何となく空気が変わったことに気づいた。周りの視線である。ファルケンに向けられた、あの刺すような冷たい目が、いつの間にかほとんど感じられなくなっているのだった。
 ふと、一人の若い母親らしい美人が子供を連れながら、頭を下げる。レックハルドにも何となく見覚えのある子供は、おそらくあの時、ファルケンのキャラバンの連中の子供と一緒に助けた子供だろう。
「ファルケン様、うちの子を助けて下さってありがとうございます!」
「いや、別にそれほどのことじゃないよ」
 後頭部をかきやりながら、ファルケンもまんざらでもない様子だ。挙げ句の果てには、別の若い娘に花束など貰って喜んでいる。そんなことをしながら街の大通りを抜けると、少し人だかりも減っていった。
 レックハルドは、背後を振り返りながら皮肉っぽく吐き捨てた。
「いい気なもんだ。一転、英雄扱いかよ」
「事件が終わって用無しだって放り出されるよりいいよ。それに、次からは酒の一杯でも恵んでくれるかもしれない。というより、この雰囲気なら確定だな」
 ファルケンは、この街に入ってきた時の、あの扱いをもう忘れたのか、そんなことを言ってへらへらしている。
「女の子にちやほやされたからって、お前おめでたい奴だな」
「別にそういうんじゃないよ。ただ、酒がただ酒なら誰にも怒られずに飲めるからさ」
 何となく脳天気な答えにレックハルドは呆れはてた。 
「お前、いつもそういうことばっかり考えて生きてるのか?」
「そりゃー、酒がうまいとか、飯がうまいとか、博打で勝ったときのあのたまらないうひょひょな…いや、その喜びってのは、何事にも変えがたーい幸せだろ。オレはああいう瞬間の為に生きてるわけだ」
「はーっ、幸せな奴だな。信じられないぜ、ホント」
 前を進んでいたファルケンは、振り返りながら訊いた。
「そう思うか?」
「ああ、思うね」
 いつの間にやら、街の外れに来ていた。人気もなく、建物もない。あるのは木がいくつかだけで、イェームがとてもいそうな場所でもなかった。
 ファルケンは、ふと微笑んでこういった。
「じゃあ、安心してくれよ。…あんたが思ってるほど、オレは辛い目にはあってないんだからさ」
「なに?」
 レックハルドは、驚いた様子でファルケンを見上げた。彼が知らない筈のファルケンは、何となく懐かしそうにレックハルドを見ていた。不穏さを感じたレックハルドは、思わず話を逸らそうとイェームを探すように周りを見回した。
「オレの連れは…」
「安心しろって。すぐに会えるよ。でも、ちょっとオレの話聞いてくれるか?」
「話?」
「ああ、オレが最後になんていったか覚えてるか?」
「な、何の事だ?」
 少しだけ真剣な顔になったファルケンに、レックハルドは少しだけ恐怖を覚える。それが、夢に出てきた彼に少し似ているような気がしたからかもしれない。
「大したことじゃないよ、『レック』。ただ、気楽に話してくれればいいんだ」
 突然、愛称で呼ばれて、レックハルドは絶句した。続けてファルケンははっきりと言った。
「オレが死んだときに、ってことだよ」
 レックハルドは、その言葉にぎくりと肩を震わせたが、ファルケンの目には、恐れていた憎悪も怒りも感じられなかった。ただ、レックハルドは動転していた。砂漠で見続けた悪夢がよみがえり、顔から血の気が引く。だが、足をそっと後退させたのが精一杯で、レックハルドはそこから逃げ出すこともできなかった。
「や、やっぱり、お前は…!」
「勘違いしないでくれよ。オレはあんたを責めるわけじゃないんだ」
 ファルケンは蒼白のレックハルドに笑いかけた。
「ただ、ちょっとな、気になったから、はっきり言っておこうと思ったんだ。なあ、そんな顔しないでくれよ」
 ファルケンの言葉には何かいたわりのようなものが感じられた。そっと近づきながら、彼は親しげに続ける。
「あの時、オレは一言言い忘れた事があるんだよ。…いや、言えなかったのかな。自分じゃ言ったつもりだったのに、あんたに伝わってないなら、全然駄目だよなあ」
 ははは、と苦笑いして、ファルケンはレックハルドの肩に手を置いた。それは思いの外、優しかった。夢のように血だらけでも、絶望してもいない、優しい碧の瞳は、彼が一緒に旅をしていた、若い狼人のものだった。
「あんた、オレをホントに見殺しにしたのかい? あんたは本当はオレを助けようとしてくれたんじゃなかったのか? なあ、レック…?」
 ファルケンは優しい笑みを浮かべた。
「あの時、あんたはオレに水を飲ませてくれたよな。…あんたはあの時必死だった。そうやってオレをどうにか生かそうとしてたんだろ。違うのかい?」
 レックハルドは、何も答えず、ファルケンを見上げるばかりだった。
「オレは結果的には死んじまったし、あんたが飛び込んできたせいで、確かにオレの死に方は変わったんだろう。あの時はひどかった。体の中から切り刻まれながら、焼き尽くされているみたいだったんだ。ひどく苦しくて、オレは早く助けて欲しかったよ。おかげで、今でもあのときのことはあまり思い出せないんだ。理性なんかとうに飛んじまってた。…情けなくも、最期にはあんたまで疑ったりしてな、オレが苦しんでるのみて楽しんでるんじゃないかって」
 レックハルドは、弾かれたように言葉を吐き出した。今まで抱えてきた恐れが、そういわれて確信を得たような気がしていた。
「じゃ、じゃあ、やっぱりそうなんだろ! あの時、オレは…恐くて何もできなかったんだ…。オレが、何もしなかったから、お前は…!」
「そうじゃない」
 ファルケンはやんわりと否定した。
「手を下してたら、オレもレックも救われたってのか? 違うよな、どちらにしろ、あんたは苦しんでたし、オレだって果たして安らかな気分になれたかどうかわからない。それにな、普段、あんなに冷淡なあんたが必死になってくれただけで、オレはそれでよかったんだ…。だから、あれはあれでよかったんだよ」
 レックハルドは、何も答えずただ黙ってそれを聞いていた。
「あの時、あんたも死にそうな顔してたよな。そんなの見て、恨んだり呪ったり出来るわけないだろ。オレを見損なわないでくれよ」
 最後はやたらと冗談めかして、少しだけ軽い口調になっていた。
「オ、オレを許してくれるって言うのか?」
 レックハルドは、震える声で訊いた。ファルケンはほほえんでうなずく。
「金だって持ってていいんだよ、マリスさんと幸せに話をしてていいんだ。商売だってして、いい思いすればいいんだ。辛いなら忘れちまってもいい。全部、あんたの自由にして、全部忘れて幸せになってくれればそれでいいんだよ。それに、許す許さないなんて、どうしてオレが言えるんだよ。レックは何も悪くないのにさ」
 レックハルドは少しだけうつむいた。前髪で顔が隠れて、表情はわからなかった。ただ、少しだけ震えた声が、弱々しげに聞こえてきた。
「すまん…。…やっぱりお前はそういう奴なんだよな?」
 レックハルドは顔を上げると、目をファルケンに向けた。縁に緑がかかった茶色の瞳が、どことなく潤んでいるような気がした。
「わかってた筈なのに、オレはいろいろと疑ったりして…」
 言いかけたレックハルドの言葉を遮るように、ファルケンは首を振った。
「謝るのも謝られるのも嫌いだといったのは、レックだっただろ? 過ぎたことはもういいよ」
 ファルケンは、慰めるようにそういい、少し声を高めて明るくこう告げた。 
「将来、あんたが「ここ」に来たら、また一緒に旅をしよう。昨日みたいに馬鹿騒ぎして、前みたいにさ。あんたは、自信過剰で傍若無人で、おまけに守銭奴の気があって…まぁ言ってみれば、ちょっとした悪党だよな。でも、他のどんな善良な連中と旅をしていた時よりも、ずっと楽しかったよ。あんたはオレのシルユェーラだ。また、前みたいに騒ぎながら楽しくやろう」
「また一緒に? いいのか? オレみたいな奴でも?」
「なに言ってるんだよ?」
 ファルケンは愚問だとでも言いたげに、力強く言った。
「当たり前だろ。約束だってしたじゃないか! 約束を破って許して貰わなければならないのは、むしろ、オレの方だったんだぜ?」
 死んだはずのファルケンからきかされた言葉が、あまりにも寛大すぎて、レックハルドは何となく信じられないような気分になる。砂漠で責められてきた言葉をすべて忘れさせるぐらいの力をそれは持っていた。自分の見た、都合のいい夢なのかもしれないと、思ってしまうほど、それは彼の欲した以上の許しの言葉だった。
 不意にレックハルドは、彼の胸にぶら下がっている首飾りを見た。なぜ気づかなかったのか。ビーズでつくりこまれたその彼にしては、かなり派手な首飾り。その先についている、細工された小さなメダルのようなものは、一枚の金貨だった。その表面には狼が刻み込まれている。
 あのときなくして、今はイェームが持っているはずの金貨だ。だが、それを持っていると言うことは、間違いなく――
「さあ、あんたの連れに会わせてやるよ!」
 にっと突然、ファルケンはしてやったりと悪戯小僧のような笑みを浮かべた。
「あと一つ、特別サービスでヒントをやるよ。一度しか言わないからよく聞いてくれ」
 ファルケンは、にやりとするとそっとこうささやいた。
「妖魔は人の弱い心につけ込む。特に、『サライ』には気をつけろ」
「サ、サライ?」
「森は人を惑わす。判断に迷っても、何の誘惑にのっちゃいけないぜ。あんたは、いつものあんたらしく選んでいけばいいんだ」
 ふと足下が崩れたような気がした。みると、周りの空間が歪んでいる。足の下に地面はなく、ただ黒い空間がぽっかりと口を開けていた。
「おい、お前っ、何を!」
 慌てたレックハルドに、何となくばつの悪そうな苦笑いをむけて、ファルケンは明るく言った。その指が、何度がレックハルドが見たことのない印を切っている。
「すまねえな、レック! オレは魔法が苦手なんで、乱暴なまねしかできないんだ。失敗しても恨まないでくれよ!」
「失敗って…!」
 一瞬さっとレックハルドが青くなったとき、ファルケンはふと笑った。その笑みは、寂しそうではなく、自信にもあふれていたが、その優しい笑みは彼の知っているファルケンのものだった。
 直後、レックハルドの周りの空気が歪んだ。周りの色が溶けて混じって、何がなんだか判別がつかない。その中で、ファルケンの声だけが聞こえてきた。
「あばよ! 運が良ければまた会えるさ!」
「ま、待て! オレはもっとお前に話が!」
 積もる話はまだありすぎた。それに聞きたいことも。「ここ」がどこなのか。どうして金貨を持っていたのか。なぜ、彼が知っていた頃のファルケンよりも、ずっとずっと強いのか…。
「待ってくれよ!」
「大丈夫だ! 話はいつでもできるさ!」
 視界が闇に落ちる。レックハルドにファルケンの声がどこか遠くから聞こえてきた。
「オレは、レックの近くにいるんだから!」
 まるで竜巻にでも巻き込まれたような衝撃だった。ねじられた空間に、自分ごとさらわれたようにひどい衝撃がレックハルドを襲った。
 ――覚えておいてくれ…
 ファルケンの声が聞こえてきた。
 ――何があっても、オレはあんたの味方だ。
 目を閉じた時、急に体の浮遊感が変わる。斜めに引っ張られるような気がしたが、そのまま、レックハルドは気を失った。 
 

 歪んでいた空間が、ようやく元に戻った。
「ふーっ、成功したみたいだな…。これで、失敗してたら後が恐いもんな」
 そういって、ファルケンは汗を拭った。先ほどまでいた人物が消え去った砂を眺めながら、彼は感慨深げにため息をついた。
 と、いきなり何かが彼の後頭部を直撃した。
「あいって!」
 誰だと後ろを見ると、後ろにしろいターバンを巻いた男が立っている。近くに扇子のようなものが落ちているところを見ると、彼が投げたものらしい。
「痛いな、何するんだよ?」
「自分の心に聞いてみろ。で。ほら」
 手をひらりと広げる。
「なんだ?」
「忘れたとは言わせねえぞ、銀貨十枚!」
「…覚えてたのか?」
「当たり前だ」
 憮然としていう男に、ファルケンは頼み込むような口調で言った。
「なあ、なかったことに」
「オレは事、金に関しちゃ、私情は挟まない主義でな」
「ちぇーっ。そういうとこ、ホント容赦ないよな。止め刺しとけばよかった…」
 ファルケンは、詰まらなさそうにいうと財布に入れてあった銀貨を男の手においた。それを数えてから満足そうにしまう男をみやりながら彼はいった。
「あれ? 服装変わってるな」
「ただ、砂で黄色くなってたから変えたんだ」
「その格好だと、まぎらわしいだろうけどさ。でも、あんたの根回しはすごいな」
 ファルケンは、感心したようにいった。
「街入ってきたら大歓迎されたからびっくりしたぜ」
「根回しだけでそうなるか。ちょっと事実を喧伝してやっただけだ」
「けんでん?」
「そもそも、この街が狼人を嫌うのは、ビフェンダルってやつが狼人のふりをして、街を襲ってたからだ。誤解さえ解ければ根は深くなかったからな。そこで、ちょっと…」
「まさか、オレが盗賊退治して回ってるとでも吹き込んだのか?」
 やや呆れ気味にファルケンは訊いた。
「悪いか? 大体、お前、行く先々で盗賊退治してるじゃねえかよ」
「そりゃそうだけど…。オレは前方に盗賊がいるから、いつも仕方なくやってるだけなんだぜ。そんな正義の味方みたいな言われ方すると…」
 何となく後ろめたそうなファルケンだが、男は平気そうだった。
「別にいいだろ。オレたちは、今までいい事してもろくろく人から褒められたこともないんだ。色々やってきたんだから、たまには享受に預かっても誰もとがめ立てやしねえよ」
「そういうもんかなあ」
 まだ納得しかねるように顎髭を撫でているファルケンに、男は不意に訊いた。
「わざとだろ」
「何が?」
「さっきのお前の言い方だよ。まるでここが「あの世」みたいな言い方だったな」
「な、何だよ、立ち聞きしてたのか? 一言言ってくれればいいのに」
 ファルケンは少し罰が悪そうな顔をした。
「でも、オレは一言も「ここ」があの世だなんて言ってないぜ。嘘もついてないし」
「そう聞こえるって言ったんだよ。あの状況で信じるなっつー方が無理だろうが!」
 男は肩をすくめた。
「ひでえ野郎だ、お前は」
 にらまれて、さすがに居心地が悪くなったファルケンは、視線を上にあげて、指をくっつけたりはなしたりする。
「嘘をつかなきゃいいってもんじゃねえだろが。…どうして、ここはお前からすれば未来だって教えてやらなかったんだよ。マザーの正体でも知ってればわかるんだろうが、鏡の泉では空間や時間が歪んでいる。だから妖魔がすみつきやすい。…特に悩みを抱えた者がのぞき込めば、その空間に引きずり込まれたり、妖魔にとりつかれたりする。…そうだったな?」
「知ってたのか? …そうだよ、妖魔に取り憑かれて、空間と時間のはざまで殺されそうになってたのを感知して、オレがこの時間にあいつを引きずり込んだんだ」
 そういってから、ファルケンは少しだけため息をついた。
「でも、そういこといっても、あんた信じないだろ。それにさ、未来って言うのは不確定なんだ。あいつが、「この」結末にいきつくとは限らないんだぜ。だったら、ぬか喜びさせるのも悪いし。もし、あんたが出てきてくれて話をしてくれたら、ちゃんと本当のことを言ったと思うけど、そうじゃなきゃ信じないし」
「それで、死んだ奴からの伝言てな振りをか? あの茶番は傑作だったぜ」
 男は皮肉っぽく笑った。さすがにファルケンはムッとする。
「嘘を言った訳じゃない! オレだってそう思っていたから、伝えただけで!」
 ファルケンは不満そうに言ったが、ふと思い出したらしく男の態度を伺うようにしながらそっと尋ねる。
「…もしかして、あんたも砂漠で気が狂いそうになるまで悪い夢ばかりみてたことがあるのかい?」
「さぁ、どうだったかな。そんな昔のことは忘れたぜ」
 男はふっと鼻先で笑った。 
「それより、オレはお前に訊きたいことが山ほどあるんだが…帳簿、見てるか?」
「え、あ、な、な、何が?」
 あからさまに態度がおかしくなったファルケンのコートをひっつかみ、男は懐から帳簿を取り出した。
「この帳簿見たんだが、雑費が異様に多いよな? なんだ、この雑費って?」
「あ、それは人が増えたからじゃないかと思うけど」
「ふーん、じゃあこの雑費のは、何の事か説明してみろよ? 何の博打代と何の飲み代だ? この半端じゃねえ出費は、お前が承知の上よなァ?」
 横目でじーっとりと見られ、ファルケンは少なからず慌てる。
「う、いや、それはその…チッ、あいつ…帳簿にだけはつけるなって言って…」
「やっぱり、てめえかっ!」
 がっと胸倉をつかまれて、ひっと彼は顔を引きつらせた。男はにんまりと異様なやわらかさで笑いながら、笑っていない目で彼を睨んでいた。これはちょっとまずいらしい。顔が本気だ。
「で、いくら負けたんだ? 正直に話してみろ」
「ほんのちょっとだけ…」
「正確に1の桁まで言ってみろ」
「言うほど大したもんじゃないから」
「じゃあ、いえるよな。一の桁までいえるよなあ、ファルケン君。オレはお前が飲み代のために商売用の財布の中から札抜くの見たことあるんだぞ!」
「あ、あれは出来心で…!」
 ばっと帳簿を投げられ、ファルケンは首をすくめた。男は、とうとう感情を爆発させた。
「それに、なんだ! あの盗賊みたいな連中は! 浪費の上に浪費を重ねやがって! オレが雇えって言ったのは、良質な部下だぞ! 良質な! どうせ盗賊退治してきたついでにそこにいる奴拾ってきたんだろ!」
「行き先がなくて路頭に迷っていたから…面倒見てあげようとおもって…ダメだった?」
 苦笑いしながら、ぼそぼそと応える。
「オレは慈善事業に興味がねえっって何度言えば…! 犬猫みたいになんでもかんでも拾ってくるんじゃねえ!」
「でも悪い奴らじゃないし、案外かわいいし。面倒見てあげると、なんかいいことがあるかも」
「そういう問題じゃねえ! よしわかった! 損した金を取り戻すまで…当分、お前には酒は飲まさん! 一ヶ月は禁酒だな!」
「そんな!」
 ファルケンは絶望的な声をあげた。
「ちょうどアルコールが抜けていいだろが、このアル中野郎!」
「そ、そんな…一ヶ月なんてそんな殺生な…。そんなことしたら死んでしまう!」
「安心しろ、酒をぬいて死んだ奴なんていないから」
「そんな…! そんなひどすぎるよ! オレは酒と博打しか人生に楽しみがないんだぞ! そんなオレの楽しみを取るなんて、鬼だ!」
「鬼ってな…。それにしても、貧しい人生だなあ、お前の人生も」
 必死のファルケンを見て、男はため息をついた。そして、少し考えた後肩をすくめた。
「わかった。しょうがないから一週間で勘弁してやる」
「ホントか! ありがとう!」
 一週間ぐらいなら別に我慢が出来るらしい。ファルケンは踊りあがったが、ふと首を傾げた。
「もしかして、今すごく機嫌いいのか? あんたにしちゃ、ずいぶん寛容だなあ?」
「な、なに言ってやがる! そんなわけないだろが」
 いいながら、どうも態度がおかしい。ファルケンは少し考え、ふと笑みを浮かべた。
「あっ! そうか、なにかいいことがあったんだなあっ!」
 ファルケンは急にへらへらし始めた。
「そういえば、あんたの行った方角には確か今あの人が…。それで上等の宝石なんか買ってっちゃって…なるほど、あれは商品じゃなかったんだな」
「う、う、うるさいっ! いいんだよ! なんだその顔は!」
 急に赤くなりながら、男は必死に否定する。
「で、もらってもらったのか?」
「そ、それは、まあ、よく似合う宝石だったから。オレの見立てもまんざらじゃねえし、それに、あの人は何をつけても似合うから…って、オレにこんな事言わすな! いつも、誘導尋問するなと言ってるだろうが!」
 男は急になんだかんだいいながら嬉しそうな顔で、ファルケンをヘッドロックした。相変わらず、事が恋愛に及ぶと人が変わる。横で見ているとなかなか面白いのだが、巻き込まれる方はそれなりに体力がいるのだ。そうっと顔をのぞくと、やはり目つきが変わっている。
「いいかっ! 後で相談に乗れ! 他の連中に先越されたら困るんだ! ここは詰めの大勝負! オレはベストを尽くさねばならんのだっ!」
「わ、わかったよ。その気合いはわかったから、ちょっと手加減…どわっ!」
 そういった途端、ロックを急に外されて、ファルケンは砂の上に投げ出された。
「いてて、乱暴だな」
「人を次元のはざまに吹っ飛ばすような乱暴者に言われたくないぜ」
 根に持っているのか、男はそういってからっと笑い、それから試すような口調で訊いた。
「で、…ちょっとは心配か?」
「そりゃまあな」
 砂をはたきながら立ち上がるファルケンに、男、レックハルドは、自信に満ちた例の笑みを浮かべた。
「たまにはオレを信用しろよ。あれぐらい、抜け出せないようじゃこれから先が思いやられるってもんなんだから。何しろ、オレは、世界経済を席巻する予定の男なんだぜ?」
「なるほど、そうだったよな?」
 ファルケンは、笑って、空を見上げた。
「偉大なレックハルドが途中で諦めるはずがないもんな!」
「当たり前だ。さあ、戻るぜ、ファルケン。補給の後、はやく次の街に行かないと。これから忙しくなるんだからな!」
 よく通る声に、ファルケンはいつものように答えた。
「ああ、そうだな、レック」

 
 水の音が近くでするようだった。
 レックハルドが目を覚ますと、覆面の男が目の前にいた。見覚えのある碧の瞳に、心配の色が浮かんでいた。
「目が覚めたか?」
 イェームはそうきいて、少しほっとしたように言った。
「オレも砂に埋まっちゃって、おまけに砂嵐に吹かれながら歩いたから見つからなかったらどうしようかと思ってたんだが、…ちょうど行く先にあんたが倒れてるの見て、ここまで引きずってきたんだ。泉の中に落ちたから、もしかしてあんたを見失ったかと思ったんだが」
 レックハルドは慌てて起きあがる。
「オ、オレは、ここで寝てたのか?」
「え? ああ、オレが見つけてからはずっと」
「そうか」
 レックハルドは立ち上がった。信じられないぐらい軽い気分だった。側に真新しい毛布と食料と水がある。懐には確かに硬貨の重さが感じられる。はいている靴も、以前のぼろぼろのものではなく、新しく丈夫なものだった
「その靴や荷物、どうしたんだ?」
 イェームが怪訝に思うのも仕方なかった。レックハルドは、荷物袋から魔幻灯を取り出した。以前、割れたガラスと傷だらけの本体が痛々しかった魔幻灯は、傷こそあるものの使えなさそうなものではない。血がしみこんでいるような陰気さは消えて、未来すら指し示してくれそうな頼りがいのあるものに姿を変えていた。
(夢じゃない…。あいつは、いたんだ)
 あそこがどこなのか、レックハルドにはわからない。あの世かもしれないし、違うのかもしれない。ただ、あのファルケンは、夢で見るファルケンとは違った。本物の証拠もなかったが、何となく本物であるような気がしたのだ。
「何か、親切な奴がくれたんじゃないのか?」
 レックハルドはとりあえずそういっておくことにする。あのことを説明しても、わかってもらえないような気がしたからだ。
 周りは砂漠ではなかった。レックハルドはその風景をみてどきりとする。
「なんだ、この紫の森は…」
 レックハルドは不気味そうに言った。空は、夜なのか、日蝕なのか、真っ黒な闇が広がっている。そして、頭上に広がる木々の葉は、すべて紫に色づいて、薄く発光しているようだった。木の幹の色も、何となくくらい。健康な緑の森を見ているときには感じない、独特の不気味さが感じられた。
「砂嵐のせいなのか、歩いている内に森の方にたどり着いたんだ」
 イェームは言った。
「水もあるし、あんたを運んだんだが…」
 イェームは、様子をうかがいながら答える。
「もしかして、ここが聖域なのか?」
 レックハルドは訊いた。
「いや、聖域とは進路が違ったような気がする。…多分、これはオレの予想なんだが、ここは、多分、先代のマザーの森だ。…偉大なるムーシュエン…、つまり、グレートマザー…の」
「グレートマザー?」
 レックハルドは、イェームがいった言葉を繰り返す。
「グレートマザーの森は、マザーのいる聖域につながっていると言われてるんだが。でも、オレ達はマザーの森を目指していた筈だ。あれとは方角が違うんだよ。地図を見ても」
「つまり、オレ達は、砂嵐で違う森に来てしまったって事か?」
 レックハルドの言葉に、イェームはうなずいた。
「多分、そういうことになると思う」
 不意に不気味な風が吹いてきた。頭上で紫の葉がざわざわと音を立てる。レックハルドは、息をのんだ。道を間違えたことよりも、何か、この森で恐ろしいことがおこるような気がしたのだった。
 手に持っていた魔幻灯が揺れた気がした。目の前には、森が彼らを誘うように口をあけて広がっていた。





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©akihiko wataragi