辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2004
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辺境遊戯 第二部 

鏡の向こうのファルケン-6

 月が空に輝いていた。今日はほとんど月が円を描いている。明るく地上を照らしているのも、当然といえるだろう。
 誰かが空になった酒樽を叩きだし、調子っぱずれた声で歌いはじめる。その真中の方に、割合に目立つファルケンが座ったまま、大きな杯にいれた酒をごくごくと飲み干している。大分飲んでいたが、それでも周りの連中と比較するとほとんど素面に見えるのはさすがかもしれない。
 レックハルドは、軽く酒を口に含みながらややあきれた様子で目の前の連中の大騒ぎを見ていた。
「全く、いつもこうなのか?」
「さぁ、オレはこいつらと飲んだのは初めてだからなあ」
 訊いてみると、酒を飲み干した後のファルケンがそんな無責任な事を言う。レックハルドは、肩をすくめた。
「飲んだ事がないってな、お前…」
「いや〜、今までこんなに派手に飲ませたことなかったから。でも、やっぱりにぎやかだといいよなあ。広々したところでやるのってなかなかだよな」
「広々しすぎじゃねえの?」
 レックハルドは皮肉っぽく言った。というのも、広々どころか、視線の向こうの闇の先には地平線があるからである。宴会場となっているのは、建物の中ではない。宿も町外れだったのに、もっとひどい町のはずれの、ほとんど砂漠と一体化した広場のような場所に絨毯をしいて焚き火を焚いているだけだった。なので、結構冷えるのであるが、その辺はアルコールが体中を回っていい具合に温めてくれているので、まあ我慢できるほどではあった。
 温かい食べ物をつまみながら、レックハルドはふうとため息をつく。その視線の先には、踊りまわる酔っ払いにまじって、彼らの息子を含む子供たちがふざけて踊ったり、走り回ったりしていた。
「あのガキどもはどうすんだよ。そろそろ月があがったぞ」
「おお、もう、そんな時間か!」
 忘れていた、とばかりにぽんと手を叩いたファルケンは、のっそりと立ち上がる。
「じゃ、あいつらには先に帰らせる事にしよう」
 そういいながらも、片手には酒の入った、こちらは普通のサイズの杯が握られている。つくづく酒の好きな男だ。
 彼は、踊る子供たちのところにいくと、少し大きな声で、「はい、おしまい!」といった。踊っていた子供たちがぴたりと動きを止める。何をいわれるか、わかっているので、その顔には不満がありありと表れている。
「遅いから、ガキは寝ちまいな」
 ファルケンがそういうと、子供たちの中からいっせいに非難の声が上がる。
「なんだよ〜! 今からが楽しいところなんだぞ!」
「ダメダメ。起きてるとやばい悪魔がやってきて、お前らをさらってくぞ! はい、そういうわけでガキは寝ちまえ!」
 やや強引な言い方だ。それをきいて、怯えた子供もいたのだが、別の子供がハッと肩をすくめた。
「悪魔なんていないに決まってるだろ」
「いまどき、そんな古典的脅し通用しないよな!」
「なんだぁ、そのくそ生意気な反応は!」
 子供たちのかわいくない物言いに、さすがの彼も少しムッとする。
「だって、いないもんはいないもんな〜」
「先生は脅し方がいっつも古典的」
 生意気な子供である。ファルケンは、最近の子供はどうなってるんだ、と小声で吐き捨て、それから迷いを振り切るように強い口調で言った。
「とにかく、ガキは寝る時間だ!」
「自分だってガキの癖に〜!!」
「オレはいいんだよ、お前らの十倍は生きてるから!」
 といったのは、彼も狼人としてはかなり若い方なのだろう。それをどこかで子供たちにいったのかもしれなかった。
「十倍生きてるから、オレはこっちの世界では長老なんだ! ということで、年長者の意見に従いなさい!」
 かなり強引なことをいいながら、ファルケンは子供たちを部下にいいつけて無理に宿舎に追い返してしまった。
「まったく、全然かわいくないんだからな!」
「その割には結構かわいがってるじゃねえか」
 レックハルドはからかうように言う。
「先生とかいわれやがって、師匠気取りってのはそんなにおもしろいのか?」
「まぁなあ」
 先ほどまでむっつりしていたくせに、そういわれるとすでに表情がいつもの温和なものに戻っている。
「人から尊敬されるってのも、悪くないもんだぜ? あんたも先生とかやったら?」
「オレはそんなに気が長くないぜ」
 レックハルドはそういって、さらりとかわす。ファルケンの方はつまらなそうな顔をした。
「リャンティールもいっしょにどうっすか〜!」
 すっかり出来上がった部下の一人が、手を一杯振りながら、イェーイ、と裏返った声で叫びながら踊っていた。ステップを踏んだ瞬間すっ転び、他の連中に踏まれて、ぎゃあぎゃあ悲鳴をあげていた。
「しょうがねえなあ」
 ファルケンは、クックッと忍び笑いをもらしながら立ち上がった。
「それじゃ、お言葉に甘えてたまには踊ろうかなあ。…あんたもどうだ?」
 楽しそうにいいながら、彼はレックハルドのほうに目を下げた。レックハルドは、慌てて首を振る。
「オレは疲れてるからいい。踊ってこいよ。オレは外野で見てる方がおもしろいね」
「うーん、じゃあ仕方がねえなあ。じゃ、ちょっといって来るんで」
 そういって、彼はようやく握り締めていた杯を地面におくと、たっと走り出した。向こうで酒樽を叩くリズムが早くなってきている。それをききながら、レックハルドは、肩をすくめた。狼人の踊りが、相当の体力を使うものなのは見ていたので知っている。そんなノリにあわせていられるほどの持久力はなかった。
「まったく、狼人にはつきあってられねえよ」
 レックハルドは砂の上にごろりと横になる。絨毯をひいているし、火を囲んでいるが、やはり砂の冷たかった。が、アルコールの効果もあってか、そうそう気にならなかった。
 どうせ、酒宴は真夜中まで続くのだろう。だったら、少しだけ眠っておきたかった。酒のせいというよりは、今日の急激な状況変化が彼をすっかり疲れさせていた。まだまだ盛り上がる宴会の様子を耳で聞き知りながら、レックハルドは目を閉じていた。





 たすけてくれ…
 
 地の底から声が響いてくる。それを気にせずに、レックハルドはマリスと歩いていた。久しぶりにあったマリスは相変わらず優しくて、話も随分と弾んでいた。
 思い出した、商売の途中だった。
 レックハルドは、周りを見回してそれに気づく。手には布が握られたままだ。
(まぁいいか。)
 レックハルドはそう思い、しばらくマリスと話す事にした。商売は後でも出来る。
 そうやっているのが、彼の幸せな時間だった。好きな女の子と話をして、商売のことを考えたりして、時に腰の財布に金の音がしていれば、それだけで満足できた。
 
 たすけてくれ…
 たすけてくれ…
 
 また、地面の底の方で声がする。レックハルドは、辺りを見回した。一体なんだというのだろう。今、一番幸せな気分なのに、邪魔をしないで欲しかった。無視を決め込む事にして、マリスの方に向かおうとして、レックハルドは不意に動きを止めた。声が泣くような、絶望しきった声でこう続けた。
 
 ああ、レックは忘れたんだな…
 全部レックのせいなのに…
 辛い事は忘れてしまって、自分だけが幸せになればいいって思ってたんだ…
 オレがこんなに苦しい思いをしているのに…
オレは永遠に、どこにも還れずにただ狭間をずっとさまよっているのに…
 オレは何の温かみもない冷たい暗い場所に、ずっと閉じ込められたままなのに…

 レックハルドは青ざめた顔で振り返る。
「お前は…!」
 予想をしていたにも関わらず、レックハルドは愕然として動けなくなる。先ほどまでいた平和な街は消え去り、マリスも持っていた布も、何もかもが溶けて消えていく。
「お、お前…」
 ただ、目の前にいる血だらけの青年が目に焼きついて離れなかった。戦いで傷ついた身体をひきずるようにしながら立っている彼は、爛々と輝く獣のような目を、哀しげに彼に向けていた。
「…ああ、とうとうオレの事を忘れたんだな。…あんたのせいでオレはずっとこんな姿なのに…」
 血があふれる唇で、時々、苦しげにうめきながらファルケンは言った。
「…あんたがどこかで、オレがこんな目に遭っている事を覚えていてくれるなら、それだけでよかったのに…」
「…お、お前の事を、忘れたわけじゃない!」
 レックハルドは震える唇で咄嗟に応えた。
「”ここ”は…冷たくて寒いんだ…。それにずっと苦しくて痛いよ…。オレの身体は、もう治らないんだから……」
 レックハルドの言葉には、彼は直接答えない。ファルケンは咳き込んで、苦しげに続けた。
「助けてくれっていっても、レックは助けてくれなかった…。何もしてくれなかった…。さっきも助けてくれっていったのに、あんたはオレに気づきもしなかった」
 哀しげな目を、レックハルドに向ける。
「…もう助けてくれるどころか、気にもかけてくれないんだな……」
「ま、待ってくれ! 違うんだよ! オレは、オレはだから、砂漠を歩いてるじゃないか! お前の事を忘れたりしてねえよ!」
「じゃあ、街で商売したり、酒を飲んで騒いだりしていたのは、一体誰なんだ?」
 鋭く聞かれて、レックハルドはハッとした。たしかに、昼間は街で楽しみ、先ほどは酒を飲んで騒いでいた。夢の世界かもしれないと思いながら、その幸せな時間を楽しんでいたのもやはり自分だ。あの知らない『ファルケン』がいたから、それで、あの辛い現実の方が夢だったのではないかとさえ思ったのも、やはり彼自身だった。
 絶句したレックハルドを眺めやり、ファルケンは首を振った。
「やっぱりそうだろ……あんたは逃げたいんだよな…。オレが死んだ事なんか、なかった事にしたいんだろ…あんたの人生がそれで狂ったんだから…」
 恨みというよりは絶望的な目を彼はしていた。失望と軽蔑もいくらか混じっているような気がした。お前にはもう何も期待しない、暗に彼はそう告げていた。だが、それは憎悪よりも、レックハルドの心に堪えた。
「そんな目で見ないでくれ! オレは、オレは全部捨ててきたじゃないか! 元に戻りたいと望んだオレが悪かった! でも…!」
 言い訳はできない。レックハルドは、思わずあとずさる。ファルケンが一歩こちらに近づいてきたからだ。
「いつもそうだ……あんたは最後には人を裏切る。オレの事も、きっと裏切る…それとももう裏切ったのか?」
「やめてくれ! 違うんだ! ……許してくれ! ただ、オレは…!」
 レックハルドは首を振るが、それ以上逃げ切れなかった。ファルケンの血のついた手がこちらに伸びてくる。このままだと、きっと殺される。そんな気がした。だが、それでも動けなかった。レックハルドは恐怖に駆られて叫んだ。
「やめてくれえええ!」
 じゃらん! と突然弦楽器の音が聞こえて、レックハルドは我に返る。もう一度弦楽器の音が聞こえた。途端、目の前の世界が一気に溶けてなくなった。目の前にいたファルケンごとその空間自体が崩れていっているようだった。 
 ふと、声が聞こえた気がした。誰かに呼ばれているような気がして、レックハルドはそちらを向いた。
 





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©akihiko wataragi