辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2004
一覧 戻る 進む

  
 


辺境遊戯 第二部 

鏡の向こうのファルケン-9

とりで跡は、街から少し離れたところにある。彼らがこの街やってきた方角とは別の方角だったので、レックハルドはこれを見かけた覚えがなかった。
 すでに使われなくなって百年は経過しているような、ひどい荒れようだった。石垣も石造りのとりでも、風化し始めていてぼろぼろと崩れている。
 一見人気はないように思える。だが、それはそう見えるだけのようだ。勘の鋭いレックハルドにも、中で十を超える人間が息を潜めているらしいことがわかった。
「…罠ははられてるだろうな」
 レックハルドは隣にいるファルケンに訊いた。
「あぁ、そりゃそうだろうな。注意を払いながら進んだ方がよさそうだ」
 頭の上にはアーチ上の門がある。今にも崩れ落ちそうで不安だが、ぎりぎりのところで持ちこたえているという感じがした。ただ、上のほうは穴が多く崩れている場所が多いのが幸いしてか、上から覗かれているとすぐにわかる。今は特に視線も感じないので、のぞかれてはいないようだ。
「ちょっと待て」
 ファルケンが小声で言いながら、ひょいとレックハルドの前に手で制止する。彼は大きな体を壁につけ、そっと斜め前を覗きやった。
「見張りがいるぜ」
「見張りだ?」
 レックハルドも向こう側を覗いてみる。なるほど、確かにそこには見張りらしい男が一人で立っていた。
「だが、一人だろ。…陽動作戦でも使うか?」
「いや、…あいつちょっと厄介だぜ。…予想以上だな」
 ファルケンは顔を曇らせながら軽く唸った。
「予想以上? なんだ。それ」
「あんたには見えていないか」
 ファルケンは少し考えると、ふとレックハルドの右手に目を留めた。
「守護輪はつけてるんだよな?」
「これか?」 
 レックハルドは右手首を見る。そこには、昔もらった例の数珠つなぎにした腕飾りがある。
「それがないと、この方法はすすめられないぜ。何しろ、こっちが食われちまう可能性だってあるからな」
「なんだ、無茶苦茶物騒なこと言いやがるな」
 レックハルドが不気味そうに言うと、彼はにっと笑った。
「少々物騒な方があんたには合うんじゃないのかね? 平穏なのって、あんまり好きじゃないよな?」
「オレは平和なのが一番だよ」
 レックハルドはぼそりと言い返す。
「そうか? それならそれでいいよ」
 意味ありげにいいながら、ファルケンはレックハルドの右手の守護輪を確かめるように見る。そして、少しだけ表情を曇らせた。
「ちょっと傷んでるな。羽をつけたのは失敗だったか?」
 ぽつりと、ファルケンが小声で呟いたのを聞きとがめてレックハルドは顔を上げる。
「お前、今何か…」
「い、いーや、べ、別になんでもない! ほら、あんた、ランタン持ってたろ。あれ、ちょっと出してくれるか?」
 妙な取り繕い方をして、彼はレックハルドの荷物いれに入っているランタンを出すように言う。それは、おそらくあのファルケンの形見の魔幻灯のことだ。
「お前だって持ってるじゃねえか」
「あんたのが要るんだよ。だから、早くちょっと出してみてくれよ」
 ファルケンはちょっと時間があると見たのか、煙管を出してきて、ラキシャを一服やりながらそんな事を言った。レックハルドは、少しためらってから袋の中のものを取り出す。あれは、ファルケンの魔幻灯だ。レックハルドは、あれから、なるべくこの魔幻灯を見ないようにしてきた。あの時、壊れてしまった魔幻灯には、ファルケンの血がしみこんでいるような気がするのだった。焼けて煤けて壊れてしまったそれが、あの時のファルケンの姿を思い起こさせるのである。
「なるほどな〜、ちょっと壊れてるな」
 肩越しに、あの時いなくなったのではないファルケンがそんな事を言った。
「あ、ああ」
 それで我に返ったレックハルドは、古い思い出を振り切るように彼に尋ねる。
「で、これはどうすればいいんだ?」
「ああ、それに火をつける。ちょっと貸してくれ」
「火を入れる?」
 レックハルドは、思わぬ言葉に驚いた。壊れてぼろぼろのランタンだし、おまけに今は昼だ。とりでの影にいるが、灯が必要なほど暗くもない。むしろ、この明るさでは単に邪魔なだけだ。
「だ、だが、これは割れてるぞ」
「ちょっとぐらい割れてたって大丈夫だ。要は、火がつけば上等なんだよ」
 ファルケンはそういい、煙管から火を取って例の割れた魔幻灯の中に入れた。ファルケンが火を放って以降、まったく使われていなかったランタンは、ようやく本来の使われ方をして、廊下にぼんやりと光を放つ。
「さ、これを覗き込んでみろ」
「はっ? なんだそれ」
「いいから、炎を透かしながらあの見張りを覗いてみろっていってるんだ」
 ふざけているのかもしれない。実際、このファルケンの表情は読めない。からかわれていても、それを証明する事もできなさそうだ。レックハルドは、肩をすくめて魔幻灯を受け取った。
「それにしても派手に壊れてるな。後でちょっとだけ直しておいてやるよ」
「あ、ああ」
 魔幻灯をまじまじと見て、レックハルドは少し表情を暗くする。
「どうした? もう見て気分でも悪くなったか? というか、あんた見える人だったっけ?」
「はっ? な、何がだよ」
 一瞬、考え事をしていたレックハルドが気分でも悪くなったのかと思ったのかファルケンがそんな事を聞いてきた。その応えに、彼は、ああ、そうか。と一人納得する。
「そうだよなぁ、あんたには見えないよなあ」
「なんか馬鹿にされてる気がしてきたぜ、その言い方」
「えっ、あっ、いや、別にそんなつもりは…!」
 慌てて愛想笑いを浮かべながらそう取り繕う彼を見ながら、レックハルドはため息をつく。いろんな意味でどうしようもないやつだと思えば、そんなに腹も立たない、と自分に言い聞かせてみる。
「別にかまわねえよ」
 レックハルドは、言われたとおりに魔幻灯を持ち上げる。その燃え上がる炎に透かして、見張りを覗いた。
「うっ…!」
 レックハルドは、思わず唸った。
「見えたか?」
 隣でファルケンが、口を少しゆがめて笑った。レックハルドは、もう一度魔幻灯を覗き込む。割れたガラスと火の向こうで、立っている見張りの姿が見えていた。それは、先ほど彼が様子を見たときと同じ立ち位置のはずだが、少なくとも人間には見えなかった。黒くてどろどろしていて、化け物というにふさわしい形状をしたものが、そこに立っている。
「あ、ああ。…し、しかし、これは…」
 戸惑うレックハルドが後ろに目を向ける。
「あんたも知ってるだろ、妖魔ってやつ」
「ヤールンマールってのか? 確か」
「ああ、クーティスで言えばそうだな。あいつの力が強くて頭がいい奴は人に取り憑く。ただ取り憑いて悪い事をさせてるだけならまだいいんだが、そのうちにその姿を乗っ取りだすんだな」
「乗っ取るだぁ?」
「人間に害をなすには、同じ人間の姿をしてた方が早いだろ。それでだな。最初は、精神をコントロールしてるだけだが、徐々に、その影響力を全身に及ぼしていく。ああなったら、もう終りだ。ありゃ、とっくに肉体の方は滅びちまって、力をつけた妖魔がその姿に成り代わってるだけ、っていったほうがいいかな。ああなっちまったら、さすがのオレでも助けらんねえな」
 ファルケンは、淡々と話しながら軽くあくびをした。
「お前、さらっと言ってるが、ものすごくえぐいこといってるよな?」
「そうかあ。そのくらい普通だろ? まあ、見張りがアレだってことは、ここにいる奴らの半分も、あーなってる可能性があるって事だ」
「この前のおかしな奴も、そういう関係か?」
「たぶんな、妖魔がより身体をのっとりやすいように、危ない薬でも常用させてたんだろ」
 軽く応えながら、ファルケンはくわえていた煙管を指にとって、ちょいっとレックハルドが握っている魔幻灯を指し示した。
「それは特別なもんだ。火に透かせば、あんたみたいな普通の人間でも妖魔の姿がぼんやり見えるようになる。覚えときな、必ずこれからの旅で役に立つぜ」
「お前…」
 レックハルドは、心の奥に湧き上がる違和感に思わず呟いた。
 今、彼は妙な事を言った。『これからの旅』とはどういう意味だ。まるで『これから』先のレックハルドの旅路を知っていて、それに対してアドバイスを与えているような言い回しだ。
 ――お前、一体何なんだ?
「どうした?」
 無邪気な顔で聞かれて、レックハルドは首を振った。
「い、いや、なんでもない」
「そうか、それじゃ、行くぜー!!」
 そういうと、いきなりファルケンは肩の剣の柄を掴んだ。レックハルドは、何となく不穏な空気に少々慌てる。
 ここで突撃はいけない。今までは上からも見られていなかったが、今度はとりでの物見やぐらから見られているかもしれない位置だ。しかも、そのやぐらは思ったより壊されていない。
「お、おい、お前!」
 慌てて彼が止めようとしたが無理だった。いきなりファルケンは、そこから飛び出していく。彼のいつもの動作からは考えられない素早い動きだ。それだけに、レックハルドの制止の声は一足遅かった。
 ファルケンはすでに見張りに飛び掛っていた。敵の出現にようやく気づいた見張りは、慌てて声を立てようとしたが、間に合わない。動揺したせいか、人間の姿が崩れて黒っぽい影が背後に現れていた。ファルケンは、ためらいなく見張りに刀を振り下ろした。
 

「おい、兄弟、なんか、変じゃねえか?」
 不意に声をかけられ、窓から外を見ていた男は振り返る。そこには、黒いマントを纏った男が立っている。着ているものも黒かったが、顔は大きな帽子を目深に被っていてで隠れていて顔が見えない。腰帯には、新月刀を帯びている。
「何が変だってんだよ」
 見慣れないような気がしたが、近頃ビフェンダルは手下がかなり増えていた。だから、知らない男がいても不思議ではないし、帽子で顔が判別できないだけだと思った。
「きづかねえか? 周りで人が減ってるじゃねえか。あいつら、どこいったんだよ」
「ああ、連中はちょっと勘が鋭いからな。もしかしたら、奴らがもう来たのかも知れねえな」
 黒衣の男は、ふーんと少し唸った。
「奴らって、お前、そいつらの顔見た事あんのかい?」
「ああ、何度かな。あの狼野郎も横にいる商人野郎も見た事があるぜ。思い出すだにむかつくがな! オレが今のお頭につく前の話だが、あいつらを襲って返り討ちにあったんだ」
「へぇ、そりゃ災難だ」
 黒衣の男は適当に相槌を打つ。盗賊の方は、コメカミをぴくぴくさせながら、いらだっているようだった。
「ああ、狼野郎もむかつくが、ひでえのはあの商人野郎だな。狼が傍にいるってえんで、弱いくせに威張りやがって!」
「なるほど、そりゃひでえ。さんざ、大金を握らせて買収してるのかもしれねえぜ?」
「ああ、そうに違いねえ」
 男に同情してやりながら、黒衣の男はふと訊いた。
「ビフェンダルのおかしらってのは、そういう連中を集めてるって訊いたんだが、どうなんだ? ほらよ、狼人がきれえなやつとか、そういうの…」
 黒衣の男はちらりと自分の後ろを見やった。そこには、そこそこ丈夫な扉がついた部屋があり、その扉が開きっぱなしになっている。その扉にはどうやら鍵がついているようだった。
「ああ、そういや、オレもあの商人がきれえだといったらすんなり…」
「おかしらは、何かそいつらに恨みがあんのかね?」
 黒衣の男は、そう尋ねながらそっと男の肩になれなれしく手を置いた。
「さぁ、オレはしらねえなぁ。…少なくともそういう話は訊いてねえ」
「だが、ガキ共までさらってきたんだろ…。なんか私怨でもあんのかな? …ん、そういや、そのガキ共…どこに隠したんだっけ?」
「おいおい、忘れたのか? 奥にある牢屋じゃねえか。もっともその前に、鍵のかかった部屋を通らなきゃならねえんだがよ」
「ああ、そうだった。すまねえ、うっかりしてたな」
 黒衣の男は笑ったが、その笑みが少しずつ変わってきている。
「忘れたりなんかしてみろ、後々ビフェンダルのお頭に怒られちまうぞ」
「ああ、そうだな」
 すっと男の帽子が床に落ちる。それと同時に帽子の端に隠してあった短剣を、彼は右手で引き出していた。黒衣の男は、切れ長の目を少し細めると男に目を向けた。
「ありがとよ!」
「がっ!」
 急に喉に異物感を感じ、男は動きを止めた。すぐには、その冷たく鋭い感覚の正体を男はわからなかったが、その後すぐにそれがなんであるかわかった。首に突きつけられているのは、他ならぬ短剣だったのである。
「て、て、てめえ…!」
 喉をのけぞらせて、男はそっと後ろをのぞきやる。ふっと男の笑う声が聞こえた。
「おおっと、わかってるだろうが、声をあげるのも合図するのも無しだ。お前だって自分がかわいいんだろ? じゃ、下手な行動は慎むべきだよな」
「な、何もんだ! て、てめえ!」
「この辺一帯を通行中の旅人だって言えば満足か?」
 黒衣の男は、にやりとしたようだ。
「それとも、オレの顔みたら、あんた驚いてひっくりかえるんじゃねえかい? なにせ、まさか、あんたのいう最低な悪党野郎本人に本音をぶつけちまっただなんて、あまりにも格好悪すぎるとはおもわねえかい?」
 なんだと、と言いそうになり、男は横目で黒衣の男の顔を覗いた。そして、思わず絶句した。男の驚愕した顔を楽しそうに見た黒衣の男は、歪んだ微笑を浮かべた。
「だが、今しゃべられるわけにもいかねえなあ!」
 黒衣の男はそういうと男を勢いつけて引き回した。そして、横にある部屋に押し込んだ。どすんと男がしりもちをついている間に、ドアを閉めた彼はそこについてある錠前を短剣と一緒に持っていた針のようなもので素早く細工する。かちゃり、と中の男にとっては絶望的な音が響き渡る。
「しばらくそこで自分の生き方でも再考するんだな!」
 楽しそうにそういうと、彼は短剣と針を服の中になおしこんだ。おそらく中の男が、起き上がる頃には鍵が閉まっていたのだろう。中から、開けやがれと口汚くののしる声と、ドアを破りそうな勢いでドンドン叩く音が聞こえてきた。だが、黒衣の男は振り返らない。
「さて、と」
 男は、近くに落ちていた帽子を窓から放り投げた。乾いた砂漠の空気に揺られながら、ゆっくりとそれは砂の上に落ちていく。黒いターバンを巻いたままの男は、薄ら笑いを浮かべると、腰に差した新月刀の柄に手を置いた。よく見ると腰には他に弓矢も準備されている。
「あの馬鹿のせいで、やたら滅多に面倒な事になっちまったが――」
 マントを揺らしながら、窓から離れ、彼はふらりと歩き始めた。
「こうなった以上はせいぜいオレも楽しませてもらおうかね」
 そういう男の口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。





一覧 戻る 進む

このページにしおりを挟む 背景:トリスの市場様からお借りしました。
©akihiko wataragi