絶望要塞(改訂版)・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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1.「死の神が支配した」-2


 ラファンドラ要塞は鉄壁の要塞である。だが、その内部は意外に住みやすく作られていた。ここは、兵士達の居住区と戦場の明確な境目のないようなこの要塞だが、割とそこかしこに気が抜けたような戦士達が寝ころんでいたりもする。
 規律を心配する者もいるかも知れないが、不思議と軍規の乱れはない。それは大きな謎だったが、そんな雰囲気だからこそ、この要塞の廊下を、このように一人の少年が歩いていてもあまり違和感がないのだった。
 普通は幽霊か何かのように思われるであろう少年は、要塞を自由に歩き回ることができる唯一の一般人である。名前はナツ。その名の由来はよくわからない。名前を付けたのは、あのファンドラッドで、彼がどこかの異国の言葉からとったというのだが、その由来は聞いてはいない。
 ナツは十二才になったばかりで、黒髪にまだ幼い大きな瞳の印象的な少年だ。彼に親はいないし、彼自身もどこから自分が来たのか覚えていない。
 ただ、ある雪の降る戦闘の日、炎に包まれた村の中から、ファンドラッドの黒いマントにくるまれてこの要塞にやってきたという話を聞いていた。それが本当のことかどうかもわからない。ナツは、そのこと自体を覚えていないのである。
「あっ! ウィンディー!」
 タッ、と足を運び、ナツは近づいてきた黒衣の男に笑いかけた。
「おや、ナツ。今日も元気そうだね。」
 ファンドラッドは珍しく笑顔だ。彼はナツと要塞の女性士官にだけは優しいらしい。こうして笑顔を向けてくるのもそれぐらいなものらしいのだが、ナツにはよくわからない。
「リティーズを探してるんだけど……」
「ああ、あの馬鹿か……」
 ファンドラッドは、すげなく言いながらやや肩をすくめた。
「どうせまだ寝てるんだろう。何せアレは、馬鹿の中でも最上の馬鹿……」
「誰のことを馬鹿だって言ってんだよ!」
横の廊下から出てきた青年は、むっとした顔をしていた。その後ろには、まじめで心優しそうな容貌の青年が控えている。先ほど司令室を出ていったばかりのバルト=ライアンだ。
 寝癖のつきすぎた金髪に、やや大きな目の男は、口を尖らせる。パッと目はそこそこ二枚目なのだが、表情が何となく頼りなげな印象をかき立ててしまう。年齢はどうみても二十歳そこそこの若造なのだが、これでも彼がこの要塞の副官リティーズ=クレイモアなのだ。ナツは近頃、この要塞がそれほど人手に困っているのだなあ、と思い始めていた。頼りない上に若いリティーズが副司令官なんて、やはりどう考えてもおかしいと思う。
「馬鹿ではない。最上の馬鹿といったんだが。聞こえなかったとしたら、相変わらずだな、リティーズ」
 敵対的についと流し目を向け、司令官は嘲笑どころか、もはや憫笑に入りかけた笑みを浮かべる。寝癖のついた若造の金髪が、微妙に逆立ったような気がした。
「このリティーズ=クレイモア様のどこが馬鹿なんだ。」
「いいのか、言っても。傷つくのは貴様だけだぞ」
「なんだ、その思わせぶりな言い方はよ! じゃあいって見ろよ!」
「貴様の馬鹿はすべてにおいて絶望的なものだ。ゆめゆめ治るなどと考えるんじゃない。」
「いきなり全否定かよ!! なんだ、その言い方はッ!」
「いえと言うから言ったまで。」
「なあにい!」
 笑いもせずに言う司令官に、リティーズはくってかかった。
「朝からうるさい。私はお前の消息をきいただけ、顔を出せとは言ってない。鬱陶しいから下がれ!」
「なんだあ、ウィンディー! その言い分はあ!」
 リティーズ=クレイモアは、金髪で寝癖のついた前髪を息でふきあげながら勢いよくファンドラッドのほうに迫ってきた。
「俺はお前が呼んだから出てきたんだぞ!」
「だから、顔を見せずに話をすればいいだろうが。壁の影に隠れて返事をしていれば見えないだろう?」
「そんな器用なことできるか!」
「うるさい、とにかく鬱陶しい! 暇なら、その辺の部屋の掃除でもしてればいいだろうが!」
 いつものことだが、この二人が出会うと穏便ではすまない。普段冷静なファンドラッドが、わざわざ喧嘩を買うので、この二人が喧嘩をしないときはない。
 それにしても、副官のリティーズからすれば、ファンドラッドは上官に当たるし、おまけにどう見ても年長者だが、リティーズの言葉遣いは大変ひどいものだ。それに対してはファンドラッドも何も言わない。
 そもそも、ファンドラッドを「ウィンディー」という愛称で呼べるのは、この要塞の中でもナツと彼だけだ。ファンドラッドは別に呼称にうるさいわけではない。だが、リティーズに好き勝手呼ばせるほど甘い性格ではないのだが、なぜ彼とリティーズは対等の立場なのか、ナツは時々不思議に思うのである。
「あ、あ、あのさ、オレ、聞きたいことがあるんだけど…」
 慌てて口を挟むと、ファンドラッドはつかみかけのリティーズを無情に離してナツの方を向いた。リティーズが後ろにひっくり返ったが、完全に無視をしている。ナツにだけは優しいファンドラッドは、珍しく笑顔を見せて聞いた。
「どうしたんだい? ナツ?」
「リティーが、この前、オレを外に買い物に連れて行ってくれるって約束しただろ? そろそろいかないのかい?」
 ファンドラッドの視線がそちらに向かったのと、ようやく起きあがったリティーズがぴた、と動きを止めたのは同時だ。
「なっ、なんだ。……オレ、そんなこと約束してたっけ……」
 わざとらしいごまかしように、さすがのナツもムッとする。
「してたよ。オレ、この前から買いたいモノがあるんだ。つれていってくれるんだろ?」
「む……むう、えっと」
 ちら、とリティーズは、ファンドラッドの顔を伺った。それを仕方なさそうに見やり、ファンドラッドは、ナツの肩に手をかけた。
「ナツ……事情がかわってねえ、しばらく外出できなくなったんだよ」
「ええっ!」
 ナツは、非難の混じった声を上げる。ファンドラッドは、やや言い聞かすような口調にかわった。
「気持ちはわかるのだがな、ナツ……。外は今、敵が溢れていて危険なんだよ。そんな中この馬鹿で迂闊な男に、お前を預けるような真似ができるわけないだろう?」
「へー、馬鹿で迂闊な男ねえ。その馬鹿で迂闊な男を副官に飼っておく男の気がしれねえや」
「黙れ、寝癖頭!」
「なんだあ、黒服魔人!」
 リティーズの皮肉から、また言い合いがはじまりそうな様子に、あわててナツは割って入った。
「わ、わかったよ。残念だけど、ウィンディーのいうことをきくよ」
「ああ、悪いね、ナツ。全てはこの馬鹿が迂闊だから……」
「迂闊なのはあんたのファッションセンスだろ! 大体、おかしいんだよ!」
 折角収まりかけていたのに、急にリティーズが割り込んできた。ファンドラッドはきっとそちらを向く。
「うるさい! お前の発言権は認めてないぞ!」
「あんだあ、この独裁者ァ!」
「誰が独裁者だ! この寝癖青二才!」
「ちょ、ちょっと両閣下、こんなところでやめてください!」
 とうとう見かねてバルトが間に入ってきた。このままここで喧嘩されると、要塞の壁などが壊される。
「オレに閣下つけるなっつーの! こいつと同じ呼び方されたら、なんかむかつく!」
「ふん、こんな馬鹿と一緒にされるのは私も願い下げだ。」
 ナツにはいまだにわからないことがある。この親子ほども離れた二人の関係が、さほど年の離れていない友達の関係のようであることだ。ナツは友達が最近できたばかりなので、友達というのがどういう関係かはまだ把握しきっていないが、それにしても、この二人の関係は何となく不思議だった。やっぱり親子ではないし、上司と部下でもない。言い表すなら悪友とか、喧嘩友達という言葉が一番ふさわしい。
 リティーズは、何かいいたげであったが、ようやく自分を押さえ込んだのかため息をついた。そして、ファンドラッドを呼び寄せる。
「そうそう、忘れてたぞ! オレはお前とは話があったんだ。ちょっと来いよ!」
 ファンドラッドは、はっと鼻先で笑った。
「どうせ、お前の話など底が知れてる。セスチアンのことだろう?」
「わかってるなら、最初から話せっての!」
「お前と話したくないからだ。…まあ、仕方ない、百歩譲って貴様の話をきいてやろう。」
「何でそんなに偉そうなんだよ、ったくよ。ナツ、すまねえな。騒がせて!」
 リティーズにいわれ、呆然と二人のやりとりを見ていたナツは我に返った。
「あ、別に大丈夫だよ。それより、今度は部屋を壊さないようにしないと。」
「オレが壊すんじゃねえよ。壊すのは主にこい…」
 ぎゃあ、っと声をあげて、いきなりリティーズがひっくり返った。背後からきたファンドラッドが追い抜きざまに足を引っかけたのである。ファンドラッドは素知らぬ顔のままだ。どこまでも仲の悪い様子にナツは苦笑した。
「じゃあ、ナツ。後でね。いい子にしておいで」
 ファンドラッドはにっこりと愛想よく笑い、ナツの頭を軽くなでやると、そのままリティーズに続いて司令室に行ってしまった。





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背景:NOION様からお借りしました。




©akihiko wataragi