「ご安心を。あなたがそのくらいで死ぬはずがないことはよくわかっております」
「あ、ひどい! カッファの冷たい一言がオレの胸を抉った! あーあ、ホントにオレ世を儚んじゃうからね!」
シャーは、そういいひょいと手すりから身を躍らせた。あっとカッファは声をあげる。一瞬、本気で彼が身投げしたのではないかと焦ったのだ。
「殿下――!」
だが、この若い王は、バルコニーの端っこに捕まって、そこから猫のように柔軟に着地した。
「それじゃー、隠遁生活にいってきまーす!」
「あなたという方は! 今度の今度こそ許しませんからな――!」
そのまま、二階のカッファの怒鳴り声をききながら、シャーは慌てて走り出す。ここで捕まったら、しばらく街に遊びに出かけられない。
中庭を走る間に、青いものが走っていくのに気づいたレビが立ち上がって声をかけてきた。
「あっ、シャルル。どこにいくんだい」
シャーは、走りながらレビ=ダミアスの方を見た。そばでラティーナが彼の方を見ていたが、それはもう前のような視線ではなかった。ふっと笑いながら、シャーは吹っ切るように明るい口調で応えた。
「ああ、兄上、ちょっと散歩です。散歩。ごきげんよう〜!」
「あっ、シャルル! ちゃんとご飯は食べて、ちゃんと睡眠を取らなければならないよ。調子が悪くなるとすぐに帰ってくるんだよ」
レビ=ダミアスが心配そうにそう告げたが、シャーからしてみると体の弱い兄から賭けられるセリフではないと思う。
「オレからすれば、それはどっちかというと、オレが無茶しすぎな兄上にいいたい言葉ですが」
シャーが頭をかきながら言ったとき、ラティーナが慌てて立ち上がって軽く礼をすた。シャーは後ろに向けて手を振った。
「兄上、それじゃお元気で。あとは頼みます」
「ああ、わかったよ。気をつけるんだよ」
「はーい、りょうかい」
シャーは兄の声をききながら、ふうとため息をついた。追いかけてきているらしいカッファの声が遠くから聞こえ始める。シャーは慌てて駆け出しながら、ぼんやりと思った。
(でもさあ……、オレ、こんな不真面目に見えるけど。)
前から来る兵士は、なにやら不審な侵入者が走ってきたといった目で彼を見ている。それをかわすため脇道に入りながら、シャーは正装の青いマントを脱ぎ捨てた。
(……オレはこの国が嫌いって訳じゃないんだよ。だから、守るときは守ろうとは思ってるんだぜ、カッファ。)
口にしなきゃわかんないんだろうけど、いちいち言うのも恥ずかしいしさあ。などと、心の中で付け加え、シャーはやはり自分はいつものほこりっぽい服が似合っているよなあと思った。
「それじゃ、しばらく留守にするから、後々はお願いね!」
シャーは、追いかけてくるカッファにそう叫ぶと、例の秘密の抜け道に入り込む。その瞬間、彼はもう、シャルルでもなく、王でもなく、将軍でもなく、剣士でもなく、ただのシャーだった。そして、彼がなによりもそう他人から見られることを望んでいるのは、痛いほどカッファにはわかっていた。
「殿下!」
叫びながら、どこかでシャーが街で馬鹿騒ぎして幸せに暮らすのを、カッファはどこかで願っていたのかもしれない。そういう彼の顔には、どことなく安堵の表情があった。
――国王シャルル=ダ・フール=エレ・カーネスの暗殺未遂事件。それは、無事に幕を閉じたが、この若い王がまだ平穏な日々を過ごせるようになるのは、ずいぶん先のことである。
2005 4/23
渡来亜輝彦 http://ship2adoventurer.fc2web.com/
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