いつの間にか、踊り手はリーフィから別の女性に代わっていた。
「シャー……」
 踊りを終えたリーフィは、そっと小走りにシャーのいる机の側に寄ってきていた。
「リーフィちゃん。お疲れ様。もういいの?」
「ええ、とりあえずは。……それに、私に踊るようにいった人もいなくなったしね」
「そうだね。……ちょっとやりすぎたかなあ。せっかく、リーフィちゃんが協力してくれたのにごめんね」
 シャーは苦笑した。
「あ、それはいいのよ。もう情報は大体手に入ったし、あの人自身にちかづくのは危ないと思うの」
「え、ホント。収穫あったの」
「ええ、また後でお話しするわね」
 リーフィはにこりとわずかに微笑んだが、何かを思い出したようにシャーの顔をのぞきこんだ。
「ねえ、シャー」
 リーフィは、少し小首をかしげた。
「踊りながらみていたんだけれど、あの時、あなた、わざと挑発したの?」
「うーん、それもあるけど、純粋に」
 シャーは、少々含みのある笑みを浮かべた。
「奴がふれる自体が生理的に嫌だったから、かな」
 リーフィは、ふとシャーの顔を見やった。彼の裏の顔を知るリーフィでも、今のシャーの表情はなかなか見られないもののような気がした。



 さすがのゼダも、そろそろ息があがっていた。 壁側に背をつけながら、息を整える彼とくらべ、相手のほうはまだ余裕を漂わせている。
「浅いな」
 ゆらりと黒いマントが闇にまぎれながら波打つ。足を一歩差し出すと、ちょうど月光の中に黒い靴が不気味光る。続いて下げた剣の切っ先がぎらりと反射した。
 切れ長の瞳に、どこか危なげな血の気配をのせながら、男は薄い光の中に姿をさらす。ジャッキールは、青ざめた顔を少しゆがめるようにして笑っていた。
「貴様の技は小手先ばかりの目くらましだ。一度見切ってしまえば、何ということもない」
「へえ、で、見切れたのかよ?」
「まあ、十のうちの七つほどは、な」
 ジャッキールは、軽く肩をすくめた。流れの傭兵である彼は、普段からも、それなりの武装はしている。鎖帷子でも着ているのか、ちゃりと金属の音がなる。
 十に七つということは、残りの三割の確率で、ゼダの技が決まることもあるということである。別に低い確率ではない。だが、そういう風に宣言されるのは、さすがのゼダにもプレッシャーがかかるのだ。ゼダは、わずかに口元を引きつらせた。
「それじゃあ、速攻で決めた方がいいってことかい」
「それでもいいかもしれんが、だが、最悪相打ちの斬りあいになっても勝つ自信はあるぞ。貴様の剣は、一撃で相手をしとめるのには向いていない」
「あんまりないい様じゃねえか」
「では言い方を変えようか」
 ジャッキールは、薄笑いを浮かべたまま続けた。
「貴様の剣が不気味なのは、一体どこから来るか、どこを狙っているか、一瞬わからなくなり、受ける方が混乱するからだ。だから、逆に言えば、貴様が勝負をしかけてきたのがわかれば、俺は命に関わる場所だけに気をつかっていればいい。多少の傷を負うのはやむをえないと考えれば済むだけのことよ」
「へえ、言い切ってくれるじゃねえか」
 ゼダは、一瞬冷や汗をかいた。それは、以前シャーにやられたのと同じことではないだろうか。いや、ある意味ではシャーだったからでこそ、この前はほとんど互角の結果になったわけであり、この男だとそうはいかない。
 あの時、刺されることは覚悟で勝負を挑んできたシャーも相当危なかったが、この男はまたソレとは違う。「異常」なのだ、この男は。あの時のシャーにも、それなりの覚悟はあったのである。だが、この男にはそういう気負いもなければ、覚悟もない。それは、彼にとっては別に特別に仕切りなおして考える必要のないことなのであろう。この男は、今、この後の勝負など考えていないのである。
 もしかしたら、ジャッキールは、誰かを追ってここまで来たことも、これから誰かを追わなければならないことも、すっかり頭から抜けているのかもしれない。目的を持って戦っている場合、その後の利害を考えるのが当たり前だが、そんなことを彼は考えないのだ。それぐらいに戦闘のみに陶酔できるというところで、ジャッキールという男は、シャーや自分よりも、明らかに一線向こうに飛びぬけているのである。
 それとも、もしかしてあれだろうか。この男、今日の冷たく光る月に酔っているのか?
(これはちょっとまずいな)
 ゼダの顔色は、さすがに少々まずくなる。
ジャッキールは、薄く微笑みかけてきた。死神でも取り憑いているのではないかと思うぐらい、冷たく不吉な笑みだ。
「そろそろ時間も時間だな。月が南中する頃合には、勝負を決しておきたいが」
「へえ、気がなげえことだな。そういう余裕かましてると、後で泣きをみたりすることもあるぜ?」


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