辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005


  
 

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『エウレカ』-3

「もういいだろ、ファルケン」
 ふいにレックハルドが近くに立っているのがわかった。
「もう、これ以上生きてたって痛いことばかりだぜ?」
 上辺だけは優しく、レックハルドはそう言って笑った。
「そろそろ死んでくれよ…。その方がオレも安心するんだぜ。これは、お前のために言ってるんだ」
 しゃがみこんで、レックハルドは彼の顔をのぞき込むようにしていった。
「わかるだろ? オレはお前が苦しんでいるのをみるのが忍びないから言ってるんだ」
 なれなれしく肩に手を掛けて、レックハルドは歪んだ笑みを浮かべていた。それが、あまりにも見慣れた彼の表情だったので、ファルケンは、絶句したまま彼を見上げていた。水と涙で溶けてしまったメルヤーのせいで、まるで血の涙を流した後のように見える顔を、わずかにファルケンは上に上げた。
 もう、泣くことも出来ず、ファルケンは掠れた声で呟いた。
「そんなにオレは、あんたに酷いことをしたのかい?」
「何を言ってるんだ? オレはお前のために言っているっていったじゃねえか」
 レックハルドは、残酷で冷酷だ。優しい表情を偽ることを知っている。そして、それが相手にどれほどのダメージを与えるかも、よく理解しているのだ。そして、ファルケンは、レックハルドにそういう一面があるのも知っている。ただ、今までそれが自分に向くことがなかっただけだ。
「ああ、そうか…」
 レックハルドは納得したように言った。
「お前、自分じゃ決断できねえんだな?」
 相変わらず、そういうところは意気地がない、とレックハルドは嘲笑う。
 その笑顔をみて、ファルケンはようやく気づいた。
(これは夢だ…)
 後味の悪さと共に、一つの安堵が訪れる。これはいつも見ている夢だ。目を覚まそうとしても、自分でさますことはできなかったが、いつもなら、ここで誰かが起こしてくれた。不機嫌なビュルガーか、心配そうなハラールか、どちらかが必ず彼を起こしてくれて、悪夢は一度中断される。いつもそうだった。だから、恐れることはない。
(そろそろ、誰かが起こしてくれる)
 水面を見ながらファルケンはその時を待つ。それを望むしか、ここから抜け出す術はないのだから、もはや待つしかない。
「無駄だ」
 冷たく声がかかり、ファルケンはうっすらと目を開ける。歪んだ笑みを浮かべるレックハルドが、皮肉っぽくいった。
「わからねえのか? ……お前を起こす奴なんてもういねえんだよ。ここはお前の現実だ…今からな」
「そんな…!」
 涙で濡れた瞳に絶望の色を浮かべながら、ファルケンは叫んだ。
「嘘だ! こんなの全部嘘だろ! 全部オレの夢だ!」
「なら、全部幻にしてみろよ? 嘘だと信じてるならできるだろう?」
 レックハルドはそういうと、彼を嘲笑いながら闇に消えていく。消えているのに、その声が響いて聞こえる。
「お前が夢だと思うなら、なぜ自分で目覚められねえんだ? なぜ、お前はこんな夢をずっと見続けるんだ?」
 もう一度、高笑いでもするように笑い声をあげながらレックハルドはいった。
「お前に後ろめたいことがあるからじゃねえのか! お前もそう思っているからじゃねえのか! お前に信じる者なんかいないからじゃねえのか! お前は、本当はオレ達なんか信じちゃいない! だから、こんな風になるんだよ! 全部お前が悪いんだ!」
「もうやめてくれ! レック!」
 ファルケンは頭を抱えながら、水の中に突っ伏した。レックハルドの笑い声にまじって、ロゥレンの笑い声が、そして、マリスやダルシュや、ミメルの声までが聞こえてくるようだった。ファルケンは頭を抱えたまま、しゃくりあげるようにして泣いていた。
「もう、わかっただろう? お前を助けてくれる者などいない。ましてや、お前を必要とする者もいない。お前は疫病神だ。全てを不幸にする。だから、お前は憎まれ、嫌悪される」
 ふと、近くに気配がしたが、ファルケンは顔をあげなかった。そこにいるのはシャザーンだったが、もう抵抗する気にもならない。もうどうなってもよかった。これ以上悪いことなどおきやしない。
「ようやくわかったようだな、…お前も思えば可哀想だ。…生まれたときから全てに見放されたようなもの……。だから、最初から……」
 返事をしないファルケンをのぞき込むようにしながら、シャザーンは冷たく憑かれたような笑みを浮かべた。その表情は、彼というよりは司祭のそれだったが、ファルケンにはそれを判別する気力すらない。ただ、ふらふらと泣き顔をあげて、呆然と彼を見上げるだけだ。
 ふいに相手の手がこちらに向かってきたような気がしたが、ファルケンは反応しなかった。いや、できなかったのだ。
「お前に帰る場所などない」
 シャザーンの両手が突然ファルケンの首に掛かった。そのまま仰向けに倒され、それまで無抵抗だったファルケンは一瞬大きく暴れた。シャザーンの指がファルケンの喉を締め付け、息ができなくなったからだ。
「以前も言っただろう? どうせ、どちらにもつけない宿命がお前にはある。だったら、いっそのこと楽になればいい。クレーティスは、私に憑かれる事で、気分を落ち着けた。しかし、お前はそれは嫌なのだろう? だったら、消えた方がいい。ああ、それとも……」
 ぎりぎりと締め上げながら、シャザーンの中の妖魔がささやいた。
「お前も憎悪に飲み込まれて、全てを憎めば楽になるかもしれないな。そうだ、身も心も妖魔になってしまえばいい」
(そうすれば楽になる? 本当に?)
 魔のような誘惑に、ファルケンは揺れた。霞む視界の中、人々が笑いながら、苦しむ自分を見ていた。誰一人彼に手をさしのべようともしない。
「そうだ、全て飲み込まれてしまえばいい」
(でも、オレには、たくさん好きな人も場所もあったのに?)
「今はないだろう? 全ては貴様を見捨てた。ほら、あの命がけでお前が助けた親友ですら、お前を憎んで苦しめた。流れる赤い血潮を見ろ…」
 シャザーンは首を絞めたそのままで、ファルケンの頭を水の中に押し込んだ。思わず口を開けてしまったせいで、水が口の中に入ってくる。
「お前を裏切った奴はすべて殺してしまえばいい」
(でも、……でも、みんな、昔は、オレのことを信頼してくれていたのに…? 殺したりしたら、かわいそうだ……。オレも辛い…)
「でも、奴等はお前を裏切った」
(…だけど…昔はオレの友達だったんだ……)
 意識が急速に薄れる。ファルケンは呆然と水面の向こうのシャザーンの黒い影を見ていた。
「いい加減、はっきりしない奴だ。お前のようなどっちつかずは……」
 いっそう力がつよくなり、ファルケンは大きくのけぞる。
「……死んだ方が世のためだよ」
 意識が遠くなる。水面はゆらゆら揺れていた。向こうでシャザーンの顔が歪んでいる。喉にかけられた指の力は強まるばかりで、緩まることもない。
「お前には帰る所はない。死んで幸せになれるはずもない」
(帰る場所もない? ……だったら……オレは、どこにいけばいいんだ?)
 沈む。と思った。水を大量に飲んで、十分苦しいはずなのに、ファルケンはもう抵抗する気がなかった。抵抗したところで、待っているのはレックハルドとマリスの冷たい視線だ。あんな目にさらされるぐらいなら、ここで溺れて死んでしまいたかった。
 人間の世界での最後の砦はあの二人だ。あの二人が優しくしてくれるから、ファルケンは人を憎まずにいられる。なのに、あんな目で見られるのは嫌だった。最後のたがが外れてしまいそうだ。
(レックを巻き込んだのはオレだ…。役立たずなのもオレだ…。疫病神は確かにオレだ…。オレなんか、最初から消えてればよかったのかな…)
 でも、と思い出す。
 あの時、確かにレックハルドは自分に助けを求めた。ファルケン助けてくれ、と叫んでいた。いつもレックハルドは、都合が悪くなると自分に助けを求めてくる。それは利用されていたことになるのかもしれない。しかし、そんな理屈を抜きにして、ファルケンは頼られて純粋に嬉しかったし、信頼してくれた彼が大切でもあった。だから、辺境に火をつけて、命を賭けて彼を助けたかった。辺境に巻き込んでしまった挙げ句に彼を死なせるなんて真似ができようはずもなかった。
 ああ、そうだ。とファルケンは思い出す。変わり果てた自分をマリスは見捨てなかった。ファルケンはファルケンだといって信用してくれた。
 他の人だってそうだ。ダルシュは自分を助けようとして怪我をして、シェイザスもちゃんと自分の話をきいてくれていた。
「死んじまえよ…。もう、永遠に眠ってればいいんだ」
 先ほどのレックハルドの声が聞こえてきた。
(違う、違うよ…レックはそんなことをいわなかった)
 水底に引き込まれるような感覚がした。光が遠ざかる。レックハルドを信じたいのに、声は耳を離れない。水を更に飲んでしまい、ファルケンの視界は霞んだ。
「…お前のせいでオレは破滅だ…。お前のせいだ。消えろ。消えてしまえ!」
(レックは、オレのせいで辛い目にあっても、絶対にそんな事言わなかった…!)
「さあ、楽になりたかったら、全部闇に飲み込まれてしまえばいい! お前が帰る事ができるのは、あの闇以外ないのだから!」
 溢れる涙は水に溶けていく。水の底には闇のように黒い水がある。それに触れて自分がだんだん溶けているような気がした。
(嫌だ…。闇の中は嫌だ…。あんな暗い場所はもう嫌だ! 暗い場所はもう嫌だ!)
 ファルケンは、目が覚めたときにみた黒い空と赤い月を思い出し、ひたすらに涙した。だが、もう、体の半分は暗い水に食われてしまって、空間にとけ込んでしまった。恐くなって、ファルケンは、目を開けるのをやめた。
 暗い暗い水の中で、いつの間にか、喉を締め付ける手はなくなっていた。だが、ただ、どんどん体が重くなって沈んでいく感じがした。

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背景:創天様からお借りしました。


©akihiko wataragi