絶望要塞(改訂版)・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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1.「死の神が支配した」-1

 人はいう。あの頃の我々は最高であったと。全てのものを作り、全てのものを支配し、まるで神のようであったと。しかし、それはもろい支配者でもあった。今となっては全ては廃墟とかし、滅びの姿をさらすばかり――。ただ、あの頃作られた残骸達が、荒野を彷徨っては破壊だけを繰り返す。
 そうだ、あの時にこの大地は死の神が支配した。この大地に生きるものを私は見ない。絶望した人間と、あの破壊だけが生き甲斐の残骸達が、ただ彷徨っているだけの世界だ。
 嗚呼、神よ、この大地を見捨てたのは何故。
 嗚呼、死神の声と馬蹄が、大地の上を響き渡るのは何故……


ばさっと紙の音を立てながら、彼の上官は手紙を翻した。
「ふっ、あの三文詩人のグレイザーらしい文章だ」
 これはまずいことをした。バルト=ライアンは直感的にそう思った。詰め襟の軍服を着たままの彼は、ごくりと思わず喉を鳴らす。今日は機嫌がよくないらしい。見た目からはそう見えないが、先ほどの口振りでバルトは彼の上官が如何に不機嫌かを知ってしまった。
 目の前にいる上官、どこか日常とはかけ離れた印象のこの男は、この要塞の最高司令官である。しゃっきりとした軍服に洒落た鎖、戯れに振りかけた香水、優雅なほどの動作。黒いマントを長身に引っかけて、それを鎖で留めている。白い髪の毛は長くオールバックにして後ろに流している。上品な顔立ちは軍人というよりは貴族的である。
 額から右目のしたまで走る刀痕と、そのせいで視力を失ったといわれる右目の上には、ブルーのカラーグラスをあしらった装飾過多の片眼鏡がかかっている。金色の金属で作られたそれは、眼鏡というよりはほとんど仮面のようだった。なにせ、それで右の顔の上半分がすっかり隠れてしまっているからである。白い髭も長いが、老人というには少し洒落すぎており、またどことなく不気味な存在だった。
「セスチアンに出てこなければ、住民三百人を殺すか。…全くよくわからない誘いをかけてくるやつだ。逢い引きなら、プレゼントはもっと色気のあるものにしないとな。」
 司令官は、手紙を読み終えるとそれを丁寧に折り直す。バルトは、彼がそれを元に戻すのかと思ったが、案に反して司令官はそれを表情も変えずにまっぷたつに破いた。そして、そのまま近くのランプの火にかける。燃える手紙に「よろしいんですか?」と声をかけようとしてバルト=ライアンは、思わず口を開きかけたが、それは、司令官の目とぶつかって止まった。
 氷のように冷たいくせに、何か得体の知れない意志に燃えていて、そして挑戦的な不敵な目をしている。見慣れたバルトでも、そんな司令官と目があったときには、背筋に寒気が走るぐらいである。
「あの馬鹿にこう告げてやれ。『お前がセスチアンを襲っても、私は出ていくことはない。殺したいなら何百人と殺せばいい』とな。」
 忘れていた。この司令官の人間嫌いは、なかなか激しいものがある。とはいえ、彼は普通に人とつきあっているし、そんな素振りも見せないのだが、こういう話になると途端、彼の底知れぬ憎悪のようなものがちらちらと見えるのである。
 ウィンディオ=ファンドラッド。それが彼の名前である。見かけは六十いくつぐらいなのだろうが、正確な年齢はバルト=ライアンはしらない。聞く気にもならないし、あまり知りたいものではない。できるならあまり関わらない方がいい人間ではある。
 昔は温厚な人間だという話を聞いたことがあるが、実際彼にあってその考えはなくなった。あるいは、この要塞で戦いを強いられるあまり性格が変わったのかもしれない。
 近くの村人にきいても、以前はこのような人でなかったという。戦場でも率先して前線に出ていくが、それは高潔な理由ではなく、純粋に戦いを楽しんでいるからのようにすらみえる。動きは迅速で、奇策を用い、その勝率は他の将軍とは比べ者にならない。
 その戦鬼のような姿を見た村人は彼を「風の死神将軍」と噂しておそれている。だが、この男に実際に接してみると、何となくそのあだ名がついた理由がわかるような気がした。心は読めないし、おまけに思わぬところで人の裏を突いてくる。そして、この氷のような冷たさは、まるで人の情を感じないときがあるのだ。見かけが上品で、どことなく高潔なだけにそれは倍増されて感じられる。
「しかし…よいのですか?」
 バルトは、良心が咎めるのか、そうっと彼に聞いた。いくら何でも罪のない村人を見殺しにするというのは気が引ける。
「セスチアンのことか? ああ、あれはかまわんだろう?」
 ファンドラッドは薄ら笑いを浮かべた。
「何せ、あそこは前に私を追い出そうとした街だからね。助ける義理も恩もない。」
「し、しかし…。」
「私は嫌だね。連中のために投げ出す命は持っていない。…どうしてもっていうなら、そうだな、リティーズに掛け合ってみることだ。」
 冷たい口調で彼はそういい、燃えつきた灰を集めてゴミ箱に捨てた。とりつく島もなく、バルトは、おそるおそる司令室から退室した。これ以上、この司令官を刺激するのは賢くない。
「し、失礼いたしました。」
「バルト=ライアン君」
 ファンドラッドは、わざとらしいほど丁寧な口調でいいながら、にっこりと笑った。手にはすでにコーヒーが握られ、すっかりくつろいでいるようだ。
「リティーズなら、今は起きたばかりじゃないかな? 行くならもう少ししてからのがいいよ」
 バルトはぎくうっと肩をすくめた。どうも、この司令官は苦手だ。自分の考えていることを先に読んで、楽しそうな顔でそれを言い当てて、相手がうろたえているのを見て楽しむのだ。
「…し、失礼しました。」
 バルトはそれだけをいって、逃げるように司令室から去った。
「まったく……」
 早足で歩きながら、彼はぽつりという。
「…あの閣下にも参ったよ」





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背景:NOION様からお借りしました。




©akihiko wataragi