辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005


  
 

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注!この作品は、やや暗めの上、精神的にちょっと痛い描写があるかもしれませんので、
苦手な方はご注意ください。

辺境遊戯番外編:『エウレカ』-1


 離れ島、と彼らが呼ぶ場所は、時間の流れの中にそっとあるとされている。その場所を知っているのは、「シールコルスチェーン」と言われる役職につく狼人達だけで、それは口伝によって示されていくものでもある。ここは、歴代の彼らが一同にかいし、情報交換を行う場でもあり、そして、自らを鍛える場でもある。
 一つの場所には結界が張られているので妖魔は溜まりにくいが、結界から一歩外に出た途端彼らはひっきりなしに襲ってくる。そうした意味でも、後継者を育てるのにいい訓練場でもあった。
 見せかけの月、と彼らが呼ぶ天体が空にかかる。いや、実際天体などではないのだろう。離れ島には本物岩や大地もあるのだが、大半は幻で出来ていることが多い。それを見破らないと、ここで一日生き残ることも難しい。この天体も幻にすぎない。だから、このしろい月のことを、彼らは「見せかけ」と呼ぶ。文字通り見せかけだけの幻で、しかも、彼らがよく知る場所と同じく、夜の筈の時間に出ては満ち欠けを繰り返す。時間の流れが曖昧なこの場所で、そんな時間を示すものなどまやかし以外の何者であるはずもない。
 だが、時間の流れが曖昧とはいえ、時間を体感できないわけではない。わずかばかりながら、この場所にも時間は流れているし、その流れ方がよそとは違うだけでもある。暴れれば疲れるし、腹も減る。
「さてと」
 できあがったスープの立てる湯気に満足しながら、狼人の青年は胸を張った。
「今日はうまくできたなあ。お師匠様に作らせるとロクなのができねえから」
 狼人にしては背の低い彼は、ハラールの弟子であるビュルガーである。その才能をハラールが見込んでここに連れてきたのだが、もとより彼にはシールコルスチェーンになろうという欲があまりない上に、見立てた才能がどうも間違っていたらしい。ビュルガーは魔力は高いが、戦闘に関する能力などは大して高くない。そして、この性格であるので、修行もそこそこに雑用ばかりしている。
 満足しきっているビュルガーが、腰に手を当ててわははははと笑っていると、ふと後ろに暗い気配を感じた。妖魔かと逃げ腰で振り返ると、そこには彼よりもかなり背の高い男が立っていた。びくうっとして、ビュルガーは慌てて五歩ほどひきさがっていたのだが、それがなじみの弟弟子だと知って息をつく。
「な、なんだよ、お前か! いるならいるっていえ!」
 弟弟子は黙って、彼の前を進むと勝手に自分の寝床に向かって歩いていき、ばったりと倒れ込むようにそこに寝ころんだ。
「おい! ったく、なんで、お前そんなに愛想ないんだよ」
 文句を言うが、ビュルガーは正直彼が恐い。睨むときの視線も恐いし、得体も知れない。師であるハラールも圧倒するほど強いのだから、まかり間違っても飛び掛かって勝てるわけがない。最初からそんなつもりのビュルガーは、文句はいうが、ファルケンと喧嘩する気はない。あの黒い気配も、本物の妖魔と間違えるほどで、ビュルガーはあの人のいい師匠がこの弟弟子にだまされているのではないかと心配するほどだ。もし、妖魔の変化だったらどうするつもりだろう。
 とはいえ、弟弟子は弟弟子だ。ビュルガーは、できたてのスープをよそうとぶつぶつ文句を言いながら弟弟子のいる方に置いた。
「飯、一応ここにおいとくからな。いっとくけど、お前を心配してるんじゃなくて、オレが無視してるみたいだったら、心証が悪いからなんだぞ!」
そこに置いておけば、その内に食べるだろう。いつもそうだ。置いているといつの間にか食べているらしいが、しかし気配をあまり感じないので不気味である。なぜここまで暗いのかわからないが、ハラールによると彼にかかっている呪いのせいだという。ビュルガーはどうもそれだけとは思えなかったのだが。
 ふと、夜空を見てビュルガーは眉をひそめた。今日は満月だ。見せかけの満ち欠けをする月が、今日は満月を示している。見せかけとはいえ侮れないもので、満月は魔力に影響を与える。魔力には敏感なビュルガーは、自分の持つ魔力があふれるような感覚を感じることがある。
「満月か……てことは今日も荒れるな…」
 ビュルガーはため息をついた。 
 呪いはあくまで呪いだ。それは心の闇から生まれたものでしかなく、発動していなくても、魔力の高まる夜には、彼に害を与えようとうごめく。
 満月の夜によく、ファルケンは悪夢にうなされる。ファルケンが、心を開く素振りを見せないのは、きっとそうした辛いことばかりが続くからに違いない。それをビュルガーは何となく理解はしている。だが、だからといって、ぶっきらぼうで、無口で、時に感情をあらわにしたと思ったら、師に憎しみ混じりの怒りをぶつける弟弟子を好きになることは出来なかった。
 しかし…とは思う。歯を食いしばるようにして、うなり声を押し殺しながら眠る彼の姿はいっそのこと気の毒だった。
 そして、彼が苦しそうに寝返りをうつあたりになると、ふとハラールがやってきて、ファルケンを無理矢理に夢の世界から連れ出す。
「最後まで見せてはいけない。…今の彼には危険だ」
 だから、もし自分が居ないときは、起こしてやって欲しい、と言われた。だが、起こすのも彼の眠りを妨げるようで少し辛かった。 
 今日も満月だ。
 一体、ファルケンは何の夢を見て、あれほどうなされているのだろう。


 
 ざあざあと、水の落ちる音が雑音のように聞こえていた。どこかに滝があるのかもしれないと思いながら目を開いても、そこは黒い空間が漠然と広がっているだけだ。青黒い水が一面に張られていて、それが寂寞とした雰囲気を作っている。ファルケンのくるぶしまでを水は浸していたが、足の裏に水の中の地面の感覚はなく、浮いているような感じがした。その水をのぞき込んでも、底は見えず、黒いどろどろしたものが固まっているのが見えるだけだ。深いはずの水なのに、なぜ立っていられるのか、ファルケンにはわからない。
「ここ……」
 ファルケンは、周りを見回す。
「どこだ? ……オレは、離れ島にいたんじゃないのか?」
 ぱしゃっ、と足音がした。ファルケンはびくりと顔をそちらに向ける。音の聞こえた方には一人の男が立っていた。うすい色の金髪に、どこか虚ろな表情をした狼人は、その顔立ちに似合いもしない表情を浮かべている。忘れもしない、彼を死に追いやったシャザーンだ。
「お前は…!」
 と、腰に手をやるが、なぜか武器はない。背中にもない。ファルケンはいつも手放すことのないそれらの武器がないことに驚いた。だが、飛び掛かってしまえばいいと思って、水面を蹴ろうとしたが、いきなり彼の体は深い水の中に沈んだ。垂直に沈んで首の方まで浸かったファルケンは驚いて慌てて浮き上がろうとした。
 ファルケンは泳げないわけではない。だが、この水は重く、そしてファルケンを捕らえるように粘る。水に捕らえられ、しずめられそうになり、ファルケンは混乱した。
「な、なんだ…! なんなんだよ!」
 もがけばもがくほどに水は重くなる。混乱したファルケンは、誰か手を貸してくれる者がいないか、また使える道具はないか、周りを見回した。
 と、不意にそこにミメルが立っているのが見えた。小さい頃から世話をしてくれた妖精のミメルは、小柄な体を虹色の羽で浮かせている。その優しい顔立ちが、どこか別の場所を見ていた。
 だが、ファルケンは、少し顔を輝かせた。ミメルは、ずっとミメルだ。小さい頃から、彼が辛い想いをするたびに慰めてくれた。昔から彼女だけは永遠に味方だと思っていた。だから、ファルケンは叫んだ。
「ミメル! 手を貸してくれ!」
 いつもなら、彼女は心配そうな声をあげて、ファルケンの側に駆け寄ってくる。今度もそうだと思っていたのに、ミメルはなぜか別の方向をみたまま動かない。一瞬声が聞こえたとき、びくりと反応したのに、彼の方を見ようともしない。探そうともしないのだ。ファルケンはできるだけミメルの方に近づいていって、そしてもう一度叫ぶ。
「た、助けて…助けてミメル!」
 どれだけ必死で叫んでも、ミメルはそこにいるのに手をさしのべようとはしない。
「ミメル……! 助けて!」
 暗緑色の水が絡みつくように重かった。溺れそうになって手足をばたばたさせるファルケンは、側にいるミメルに手を伸ばす。だが、ミメルはこちらを冷たい目で見ただけだった。
 拒絶されたのだ。ファルケンは、もがくほどに重い水に沈むことよりも、そちらの方に混乱した。
 幼い頃から育ててくれたミメルは、ファルケンにとっては大切な人で、そして、一番信頼の置ける人でもあった。人間界で傷つくたびに、ファルケンはミメルに会いにいき、そして、慰めてもらっていた。そんな彼女が冷たい目で彼を見ることなどなかった。
「ミメル…なんで…なんで助けてくれないんだ! …ミメルは、ミメルだけは、いつだって…!」
 ファルケンは、水を飲みながら苦しそうにとぎれとぎれに叫ぶ。
「ミメル! ……ミメル、なんで、オレを見捨てるんだ!」
「お前に価値がないからだ」
 冷たい声で、シャザーンは告げた。しかし、シャザーンなのに、それから立ち上る気配はあの司祭のものだ。あの司祭、ギルベイスの。
 それに気づいたとき、ファルケンははっきりと怯えた。ギルベイスの呪いは、まだ彼の身にふりかかったままで、その力の使い方一つで、ファルケンの命はどうにでもなるのだ。
「…お前のような奴、生きていても仕方がないに決まっているだろう。だから、ミメルはお前を見ない」
 ふっと笑いながら、ギルベイスの気配を身につけたまま、シャザーンは笑う。
「だから、…死んでしまえばいい。そうだろう?」
 その冷たい目をみて、ファルケンは一瞬体を引きつらせた。鼓動と共に、激痛が走ったのがわかった。思わず胸を押さえながら、彼は顔を真っ青にした。
 胸から徐々に全身に激痛が走っていく。ファルケンは、不意にあの時のことを思い出して、一気に恐慌に陥った。体をゆっくりと切り刻まれ、燃やされるような、あの死の直前に味わった思いを思い出してしまう。
「い、嫌だ!」
 水をはねとばし、ファルケンは起きあがって、逃げようとした。だが、起きあがれたので精一杯で、足下に絡みつく水だけはかわせない。
「嫌だ! もう嫌だ!」
 ファルケンは、恐怖に取り憑かれて叫んだ。足下の水に絡まれて、転んでもがきながらも、ファルケンは必死で逃げようとした。シャザーンの前にいてはいけないとなぜかその時思った。彼には司祭と同じ感じがする。このままだとまたあの時みたいに、なぶり殺しにされる。
「あああ、嫌だ! 苦しいのはもう嫌だ!」
「何を怯えてるんだ」
 不意に涼しげな声が割り込んできて、ファルケンは顔を上げた。そして、ふと顔をわずかに輝かせる。そこにいたのは、レックハルドだった。彼は冷たい目をしていたが、あまりファルケンは気に掛けなかった。レックハルドは、いつもそんな目をしていて、そしてそれが彼の本性でないことを、ファルケンは知っていたからだ。
「こ、ここから引き出してくれ! あいつから逃げないと!」
「なぜだ? 何で逃げる?」
 レックハルドは、歩み寄っては来ないで、ただ少し離れたところに立っている。
「あいつがいると、前みたいに死んでしまうよ! た、助けて、レック! 助けてくれ! あの時みたいな思いはもうしたくないんだ! オレを逃がしてくれ!」
 ファルケンはレックハルドの方に手を伸ばした。レックハルドが、シャザーンを何とかしてくれれば、きっとこの苦しみはおさまる。だから、レックハルドにすがるようにファルケンは手を伸ばした。あの時の苦しみは酷かった。思い出すだけでも気が狂いそうだ。
 転びながらレックハルドのところに、駆け寄ってきたファルケンを、レックハルドは静かに見ていた。ファルケンは、混乱して震える指先でレックハルドに縋り付くようにコートを掴んだ。
「レック、レックは助けてくれるよな? レックは、…いつもオレを助けてくれた…。そうだよな?」
 確かめるように言って、ファルケンは背後から追ってくるシャザーンを怯えるように見た。
「お願いだから、オレをここから出してくれ。あいつと一緒にいたら、死んでしまう…!」
「ああ、そうか」
 レックハルドは驚くほど冷静にそう言った。
「それじゃあ、助けてやるよ」

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背景:創天様からお借りしました。




©akihiko wataragi