辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005


  
 

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『エウレカ』-2

 ファルケンが、ありがとうと言おうとして笑いかけた瞬間に、その笑みは凍てついた。
 足下で水面が波紋を広げた。色を染めながら変わっていく水の意味をわかっていながら、ファルケンは、それを認めることが出来なかった。
「レ、レック……これ…は?」
「お前の願いは叶えたぜ?」
 いつの間にか喉にあがってきていた血を吐き出して、ようやくファルケンは、視線をおそるおそる下に向けた。
 胸の少し下辺りに、短剣が刺さっていた。それを握っているのは、間違いなくレックハルドの手だ。呆然と視線を上に上げると、返り血をわずかに頬に浴びているレックハルドが、うっすらと笑っていた。
「あ、ああ…、ああ…」
 ファルケンはわからない、と言いたげに首を振った。震える血塗れた唇から、意味のある言葉を発するのには時間がかかった。目の前の光景があまりに信じられず、ファルケンは、泣きそうな顔になった。 
「あ、ああ…レック…? な、なんで? どうして? どうして、こんな……ひどいことをするんだ?」
「こうして欲しかったんじゃなかったのか? あの時、こういう風にとどめを刺せといったのは、お前だったんだろ?」
「レ、レック?」
 レックハルドは残虐な笑みを浮かべ、短剣を扱うのに慣れた手で、柄を捻った。さすがにファルケンは悲鳴をあげたが、レックハルドは、それに気を留めようともしなかった。
「それとも、今は「本当に」助けて欲しかったのか? ああ、そうみたいだな、悪いな、ファルケン。どうも間違えてしまったみたいだぜ」
 短剣が抜かれ、ファルケンは血に染まった水しぶきと共に水の中に落ちた。しかし、はい上がってくるような痛みや衝撃より、レックハルドの態度が痛かった。ファルケンは、信じられないというように首を振り、すがりつくようにレックハルドの方に手を伸ばす。
「レ、レック……。嘘だろ…。嘘だっていってくれよ…」
 せめてもの救いを求めて、横を見る。ミメルはやはり見ない振りをしているのだ。それを見ると悲しくて、泣きそうになりながら、ファルケンはレックハルドを見上げた。
「レ、レックは、…レックはオレを助けようとしてこうしたんだろ……そうだっていってくれ……。オレを楽にしようとしてくれたんだろ、なあ……」
 手を伸ばして、レックハルドのコートを掴みながらファルケンは彼を見上げた。今のが全部幻で、本当のレックハルドは自分を助けてくれる筈だ。そう思って、縋り付くように彼はレックハルドを見上げる。
「レックまで、オレを見捨てるのか…? 頼むよ、…お願いだから、これ以上、オレに絶望させないでくれ…」
 それは、ほとんど哀願に近かった。レックハルドのコートを掴み、起きあがりながらファルケンは一言一言噛みしめるように言う。
「あ、あんたが、死ねっていうなら……死んでも仕方ないよ……。…でも、でも、お願いだから、最期だけでいいから、夢を見せてくれ……お願いだから、オレが死ぬ瞬間にだけは、オレを裏切らないでくれ……。死ぬ前の一瞬だけでいいから、お願いだから…嘘でもいいから……お前を楽にしてやるためにやったんだって…言ってくれ。そうじゃないと、オレは……もう……」
「そんなに辛いのか? そんなにオレに頼むほど辛いのか?」
 レックハルドは冷淡に言って、面白そうに笑った。
「聞くにたえねえなあ。控えめなお前らしいつましい願いじゃないか。嘘でもいい、とはね」
 レックハルドは、短剣を弄ぶ。
「傷か呪いか状況か、知らないが、そんなに苦しいのか? あぁ、聞くまでもないか」
 せせら笑うレックハルドの声が、冷たく響いた。
「そりゃそうだな、好きな女に見捨てられて、苦しんでいるのに見てももらえなくて、おまけに命がけで助けたオレにすがっても刺されて…、呪いまでかかってるのに、わざわざ痛い所に傷まで負って、……お前も大概可哀想だな…。気分はどうだ? 全てに見捨てられた気分はよ?」
「……な、何言って……」
 ぐっと、レックハルドはファルケンの胸ぐらを掴んだ。ぐったりとしたファルケンは、悲しげな目で彼を見ていた。
「お前、まだわからねえのか? オレは、さっき、あえて急所は外してやったんだぜ。お前がすぐには死ねないように」
 ファルケンは目を見開いた。
「だから、どうせすぐには死ねないんだ。ありがたく思って、せいぜい長い間、のたうち回りながら死ねよ。オレが砂漠で味わったほどに、狂いそうなほど苦しめばいいんだ」
「レ…」
 ぐっとレックハルドの袖を掴んで、ファルケンは、もう一度頼むように口を開こうとした。が、レックハルドはすぐにその袖を振るったのだ。
「…いつまでも、オレにつきまとってんじゃねえ、化け物が!」
 レックハルドは、ファルケンを突き放した。水しぶきを上げて倒れ込む親友を見るレックハルドの目は、敵意に満ちていた。
「化け物の分際で、オレに迷惑ばかりかけやがって! …お前って奴は何様のつもりだ? しかも、お前のせいでオレは破滅だ。お前のせいで、オレは何もかも失った…わかってんのか?」
 倒れ込んだファルケンを蹴り上げて、レックハルドは怒鳴りつけた。
「オレから全てを奪っておきながら、自分は被害者面とは、お前もいい身分だな」 
 レックハルドは笑みをゆがめる。
「お前がオレにとどめを刺せといったとき、オレがどれほど辛かったか、お前は知らないんだろうな。その分を抱えながら苦しめよ」
「…レ、レック…オ、オレ……」
 いつの間にか、ファルケンの目からは涙が溢れていた。刺された傷よりも、本当はレックハルドの視線が辛かった。彼が何かを憎悪するときの、あの冷たい目を、向けられるのは辛かった。
「何だ、泣いてやがるのか? 情けねえやつだ…」
「レック、……もう、最後のたのみだからわかってくれ! 情けなくてもいいよ、オレの最後の頼みだから、お願いだ」
 ファルケンは、泣きながら言った。
「オ、オレが、レックに何をしたか、わ、わかってるんだよ…。わかってるんだ。…こんなオレなんて、きっと言うように死んだ方がいいんだ。…でも、でも、お願いだから……オレに最期だけ夢を見せてくれ……。こんな気持ちで死んだら、オレは、妖魔になってしまう……。お願いだから、オレがこの世界を好きなままで死なせてくれ……お願いだから…オレにこの世界を壊させないでくれ…! レック…嘘でもいいんだ! 一言だけでいいんだ! …このままじゃ、オレは人間も辺境もみんな嫌いになってしまう…!」
「何を甘いことを言ってるんだ? だったら、今すぐ死んじまえよ…、ファルケン。死ねよ。自分で死ぬ方法は知ってるだろうが? 今ならまだ世界が好きなんだろ、だったら自分で嫌いになる前に死ねばいい。…消えろ。消えてしまえ! その方が楽なんだろ、だったら死ね!」
そこに残酷にたたずむレックハルドの横に、不意に小さな少女の影が見えた。くすくすくす、と聞き覚えのある笑い声が聞こえる。ぞくりと体が震える。
「ああ、ロゥレン……」
 ファルケンは、目を彼女の方に向けた。あの悪夢で砂になって彼の指からすりぬけてしまった華奢な少女は、昔に見覚えのある無邪気な邪悪さをたたえたほほえみを浮かべて彼を見ていた。
「うふふ、あんたっていつまで経ってもかわらないのねえ!」
 そして、彼女は不機嫌そうな顔になる。
「あんたみたいなトロイ奴…見てるとむかつくのよね…。ここで死んだら?」
 ロゥレンの言葉が突き刺さるようだった。ロゥレンはレックハルドの肩に手をかけながらくすくすと笑った。
「でも、あんた、ほっといても死ぬわよね。泣きながら死ぬなんて、そんな無様なところ、ホントあんたらしいわ」
「ロゥレン……」
 理不尽さよりも心の痛みの方が大きかった。裏切られたという感覚ではなく、とうとう見放されたという感覚に近かった。
 水面にはたくさんの人がたたずんでいた。レックハルドの側にはマリスがいて、ダルシュもいて、シェイザスもいた。レナルもいて、狼人のみんなもいた。
「ああ、まったく無様なもんだよなあ」
 ダルシュがせせらわらった。
「とどめを刺す気にもならないぜ」
「そうねえ、こんな酷い狼人もみたことがないぐらいだわ」
「狼人の恥だな、ファルケン」
 一抹の希望にすがってマリスに視線を向ける。
「マリスさん…」
 ファルケンは、マリスを見上げながらぽつりと呟いた。
「…マリスさん……オレ……」
 だが、マリスは彼を知らないもののように見ただけだ。冷たい視線が突き刺さり、ファルケンは目をそらした。はらはらと流れ落ちる涙が、赤く染まった水面にいくつも波紋を作る。
「…死んでしまえ…」
 上から容赦なく声の嵐が降りかかる。
「お前は恥さらしだ」
「消えろ」
「消えてしまえ!」
 冷たい視線にさらされて、水の中に倒れ込むようにして、ファルケンは嗚咽した。顔を上げるのが恐かった。もう、みんな、彼に冷たい目を向けるだけで、助けてくれるはずもないのだから。


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背景:創天様からお借りしました。


©akihiko wataragi