辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2004
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辺境遊戯 第二部 

鏡の向こうのファルケン-10

「ホント、どういう神経してるんだ。お前は」
 レックハルドは、横で走る男を睨みながら抑えた声で言った。彼もまた走りながら、しかし、こちらは割合に明るく笑った。
「いやー、刺激しちゃいけねえ場面だったのかなあ」
「この考えなしが! どう考えてもそうだっただろが!」
 レックハルドは精一杯怒鳴りつけるが、思いのほかに相手はけろりとしていた。後ろからは、十数人の屈強そうな男たちが、必死の形相で追いかけてきている。レックハルドにはわからないのだが、ファルケンには、それは異形の姿をした有象無象に見えるらしかった。後ろを振り返って、あーあと、間延びした声を上げた彼はしみじみと呟く。
「いやあ、ああいう奴らに追いかけられても全然楽しくないよなあ。もうちょっとおもしろい外見してたら、仮装集団に追いかけられているみたいで、一大イベントみたいだったのに」
「観察してる場合かっ! どう逃げればいいんだよ!」
「どうって? …さぁ」
 やたら場違いなのんきな声が返ってきた。
「さ、さあって…お、お前、これからどうするか考えてないのかよ?」
「えーと、あんたが走ったからつられて走ってみたんだが、戦った方がよかった?」
 思わずレックハルドは走りながら、ファルケンの胸倉を掴んだ。
「てめーはっ! 何考えてんだ! オレはお前がちょっとはこのとりでの見取り図とか知っているものと思って…!」
「そ、そんな、オレだって来たの初めてだし…。人間つられるのが人情ってもん…あっ! ほらっ、後ろから有象無象が! こんな事してる場合じゃないんじゃ…!」
「ごまかすな! お前と話をつけるのが先だ!」
 自棄になったのか、それとも危険を感じるアンテナが麻痺したのか、レックハルドは後ろから迫る明らかに敵意を滲ませた連中を無視している。
「そんな事してたら、奴らに切られるよ!」
「やかましいわ! 死なばもろともよ!」
 ファルケンが切りつけた途端、あの見張りは砂か灰のようになって消えた。妖魔はそうやって消えるものだというのは、レックハルドも知っているが、あの妖魔はただ崩れ落ちただけではなかった。あの時、見張りは消える前に、おそらく彼ら同士しかわからない、不思議な絶叫を上げたのである。普通の人間であるレックハルドには聞こえなかったが、ファルケンが顔をしかめたのがわかったので、ひどい声だったのかもしれない。だが、彼はそれの持つ意味を知っていてもいたらしい。軽く舌打ちしたのを、レックハルドは聞いていた。
「それで仲間が集まってきたんだろ! お前が考えもせずにずばっとやっちまうから!」
「いや、その、予想はできてたんだけど…つい」
「ついで済むか!」
 話している間に、後ろから迫る妖魔はすでに避けられない位置に来ている。
「ああ、来た! どうすんだよ、お前、あいつらと戦う覚悟があるとかさっき言ったよな!」
「え、…ああ、いやその…」
 あらためて後ろを見る。敵の数は十人と少しであるのだが、それだけの男たちが走ってきている状況はなかなかに迫力がある。正体の見えていないレックハルドでもそう思うのだから、見えているファルケンにとってはどんな風に見えているのかは想像に難くない。 いきなりファルケンは、ごまかすようにははっと笑った。
「やっぱり数が多すぎた! 逃げよう!」
「いきなり言うなよな!」
 レックハルドは怒鳴り返すと、ファルケンを掴んでいた手を乱暴に外した。このまま、置き去りにして逃げてやろうかとも思う。本当にどういう神経をしているのか知れない。
 突然、ひゅっと目の前を矢のようなものが通り過ぎていく。たまたま後ろを見ていたレックハルドは気づかなかったが、ファルケンはそれに気づいた。一瞬警戒したが、攻撃はそれ以上続かない。ちょうど前は突き当たりで左右に分かれていた。矢はその廊下を右の方にむかって飛んでいったのである。ファルケンは、少し足を速めた。
「こらっ! お前、置いてく気か!」
「ちょっと前に進むだけだって!」
 レックハルドの悲鳴に律儀に答え、ファルケンは素早く前を確認していた。扉に矢が刺さっているが、後ろに人影はない。扉に手をかける。鍵が閉まっていた形跡があるようだったが、それはあっさりと開いた。
「こっちだ!」
 ファルケンの叫びに、レックハルドは慌てて右側に曲がった。彼が開いた扉に飛び込むと、すぐにファルケンが足で扉を閉めた。危うく蹴破りそうだったらしく、閉まった後ファルケンが軽く舌を出したのが見えた。中は薄暗いが、歩行が困難なほどではない。人気は無く、また前に扉がある。
 妖魔が殺到してきたのか、ファルケンが足で止めたままドアがゆれていた。
「鍵でも閉めてやれ!」
 レックハルドがすかさず鍵を占め、近くにあった木箱やらなにやらをがさがさと積み上げる。こういうことにはレックハルドは物凄く素早かった。盗賊時代の経験からだろうか。
「よし! 次行くぞ!」
「おー!」
 ようやくファルケンは、手を離し、次の扉に触れた。今度こそ鍵がかかっていると思ったのだが、それはあっさりと開いた。
「あれ…」
 ファルケンが間抜けな声を上げた。
「どうした?」
「いや、こっちも鍵が開いてるから…」
「開いてても普通だろ? ついてるぜ。この際、こっちに逃げるぞ」
「そ、そりゃまあそうだけど…そっちはもしや…!」
 どうも釈然としないらしいファルケンはまだそこで考えている。レックハルドは焦って慌てて彼の襟を引っ張って扉の中に駆け込んだ。すぐに扉を閉めて、内側から鍵をかけてみる。
「よっしゃ! これでしばらく追いかけてこれまい!」
 少し得意げになるレックハルドを見ながら、ファルケンはそうっと遠慮しながらこういった。 
「な、なあよく考えたら、オレたち袋小路に逃げ込んだんじゃないのか?」
「そ、そうかもしれないな…」
 ファルケンに言われ、レックハルドは彼としては珍しく馬鹿なことをしてしまったことに気づく。だが、あの場合はどうしようもなかった。それに誘導したのはファルケンなので、やはり、悪いのはファルケンだ。だが、気まずい。
「と、とりあえず、廊下があるみたいだし、こっちに行って見ようぜ!」
 ごまかすように明るくレックハルドが言うと、ファルケンもファルケンでまたごまかすように言う。
「そ、そうだよな〜! 道があれば進めっていうし!」
 お互い、気まずい空気を回避したいらしい。彼らは顔を見合わせてごまかすと、そのまま前に続いている狭い廊下に下りた。廊下は左側に一方に伸びていた。右側は壁で、痩せたレックハルドはともかく、そもそも体の大きいファルケンには少し窮屈なほどの幅である。なので、レックハルドが先にたちながら、古い石畳を歩きながら前に進む。
 ふと、前の方が開けたようだった。何となく明るいのは窓か壁に穴があるかららしい。レックハルドがそっと覗くと、下のほうで見張りが退屈そうにあくびをしながら座っていた。ふと目があう。見張りは、驚きに目を見開いた。
「あっ、てめ…!」
 哀れな見張りはそれ以上言う事ができなかった。するりとレックハルドが通路から出るや否や、絶妙のタイミングで代わりにファルケンが飛び出してきて、一発蹴りを…手加減はしていただろうが、見張りに見舞ったのである。簡単にノックアウトしてしまった彼は、そこにずるずると伸び上がった。
「見張りは一人か。甘い警備だな」
「他の見張りが妖魔だったんじゃないのかなあ。あの叫びで、みんなオレ達の方に来ちゃったとか」
 その可能性は考えられなくない。
「先生!」
 不意に声がした。二人は部屋の中を見回す。部屋の左側には外に向いてあいた大きな穴がある。狭いが光はそこから漏れてきているようだった。その光に透かしてみると、ちょうど目の前に、鉄格子とその中にいる小さな人影が見えていた。
「おおっ! お前達大丈夫だったか?」
 ファルケンが鉄格子に近づいて訊くと、子供達は必死で頷いた。皆憔悴はしているようだったが、怪我はしていないようだ。
「恐かったけど、何とか大丈夫だよ。
「そうか、じゃあすぐに出してやるからな! …で。ええと」
 ファルケンは、そっと牢の鉄格子を見た。崩れかけのとりでの割には、それはそこそこ丈夫そうである。その扉には錠前が二つついていた。勢いよくファルケンは錠前をぐっと握ってみるが、びくともしない。彼は鉄格子を試しに握りながら、レックハルドの顔をそっと眺めやった。
「なあ、これ、力ずくで行ったほうがいいのかな?」
「んなわけないだろが、崩れたらどうするんだよ。オレは鍵が開けられるぜ。任せとけ」
 レックハルドはポケットからいつも入れてある針金を取り出した。足を洗ってからも、それは大体いつもどこかには忍ばせてある。
「あっ! 来た!」
 子供達が叫び声をあげ、二人は入ってきた廊下のほうをみた。とうとうあの扉が二つとも破られたらしい。人の形をした妖魔たちが先を争って狭い廊下を進んできていた。
「この狭い道に来るのかよ…?」
 ファルケンは身震いした。こちら側の通路が広いので、普通に考えるとこの場合はそう悪い状況ではない。ただ、ファルケンは体が大きいので、この牢屋でも彼にとっては窮屈に感じる狭さなのだ。そういうところで、彼の得意な大きな武器を使っての戦闘はなるべく避けたい。
「わ、わかった! オレがあいつらを食い止めとくから、早く鍵開けてやってくれ!」
 ファルケンは仕方なく、背中ではなく、腰に差してある普通のサイズの剣を抜いた。
「わかった!」
 レックハルドは答え、錠前に向かった。まずは、その形を簡単に観察する。背後から、どたんばたんという物音と、おめき声が聞こえてくる。ファルケンが善戦しているらしいのはわかったが、牢の中にいる子供達は、それを見て騒ぎ始めた。子供達にとっては、こんな戦いの場など滅多に見るものではないのだし、それにファルケンが危険にさらされているようにも見えるのだろう。
「あー、ギャーギャー言うなよ! 手が滑っちまう!」
 レックハルドは、泣き喚く子供達にそう釘を刺しながら、針金を錠前に差し込んだ。本格的に鍵開けをするのは久しぶりだ。かちゃかちゃと中を探りながら、徐々に外していく。ご丁寧に二重にされているので、さすがの彼でも時間がそこそこかかりそうだった。
(面倒な真似ェしやがって!)
「お兄ちゃん…!」
 子供が話しかけてきたが、それどころではない。レックハルドは、黙って作業を続けている。一つ目の錠前があき、先にそれを取り外す。ほっと息をつくのもつかの間、レックハルドは次の作業に取り掛かった。後ろでは、ファルケンが何かを倒したらしい派手な物音がした。
「お兄ちゃん、あとどれくらい」
 子供がもう一度話しかけてきた。今度は耳に入らなかった。二つ目の錠前は、一つ目のものよりも随分手が込んでいた。だが、それも徐々に解けてきている。
「もう少し…」
 いつの間にやらちろりと舌を出し、レックハルドは細やかな作業に全身全霊を傾ける。かちゃり、と音が鳴った。開いた。レックハルドの顔が喜色に満ちる。
「お兄ちゃん!」
 悲鳴のような子供の鋭い声が飛んだ。レックハルドはさすがに危険を感じ、振り返る。ファルケンの追撃を逃れたらしい妖魔が、レックハルドに向けて刀を振り上げていた。
 はっとレックハルドが蒼くなる。妖魔は、一瞬だけ本来の彼の醜悪さを顔に表すと、殺意をこめた目をレックハルドに落としたまま、剣を振った。
 と、悲鳴が聞こえた。しかも、それは二つ、しかも一方は大変近い場所で聞こえたので、レックハルドは一瞬、それが自分の口から出たのかと勘違いをした。だが、それは違ったようだ。レックハルドの身体には、剣は全く触れもしていなかった。不意に目の端の方で、何か黒いものが近くから凄い勢いで天井に上っていくのが見えたような気がしたが、それは目の錯覚だったと思う。
 もう一方の悲鳴の主はすぐにわかった。目の前に立っていた妖魔は、一瞬にして灰のようになり、そのままぐずぐずと崩れる。彼の手にあった剣は反対側の壁に勢いよく刺さっていた。妖魔を薙いだと思われる刀は、ちょうど地面にあった。それは、妖魔を切り降ろして、勢いあまってレックハルドの影が落ちている石畳に突き刺さっていた。妖魔が崩れていった後ろで、緑がかった金髪の男がほっと胸をなでおろしていた。
「はーっ…すまん。ぎりぎりセーフだったな」
「全くだ」
 レックハルドは応えて、服を払って立ち上がった。周りに敵の姿はない。牢屋に来るときに気絶させたあの見張り以外の人間は見えなかった。
「全部やったのか?」
「やっただなんて物騒な。妖魔をはらったといってくれ」
 ファルケンは少しだけ憮然としていった。何となく不名誉に感じたのかもしれない。
「先生ーっ!」
 出てきた子供達がわらわらとファルケンの周りに群がった。中には、見覚えの無い子供もいる。どうやら、一緒に街から連れてこられた子供のようだった。
「先生、恐かったよ!」
「わかったわかった。もう大丈夫だって言ってるだろうが」
 子供達の頭を撫でながら、ファルケンは目をレックハルドに向けて訊いた。
「どうする? やっぱり、ここの壁の穴から逃がすか?」
「そうだな。二階とかじゃなくてよかったぜ。全く」
 レックハルドはふうとため息をついた。
 子供達をあやすファルケンを見ながら、レックハルドは、先ほどの悲鳴はなんだったのだろうと考えた。声も自分とよく似ていなかっただろうか。そして、見間違えだと思ったあの影のようなものは、本当に見間違いでよかったのか。
 服を払う。何となく釈然としないが、不思議な事に、妙に体が軽かった。今まで背負ってきていたものが、ふと晴れたように、何となく気分がよくなっているようにも思える。一体、何がどうなっているのだろう。
「レックハルド」
 不意に声をかけられ、彼はファルケンの方を見た。
「なんだ?」
 相変わらず、子供達に囲まれたままのファルケンは、子供達を一旦自分から遠ざけてからレックハルドの方に歩いてきた。
「レックハルド、ちょっとあんたに頼みがあるんだが…」
 妙に小声でそっと言う。
「な、なんだよ」
 改まった感じの彼の態度に、レックハルドは不安そうに聞き返す。
「ガキ共は、あんたが街につれてってくれないかな?」
「な、なんだよ?」
「ああ、そんな心配をすることじゃねえんだ」
 悲壮な覚悟を決めたのだと取られたのかもしれないと思った彼はけろっとした口調で言いなおす。
「今度は陽動作戦を使おうと思ってさ。オレが奴らの相手をしている間に、あんたがこっそり子供を逃がしてくれればいいんだよ。子供を守りながら戦うよりは、オレに注目を集めさせて逃げた方がいいだろ?」
「そういうことか?」
 ほっとレックハルドは息をついた。昔、ファルケンには出し抜かれた事がある。それを思い出したのか、彼の表情には何か暗いものが落ちていた。
「心配するなって」
 ファルケンは、レックハルドの肩に手を置く、というよりは叩いた。少し痛かったが、それはそれだけ力強かった。
「オレは、そんなに簡単に死にゃあしねえよ。…なあ、いつまでも昔の弱いまんまじゃないんだから。オレもあんたもね」
「おい、それは……」
 レックハルドは、言葉を継ごうとしたが、言葉にならなかった。ファルケンは、にっこりと優しく微笑むと、さて、といった。
「行動開始といこうか」
 するりと抜けていくファルケンを見ながら、レックハルドは言葉を失っていた。様々な思いが頭を回るが、どれも確信はない。
(…お前は…もしかして…)
 青ざめたレックハルドに、ファルケンの声がかかった。
「さ、行こう! 奴らがきたら面倒な事になっちまうからな!」
「あっ、ああ」
 レックハルドは応え返すと、そのまま歩き出した。





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©akihiko wataragi